牟礼山

牟礼山


【日時】 2005年3月6日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 飯豊連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 牟礼山・むれいさん・616.4・二等三角点・新潟県
【コース】 県道熱田坂大長谷線入口より
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/小国/安角
【ガイド】 新潟の低山藪山(白山書房)
【温泉】 胎内ロイヤルホテル 500円

【時間記録】 6:20 新潟=(R.7、新発田、R.290、熱田坂 経由)=7:30県道熱田坂大長谷線入口〜7:54 発―8:18 尾根取り付き―8:46 鉄塔―9:25 430mピーク―10:35牟礼山〜11:09 発―11:40 430mピーク―12:03 鉄塔―12:15 尾根取り付き―12:37県道熱田坂大長谷線入口=(往路を戻る)=14:40 新潟

 牟礼山は、温泉やスキー場、ゴルフ場などのレジャー施設が整備されて賑わう胎内平の奥にある山である。杁差岳の南の鉾立峰から鳥坂峰へと、胎内川の右岸に沿って続く長尾根の末端のピークである。山頂からは、杁差岳をはじめとする展望を楽しむことができる。
 前日の山行で疲れてしまい、軽い山で済ませるつもりであった。朝起きると、青空が広がっていた。庭の解け残りの雪を蹴ってみると、堅くしまっていた。夜の間に、放射冷却現象の冷え込みがあったようである。絶好のコンディションということで、飯豊の展望を期待できる牟礼山に出かけることにした。
 牟礼山には、1997年5月17日に登っているが、この時は山道を辿っており、積雪期は初めてであった。歩き出しがどこからになるのか判らなかったが、胎内ロイヤルホテルへの連絡道路付近から歩き出せるはずであった。胎内スキー場手前から、胎内ロイヤルホテルへ向かい、新宮寺橋へと折り返したすぐ先が、県道熱田坂大長谷線入口の入口になる。県道は除雪されていたが、パイプ柵で通行止めになっていた。道幅もあったので、路肩駐車をし、ここから歩き出すことにした。
 牟礼山の取り付きは、自分で考える必要がある。夏道は、送電線が県道に近づいた所から始まっているが、そこまでは、車道歩きが長くなりすぎる。地図に190mと書かれた北側の林道カーブ地点から、送電線の鉄塔の立つ335m点へあがり、後は稜線伝いにというのが良さそうであった。事前には、他の記録を確認しなかったが、下山後に幾つかの記録を確かめると、同じコースをとっていた。
 県道の入口から先は、除雪されて、2センチ程の雪が覆った状態であった。スノーシューはザックにくくりつけて歩き出した。僅かな歩きで、除雪車両の基地になった広場に出た。少し様子がおかしく、道を間違えたかなと思った。車一台幅の道が除雪されて続いていたので、先に進んだ。GPSを見ると、県道からは逸れているようであった。胎内高原ゴルフ場の中に迷い込んだことに気がついた。せっかく雪の無い道を歩いてきたので、もう少し先まで進んでから県道に向かうことにした。帰りに確認すると、この広場の少し手前に県道の分岐があり、完全に雪に埋もれていたため見落としていた。
 道の両脇には、2〜3メートルの雪の壁ができていた。壁を乗り越えられるところを探しながらの歩きになった。トイレか管理小屋のような建物が道路脇にあり、その脇から雪原に上がることができた。一面の大雪原が広がっていた。後日、石井スポーツで話したところ、スノーシューの体験コースをこのゴルフ場で開催してきたが、今年は行わなかったとのこと。大雪であったと聞くと残念がっていた。尾根の取り付きをめざして、雪原を横切った。
 県道には、190mのすぐ北側で出ることができた。道迷いのおかげで、除雪された道路を歩いて、少し楽ができたようである。
 取り付きは、見通しの利かない杉林の登りであった。ひと登りで傾斜は緩くなり、杉の丈も低くなって、目標の鉄塔も目に入ってきた。雪の状態も、少しもぐるものの、前日程は重くなく、交代要員が無くとも登り続けることができた。
 335m点に立つ鉄塔の下に出て汗を拭きながら背後の展望に目をやった。櫛形山脈や蔵王山塊、朴坂山塊の眺めが広がっていた。久しぶりの青空は、ようやく春の気配を感じさせてくれた。この先は、赤松の目立つ雑木林の尾根となり、緩やか登りが続いた。
 430mピークまで進むと、ようやく牟礼山の山頂が、視野に入ってきた。このピークからは一旦下りになるのだが、コースを間違う可能性があるように思えた。牟礼山の山頂から西に向かう尾根が右手前方に広がり、430mピークの右よりから枝尾根が続いているように見えるのだが、実際には沢が入り込んでいる。正解は、少し左よりの尾根なのだが、木立によって先の見通しが利かないため、尾根が先に続いているようには見えなかった。はてなと思ったものの、GPSでコースを確認することができ、正しいコースに進むことができた。
 尾根の右手には沢が沿っていたが、進んでいくと源頭部となって、右手に沿う尾根との合流点になった。直登は急なため、一旦右手の尾根に上がってから、登りを続けた。カモシカの足跡があり、その上だと沈み込みも少ないため、しばらくこのトレースを利用させてもらった。
 下から見て牟礼山の山頂と思っていた所は、尾根の張り出し部で、傾斜が緩んでからもう少し奥に進む必要があった。最後は、雪綾歩きになった。雪綾の左は雪庇が張り出していたため、その右手の一段下をトラバースすることになった。幸い雪も柔らかかったため、スノーシューでも、問題なく歩けた。
 牟礼山の山頂は、三方からの雪綾が合わさる円錐状のピラミッドになっていた。雪庇の踏み抜きが怖く、一段下で様子をうかがってから、ようやく三角点の上に進んだ。休むのも、南に延びる尾根にステップを刻んで腰を下ろした。大人数では、休める山頂では無かった。
 牟礼山の山頂からは、期待していた通りの眺めが広がっていた。杁差岳を中心とした飯豊連峰が横に長く広がっていた。その前のドーム状のピークは、一本松であろう。牟礼山からは尾根が続いているが、雪庇が大きく張り出していて、縦走は難しそうであった。その右手には、風倉山越しに二王子岳が山頂をのぞかせていた。まさに飯豊の展望台であった。北には、真っ白なピラミッドになった光兎山が一際印象的であった。その近くの湯蔵山には、会山行で大勢が出かけているが、どこまで進んでいることやら。
 春を思わせる太陽をあびながら、ビールを開けた。ビールの味も、厳冬期よりは、ゆっくりと味わえるだけに、美味しくなった。
 下山を開始して少し下ると、男女二人連れが登ってくるのに出会った。こちらが「今日は」と挨拶をすると、先頭の女性は挨拶を返してきたが、後ろの男性はだまったままであった。見るとワカンで登ってきており、疲れた様子であった。こちらのトレースが役に立ったはずなので、普通なら一言は挨拶をするものであるのでは。下山時のトレースからみると、この二人連れは、波石方面の尾根から登ってきたようであった。
 下りは、雪原に新しいトレースを刻みながら快調に歩くことができた。気温が上がってはいたが、前日のようにスノーシューに雪が付くこともなかった。雪の状態は千差万別で、歩きの難しさも、その時にならないと判らない。
 予想外に早い時間に下山することができた。牟礼山は、下山後に温泉も待っており、スノーシュー歩き向きの山として、定番コースに加わりそうである。

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