桧山、尖盛、糠馬喰山、大倉山、郭公山、 日隠山、三森山、五社山、下神白、 水石山、閼伽井岳、湯ノ岳、明神山、小富士山、天狗山、関山、 檜山、矢祭山、烏峠

桧山、尖盛、糠馬喰山、大倉山、郭公山
日隠山、三森山、五社山、下神白
水石山、閼伽井岳、湯ノ岳、明神山、小富士山、天狗山、関山
檜山、矢祭山、烏峠


【日時】 2004年12月23日(木)〜26日(日) 前夜発4泊4日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 23日:晴 24日:晴 25日:晴 26日:曇り

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
桧山・ひやま・992.5m・三等三角点・福島県
【コース】 桧山牧場跡より
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/常磐/上大越
【ガイド】 うつくしま百名山(福島テレビ)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
尖盛・とげのもり・922.2m・三等三角点・福島県
【コース】 県道112号線の峠より
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/常磐/上大越
【ガイド】 なし

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
糠馬喰山・ぬかまぐらやま・737m・なし・福島県
【コース】 前谷地集落より
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/常磐、浪江/上大越、上川内
【ガイド】 ふくしまの低山50(歴史春秋社)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
大倉山・おおくらさん・593.1m・三等三角点・福島県
【コース】 大倉山森林公園より
【地形図 20万/5万/2.5万】 白河、福島/川前、浪江/成子内、夜の森
【ガイド】 分県登山ガイド「福島県の山」(山と渓谷社)、うつくしま百名山(福島テレビ)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
郭公山・かっこうやま・447.8m・三等三角点・福島県
【コース】 林道の西の肩より
【地形図 20万/5万/2.5万】 白河/川前/成子内
【ガイド】 ふくしまの低山50(歴史春秋社)
【温泉】 天神岬温泉しおみ荘 500円

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
日隠山・ひがくれやま・601.5m・一等三角点補点・福島県
【コース】 坂下ダム登山口
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/浪江/夜の森
【ガイド】 分県登山ガイド「福島県の山」(山と渓谷社)、阿武隈・奥久慈・八溝の山87(随想社)、うつくしま百名山(福島テレビ)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
三森山・みつもりやま・656.2m・三等三角点・福島県
【コース】 三森渓谷登山口
【地形図 20万/5万/2.5万】 白河/川前/上浅見川
【ガイド】 分県登山ガイド「福島県の山」(山と渓谷社)、阿武隈・奥久慈・八溝の山87(随想社)、うつくしま百名山(福島テレビ)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
五社山・ごしゃやま・685.3m・三等三角点・福島県
【コース】 峠の駐車場より
【地形図 20万/5万/2.5万】 白河/川前/上浅見川
【ガイド】 阿武隈・奥久慈・八溝の山87(随想社)、うつくしま百名山(福島テレビ)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
下神白・しもかみしろ・46.8m・一等三角点補点・福島県
【コース】 三崎公園より
【地形図 20万/5万/2.5万】 白河/小名浜/小名浜
【ガイド】 なし
【温泉】 国民保険センターいわき 500円

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
水石山・みずいしやま・735.4m・二等三角点・福島県
【コース】 山頂駐車場より
【地形図 20万/5万/2.5万】 白河/平/水石山
【ガイド】 うつくしま百名山(福島テレビ)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
閼伽井岳・あかいだけ・605.1m・三等三角点・福島県
【コース】 北西車道分岐より
【地形図 20万/5万/2.5万】 白河/平/水石山
【ガイド】 うつくしま百名山(福島テレビ)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
湯ノ岳・ゆのだけ・593.6m・三等三角点・福島県
【コース】 湯ノ岳パノラマラインより
【地形図 20万/5万/2.5万】 白河/平/常磐湯本
【ガイド】 うつくしま百名山(福島テレビ)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
明神山・みょうじんやま・752.0m・二等三角点・福島県
【コース】 荷路夫より
【地形図 20万/5万/2.5万】 白河/川部/上平石
