不動堂山、福連寺山

不動堂山、福連寺山


【日時】 2004年11月13日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 菅名山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 不動堂山・ふどうどうやま・557.4m・三等三角点・新潟県
 福連寺山・ふくれんじやま・180m・なし・新潟県
【コース】 不動堂沢入口
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/新津/村松
【ガイド】 なし

【時間記録】 9:30 新潟=(R.49、R.403、新津、五泉、村松 経由)=10:45 不動堂沢ゲート〜11:00 発―11:30 林道終点―11:49 四合目―12:08 尾根上分岐―12:15 不動堂山〜12:41 発―12:46 尾根上分岐―13:15 三合目―13:25 鉄塔―13:33 新長線No.16入口―13:45 尾根上―13:53 福連寺山―14:04 車道―14:09 不動堂沢ゲート=(往路を戻る)=15:30 新潟

 不動堂山は、菅名山塊の南端にあり、主峰よりは一段低いものの、早出川のほとりに三角形の均整のとれた姿を見せる山である。不動堂山への登山道は、五泉の井上光男氏が個人的に開いたものであるという。
 福連寺山は、菅名山塊が早出川に落ち込む最後の高まりである。不動堂沢によって不動堂山と切り放されて、小さいながらも独立した山の形をなしている。登山道も無いこの山が登山の対象になるのは、「東光院物語」の伝説故のことであろう。
 
