兎平、神籠ヶ岳

兎平、神籠ヶ岳(中退)


【日時】 2005年2月5日(土)〜6日(日) 各日帰り
【メンバー】 5日:7名グループ 6日:6名グループ
【天候】 5日:雪 6日:雪

【山域】 菅名山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
兎平・うさぎだいら・683.6m・三等三角点・新潟県
【コース】 電気橋たもとより
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/津川、御神楽岳/馬下、高石
【ガイド】 なし
【温泉】 村松さくらんど温泉 700円 貸しタオル付き

【山域】 南会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
神籠ヶ岳・かろうがたけ・1376.3m・三等三角点・福島県
【コース】 沼山より
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/田島/林中
【ガイド】 会津百名山ガイダンス(歴史春秋社)
【温泉】 湯野上温泉ひらのや 500円

【時間記録】
2月5日(土) 6:00 新潟発=(R.49、茅野山、R.403、新津、村松、笹目 経由)=7:50電気橋たもと発―10:42 兎平―12:15電気橋たもと=(笹目、村松、R.290、馬下橋、R.49、会津坂下、会津本郷、南原、R.118 経由)=7:00 芦ノ牧温泉  (車中泊)
2月6日(日) 6:00芦ノ牧温泉=(R.118、湯野上温泉、)=8:20 沼山発―10:45 尾根取り付き―13:46 1270m地点〜14:00 発―14:20 尾根取り付き―15:11 沼山=(湯野上温泉、R.118、南原、会津本郷、会津坂下、磐越道 経由)=19:30 新潟

 新潟周辺でも人気の菅名山塊には、多くの登山道が開かれているが、それらは新潟平野よりの西面に集中しており、東面は、大きな空白状態になっている。その中にあって、地図を見ると、菅名山塊南部の笹目の集落近くから北東に長い尾根が続き、登山道を示す破線が記されている。この破線は、683.6m三角点付近に広がる台地で終わっているが、この一帯を兎平と呼ぶ。この道は廃道になっているようで、登るのは、冬から早春の雪のある時期に限られる。
 神籠ヶ岳は、会津下郷町にある大内の宿の西に位置し、登山道があって親しまれている小野岳と向かい合う山である。この山に登山道はないことから、積雪期をねらって登ることになる。
 昨年末の10月から12月にかけて菅名山塊の登山道を集中的に歩いた。登山道の様子は把握できたが、廃道になっているところは、雪の季節に登るしかなく、今年への持ち越しになった。その課題の一つが兎平である。
兎平は、99年2月13日に登っているが、これは所属する山の会の会山行に参加して登ったものである。冬山の経験も浅かったこともあり、ただついていった感もある。自力で登る力があるか確かめる必要もあった。また、当日は猛吹雪で、兎平からの眺めは見ていないという心残りもあった。
どこか雪山へ誘ってという声があったので、兎平に出かけることにした。地図にも地名が記載されていない山にもかかわらず、7名の参加者に膨れあがった。ラッセルの苦労は軽くなったものの、案内の責任は重くなった。