【ガイド】 うつくしま百名山(福島テレビ)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
小富士山・こふじさん・446m・なし・福島県
【コース】 祝部内より
【地形図 20万/5万/2.5万】 白河/棚倉/磐城金山
【ガイド】 ふくしまの低山50(歴史春秋社)、うつくしま百名山(福島テレビ)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
天狗山・てんぐやま・625.6m・三等三角点・福島県
【コース】 北の林道登山口より
【地形図 20万/5万/2.5万】 白河/棚倉/磐城金山
【ガイド】 うつくしま百名山(福島テレビ)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
関山・せきさん・618.5m・三等三角点・福島県
【コース】 関辺からの林道
【地形図 20万/5万/2.5万】 白河/棚倉、白河/磐城金山、旗宿
【ガイド】  分県登山ガイド「福島県の山」旧版(山と渓谷社)、ふくしまの低山50(歴史春秋社)、うつくしま百名山(福島テレビ)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
檜山・ひやま・509.8m・二等三角点・福島県
【コース】 友情の森から
【地形図 20万/5万/2.5万】 白河/塙、太子/東館、袋田
【ガイド】  分県登山ガイド「福島県の山」旧版(山と渓谷社)、阿武隈・奥久慈・八溝の山87(随想社)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
矢祭山・やまつりやま・402m・なし(382.7m・四等三角点)・福島県
【コース】 矢祭公園探鳥路より
【地形図 20万/5万/2.5万】 白河/塙/東館
【ガイド】 うつくしま百名山(福島テレビ)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
烏峠・からすとうげ・484.9m・三等三角点・福島県
【コース】 外ノ入からの林道終点より
【地形図 20万/5万/2.5万】 白河/棚倉/泉崎
【ガイド】 分県登山ガイド「福島県の山」旧版(山と渓谷社)、ふくしまの低山50(歴史春秋社)、うつくしま百名山(福島テレビ)

【時間記録】
12月22日(水) 18:30 新潟=(磐越自動車道、船引三春IC、R.288、常磐、堀田 経由)=23:30 桧山牧場跡入口  (車中泊)
12月23日(木) 7:30桧山牧場跡入口―8:02 桧山〜8:12 発―8:42桧山牧場跡入口=9:01 県道の峠―9:36 尖盛―9:55 県道の峠=10:15糠馬喰山登山口―10:24 山道入口―10:45糠馬喰山―10:56 山道入口―11:04糠馬喰山登山口=(富岡、萩ダム 経由)=11:45 公園入口―12:26 大倉山―12:42 公園入口=(萩ダム、後田、大谷 経由)=13:44 登山口―14:15 郭公山―14:35 登山口=(大谷、天神三崎、R.6、後田、大川原 経由)=16:30 坂下ダム登山口 (車中泊)
12月24日(金) 7:10坂下ダム登山口―8:00 参詣清水―8:05 ロマンの広場―8:37 日隠山―8:51 望様台―8:58 参詣清水―9:32坂下ダム登山口=(大川原、大久 経由)=10:37 三森山登山口―11:15 北ピーク―11:25 三森山―11:33 北ピーク―12:07 三森山登山口=(大久、大谷内 経由)=13:01 峠の駐車場―13:18 五社山―13:34 峠の駐車場=(広野、R.6、小名浜 経由)=15:30 三崎公園=(小名浜、R.49、合戸 経由)=17:30 水石山山頂駐車場  (車中泊)
12月25日(土) 7:00水石山山頂駐車場―7:08 水石山―7:16水石山山頂駐車場=7:34林道分岐―7:47閼伽井岳―7:59 林道分岐=(R.49、湯ノ岳パノラマライン 経由)=8:37 北西登山口―8:46 湯ノ岳―8:53 北西登山口=(遠野、田人 経由)=10:10 荷路夫登山口―10:53 分岐―11:00 明神山〜11:05 発―11:08 分岐―11:37荷路夫登山口=(鮫川、棚倉 経由)=12:40 小富士山登山口―13:05 小富士山―13:24小富士山登山口=(R.289、番沢 経由)=14:00 天狗山登山口―14:21 天狗山―14:33 天狗山登山口=(R.289 経由)=14:54 関山登山口駐車場―15:22 関山―15:48関山登山口駐車場=(R.289、棚倉、R.118、矢祭 経由 )=18:00 友情の森駐車場  (車中泊)
12月26日(日) 7:02友情の森駐車場―7:22 分岐―7:35 檜山登山口―7:58 檜山〜8:03 発―8:18 檜山登山口―8:25 分岐―8:41友情の森駐車場=9:00 矢祭公園―9:10 探鳥路尾根上―9:26 最高点―9:40 矢祭山〜9:45 発―9:51 最高点―10:02探鳥路尾根上―10:16 矢祭公園=(矢祭、R.118、棚倉、泉崎 経由)=11:27 烏峠山頂駐車場―11:32 烏峠―11:36 烏峠山頂駐車場=(泉崎、R.4、矢吹IC、東北自動車道、磐越自動車道 経由)=15:00 新潟

 桧山は、阿武隈山地最高峰の大滝根山の北に位置する山である。一帯には牧場跡が広がり、山頂は、その中の小高い丘である。牧場跡からは、遮るものの無い展望が広がっている。
 尖盛(とげのもり)は、桧山の南隣りにあり、大滝根山へと続く稜線沿いにあるピークである。
