掃部ヶ岳

掃部ヶ岳


【日時】 2005年2月27日(日) 日帰り
【メンバー】 7名グループ
【天候】 晴

【山域】 榛名山群
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 掃部ヶ岳・かもんがたけ・1449m・なし・群馬県
【コース】 国民宿舎榛名吾妻荘より周遊
【地形図 20万/5万/2.5万】 長野/榛名山/榛名湖
【ガイド】 分県登山ガイド「群馬県の山」(山と渓谷社)、上州山歩(読売新聞社)、山と高原地図「赤城・皇海・筑波」(昭文社)
【温泉】 国民宿舎榛名吾妻荘 500円


【時間記録】
2月26日(土) 20:00 新潟=(関越自動車道 経由)=23:00 谷川岳PA  (車中泊)
2月27日(土) 4:30谷川岳PA =(水上IC、R.291、土合、R.291、水上IC、関越自動車道、渋川伊香保IC、R.17、渋川 経由)=10:00国民宿舎榛名吾妻荘登山口〜10:22 発―10:42 硯岩分岐―10:50 硯岩―10:55硯岩分岐―11:29掃部ヶ岳〜12:16 発―12:34 西峰―13:03 杖ノ神の頭―13:21杖ノ神峠―14:19国民宿舎榛名吾妻荘登山口=(渋川、R.17、渋川伊香保IC、関越自動車道 経由)=19:30 新潟

