要害山

要害山


【日時】 2005年2月19日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 朴坂山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
のろし山・のろしやま・200m・なし・新潟県
物見山・ものみやま・240m・なし・新潟県
要害山・ようがいさん・281m・なし・新潟県
烏帽子山・えぼしやま・210m・なし・新潟県
【コース】 平林城跡より
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/中条/坂町
【ガイド】 なし
【温泉】 胎内グランドホテル  300円

【時間記録】 7:10 新潟=(R.7 経由)=9:10 葛籠山集落はずれ〜9:30 発―9:40平林城跡入口―10:07 馬洗場―10:18 不動滝分岐―10:28 首切り清水―10:50 のろし山〜11:00 発―11:14 物見山―11:27 要害山〜11:30 発―11:42 物見山〜1:52 発―11:59 烏帽子山取り付き―12:08 烏帽子山―12:20 不動滝分岐―12:30馬洗い場―12:48平林城跡入口―12:57葛籠山集落はずれ=(往路を戻る)=15:30 新潟

 飯豊連峰と朝日連峰を分かつ荒川の河口部に位置する神林村に、色部氏の居城であった平林城跡がある。平林城は、慶長3年(1598)上杉景勝の会津移封に伴って色部氏が会津金山城に移って廃城になったが、現在でも土塁、堀などの跡が良く残され、国の史跡に指定されている。背後の丘陵地帯には、山城が築かれ、要害山(加護山古城跡)には、楼台(近世の天守閣)が置かれていたという。
 今年になって順調に山行を重ねてきたのだが、風邪を引いてしまい、先の三連休は、家での閉じこもりになってしまった。一週間経って、本調子ではないものの、なんとか山に出かけることはできるようになった。
 家を出たものの、風が強く、第一目標の山は、あっさりと諦めて、第二候補の要害山を目指すことになった。体力的に不安があり、弱気になっていたせいもある。
 要害山は、これまで二度登っているが、いずれも登山道歩きとしてである。山城として登山道も良く整備されており、そうきつい登りも無いことから、スノーシュー歩きのコースとしても良さそうに思えた。近くの櫛形山脈の大峰山は、冬の時期も登山者が多いが、そのためにトレースが深く刻まれてしまって、スノーシュー歩きには適していない。鳥坂山や高坪山にもスノーシュー歩きで登ったが、この要害山もスノーシュー歩きのコースに加えたかった。
 登り口の平林城跡へは、葛籠山集落を通り抜けるのだが、標識があるものの、小さく判りにくい。集落のはずれから平林城跡へ向かう田圃の中の道は、工事のために通行不能であった。曲がり角にあったお地蔵様のお堂の前の広場に車を停めた。通常では、集落のはずれから先は除雪していないはずなので、冬の歩き初めの地点としては、この付近になるはずである。
 泥だらけの道路を辿り、平林城跡の入口に進んだ。ここには、山城の案内図や登山届けのポストが置かれているが、見ると、新しい看板があった。要害山の山頂の先から不動滝を経由して下山する周遊コースが、新しく設けられたようである。先回歩いたのは1999年5月であったので、かなり日数も経っている。嶽薬師から朴坂山の間も歩いていないし、春になったら朴坂山塊をじっくりと歩いてみようか。
 平林城跡は、杉林が広がり、その中に土塁などが点在している。杉林の中は雪も少なくつぼ足で歩けたが、要害山登山口と書かれた標識のある杉林のはずれで、スノーシューを履いた。雪の上には、かなり前のトレースが凹み状になって続いていた。気温の高い日が続いており、雪はグズグズになっていたが、スノーシューではもぐらずに歩くことができた。ただ、すぐに息が苦しくなり、風邪の影響が残っているなと思った。