 糠馬喰山(ぬかまぐらやま)は、大滝根山の東、川内村前谷地にある里山である。この変わった名前は、坂上田村麻呂がここで馬に餌を与えたことに由来するという。
 大倉山は、阿武隈山地の太平洋岸に近い、富岡町にある山である。山頂には浅間神社の石碑があり、木乃花咲耶媛が祀られており、古くからの信仰の山であるが、現在では、山頂一帯に森林公園が設けられている。
 郭公山は、阿武隈山地浜通の常磐線竜田駅の西に位置する山である。
 日隠山は、太平洋に面した大熊町の坂下ダムの背後にある山である。目立ったピークではないが、一等三角点が置かれていることから訪れる登山者も多い。
 三森山は、いわき市北部の大久川渓谷沿いにある山で、信仰の山である。登山道は、急登の連続であるが、それよりもアプローチの細い県道の方が問題で、場合によっては長い林道歩きを覚悟する必要がある。
 五社山は、太平洋に面した広野町にあり、三森山の北隣りにある山である。山頂一帯は森林公園として整備され、立派な車道も整備され、現在ではごく短い時間で山頂に立つことができる。
 下神白は、小名浜の岬公園に置かれた一等三角点である。
 水石山は、いわき市の磐越自動車道いわき三和ICの東に位置する山である。山頂直下まで車道が上がっており、山頂は放牧場にもなっている芝地が広がっている。山頂は、小名浜や太平洋の絶好の展望台になっている。
 閼伽井岳は、水石山の南に寄り添うピークである。
 湯ノ岳は、いわき湯本の北にあるピークで、山頂近くまで湯ノ岳パノラマラインと呼ばれる車道が上がっている。山頂は、中継基地で占められている。
 明神山は、いわき市南西部の茨城県境近くにある山である。山頂に多祁神社奥社が置かれた里人の信仰の山である。
 小富士山は、棚倉町の西にある山である。山頂に浅間神社が置かれていることから名前が付けられている。
 天狗山は、表郷村にある山で、登山道は良く整備されているが、地図に名前の記載がないピークである。
 関山は、山頂に満願寺が置かれた信仰の山である。平野部の中に盛り上がっていることから、低いながら周囲から目立つ山である。
 檜山は、行楽地ともなっている矢祭公園の久慈川対岸にある山である。山麓には友情の森というアウトドア施設が整備されている。
 矢祭山は、麓一帯に公園が設けられて、行楽地になっているが、山頂への登山道は整備されていない。
 烏峠は、「峠」という字が付けられているが、古くは烏ヶ嶺とも呼ばれた三角点ピークである。山頂には烏峠稲荷神社が置かれた信仰の山である。

 木曜日が天皇誕生日の祝日であったため、金曜日に休みをとって、4日間の連休として、阿武隈山地の山巡りに出かけた。うつくしま百名山に取り上げられている阿武隈山地の山を主な目標にしたが、十二山のうちどこまで登れるかは、判らなかった。
 ようやく本格的な冷え込みになって、高速道路もチェーン規制が出た。西会津付近では、路面に雪が積もって、除雪車も出動していた。猪苗代湖を過ぎて、郡山が近づいてくると、雪も空に舞うだけになった。時間も早かったので、高速道の上で夜を過ごして深夜割引を利かせることは諦めて、一般道に下りた。
 最初の山は、桧山とした。船引三春ICから桧山までの道順はいささか複雑であるが、車のナビのおかげで、順調にドライブできた。
 県道から分かれて桧山に向かう林道の入口には、桧山高原という立派な標識が付けられていた。林道は、砂利も敷かれて、車の走行には問題の無い状態であった。高原状の地形に出ると、道路が二手に分かれ、両方の道に鎖がかかっており、行き止まりになった。どれほど桧山の山頂に近づいているかは暗い中で判らなかった。車を停めることのできる広場になっていたので、とりあえず、朝になるのを待つことにした。
 翌朝、車の外に出ると、風が強く、一瞬のうちに体が凍えてしまった。日だまりハイクを想定して、冬山用の完全装備でなかったのがくやまれた。それでも、帽子手袋、雨具の上を身につけると、外の寒さもなんとか耐えられる状態になった。
 幅広の左の道に進むと、凍り付いた池の畔に出た。一帯は、遊歩道が整備され、管理棟やトイレが設けられたアウトドア施設になっていた。道路の進行方向の先に見える丘が桧山かと思ったのだが、それは地図における904mピークであった。桧山への登山道は、ここからは通じていないようなので、分岐に引き返した。
 分岐から右の道に進んだ。牧場の中に通じる作業道のようであった。緩やかに登っていくと、池を見下ろすようになり、安達太良山から吾妻連峰の眺めが広がった。山頂一帯は雪雲に覆われ、悪天候に見舞われているようであった。
 高原といったイメージそのものの、茶色に染まった芝地が広がっていた。暖かい日にお弁当を広がるには良さそうな所であった。小ピークの上から右にコースを変えると、正面に桧山の山頂が姿を現した。標個プさもほどんどなかった。桧山の山頂手前には、無線のポールが立てられていた。その奥の木立に囲まれた高まりが山頂のようであった。
 山頂周辺に残された木立はツツジも混じって、ヤブコギは難しそうであった。登り口を探しながら右に回り込んでいくと、道が切り開かれていた。ひと登りすると、石碑の脇に出て、その先が三角点の置かれた広場になっていた。麓の立派なアウトドア施設に反して、山頂標識もない、静かな山頂であった。この山頂からは、木立に囲まれて展望は無かった。
 下りは、展望を楽しみながらの歩きになった。レーダードームの立つ山が目に入ったが、これは大滝根山であった。阿武隈山地といっても広いので、自分の登っている山の位置関係を理解するのは難しいが、知っている山を見分けることで理解できるようになる。鎌倉山の鋭い山頂も目の前であった。
