高柴山、東堂山、日影山、鬼ヶ城山、権太倉山、丹波盾山、背炙山

高柴山、東堂山、日影山、鬼ヶ城山
権太倉山、丹波盾山、背炙山


【日時】 2004年12月11日(土)〜12日(日) 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 11日:晴 12日:晴

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 高柴山・たかしばやま・884.4m・三等三角点・福島県
【コース】 門沢登山口
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/常磐/柳橋

【ガイド】 分県登山ガイド「福島県の山」(山と渓谷社)、阿武隈・奥久慈・八溝の山(随想社)、うつくしま百名山(福島テレビ)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 東堂山・とうどうさん・668.1m・四等三角点・福島県
【コース】 満幅寺表参道入口より
【地形図 20万/5万/2.5万】 白河/小野新町/田母神
【ガイド】 阿武隈・奥久慈・八溝の山(随想社)、ふくしまの低山50(歴史春秋社)
【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 日影山・ひかげやま・884.4m・二等三角点・福島県
【コース】 日本全薬工業臨床研究牧場登山口
【地形図 20万/5万/2.5万】 白河/小野新町/田母神
【ガイド】 阿武隈・奥久慈・八溝の山(随想社)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 鬼ヶ城山・おにがじょうさん・890m・なし(887.3m・三等三角点)・福島県
【コース】 いわきの里鬼ヶ城
【地形図 20万/5万/2.5万】 白河/小野新町/小野新町
【ガイド】 阿武隈・奥久慈・八溝の山(随想社)、ふくしまの低山50(歴史春秋社)、うつくしま百名山(福島テレビ)

【温泉】 小町温泉・太田屋 400円

【山域】 奥羽山系
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
大間ヶ岳・おおまがたけ・860m・なし・福島県
 権太倉山・ごんたくらやま・876.3m・三等三角点・福島県
【コース】 聖ヶ岩ふるさとの森より
【地形図 20万/5万/2.5万】 白河/長沼/新甲子、羽鳥湖、岩代長沼、上小屋
【ガイド】 分県登山ガイド「福島県の山」(山と渓谷社)、うつくしま百名山(福島テレビ)

【山域】 奥羽山系
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
丹波楯山・たんばたてやま・562.0m・二等三角点・福島県
【コース】 沢邸より
【地形図 20万/5万/2.5万】 白河/長沼/上小屋
【ガイド】 ふくしまの山50(歴史春秋社)、新福島百山紀行(歴史春秋社)

【山域】 会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
背炙山・せあぶりやま・863m・なし・福島県
【コース】 東山温泉線山頂駐車場より
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/若松/若松
【ガイド】 会津百名山ガイダンス(歴史春秋社)、うつくしま百名山(福島テレビ)



【時間記録】
12月10日(金) 10:00 新潟=(磐越自動車道 経由)=
12月11日(土) 0:20 三春PA  (車中泊)
6:00三春PA=(船引三春IC、門沢 経由)=6:20門沢登山口〜6:38 発―6:47 水場―6:57 尾根上―7:15 高柴山―7:31 尾根上―7:39 水場―7:45門沢登山口=(門沢、R.349、八幡、経由)=8:28 参道入口―8:40 満福寺〜8:50 発―9:04 分岐―9:12 東堂山―9:19 分岐―9:30満福寺―9:38 参道入口=9:52 日影山登山口―10:43 日影山―11:17日影山登山口=(八幡、R.349、小野、夏井、中里 経由)=11:53 第一駐車場〜11:58 発―12:06 登山道入口―12:10 分岐―12:14 ABコース分岐―12:36 小白井分岐―12:46 鬼ヶ城山〜13:01 発―13:10 三角点―13:23 ポンプ小屋―13:27 分岐―13:30 登山道入口―13:38 第一駐車場=(中里、夏井、小野、田母神、R.49、田村、須賀川、R4、鏡石、横内、R.294、町中 経由)=17:30 聖ヶ岩ふるさとの森登山口  (車中泊)
12月12日(日) 6:58 聖ヶ岩ふるさとの森登山口―7:12 風穴―7:45 馬ノ背分岐―8:01 大間ヶ岳―8:09馬ノ背分岐―8:47 権太倉山―9:09 あずまや―9:16 林道終点―9:54 田ノ沢林道入口―10:05聖ヶ岩ふるさとの森登山口=(町中、R.294 経由)=10:50 登山口―11:04 尾根上―11:22 丹波楯山〜11:29 発―11:37 尾根上―11:48 登山口=(R.294、湊町、東山温泉線 経由)=13:11背炙山山頂駐車場〜13:35 発=(東山温泉線、東山温泉、R.49、会津若松IC、磐越自動車道 経由)=16:00 新潟

