三角点、元光兎山、湯蔵山

湯蔵山


【日時】 2004年10月30日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 朝日連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 三角点・さんかくてん・576.5m・三等三角点・新潟県
 元光兎山・もとこうさぎさん・717m・なし・新潟県
 湯蔵山・ゆぞうさん・726.2m・三等三角点・新潟県
【コース】 畜産団地コース
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/小国/越後下関
【ガイド】 なし

【時間記録】 6:30 新潟=(R.7、新発田、R.290、R.113、小見橋 経由)=7:45 畜産団地登山口〜7:57 発―8:35 赤松の広場―9:32 三角点―10:23 元光兎―10:40 鞍部―11:00 湯蔵山〜11:20 発―11:39 鞍部―11:58 元光兎―12:44 三角点―13:20 赤松の広場―13:48 畜産団地登山口=(往路を戻る)=15:30 新潟

 湯蔵山は、関川村の荒川左岸に位置する山である。この一帯は、かつて修験道の山として開かれ、湯蔵山の西隣の元光兎山には、現在の光兎山祭祀以前には、本尊がここに置かれていたという飛来遷宮説もあるという。途中の576.5m三等三角点ピークは、地元では「三角点」と呼ばれ、ここまでは登山道が良く整備されており、ハイキングの山として知られるようになっている。少し前までは、刈り払いは元光兎山までで、湯蔵山に登るには、残雪を利用することになったが、現在では、刈り払い道が山頂まで通じている。
 湯蔵山は、かねてから気になっていた山である。山行記録を読むと、残雪期に登っているものばかりだが、元光兎山から湯蔵山の間でも、夏道が出ていてこれを利用したというようなことが書かれている。どうせなら、秋に登って、登山道の様子を見て、三角点にもお目にかかろうと思っていた。
 新潟中越地震から一週間経ったが、山間部では、地崩れによって地形が変わるほどの被害が出ているようであった。長岡以南への道路はまだ不通状態で、登る山も磐越道沿いから北部の山に限られている。薮こぎもしやすい季節になったので、湯蔵山に出かけることにした。三角点への登山口は、いくつかあるようだが、判りやすそうな畜産団地コースを登ることにした。
 荒川の小見橋を渡り、畜産団地をめざした。畜産団地の西のはずれの車道がクランク状に曲がる地点で、道路標識よろしく金属板への塗装で書かれた「三角点 松平登山口」の登山標識が立てられていた。その手前の路肩スペースに車を停めた。
 歩き出しは、牧場施設の入口をかすめ、牧草地の縁を左に回り込むように進んだ。踏み跡は、牧草地の中に消えたが、草を踏みながら歩いていくと、すぐ先で左手に山道が現れた。標識のような物は無く、入口の木にテープが付けられているだけであった。牧草地の中に分け入っていると、この入口を見落としかねないので注意が必要である。
 赤松や杉が並ぶ雑木林の中に山道が続いていた。すぐ先で左手から踏み跡が合わさり、ここには滝原歩道の標柱が立てられていた。
 ゆるやかな登りが長く続いた。少し傾斜が増した坂を登ると尾根の上に出て、水源かん養保安林の古びた看板が置かれ、横に枝を張った赤松の立つ広場に出た。右手の谷間の眺めが広がり、一服するにはもってこいの広場であった。谷奥に見えている山が湯蔵山かどうかは、その時には判らなかったのだが、家に戻ってからカシミールで確かめると、確かに湯蔵山のようであった。
 この先も緩やかな登りが続いた。尾根沿いの高まりはトラバースするように道が付けられているので、歩き易い道であった。周囲にはブナ林が広がり、さほどの標高もないのだが、深山の様相を帯びてきた。この付近では紅葉には早かったが、紅葉の盛りにまた訪れてみたいと思わせる美しい林であった。
 ブナの木に、「五十三年四月 大石高森 七尺熊」と彫り込まれているのが目に入った。猟の記念にクマ撃ち衆が彫ったものと思われるが、集落から1時間程の所で猟が行われているとは、自然度が高いと言うべきか。熊避けの鈴を付けてこなかったことが、急に気にかかるようになりだした。
 三角点の山頂が近づいてきたが、山頂の右手を巻くように登山道は続いていた。三角点には寄らないでこのまま通過するのかと思ったら、北側に回り込んだところで、左に道が分かれた。この分岐には、「三角点 すぐそこ」と書かれた標識が付けられていた。
 ひと登りすると、広場になった山頂に出た。ブナの木立に囲まれて展望は良くなかった。山頂の先にも、幅の広い登山道が続いており、これはこうもり沢へのコースのようであった。ここまでの登山道は良く整備されており、ファミリーハイクにも向いているコースであった。
 このピークは、地元で「三角点」と呼ばれているが、ここに置かれているのは、三等三角点で、点名は「大倉沢」という。沢の名前を点名に使うことも多いが、ピークの名前としては使いづらいところがある。
 ひとつ残念だったのは、広場の周囲のブナの木に登山記念の彫り込みが目立つことであった。新潟の登山界の重鎮として知られる人の名前や、平成に入ってからの学校登山の記念の彫り込みも見受けられる。子供自身が鉈を振って彫り込んだわけではないので、引率の先生、あるいは父兄が行ったものであろう。昔からやってきたことだと言われれば、経験も浅い私ごときが口を挟むことではないのだが、最近の登山者のマナーとして、このような行為は厳として慎まなければならないことと教えられている。自分達の里山であるからといって許されるものであろうか。まずは大人の考えを改め、学校登山の際には、子供に自然保護の教育も行って欲しいものである。おそらく、余所からやってきた登山者の目には、この書き付けは、顰蹙ものに見られるものと思われる。熊撃ち衆の書き込みとは別問題と考えられる。
 先ほどの分岐に戻り、元光兎山に向かった。ここまでの登山道とは違って、所々で笹が倒れ込んでいるような刈り払い道になった。といっても、薮を掻き分けるようなところもなく、道を辿るのに問題は無かった。北に向かって僅かに進んでから東に方向を変え、その先は小ピークを越していく道が続いた。
 ピークへの登りを終えると、ようやく元光兎山の山頂に到着した。山頂は台地状で、灌木帯の中に登山道が通じていた。広場が切り開かれていて、光兎山から頭巾山にかけての眺めが広がっていた。
 元光兎山から先も、しっかりした道が続いていた。急な下りが始まり、一旦傾斜がゆるむと、その先で急坂が現れるということを数度繰り返した。この緩急の繰り返しのため、ここは四ツ坂とも呼ばれるようである。
 およそ130mを下り、鞍部からは、140mの登り返しになる。鞍部から登りにかかる付近は、笹が身の丈を越すほどに伸びて、薮こぎになったが、笹を刈って粗い道が付けられていた。中腹からは、美しいブナ林になった。紅葉の盛りで、写真を撮りながらの歩きになった。沢形が左に入り、これを右から巻くように山頂を目指した。山頂付近は、ブナ林の下生えが少なくどこでも歩けてしまうため、刈り払い道も消えていた。下りの時のために、山頂付近は地形に注意しながら登る必要がある。
 湯蔵山の山頂は、小広場になっており、三角点の脇に木の山頂標識が立てられていた。木立に囲まれて展望はなかったので、ブナ林に戻り、そこで腰を下ろして大休止とした。ブナの落ち葉が良いクッションになったが、ビールを置くのには不安定であった。人とは会いそうにない静かな山であった。
 下山の道は、紅葉を楽しみながらも、行きと同じくらいに長く感じられた。

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