 地図を見ると、尖盛(とげのもり)という、面白い読み方をするピークが、桧山の南隣りにある。桧山と合わせて、このピークに登ることにした。県道に戻る途中の林道脇から、沢沿いに北の鞍部へ登り、そこから山頂を目指すのが、地形的には楽そうであった。その地点を見ると、軽いヤブコギで登れそうな感じであった。ただし、この山に登山道があるとすると、南の峠から村界線を辿るコースの方のような気がした。山頂に登って登山道にばったりということを避けるため、まずは南の峠を確認することにした。
 県道に出て坂を登った先の峠からは、大滝根山の自衛隊基地への専用道も始まっていた。路肩の広場に車を停めて、尖盛方面を見ると、荒れた林道に入ったすぐ先で、山に向かって延びる踏み跡が見つかった。山頂へ続く道と思い、ここから歩き出すことにした。
 雑木林の中をひと登りすると、笹藪に突き当たった。身の丈を越える笹藪であったが、その下に踏み跡を辿ることができた。笹を掻き分けて登るうちに、踏み跡は次第に薄れていった。左手には、土塁のような土盛りが続いているので、昔からあった道のような感じであった。コースが微妙に変わる所もあり、数歩戻ってから踏み跡を見つけ直さなければならないような所もあった。途中で笹藪は終わって雑木林の登りになると期待したのだが、結局山頂のごく近くまで笹藪は続いた。実際の時間以上に長く感じられる薮漕ぎであった。
 登り付いた尖盛の山頂は、雑木林に囲まれて、その中から、桧山や大滝根山を眺めることができた。山頂から眺めた所では、北側の尾根の笹藪は、背丈が低いように見えたので、北側から登った方が楽であったかもしれない。
 下山は、踏み跡を外さないように注意しながらの薮漕ぎになった。尖盛は、公園化した桧山に飽きたらず、薮漕ぎをしてでもピークハントをしてみようという人にはお勧めのピークであろうか。
 尖盛から遠くない所の糠馬喰山には、地図に破線が記されているので、この山にも寄っていくことにした。前谷地の集落について、前谷地橋の手前から脇道に入り、破線道の開始部に進んだ。
 車道を歩き出すと、すぐに八幡宮と書かれた鳥居が現れた。舗装された道は人家の庭先へと続き、その手前から草の生えた林道が左に分かれた。休耕田を見ながら歩いていくと杉林が広がるようになり、その峠部で、左に山道が分かれた。
 山道の入口からは見えないのだが、入ってすぐの所には鳥居が立ち、山頂神社への参道であることが判る。登山道は堀割状に抉られており、昔からの道のようであった。尾根沿いに緩やかに登っていくと、次第に傾斜が増してきたが、つづら折りの道が付けられて、歩きやすくなっていた。
 到着した山頂には、立派なお堂があり、その背後には、大岩があった。山頂一帯は木立に囲まれており展望はなかった。大岩の上に乗っても、展望は開けなかった。
 糠馬喰山に続いては、大倉山を目指すことにした。この山は、山頂付近に森林公園が設けられているようである。麓から歩く登山道も東から整備されているようだが、手っ取り早く森林公園から歩き出すことにした。
 県道小野富岡線を走っていくと、大倉山ハイキングコースという看板が現れた。萩の集落の先で未舗装の道に変わったが、萩ダムの湖岸を少し走ると、突然といった感じで二車線幅の立派な道が現れた。この道を進むと、大倉山の山頂が迫ったところで、駐車場が設けられており、その先はゲートがあって車の進入禁止になっていた。
 車道歩きしばらくで、トイレも設けられた車道終点の広場に到着した。ここから山頂を目指すのだが、遊歩道が網の目のように張り巡らされているため、案内図を良く確認する必要があった。少しでも楽をしようとして、あせびの小径からつづらおりの小径を経て、登ることにした。少し遠回りの迂回コースになったようである。
 坂は丸太の段々で整備され、遊歩道上には木材チップが敷かれていた。小砂利よりは、木材チップの方が足に優しく歩きやすいが、耐久性はどうなのだろ。周囲の林も開放感があって、気持ちの良い道であった。階段登りが続いて、足は草臥れてきた。
 大倉山の山頂には鳥居が立ち、彫刻を施された小さな石の祠が置かれていたが、背後にテレビの中継基地が置かれているのが少し目障りであった。この山では、夫婦連れと、ランニングらしき単独行にも出会って、この日初めて他の登山者のいる山になった。太平洋岸の眺めも広がり、浜通りの山までやってきたことを実感できた。
 下りは、がんばる小径に進んだ。急な尾根道で、こちらは普通の登山道であった。足元が落ち葉や泥斜面で滑りやすいところもあったが、ロープも付けられており、一気に下った。
 時間を考えると、小さな山ならもう一山登れそうであった。近くの日隠山は時間がかかりそうなため翌日に回して、郭公山を登ることにした。県道を南下した後、大谷の集落から谷沿いの林道に進んだ。未舗装で幅の細い道であったが、砂利がまかれて整備がされていた。山奥にかなり進んだなというところで、荒れた林道が右に分かれ、左に進んで橋を渡った先で尾根の乗り越し部に到着した。郭公山の西に回り込んだ位置であるが、小さなプレートがあり、郭公山の登山口であることを示していた。
 元は植林のための作業道であったような登山道が続いた。モミの林を抜けていくと、再び雑木林が広がるようになった。途中の小ピークは右を巻いていくため、体力的には楽な歩きであった。これが郭公山かなと思った小ピークは、右を巻いた後その先に郭公山の山頂が現れて、期待が裏切られることになった。
 郭公山の山頂手前で、トラバース道と尾根沿いの道に分かれた。尾根沿いの道に進むと、ひと登りで郭公山の山頂に到着した。郭公山の山頂は、刈り払いの広場になり、太平洋の眺めが広がっていた。丸太のベンチも置かれて、腰を下ろして眺めを楽しむことができた。朝からの歩きで疲れも出てきて、この日の山はこれで終わりにすることにした。