 高柴山は、阿武隈山地中央部の船引町、大越町、小野町にまたがる山で、山頂一帯に二万株とも言われるツツジの群落が広がっていることで知られている。登山道は各方面から整備され、人気の山になっている。
 東堂山は、開基1000年と呼ばれる満福寺が中腹にある山である。寺の境内や羅漢像を眺めながら山を一周する遊歩道が設けられているが、山頂へは短い距離ではあるがヤブコギになる。
 日影山は、小野町の西に、両翼をなだらかに広げた山である。登山道が整備されているにもかかわらず、注目されることの少ない静かな山である。
 鬼ヶ城山はいわき市第二の高峰である。頂上に大石があり、そこに鬼が住んでいたという伝説から名前が付けられている。山麓一帯には「いわきの里鬼ヶ城」というアウトドア施設が設けられている。
 権太倉山は、中通りと会津を分ける奥羽山脈に属する山である。この山の由来はいろいろのようで、山中に野生の馬が住んでおり、その名を「権太黒」と称した。源義家が奥州征伐の際に忘れた鞍が石になってしまった。あるいは源義経が奥州に落ち延びる際のことであるとも言われている。いずれにせよ、鞍が石に転じたことが名前の由来のようで、「権太鞍」というのが現在の名前に転じたようである。登山道は良く整備されており、静かな山歩きと展望を楽しめる山である。
 丹波楯山は、中通りと会津を分ける奥羽山脈の権太倉山の東に位置する山である。地元の手で登山道が整備されている。
 背炙山は、会津若松の東に連なる山で、現在では山頂を車道が通じている。山名の由来は、猪苗代から会津若松を往復する時、行きは背中に朝日を受け、帰りは夕日を背中に受けることによるという。