この週は、十九年ぶりの大雪ということで、中越方面は、大騒ぎになっていた。新潟周辺の雪はそれ程のこともなく、菅名山塊なら登山は可能に思えた。
道路の状態が心配で、早めに家を出た。風は強いものの雪は軽く舞う程度であった。昨年末の不動堂山と同じく村松公園の駐車場に集合としたが、雪に埋もれていた。食堂の駐車場で待っていると、声が掛けられ、見るとランタン会の人達であった。来週の菅名山塊縦走の下見に出かけるところとのことであった。来週はお世話になる予定なのだが、今日のところは、不動堂山の登山道のGPSログを印刷した地図を参考のために渡したことで勘弁してもらおう。
 村松公園に車を置くことができないため、全員の車4台で兎平の登山口をめざした。笹目の集落を過ぎ、早出川を右岸に渡った電気橋のたもとが登り口になる。到着してみて驚いたことは、新しい橋脚が川に立てられており、その工事の関係か、道路脇には板張りの壁ができて、一車線幅の道路になっていた。二車線幅に戻った所の路肩に車を停めて、登り口の確認をしに小走りに戻った。先回は、雪崩防止柵の後ろから登り始めたのだが、完全に雪に埋もれていて、どこから登ったのか判らなかった。山の斜面を見上げると、急斜面であるが、なんとか登れそうなラインが見えてきた。
 一列縦隊の路肩駐車をして、登山の準備をした。いきなりの問題発生であったが、登山を開始することができそうであった。今回の参加者は、スノーシュー4名、わかん3名の構成になった。
 私が先頭になって、急斜面にスノーシューでステップを切りながら登り始めた。雪が柔らかいため、スノーシューでもステップを刻み易かった。高度差40m程の一気の登りを終えると、右手に沿う尾根に乗ることができた。この少し手前で息が上がってトップ交代になった。深雪のラッセルに慣れていない人も、良い経験になったことであろう。苦労しながらも尾根を登っていくと、傾斜も緩やかになって杉林の中に入った。一番の難所を突破して、ひと息ついた。
 杉林の中で見晴らしが利かず、GPSを頼りの歩きになった。地形も意外に複雑で、もしGPSが使えないとなると、赤布をベタに貼り付ける必要がある。先回は、会山行の前の偵察山行で赤布の列ができていたのだが、今回は、残置テープは僅か見られただけであった。人はほとんど入っていないようであった。GPSの機能を極めるためにも、赤布は付けずに歩いた。
 膝下の深さのラッセルが続いた。新雪が深いといっても、2月ともなれば、これ程のラッセルは当然である。トップを交代しながら快調に進んだ。皆頑張り過ぎるきらいもあって、「先頭はもっとゆっくり」と、何度か声をかける必要もあった。一同を歓迎するかのように兎も現れて、逃げていった。
 右手から沢が入り込んだところで、左の尾根上へとコースを変えた。この付近は伐採地であったようであるが、潅木がややうるさくなっていた。その先は、雑木林の広がる尾根の登りが続いた。兎平が近づいたところで、防寒対策のため、脱いだ衣類を着込んだ。
 急な雪原を登ると、兎平の台地の縁に出た。霧氷に彩られて潅木の中を歩いていくと、GPSが、三角点に到着したことを示した。台地に置かれた三角点のため、位置の確認はGPSに頼るしかない。記念写真を取り、少し先に進んでみると、ガスが薄くなって、風越山から三五郎山にかけての稜線もぼんやりながら見えるようになった。前回も吹雪の中の兎平であったので、相性が悪いと言うべきなのかもしれない。いつか晴れの日に登ることにしよう。その時には、大蔵山まで足を延ばそうか。風が冷たいため、ある程度下ってから休むことにした。
 下りの途中、権現山や不動堂山が姿を現した。これで一通りの眺めは楽しむことができたことになる。7名グループで歩いて深く抉られたトレースも、早くも風に飛ばされた雪にかき消されていた。GPSを確認しながらの歩きになった。それども標高を一気に下げると、風当たりも弱まり、トレースも続くようになった。後は問題ないということで、雪の上に腰を下ろしてひと休みした。その後は快調な下りが続き、最後の急斜面も足元に注意すればはなかった。
 村松温泉に入り、しばらく話し込んでから解散になった。駐車場から振り返る菅名山塊は、山頂部も見えるようになっていたが、強い風が吹き抜けているようであった。
 山の終わりは、次の山の始まりである。翌日の神籠ヶ岳のために、会津へと移動した。時間に余裕があるため、高速ではなく、ひさしぶりに国道を走った。県境を越して会津に入ると、吹雪が始まり、道路も圧雪状態になった。会津坂下から会津高田を通り抜ける県道では地吹雪状態になり、時速40kmのノロノロ運転を余儀なくされた。車を停めてひと晩を過ごす場所を考える必要があった。路面も凍結し始め、芦ノ牧温泉のドライブインの駐車場に着いたところで、先に進むのは諦めた。車の中で休んでいると、吹雪の中、8時過ぎには、なぜか花火大会が始まった。
明け方の5時には、除雪車が行き交う音で目が覚めた。向かいのコンビニで食料を買って朝食をとり、登山口に向かった。
 湯野上温泉から大内の宿への道路は、かなり前に小野岳に登るために走ったことがあるものの、記憶には残っていない。大内手前から沼山への県道へと左折したが、この道も幅広で、除雪も完全にされていた。大内の宿は、最近では観光地として賑わうというので、アクサス道路として整備されているようであった。
 沼山は、道路沿いに数軒の人家が点在する小さな集落であった。集落南に破線道が記されており、今回は、これを辿った先の尾根を登る予定であった。工場のような少し大きな建物の向かいに、電柱が頭をのぞかせており、林道が始まっていた。GPSで、ここが登り口であることを確認した。
 雪のために宇都宮からの一行は遅れるかと思ったが、時間通りに到着した。除雪も終わっており、道幅も広いため、路肩駐車で歩き出す準備をした。
 雪山では、雪壁に上がるのが最初の難関になる。待ち合わせの間に、スコップで2m程の雪壁を崩しておいたので、なんとか這い上がり、そこでスノーシューを履いた。
 歩き出したとたんに感じたのは、雪の異常な深さであった。昨日の雪は、結局は20cm程で終わっていたので、その前に積もった雪のようである。スノーシューでも股ほどまで潜り、前に出す足を雪の上に出すのも容易ではなかった。歩いている林道脇には電柱が並んでおり、電柱一本分でトップを交代するような、辛いラッセルが続いた。送電線は、二階立ての建物まで続き、その先でコースを左に変える必要があった。杉林の中に枝分かれした林道を横断しながら進んでいくと、左に沢が沿うようになった。
 ようやく尾根の取り付きに到着するまで、2時間25分もかかってしまった。標高差のほとんどない1500m程の距離の歩きにこれだけかかってしまったとあっては、山頂まで到達できる可能性は少なくなった。それでも時間が許すところまで行こうということで、尾根の登りに取りかかった。
 登りに使った雑木林の広がる尾根は、比較的緩やかであったが、それでも傾斜が少し強くなると、ラッセルの足が上がらずに、雪を崩しながら登るため、スピードはこれまで以上に落ちてしまった。
 時間切れということで引き返すことになったのは、1270m地点で、結局、水平距離600m、標高差320mに3時間かかったことになる。ブナ林も現れはじめ、北側の稜線は霧氷に彩られているのが目に入ってきていた。ようやく美しい尾根に入ろうとしていただけに残念であった。急登もようやく終わり、山頂までは、水平距離で1000m、標高差100m程。しかし、この日の雪質では、2、3時間先の遠い山頂であった。
 ここまでほとんど休みなしに歩いてきたので、腰を下ろしてひと休みした。ペットボトルのお茶は、凍りかけており、気温の低さに改めて気が付いた。
 下山は、登りの苦労の鬱憤を晴らすように、スノーシューで雪原を掛け下った。雪は深くとも、下る分には気にならなかった。尾根の取り付きまでは、登り3時間のところを20分で下ってしまった。
 山頂を踏めなかったのは残念であったが、スノーシューでの深雪ラッセルの経験を積んだと思えば良い。登山口やコースの様子も判ったので、雪の状態さえ選べば、問題なく登れるであろう。
 車に戻ったのは、3時を回っていた。引き返しのタイミングとしては、良い決断であった。湯野上温泉で入浴して、解散になった。

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