 車に戻り、ひと休みしていると、林道の奥からコンクリートミキサー車が下ってきた。林道の奥で工事が行われているようであった。
 地図を見て、近くの海岸部にある日帰り温泉へ向かった。浴槽からは、太平洋の眺めが広がっていた。海の色は見慣れた日本海とは違っていた。
 夕食を買い込み、翌日の日陰山の登山口に向かった。坂下ダムサイドを少し進んだ所に、トイレも設けられた登山者用駐車場があった。この晩も冷え込み、使い捨てカイロの暖かみで夜を過ごした。
 日陰山への登山道は、一段上のアトリエ花遊の駐車場をかすめると杉林の中に入る。二つのカーブには、「啼き啼き坂 ここから約30分間はかなりきつい登り坂が続きます。ゆっくりのんびり行きましょう。」と標識に書かれていた。谷を左に見ながらの緩い登りが続き、そうきついことはなかった。尾根上にもうすぐ登り着くという所には、「坂の上の道(旧会津街道) 昔は鉄の道、塩の道としてここを人々が行きかっていたといわれています。」という看板が立てられていた。この先は、旧街道ならではの尾根沿いの緩やかな登りが続いた。杉林が途切れて雑木林の尾根道を辿ると、「桜窪 ここはかつて山桜が一面に咲き誇っていたといわれます。また板付観音の一の鳥居があったともいわれています。」という看板。続いて現れた姥懐には、「母親の胸にいだかれているように暖かいことからこのように呼ばれ昔は地元の子供の遊び場となっていた所といわれています。」と書かれていた。朝日をあびた日だまりは、春のように暖かかった。
 その先で、登山道の分岐になる参詣清水に到着した。分岐のすぐ先に湧き水が流れ出ていた。この清水は、板付観音の参詣者の禊ぎ場にもなっていたと書かれていたが、標識は古びて所々字が読み取れなくなっていた。ここまでは、確かに人馬が行き来したという旧街道に相応しい幅広の道であったが、急に細い道に変わった。板付観音の標識はあったが、付近にお堂のようなものは無かった。
 足元に工事中の林道が迫ってきていた。参詣清水から先は、急斜面に登山道が切り開かれており、危険は感じられないが、足元に工事の現場を見下ろしながらの歩きになった。
 尾根の乗り越し部で左に少し入ると、あずまやが設けられていた。ここは、ロマンの広場と呼ばれ、太平洋側の眺めが広がり、ひと休みには良位所であった。
 ロマンの広場から先は、入り組んだトラバース道が長く続き、方向感覚が失われそうになった。右上に望洋台経由の尾根道が迫ってきて山頂もすぐそこに見えたが、登山道は、一旦南に大きく迂回した。地図をあとで確認すると、雑木林の下生えも少なく、そのまま尾根上に直登した方が近道のようであった。
 最後になって、ようやく本格的な登りになったが、山頂まではあと僅かであった。山頂手前で、天狗石が現れた。天狗石の由来は、昔修験者の修行場になっていたのを天狗と見誤ったことから名付けられたと書かれていた。
 日陰山の山頂は、尾根上の一点といった感じで、見晴らしも無く、広場にもなっていなかった。お目当ての一等三角点はと探すと、60mほど進んだ所の、登山道脇にあった。最高点よりは、明らかに数メートルは低い地点であった。尾根沿いに下っていくと、東の展望が開けた望洋台に出た。眺めを楽しんだ後に急坂を下ると、参詣清水の分岐に戻ることができた。
 日陰山は、一等三角点峰ではあるが、際だったピークではなく、むしろ山道の歩きを楽しむ山であった。
 この後は、五社山と三森山を歩くつもりであったが、林道の具合によっては、車道歩きに時間がかかりそうであった。まずは、道順は逆になるが、時間のかかりそうな三森山をめざした。
 三森渓谷入口の筒木不動尊の駐車場脇には、登山案内図があり、三森山登山口まで約6kmと書かれていた。この先は、県道ということであったが、一車線幅の渓谷沿いの林道並みの道が続いた。砂利が敷いてあり、普通車でも走れる状態ではあったので、歩き出すきっかけをつかめずに車で先に進んでしまった。落ち葉が積もって路肩が良く見えないようなところもあり、車のすれ違いは困難なため、気疲れのする運転が続いた。
 三森山の登山口は、渓谷に緑に塗られた欄干の橋が掛かっているのですぐに判った。車の転回がやっとの広場に車を停めて歩き出した。
 橋を渡った先には、注連縄の架けられた鳥居が立ち、小さな石の祠が置かれていた。谷間で日当たりの悪い場所で、石段に流れ出た水が凍っていた。
 登山標識が、左手の岩尾根に上がるように示していた。木の根を足場に、ロープを手がかりにしての登りが始まった。ひと登りすると、大岩が現れ、その基部に祠が置かれていた。大岩を右に巻くと、その先も急な登りが続いた。ザレ場で足場が悪い所もあり、登山道を落ち葉が隠していることもあって、足元に注意する必要があった。
 正面に見える山頂は遠くない距離にあったので、歩き続けていれば、それほど長い登りではないはずであったが、足が止まりそうになった。阿武隈山地にしては珍しい急登であった。
 最後は右にトラバース気味に登ると、ピークの上に出た。ここが三森山の山頂と思ったのだが、ここは北のピークであった。日だまりの雑木林の中を進むと、幸い、大した登り下りもなく、三森山の山頂に到着した。山頂は、月山神社の小さな石の祠が置かれ、小広場になっており、太平洋岸の眺めが広がっていた。北には木立の間から五社山を望むことができた。
 下りは、登り以上に足元に注意を払う必要があった。車に戻った後は、渓谷沿いの車の運転に神経を使うことになった。ライトを点灯し、カーブでは警笛を鳴らしながら車を運転した。三森山は、気疲れのする山であった。