 緩やかな登りを続けていくと、長辺田(ちょうべた)の馬洗場に到着した。草が茂って乾性の湿原といった風情のところであるが、雪原が広がっていた。左に小ピークを見上げるようになると、「烏帽子山山麓を経て不動滝」という標識が現れた。この小ピークは烏帽子山と呼ばれるということが判った。
 この先で小ピークに囲まれた谷間に入ると、首切清水に到着した。数本並んだ杉の木の下から湧き水が流れ出ていた。きれいな水が流れていたが、処刑後の首を洗ったという謂われがあっては、飲む気は起きなかった。
 首切清水からは、のろし山への道が分かれる。いそぐ必要もなかったので、のろし山に寄っていくことにした。記憶では、沢を渡ってからピークの右手へと巻いたように思えるのだが、メインのルートではないためか、登山道がどのように続いているのか判らなくなった。見上げると、ピーク左の鞍部が遠くない距離に見えたので、沢の左に沿って、尾根上へと直登した。
 尾根の上に出ると、切り跡が続いていた。ここにはどうも登山道が通じているように思えた。右に曲ってのろし山を目指すと、ピーク手前で、左から道が上がってきていた。手書きの標識があり、仏穴経由川部へと続く道のようであった。川部から周遊コースとして歩くこともできるようである。
 雪の斜面をひと登りするとのろし山の山頂に到着した。標高はさほどないが、日本海の海岸線と坂町中条方面の町並み、高坪山や櫛形山脈、嶽薬師から朴坂山、えぶり差岳といった、大きな眺めが広がっていた。さえぎるものの無い展望を楽しんだが、それだけに風も強く、カメラを構える間にも、足がよろめいた。
 振り返ると、要害山の山頂も、一段高い所に見えた。地図を確認すると、のろし山から要害山へは緩やかな尾根が続いている。尾根には切り跡も見られたが、雑木林の間も空いているため、道が無くとも歩くのに問題は無さそうであった。一旦下って首切清水へ戻るよりは楽そうなため、尾根沿いに歩くことにした。
 尾根をひと登りすると、ベンチの置かれた物見山に到着した。以前の記憶を思い起こすと、ここは登山道から少し脇に入ったところである。登山道は急斜面をジグザグに続いているため、尾根通しに登ることにした。すぐに土累の下に出たが、取り付きを誤って、最後は急斜面を登って要害山の山頂に到着した。
 要害山の山頂には、プレハブ小屋が置かれているが、中をのぞくと二人連れが休んでいた。スノーシューを脱ぐのも面倒であったので、中には入らなかった。要害山の山頂からものろし山と同じような眺めが広がっていたが、より高度感は増していた。
 山頂下は、七曲坂と呼ばれる急坂になっている。登山道脇に張られたロープが雪の上に出ていたので辿ってみたが、急斜面のトラバースがあるため、雪の季節には、物見山から尾根沿いに登るのが良いであろう。
 物見山まで下ると、風も弱まったので、ベンチに腰を下ろして昼食にした。物見山からは、谷間に向かって雪原を一気に下った。首切清水の手前の鞍部まで下ると、烏帽子山を示す標識が置かれていた。以前は、烏帽子山への道は無かったと思うのだが。ピークが目の前にあるのなら登らない訳にはいかない。
 烏帽子山の山頂はすぐそこに見えていたが、登り始めてみると、なかなかの急斜面であった。幸い、重い雪のため、スノーシューのトップを蹴りこめば、足場が確保できた。烏帽子という名前のついた山では、たいてい片方が急に落ち込んだ形をしている。急な方の斜面を登り始めてしまったようである。山頂手前では、露岩帯になっているようで、右に回り込む必要があった。
 烏帽子山の山頂は、狭く、標識のようなものは無かった。雪原が広がっているものの、展望としては、のろし山の方が良かった。急斜面を戻るのも面倒なため、尾根を西に向かって下ることにした。左下に首切清水のある谷間が近づいたところで、尾根を左に外して下った。登りの際のトレースに合わさると、すぐ先で、不動滝への標識が現れた。
 寄り道をしたおかげで、充分歩いた気分になり、下りに精をだした。最後は足も草臥れてきて、やはり風邪あがりの山歩きはきつかった。要害山は、スノーシュー歩きの定番コースになりそうである。

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