群馬県の中央部に位置する榛名山は、赤城山、妙義山と共に上毛三山に数えられる山である。中央火口丘の榛名富士と火口原湖の榛名湖の周りを外輪山が取り巻いている。この外輪山にある掃部ヶ岳が最高峰になっている。
 今回の目的地であった赤沢山は、谷川岳登山口の土合の駅裏にある山である。谷川岳の賑わいに反して、この山に登山道は無く、登るには雪のある季節を狙うことになる。登りたい山として、宇都宮のMさんと意見が一致して、山行に取り上げた。
 土曜日は入試の監督があり、夜になってから出発した。土合は、新潟から早朝発でも到着できる距離にあるが、路面の凍結を考えると、前夜発にするのが安全である。時間にも余裕があるため、のんびりとした気分で新潟を出発した。長岡に近づくと、路面に雪が積もるようになり、小千谷付近では、除雪車の後についてのノロノロ運転になった。ようやく追い抜いたと思ったら、激しく降りしきる雪で視界が閉ざされ、50km制限のところを30kmがやっとの走りになってしまった。2月も終わりというのに、どうなっているのだろう。
 関越トンネルを過ぎて群馬県に入れば、雪国ともおさらばして、晴天が広がっている。という期待もむなしく、激しく雪が降っており、天気予報では、水上付近には大雪警報が出ていた。いずれにせよ、トイレや朝食の買い物のために、谷川岳PAで夜を過ごすつもりでいた。
 車の中で寝ていると、除雪車の作業の音で起こされた。みると、駐車場の除雪が始まっていた。車の上に積もった20センチ程の雪を落として、とりあえず、車を出発させた。雪は、まだ降り続いていた。高速を下りた近くのコンビニの駐車場でもう一眠りして、明るくなってから再び車を走らせた。
 メイン道路はともかく、除雪されていない脇道は走れない状態であった。土合が近づくにつれ、積雪も多くなっていった。待ち合わせは、土合駅としていたのだが、駅は雪に埋もれていた。駅前に駐車スペースも無かったため、線路を渡った先の路肩で待つことにした。
 時折地吹雪状態になり、目の前の踏切も見えなくなった。ロープウェイ駅方面に上がっていったスキー客の車も、そのうちに引き返してきていた。強風のためにロープウェイも運休のようである。そのうちに、一番列車も到着したのか、登山者が通り過ぎていった。このような悪天候の中、谷川岳をめざすのであろうか。
 宇都宮からの一行が到着したところで、相談になった。赤沢山は、急斜面を雪にステップを刻みながら登る必要がある。新雪の量もかなりのもので、厳しいラッセルになって登れない可能性が高かった。雪崩も気にする必要があった。
 赤沢山はあきらめて、どこの山に変更するか頭を悩ますことになった。三峰山や子持山の名前も挙がったが、メインルート以外の脇道は雪が積もっている状態であった。結局、雪の心配のない榛名山ということで、最高峰の掃部ヶ岳をめざすことになった。
 再び高速道に戻り、南下を続けた。さすがに渋川ともなると、雪は無くなった。伊香保の温泉街入口を過ぎると、山への登りが始まる。高度を一気に上げると、道路にも所々雪が現れてきた。
 雪原となった沼の原を過ぎると、榛名湖の湖畔に到着する。湖面は凍結して、ワカサギ釣りの人で賑わっていた。土産物街を過ぎた国民宿舎榛名吾妻荘脇が掃部ヶ岳の登山口である。掃部ヶ岳には、1996年1月3日に登っているが、すでに記憶は薄れている。今回もコンピューターは車に積んできていたので、GPSのコースを設定して、地図を印刷した。
 登山道を見ると、雪の上にはっきりしたトレースが続いていた。積雪はかなりあったが、つぼ足で充分のようであった。プラブーツを履くほどではなため、スパイク長靴で出発の準備をした。準備をしていると、中高年夫妻が声をかけてきた。掃部ヶ岳を登りにきたが、予想以上の雪があり、どうするか迷っているとのことであった。私たちが登るというと、それなら行くということになった。
 雑木林の中をトラバース気味に登っていくと、硯岩との鞍部に出た。まずは硯岩に寄っていくことにした。ひと登りで硯岩の上に出た。横に広がった稜線状の山頂で、榛名湖と榛名富士の眺めが大きく広がっていた。青空と雪の白さのコントラストが美しかった。一月ぶりの青空であった。この青空を眺めることができるなら、高い高速代も仕方がないかなと思う。
 鞍部に戻り、掃部ヶ岳への登りに取りかかった。ひと登りすると、右手にログハウスが現れ、すぐ脇を除雪された車道が通過していた。別荘の分譲地なのかもしれないが、あまり開発されては欲しくない。
 急な登りが始まった。ハイキングコースといっても、しっかりと汗をかかせられる。ようやく山頂かと思ったが、これは尾根の張り出しで、もうひと頑張りして掃部ヶ岳に到着した。
掃部ヶ岳の山頂からは、大展望が広がっていたが、一際目立つのは真っ白な浅間山であった。奥秩父や八ヶ岳は少し遠く、富士山も頭を少しのぞかせていた。浅間隠山や鼻曲山、妙義山、御荷鉾山といった山が近くに見えていた。北西には草津方面の山が見えていたが、北の上越国境の山は雪雲に覆われていた。ここの青空とはうってかわって、吹雪が続いているようであった。
出発が遅かったため昼になり、ここで大休止になった。昼食後、杖ノ神峠に向かって下山することにした。掃部ヶ岳直下の雪原の下りは、雪もしまっていて、気持ちの良い歩きになった。その後は小さなピークの乗り越しが続き、満腹のビール腹のために足が重くなった。雪の上にアイゼンの片方が落ちていた。しばらく持って歩いたが、取りに戻ってくる様子もないため、西峰の標識に掛けておいた。
西峰を越すと、前方に岩場になった耳岩が迫ってくる。基部を右に巻くと、再び稜線の上に戻ることができる。その先の小さな標識が置かれた杖ノ神の頭からは、林道も眼下に見えて、稜線歩きも終わり近くなった。雪も無くなった笹原の急な下りが始まった。
 峠も間近になった所で、空身で登ってくる登山者に出会った。声を掛けてみると、アイゼンを探しに戻るとのことであった。西峰の標識に掛けてあると教えると、そのまま登っていった。連れが待っていたが、戻るのはいつになることやら。アイゼンが片方脱げているのを気が付かずに、ここまで歩いてきたのだろうか。
 杖ノ神峠からは林道歩きになるが、除雪はされておらず、雪道が続いた。長く感じられる林道歩きであった。湖畔も近づいたところで、10名程のグループに追いついた。出発の時間が遅かったため空いていたが、掃部ヶ岳への入山者は多いようである。湖畔道路に飛び出してからは、短い距離で車に戻ることができた。
 車はそのままにして、国民宿舎の温泉に入った。最上階の展望風呂からは、湖面と榛名富士を良く眺めることができた。
 ラッセル登山のつもりが、とんだスノーハイキングに変わってしまったが、青空を楽しむこともできたので、それで良しとしよう。

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