 12月初めは、みぞれ混じりの天気が続き、新潟の山を歩くことは難しくなる。週末の天気予報を見て、県外脱出を図り、阿武隈山地の山に出かけることにした。すぐ先の天皇誕生日と週末を休暇をとってつなげて、阿武隈山地の山巡りをするつもりであったが、うつくしま百名山の数を少し減らしておきたかった。
 忘年会を酒を飲まずに過ごし、少し遅くなったが、家を出た。磐越道のおかげで、新潟から阿武隈山塊への時間はずいぶんと短くなっている。深夜に三春PAに到着し、夜を明かした。深夜割り引き料金の要件は満たしていたので、高速を下りても良かったのだが、登山口を暗い中探すのは難しく、トイレのあるパーキングで夜を過ごした方が良い。ETCの深夜割り引きは、登山者にとって、大きな福音といって良い。
 朝になったところで車を動かして門沢登山口を目指した。いくつかある登山口のうち、門沢登山口を選んだのは、高速を下りてから一番近いからということであるが、最終民家を過ぎると、車一台幅の林道になった。ツツジの名所ともなると、観光客もつめかけるはずなので、この道路状況は少し意外であった。
 農園施設への道を右に分けると、門沢登山口に到着した。林道はさらに先に続いているようであったが、立派な標識があるので、迷うことはない。30台程といわれる駐車用の広場が設けられていた。夜明けが遅く、コーヒーを飲んでから、ゆっくりと歩き出した。
 登山口には、山頂まで35分と書かれていた。歩き出すと、杉林の中に入り、沢に沿っての登りになった。水場も三ケ所で設けられていた。雑木林が広がるようになると、尾根の上に出て、左に方向を変えての登りになった。ここには中間地点と書かれた標識も取り付けられていた。尾根沿いの道からは、見晴しも開けて、小野町方面の眺めが広がった。
 山頂が近付くと、ツツジが現れてきた。山頂一帯は台地状で、一面がツツジに覆われていた。一番の高みに展望台が設けられていたので、ツツジの間をぬいながら向かった。展望台の下には、三角点も埋められていた。
 展望台に登ると、展望盤が置かれており、ツツジ園といった山頂の周囲に阿武隈山地の山々が広がるのを眺めることができた。東に一番高いのが大滝根山、北西の採石で削り取られた山が黒石山であろうが、朝靄もかかり、その他の山の見きわめは難しかった。
 誰もいない山頂を後に下っていく途中、バサバサという音がして、ハリーポッターの映画に登場したようなでかいふくろうが木にとまった。カメラをかまえる暇もなく飛び去っていったのは残念であった。おそらく朝帰りで帰宅を急いでいたのであろう。
 門沢登山道は、意外に静かな感じの登山道であった。後で調べると、牧野登山口が一番駐車場も広いようであるが、遊歩道が整備され過ぎているようなので、今回のコースで良かったのかもしれない。いずれ、ツツジの季節に混雑覚悟で、牧野登山口から登ってみようか。
 続いて山に向かう前に、食料の買い出しをするため、コンビニを探す必要があった。小野町近くで見つかったが、そこから予定の山としては東堂山が近かった。登山口の満福寺に向かう途中、行く手に東堂山と日影山の眺めが広がった。左の杉に覆われた小さな山が東堂山で、右に両肩を緩やかに広げるのが日影山のようであった。
 東堂山の表参道入口に出たので、ここから歩き出すことにした。車道をさらに進んで、満福寺の境内から歩き出すこともできるようなのだが、小さい山なので、麓から歩き出したくらいで丁度良い。参道入口には、出迎え羅漢と称して、石作りの石像が置かれていた。参道沿いには、杉並み木が続いた。説明板には、徳川中期に植えられ、樹齢200〜300年と書かれていた。参道が堀割状になって、杉の根元の土が削られており、大木が一本横倒しになっていた。今年の台風は、各地に被害をもたらしたようである。
 ひと登りすると、左から迂回してきた車道に飛び出し、後は車道歩きで満福寺に到着した。広い駐車場が整備されており、周囲には、羅漢の石像が置かれていた。のんべえ羅漢はとっくりを持ち、絶叫羅漢は、ムンクの「叫び」よろしくなにごとか空に向かって叫んでいた。
 特に考えがあった訳ではないのだが、左回りで歩きはじめようとしたが、道が杉林の中に向かって下り気味になり、登山道であるのか自信が持てなかった。再出発として、右回りに歩き出すことにした。