 朝方の雨のために遅い出発となり、ここのところ続けている菅名山塊巡りのうち、時間もさほどかからない不動堂山へ出かけることにした。不動堂山に登ったのは1997年1月15日のことで、かなりの年数が経っている。この時は途中から積雪状態になって、スノーシューを履く必要がでてきて、夏道の様子が十分に判ったとはいえない。登山道の状態を知るために歩く必要があった。
 村松公園を過ぎた所で県道に進み、早出川を渡ると不動堂の集落に出るので、田圃の中の道を南に進む。福連寺山の山裾の車道のカーブ地点に、「福田石材五泉工場 きのこ工場」と書かれた看板があるので、その前を通過すると、工場の敷地内に入る。人気の無い工場脇を進むと、不動堂沢に沿った林道に出るが、入口に鎖がかかっていた。以前は、この先の採石工場の先まで車で入れたのだが、今ではここから歩き出すことになる。工場はきのこ工場になったようであったが、これも閉鎖になっているようであった。
 不動堂沢に沿っての林道歩きがしばらく続く。林道を通る車も少ないのか、草が生え始めていた。採石所も、夏草が茂って、目立たなくなっていた。大山祇大神の石碑を過ぎると、林道も次第に荒れた感じになってきたが、車の轍が草を押しつぶしているのが目にとまった。草を刈った跡もみられ、コースを維持している人がいるようであった。周囲の木立の紅葉の盛りは過ぎたとはいえ、所々で、美しく色づいた黄や紅の葉を眺めることができた。
 地形図には、不動堂山の登山道は書かれておらず、どの尾根を登るのだろうと不安になるが、林道の終点から始まるので、林道歩きに専念すれば良い。かなり山奥まで歩いたなと思う頃、林道終点に到着する。地図上では、水色に描かれた沢が左にカーブする地点の右岸尾根を登ることになる。杉の木には、「自分のゴミを持ち帰ろう」と書かれた丸い金属製標識が取り付けられているが、不動堂山登山口といったような標識は置かれていない。この山に登りに来る者は、地元の登山愛好家ばかりであるはずなので、余計な標識は必要無いと言えばそうであろうが、少しそっけない感じもする。
 急坂をじぐざぐを描いてひと登りすると、尾根に沿っての登りが続くようになる。一般に知られていない山にしては、しっかり整備された登山道が続くことに驚かされる。登山道脇にも美しい紅葉が広がっていた。木の間で動物の物音が聞こえるので身構えたが、猿であった。ストックで木を叩くと、嚇かされたからどくのではないぞといった、ゆっくりとした動作で去っていった。
 尾根の登りの途中で、「四合目見晴台」という標識が現れ、五泉から新津丘陵の眺めが広がった。尾根は一定の勾配で続き、体力的にけっこうきつく、汗が流れ出るようになってきた。
 山頂近くで稜線上に出ると、左からも道が上がってきており、T字路になっていた。標識が取り付けられて、尾根コース(左)、直登コース(登ってきたコース)、頂上(右)と記されていた。尾根コースは最近開かれたようで、少し切り跡が荒いようであった。地図を確認すると、尾根沿いに下っていくとすると、末端まで行ってしまっても戻るのはそう難しくはなさそうであった。どこに行くのは判らないが、帰りはこの道を下ることにして、山頂に向かった。
 傾斜も緩くなった灌木帯の中の道を進むと、じきに不動堂山の山頂に到着した。刈り払いの広場になっており、風越山から大蔵岳にかけての展望が広がっていた。風越山は、ピラミッド状の山頂を持ち、地図には名前の書かれていないピークながら、人目を引く姿をしていた。
 山頂から先の笹原に粗い刈り払いが続いていた。少し進んでみると、雑木林の中にはっきりした道が現れた。もしや風越山まで行けるのではとも思ったが、時間も遅かったので、それ以上進むのは諦めた。尾根コースを下る必要がなければ、この道に進んでみたかったのだが。
 広場に戻り、風越山をみながらひと休みした。このピークも、北側の花見山と同じく、静かに山を楽しむことができるピークである。半日山行の山として、もっと登られても良い山である。
 帰りは、分岐から尾根コースに進んだ。歩くには問題のない登山道が続いていた。一本尾根かと思ったが、枝尾根が分かれてコースが変わる所が何ヶ所か現れた。残雪期に下りに使う時は要注意である。二人連れが登ってくるのに出会った。話を聞くと、五泉の人で、良く不動堂山を登っているようであった。コースの状態を教えてもらい、尾根コースの最後は、不動堂沢沿いの林道に下りることが判り、気分的に楽になった。
 下りの途中、三合目と書かれた標識が見つかったが、他の合目標識は見つからなかった。前方に送電線の鉄塔が迫ってきた所で、その手前から不動沢に向かっての下降が始まった。最後の下りはしっかりした道になっており、送電線の保守道として整備されているようであった。
 杉林の中を下っていくと、不動堂沢沿いの林道に下り立った。ここには、「新長線No.16」と書かれた送電線巡視路の標識があるものの、登山道入口を示すような標識はなかった。
 不動堂山の登山は終了したのだが、福連寺山にもよっていくことにした。不動堂沢が深く切れ込んでいるとはいえ、福連寺山は、菅名山塊の一峰であることは確かである。1997年3月2日に登ってはいるものの、この時は、早出川側からヤブコギで登っており、登山道を確認していなかった。
 行きの不動堂山への林道歩きの途中、福連寺山の登り口はどこだろうと思いながら、右ばかりを見て歩いていた。不動堂山の尾根コースから少し上流部に向かった所に、採石場の入口があり、その向かいに送電線巡視路の看板があるのを見つけていた。
 不動堂沢を渡るには、長靴であったので飛び石伝いに越せたが、普通の登山靴では足が濡れてしまうかもしれない。対岸には、巡視路の看板が立ち、はっきりした道が切り開かれていた。大きなカーブを数回繰り返すと、尾根上に出た。送電線の鉄塔は山頂とは反対の左側であるが、右の山頂に向かっても道が続いている。
 ひと登りすると、福連寺山の山頂に到着した。山頂は台地状の広場になっており、木立に囲まれて展望はない。傍らの杉の大木に福連寺山の山頂標識が取り付けられている。悲恋の伝説を思い起こすに相応しい静かな山頂であった。
 来た道を戻るつもりであったが、山頂から西に道が続いているのが見つかった。この道に進んでみると、急坂の一気の下りになった。幅3m程のしっかりした道で、本来はこれが表の登山道のようであった。ただ、歩く者は少ないようで、落ち葉が厚く積もっていた。
 杉林に下り立ち、小さな沢の脇で車道に飛び出した。見ると、「福田石材五泉工場」の看板脇であった。ここにも登山標識のようなものは無かった。後は、車道歩き僅かで車に戻ることができた。
 一度登った山であったが、発見のある山歩きであった。
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