 北に戻って大滝温泉への県道に進んだ。三森山とは異なり良い道が続き、分岐出ると大きな「五社山入口」という標柱が立てられていた。橋を渡った先には、山の高みに向かって舗装道路が続いた。この林道の状態によっては、途中から歩くことも考えていただけに拍子抜けであった。
 結局、問題のない道で、登山口の駐車場に到着した。入口の案内図を見ると、五社山の山頂一帯は「五社山ふるさとの森」となって、遊歩道が整備されているようであった。峠まで車で上がると、山頂までは僅かな距離のようなので、さらに車で進んだ。
 峠部には、大駐車場が設けられていた。複雑な遊歩道がつけられているので、案内図をよく見てから歩き出した。坂道には段々が整備され、金をかけて整備されていた。つつじのみちからあせびのみちを通ると、五社山の山頂に到着した。三角点の周りは、丸太がタイル状に埋め込まれている広場になっていた。木立に囲まれてこの山頂からは展望は無かったが、すぐ先に展望台が作られていた。展望台の上に立つと、太平洋岸の眺めが広がっていたが、この日に登ってきた日陰山や三森山の眺めとはあまり変わらない気がした。下りは、管理道の車道をそのまま下った。
 大倉山にしても五社山にしても行き過ぎた整備が残念である。森林公園化によって、登山に要する時間は短くなれば、山は小さくなる。麓からの登山道を利用すれば良いといわれても、汗をかいて山頂にたどり着くと、車道終点からはひと登りの道が上がってきていては、興醒めを避けられない。
 予定の三山を登り終え、どこで温泉に入ろうかと考えると、一等三角点の置かれている小名浜の三崎公園にある国民宿舎が温泉であることに気が付いた。そこで入浴することにして小名浜を目指した。
 温泉に入った後では暗くなっている可能性があったため、三崎公園に到着すると、まず一等三角点「下神白」を探した。三崎公園は海に飛び出した高台にあるが、マリンタワーと呼ばれる展望台が設けられている。その下は芝地の広場になっているが、南のレストランとの境の生け垣脇に置かれていた。わざわざ探さなければ、気が付かないような場所であった。三角点は、周りを麗々しく囲われて説明板も置かれているような過保護のものもあるが、ここでは三角点マニアにしか注目されないように粗末にされていた。
 温泉に入ってからそとに出ると、夕日が沈むところであった。岬状に飛び出しているため、小名浜港越しの山に夕日が沈んでいくのが見え、長く感じた山歩きの一日が終わった。
 翌日の目的地の水石山へ向かった。クリスマスイブということもあって、道路は混んでいた。山に入る手前のコンビニで、食料を買い込んだ。クリスマスイブのために、二つ入パックのケーキとローストチキンも買った。国道49号線から分かれて水石山へと向かう道は、二車線幅の立派な車道であった。山頂の駐車場に車を停めた。夕食には、前もって買っておいたシャンペンを開けて、クリスマスイブとしゃれこんだ。眼下には、小名浜市街地の街明かりクリスマスイルミネーションよろしくきらめいていた。最高の眺めであったが、独りぼっちのクリスマスイブは、やはり寂しかった。
 水石山の山頂一帯は、牧場になっており、芝地が広がっていた。朝日が昇ってくるのを眺めることができた。太平洋の眺めを遮るものはなく、車で上がって来られるので、初日の出見物には絶好の山のようである。
 水石山の山頂へは、登山道のようなものはなく、芝地を高みに向かっていけば良かった。馬が放牧されていたようで、古い糞が落ちているので、足元に注意が必要であった。登山というほどのこともなく、ひと登りで、らせん階段の付いた展望台の立つ山頂に到着した。展望台の上に登ると、霜で白くなった山頂台地と朝日に照らされた太平洋の眺めが広がっていた。下から登ってこずに安直登山で終えたことは、ひと晩山頂で過ごしたことで許してもらおう。
 車道を下っていき、赤井方面の県道との分岐が閼伽井岳の登り口になる。うつくしま百名山には、水石山と共に取り上げられているのだが、標高も低いせいかあまり歩かれていないようで、登山道は落ち葉に覆われていた。植林地の中を尾根伝いに左に巻いていくと、閼伽井岳の山頂に到着した。三角点が置かれているだけで、祠のような信仰関係や山頂標識は見あたらなかった。登ってきた登山道は、笹で覆われ気味であったが、東の薬師堂から登ってくる山道も、はっきりしていなかった。木立に囲まれて山頂からの展望も無かったが、公園化された山頂よりはむしろ好まし気もした。
 続いて、湯ノ岳に向かった。湯ノ岳も古くからの登山道が残っているようであったが、湯ノ岳パノラマラインという車道が山頂部を通過している。いわき湯本IC付近から始まる湯ノ岳パノラマラインは、快適な走りを楽しむことのできる山岳道路であった。おそらく、いわき湯本温泉の観光用に作られたものなのであろう。
 湯ノ岳パノラマラインから山頂へは、南と北西から破線が延びている。歩く距離の短い北西口から歩くことにした。現地に到着してみると、幅広の道が山に向かっていた。歩き出すと、一直線の急な登りになった。山頂部に立つ中継基地管理道かと思ったのだが、四駆のオフロード車でも頑張らないと上がれそうもなかった。
 ひと登りで左から登ってきた尾根上に出て、右に曲がるとすぐ先に三角点が置かれていた。湯ノ岳の山頂標識のようなものは見あたらず、登山者は少ないようであったが、三角点の四隅は欠けて痛んできた。そばに第八の木戸経塚と書かれた標柱が立てられていたので、昔は信仰の山として登られていたのかもしれない。山頂部は中継基地に占められており展望は無かったので、そのまま山を下った。その代わりに、湯ノ岳パノラマラインを車で戻る途中の展望台で、眺めを楽しんだ。太平洋岸と阿武隈山地の展望が広がっていたが、山の同定は難しかった。