 駐車場から階段を登り、庫裡の右に向かうと、立派な山門があり、その奥には石垣や鐘楼、本堂が築かれていた。田舎の山中にあるお寺としては、立派な作りであった。
 表情様々な羅漢像を見ながら、山頂を右に巻いていくと、岩壁に釈迦像が彫り込まれ、その下に密集して羅漢像が置かれていた。これらの像は昭和に入ってから奉納され始めたというが、昔からあったように苔むしているものも多かった。
 あずまやを過ぎ、山の反対側に回り込んだ所が、遊歩道の最高点で、ここにはふれあい公園560mという標識が立てられて、西に向かう道が分かれた。東堂山の山頂へは、東に向こう必要がある。灌木をノコで引いたあとがあったので進んだが、ヤブコギをしばらく続けると踏み跡が明瞭になってきた。
 僅かな登りで東堂山の山頂に到着したが、三角点があるだけで、周囲は灌木に囲まれていた。祠のようなものを期待していたのだが、なにもなかった。
 分岐に戻り、遊歩道を先に進んだ。杉林の中に下りていくと、直に歩き始めの駐車場に戻ることができた。
 車に戻り、続いて日影山に向かった。左右に牧場が広がるようになると、左に日影山登山口の標識が現れた。路肩にスペースを見つけて車を停めた。山頂まで約2.3kmと書かれていた。
 白く塗られた牧柵の間の車道を山に向かって歩き出した。柵の中には、黒い牛が寝そべっていた。臨床研究牧場とのことで、単に乳をとったり太らせたりではなく、なにか研究対象なのであろうか。
 牧場が終わると荒れた林道になった。杉の植林が山麓一帯に広がっているので、そのための林道のようであった。九十九折りを繰り返していくうちに、林道の上に生える草も多くなり、いつしか山道に変わっていった。
 山頂近くで左にトラバース気味に曲がって尾根に乗ると、あとは雑木林の中の緩やかな登りで日影山の山頂に到着した。山頂には、大きな岩があり、その基部に日影大山住神社の小さな石造りの祠が置かれていた。下りは、しっかりした登山道であるため、あっという間に下山することができた。特徴のある山ではなかったが、それだけに訪れる登山者も少なく、静かな山歩きができる山であった。
 時間も早いことから、うつくしま百名山の山をもう一山登ることにして、鬼ヶ城山に向かった。
 小野町から鬼ヶ城山までの道順は少々複雑であるが、「いわきの里鬼ヶ城」の案内板に従っていけば到達できる。
 「いわきの里鬼ヶ城」は、広い敷地に、運動施設や研修宿泊施設、キャンプ場、バンガローといった施設が設けてある。第一駐車場という標識があったので、ここから歩き出した。鬼ヶ城山の山頂もそう高くない距離に見えていた。
 施設は、冬季閉鎖中のようで、人影は見あたらなかった。登山口がどこか判らなかったので、キャンプ場を通り過ぎ、とにかく高い方をめざした。
 バンガロー村の上部から登山道が始まっていた。すぐ先で、左右に道が分かれた。右はアスレチック広場と表示されていたが、おそらく東峰から下山してくる道であろうと思い、左の道に進んだ。
 小さな沢を跨ぎ越すと、その先で牧草地のような原に出た。また分岐があり、それぞれABコースと書かれていたが、どのように続くのか判らなかった。左は迂回路であろうということで、直進する道に進んだ。
 すぐ先で荒れた林道を横切ると、急な登りが始まった。岩混じりの所もあり、ファミリーハイクでは、少し手強い登りになるであろうか。登りの半ばで、大岩が登山道脇に頭を出していた。雑木林の登りの傾斜が緩やかになると、892m標高点に到着し、左から小白井方面からの道が合わさった。
 山頂はどこなのだろうと思いながら右に進むと、80mほど先に大岩があり、鬼岩洞窟と書かれていた。左から回り込んでこの岩の上に上がると、鬼ヶ城山の山頂標識が立てられた広場に出た。展望案内図も置かれていた。少し先の岩の上に三基の小さな石塔が置かれているのが見えたが、休むには、この広場の方が良さそうであった。遅くなった昼食をとるため、腰を下ろしてひと休みした。吹く風は、少し冷たかった。
 再び歩き出して、少し先の大岩の上に立った。石塔の一つは新しいもので鬼ヶ城山、もう一つは大山祇神とまでは読めたが、最後のものは古びて読めなかった。岩の上は、周囲の展望が開けており、大滝根山の山頂が近くに見えていた。