 続いて、明神山へ向かった。この明神山は、茨城県との県境近くで、うつくしま百名山で取り上げられていることから、どこにあるのだろうと地図で確かめるような山である。登山口の荷路夫付近は、いわき市から遠くない距離にあるといっても、かなり山奥といった感じであった。
 登山口は、鳥居が目印になる。駐車スペースは、鳥居前の空き地に乗り入れるようにして、二台ほどであった。明神山入口神社経由という看板が置かれていた。この書き方だと、ガイドにあるコースはここからで良いものの、他からも道があるような感じであった。急な石段を登ると、お堂が置かれていた。鳥居前には、多祁神社奥社と書かれていたので、これは里宮といったところであろうか。
 お堂の後ろには石碑が並んで置かれ、尾根沿いに山道が続いていた。左手に沿う谷間を巻いて南に向きを変えると、杉林に沿った登りになった。樋状に掘られた窪地の中に登山道は続いていた。ひと登りで、尾根上に出ると、明るい雑木林の中の緩やかな登りになった。右奥に見えるピークが明神山の山頂と思ったのだが、近づくと、登山道は左を巻いて奥に続いていた。その先で杉林に入ると、二本並んだ杉の大木の下に中間点という標識が置かれていた。地図を見ると、明神山の山頂は、この先を登った先のはずであるので、おかしいなと思った。
 山頂が近づくと分岐が現れた。どちらの道も明神山の山頂に通じているようであったが、右の奥の院経由の道に進んだ。すぐ先で、お堂が現れた。これが多祁神社奥社のようであった。北の尾根に乗ってひと登りすると東からの尾根に合わさり、その先が明神山の山頂であった。明神山と書かれた標識が置かれた広場になっていたが、展望は木立に囲まれて良くなかった。鉄製の展望台が設けられていたが、床が抜けており、使用禁止になっていた。
 帰りは、下山路という標識に導かれて、東の尾根に進んだ。杉林の中を下ると、すぐに山頂下の分岐に出た。登山口に近づいたところで、男女の登山者に出会って、地元ではそれなりに親しまれている山であることを知った。
 明神山で、うつくしま百名山に選ばれている浜通りの山は終わり、中通り南部の山にうつることになる。小冨士山、天狗山、関山の三山が近くにあり、歩行時間も短いので、まとめて登れそうであった。
 昼過ぎに、棚倉町を過ぎた先の小富士山の登山口に到着した。登山道の入口には鳥居が立ち、小川の脇には小富士山と書かれた標識が置かれていた。谷奥に見えるピークが小富士山のようであった。
 お堂の前を過ぎて沢の右岸沿いの林道を進んだ。林道が右に曲がる地点で、登山道は、沢沿いに直進した。杉林の中の細い流れの沢を少し進むと、右の尾根に取り付いて、急登が始まった。谷の中は日影で寒かったが、尾根の登りの途中からは日が当たって暖かくなった。足に堪える急な登りが続いた。一旦傾斜が緩んで、山頂かと思ったが、もうひと登りする必要があった。
 小富士山の山頂は、浅間神社の石の祠が置かれた芝地の小広場になっていた。歩き始めの林道は、送電線の鉄塔の立つ南のピークへ通じているように思えたので、その方面から尾根通しの道があるかとのぞいてみたが、藪であった。北に向かう山道が下っていたが、これは山の反対側の小菅生へ下る道で、来た道を戻るしかない。山頂からは、ピラミッド型の目立ったピークが見え、これは関山のようであった。浜通りの山での太平洋の眺めの代わりに、雪に覆われた那須連峰が見えるのも、中通りの山ならではある。下山は、尾根の下りで足元に注意すれば、時間はかからなかった。
 続く天狗山は、地図にも山名が書かれていないため、うつくしま百名山に取り上げられていなければ、訪れることは無かったかもしれない。里見の集落内で、登山口へ通じる車道への入り方が判りにくかった。畑の中を抜けていくと、未舗装の道に変わり、林道の分岐を左に進む。林道の状態が判らなかったのだが、砂利を敷いてあり、車の走行には問題のない状態で登山口に到着した。
 登山道は山頂から北西に延びる尾根に続いているようなのだが、地図には記載されていない。登山口にははっきりした標識が置かれ、丸太の段々で整備された道が始まっているので、それと判った。
 急な登りが始まった。杭が連続してうたれて、ロープが手すり状に通されていた。名前も知られていない山としては、充分すぎる程の整備であった。落ち葉の敷き詰められた山道は気持ちが良かったが、日が陰り初めていた。足を止めずに歩き続けていくと、左から尾根が合わさるとその先は傾斜が緩やかになった。ここには展望板が置かれていたが、水がしみ込んだためか読めなくなっていた。木立が刈り払われて展望が開けており、ひと息いれた。
 その先は、ひと登りで天狗山の山頂に到着した。木立に囲まれて、展望の無い山頂であった。立派な山頂標識が、少し不似合いに思えた。
 関山は、標高もそれ程ないが、平野部の中に盛り上がっているため、周囲から良く目立っていた。夕暮れの時間も迫っていたため、北側の吉ヶ沢からの山頂へ通じる車道を使うことにした。
 集落を過ぎると、急に荒れた道に変わり、その先で登山者用駐車場が現れたため、車はここまでにした。その先は車道を歩いた。車道にゲートは無かったが、かなり急な所もあるため、普通車では無理そうであった。下山してくる登山者にもすれ違ったが、この日最後の登山者になることは確実のようであった。
 車道沿いには合目標識が置かれていたが、十合目を過ぎても山頂は遠かった。後で調べると、二十合目が山頂になるようであった。車道の右手に金明水と呼ばれる水場が現れ、背後に置かれている像は閻魔様とのことであった。その先で尾根に乗ると、内松方面からの山道が合わさり、車はここの広場まで上がることができるようであった。その先は満願寺の境内となり、社務所や鐘楼が現れた。石仏を眺めながら登っていくと、観音堂の前に出た。満願寺は、天平二年(720)に聖武天皇の勅使を受けた法相宗行基が開山したと言われている。
 山頂到着ではあったが、三角点のために、お堂の周りを探し歩くことになった。三角点は、登り口から右手の石塔の脇に草に埋もれかけていた。山頂からは、白河方面の眺めが広がっていたが、夕暮れが近づいており、急いで下山する必要があった。
 車に戻って、明るい内にと、GPSのデーターの吸い上げと、翌日のためのダウンロード、地図の印刷を行った。順調に山に登ることができたが、事前に地図を印刷していなかった。
 最終日は、檜山、矢祭山、烏峠を登ることにして、まずは矢祭に向かった。以前、久慈男体山に登った時、矢祭山の下を通ったが、交通量の多い国道脇の山という覚えがある。夜を明かすとなると、檜山の山麓にあるキャンプ場の駐車場が良さそうであった。
 矢祭駅手前の新夢想橋で久慈川を渡り、水郡線のガードをくぐった先に大きな駐車場が設けられていた。対岸の国道を走る車の光が見えるものの、静かな広場であった。檜山の登山口の様子は、明るくなってから確かめることにして寝た。
 檜山の山麓一帯は、友情の森として公園化されており、それによって遊歩道が複雑に開かれているようであった。駐車場脇には、左右に檜山と示す標識が立てられていた。とりあえず、左の道に進んだ。車道を登っていくと、キャンプ場下の駐車場に出た。高みに向かう遊歩道に進んだが、沢をまくところで一旦下りになり、少々がっかりした。小ピークの上で森林公園は終わり、山道を下ると林道に飛び出した。登山のためだけなら、あまり効率の良い道とはいえなかった。
 尾根通しに続く未舗装の林道の歩きがしばらく続いた。檜山の山頂が近づいたところで、林道の下部地点から登山道が始まった。ここには、「ひやまとざんどう」という看板も付けられているので、見落とすことはない。
 檜山への最後の登りは、かなりの急斜面ではあるが、登山道は細かくジグザグを切ってあるので、見た目よりは登りやすかった。傾斜も緩んでようやく山頂に到着かと思ったが、石仏が置かれているだけで、もう少し先であった。
 檜山の山頂は広場になって、片隅に小さな石の祠が置かれていた。久慈川の谷間や麓の里を見下ろすことができた。檜山は、阿武隈山地の最南端にあり、茨城県境に近く、接している山は八溝山地や奥久慈の山ということになる。馴染みの無い地域で、周囲を取り巻く山の名前は判らなかった。
 下りは、行きのコースでは友情の森への登り返しがあるため、分岐から林道を少し進んだ所から、「総合案内施設・バンガロー」への道に進んだ。杉の植林地を行く陰気な道で、沢に下り立つと、直に久慈川河畔に出ることができた。対岸の矢祭山を眺めながら、車に戻った。
 続いて、矢祭山に向かった。駅手前に矢祭山公園入口の看板があり、駐車場もあったため、ここから歩き出した。国道と平行に走る遊歩道をしばらく歩くことになり、これは失敗であった。太鼓橋を渡ると、左のお土産屋の間から道が上がってきた。公園の中心地は、ここのようであったが、矢祭山への道順を示すようなものは無かった。谷奥に進む探鳥路と、左の高みに階段を上っていく道があったので、まずは高い方へということで、左に進んだ。ひと登りすると、国道と平行にそのまま下っていくようであったので、引き返した。
 スタートのやり直しで探鳥路に進むと、倒木の目立つ谷間に入っていった。階段登りが続き、息があがった。尾根の乗り越し部に到着し、尾根沿いを見ると踏み跡が続いていた。遊歩道は、谷を巻きながら緩やかに登っていくようであった。
 矢祭山の山頂へは、この道であろうということで、踏み跡を辿った。杉林の広がる急な尾根であった。テープが短い間隔で付けられているので、コースを辿るには問題は無かったが、麓が公園化しているのに、山頂への正規の登山道が無いのは不思議に思えた。
 尾根上に出て右に方向を変えると、もうひと登りで矢祭山の最高点に出た。雷神社と書かれた石碑も置かれ、信仰の山であることが判った。石碑の後ろにはテレビのアンテナが立ち、山の反対側は伐採地が広がっていた。
 三角点ピークへは、少し戻ってから、東の尾根に進んだ。雑木林の中に、踏み跡が続いており、歩くのに問題はなかった。一旦下ってから僅かに登り返すと、三角点ピークに到着した。三角点は、右脇に埋められていた。ここには、三角点の他に山頂標識のようなものは無かった。
 地図では東に延びる尾根沿いにも破線が記されているため、このコースから下山できるかと思って進んでみたが、踏み跡は少し先で不明になった。来た道を引き返すのが無難ということになった。
 山を下りて車に戻ると、小雨が降り出した。最後の目的地として烏峠を目指した。峠といっても立派な山で、山頂には稲荷神社が置かれている。麓からの登山道が整備されているが、車道が山頂まで上がっている。車で行けるところまで入ってみようということで、外ノ入方面から林道に進んだ。舗装道路が続き、少し急ではあったが、問題の無い道であった。山頂手前に駐車場があり、ここからの歩き出しになった。
 中継基地の脇を抜けると、稲荷神社の境内に出た。烏峠稲荷は、立派なお堂で、三角点を探しにお堂の背後に回ると、見事な透かし彫りを眺めることができた。これで、うつしま百名山に取り上げられている阿武隈山地の山は登り終えたことになる。地図を見ると、登れそうな山はまだまだあるので、また訪れることにななるだろが。
 駐車場の脇にはあずまやが置かれ、雪をかぶった吾妻連峰の眺めが広がっていた。冬枯れの阿武隈山地歩きも、これで終わりにして、雪の新潟へ戻ることにした。
 (こうして2004年最後の山行は終わった。)

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