 雑木林の中に続く幅広の道を辿ると、東峰に出て、登山道脇に三角点が頭を出していた。このピークは木立に囲まれて展望はなかった。三角点の先から下りがはじまり、高度を一気に落とした。
 最後はポンプ小屋の前に出て、右に回り込んでいくと、歩き初めの分岐に出た。こちらの道は下山専用なのか、逆コースで登ろうとすると、枝道もあって迷うかもしれない。
 4山を登り終えて、疲れも出てきたので、登山は終わりにして、温泉を目指した。翌日の権太倉山のためには、一旦小野町に戻る必要があったので、小町温泉で入浴することにした。
 県道脇の旅館で聞いてみると、日帰り入浴できるということであったが、「うちは沸かしているんですよ」と言い訳をしていた。最近の温泉問題で、かなり神経を使っているようであった。入浴に適しない温度であっても温泉とされていることは承知の上であるし、温度が低くて鉱泉に属するものであろうと、山の後の入浴にはさしつかえない。体は冷えており、一人占めの風呂は心地よかった。
 須賀川を通り抜けて大信村の県道を進むと、最終集落の先から道は急に一車線幅の狭い道になった。下山口となる田ノ沢林道の入口を見ると、少し先で聖ヶ岩ふるさとに出た。ここに駐車するつもりであったのだが、施設の入口には鎖がかかっていた。少し広くなった路肩に車を停めて寝た。
 朝食をとっていると、一台の車が到着して、単独行が歩き出していった。日の出が遅く、写真をとるのも薄暗い状態のため、ゆっくりしてから出発した。途中で単独行に追いついてしまうのも、引き離されてしまうのも面白くない。
 雑木林の中を一旦来た方向に戻るようにしてから高みに向かう登りが始まった。登山道が落ち葉に覆われており、木立の間が開いた開放感のある雑木林でどこでも歩けるため、登山道を辿るのに気を使うことになった。
 風穴を過ぎると、尾根上に向かっての登りになった。尾根上からは、大間ヶ岳への直登コースが分かれるはずだが、落ち葉のためか良く判らないため、トラバースコースに進んだ。杉林の境界に沿ってのトラバース道が始まった。石がごろごろして足場の悪い所を通過すると、沢に突き当たり、左上に高度を上げてから、大間ヶ岳から権太倉山に続く稜線に向かってトラバースした。
 鞍部は十字路になっており、「隅戸川源流ふるさとの森」へということで、西に向かっても山道が続いていた。大間ヶ岳(ザル山)へという標識もあったので、ピークを見逃すこと訳にはいかないということで、寄っていくことにした。踏み跡はすぐに無くなったが、ミヤコザサというのだろうか、膝下の高さしかないので、歩くには支障は無かった。踏み跡が現れると、すぐに見失うという状態の登りになった。踏み跡は微妙にジグザグを描いているようであった。山頂付近で、左手の尾根に向かうような感じもあったが、直登に変えた。傾斜は急になったが、灌木の枝が良い助けになった。
 大間ヶ岳の山頂は、台地状であった。少し奧の最高点まで進んでみると、苔むして傾いた石の祠が見つかった。山頂標識のようなものは見あたらなかったが、古くからの信仰の山になっていたようである。大間ヶ岳は、ドーム型の山のため下りの方が難しく、GPSの助けをかりて方向を見定めて、笹藪を一気に下った。大間ヶ岳は、簡単ながらもヤブコギの山と考えた方が良い。
 鞍部から権太倉山に向かっては、良く整備された道が続いていた。権太倉山の山頂も見えていたが、まだかなりの登りが残されていた。山頂も近くなった頃、振り返ると、那須方面の展望が広がっていた。那須連峰も山頂付近が白くなっているだけで、雪の訪れは遅れているようであった。
 登り付いた権太倉山の山頂は、立派な山頂標識が立ち、周囲の展望が広がっていた。那須連峰に、二岐山、大戸岳、磐梯山、吾妻連峰、馴染みの山が並んでいた。権太倉山の山頂に雪は無く、霜柱が白く光っていたが、すでに融け始めていた。
 山頂からは、東に向かう道に進んだ。いきなり丸太の段々が現れ、良く整備された道であることに驚かされた。ブナやミズナラの林が広がり、「ブナ・ミズナラ群落 この高度でブナの分布はめずらしい。<亜高山帯の様相である>」と書かれた標識が立てられていた。
 「つかの間の喜び」と呼ばれるらしい900mピークからは村界尾根をはずれて、南の枝尾根の下りになった。ジグザグの下りを続けると、杉の植林地に入り、登山道上に砂利が敷かれるようになると、右手に展望台が現れた。展望台からは、大間ヶ岳のドーム型の山頂を良く眺めることができた。
 この先の登山道は、コンクリート舗装やアスファルト舗装といった、舗装の見本になっていた。町中の遊歩道ならいざしらず、山中の登山道にはそぐわない気がした。
 林道に飛び出すと、後は長い歩きが続いた。車の走行には問題のなさそうな砂利道なので、こちらの林道終点広場から歩きだせば、権太倉山には短い時間で登れるようであった。林道からは、大間ヶ岳がよく見え、このピークを登っていなかったら後悔するところであった。田ノ沢林道入口から聖ヶ岩ふるさとへは、10分程の歩きで戻ることができた。
 続いて、近くの丹波楯山を登ることにした。問題は、ガイド文を読んでも、登山コースがはっきりしないことであった。事前にコースをGPSに落とすことは諦めて、現地で確かめることにした。
 国道294号線の沢邸手前のカーブ地点から舗装道路が南西に向かって分かれ、その分岐には丹波楯山の標識が立てられていた。畑地の中を進んでいくと、右手に丹波楯山の標識があり、未舗装の道が山に向かって分かれていた。この道に車を乗り入れるのは難しそうであったが、入口付近に駐車スペースは無かった。車の転回場所を探すために車を進めると、僅か先で林道入口で広くなった所があり、車を置くことができた。
 丹波楯山の登山口に戻って歩き出すと、すぐに分岐になった。直進する道に熊に注意という標識が付けられていたので進んでみたが、これは杉の植林地で方向が違うことにすぐ気づいた。分岐から左の道に進むと、溜め池が左に現れ、ようやくガイドに書かれているポイントが現れた。
 溜め池から先は、杉林の中の道になった。幾つか右に道が分かれたが、分岐には大里小学校PTAが付けた標識が置かれており、助けになった。沢沿いに登っていき、細くなった流れを跨ぎ越すと、階段登りが始まった。境界杭が惜しみなく支柱に使われていたが、いらなくなったものなのだろうか。
 尾根上に出ると、すぐ先で左から昔は林道あったのかと思われる幅広の道が合わさり、その後は緩やかな登りが続いた。登山道は雑木林に囲まれて展望は無かったが、落ち葉の積もった日だまりの歩きは気持ちが良かった。
 登り着いた丹波楯山の山頂には小さな祠が置かれていた。北の眺めが開けていたが、磐梯山は、笠ヶ森山の陰になっているようであった。三角点はと見ると、西の少し小高いところに置かれていた。
 山頂からの眺めをひと通り楽しんでから下山していくと、単独行とすれ違い、登山口では駐車のために田圃の畦道に乗り入れようとしている車もいて、丹波楯山は、そこそこに人気のある山であることが判った。
 料金の節約のために、国道294号線から猪苗代西岸に出てから高速に乗ることにした。道路も良く整備されており、快適なドライブが続いた。周辺に関心のある山もあり、偵察にもなった。快晴の天気に誘われて背炙山に寄っていくことにした。
 背炙山は、会津百名山にも取り上げられているが、山頂一帯を車道が通過して、歩かずに登れる山になっている。一気に高度を上げていくと、山頂駐車場に到着した。山頂までは3分という標識が立てられていた。
 霜柱で滑りやすい遊歩道をひと登りすると山頂の一画に到着した。芝地になってあずまやも置かれていた。どこが山頂なのか判らないので、まずは右手の小高い所を目指したが、空き地があるだけであった。戻って、屋上が展望台になっているレストハウスの先のピークに進んだ。スキーリフトの名残の鉄塔が立っており、ここが地図における863m標高点であった。結局、山頂標識は見つからなかった。猪苗代湖と磐梯山の眺めを楽しむことができ、車で上がって来られるピークとしてはなかなかの展望台であった。お手軽な登山であるが、一応登頂ということにしよう。麓から羽黒山を経由して登ってくる道が紹介されているが、山頂部での車道歩きが長くなって、あまり気が惹かれない。
 東山温泉に向かって下っていく途中、飯豊の眺めが広がった。他の山が雪の訪れが遅れて枯れ草色のままでいるのに対し、飯豊だけは真っ白であった。
 二日間の福島の山歩きを終えて新潟に戻ると、天気予報はすっかり外れて、新潟でも青空が広がっていた。

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