鳴沢峰、菅名岳

鳴沢峰、菅名岳


【日時】 2004年10月24日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 菅名山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
鳴沢峰・なりさわみね・880.1m・三等三角点・新潟県
菅名岳・すがなだけ・909.2m・二等三角点・新潟県
【コース】 登り:丸山尾根コース 下り:五葉尾根コース
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/新津/村松、馬下
【ガイド】 新・新潟ファミリー登山(新潟日報事業社)、分県登山ガイド「新潟県の山」(山と渓谷社)

【時間記録】 7:10 新潟=(R.49、馬下橋 経由)=8:05 小山田登山口〜8:13 発―8:33尾根上―8:39 北沢分岐―9:07 椿平―9:22 鐘のある休み場―10:04 菅名岳―10:35 鳴沢峰〜10:42 発―10:52 小山田分岐―11:22 五葉尾根登山口―11:43 小山田登山口=(磐越自動車道、会津若松 経由)=15:30 新潟

 菅名山塊は、蒲原平野の東端に阿賀野川と早出川に挟まれ、五頭山塊と川内山塊の中間に位置する山塊である。北より鳴沢峰、菅名岳、910ピーク(三五郎山)、大蔵岳と頂稜を連ねている。美しいブナ林、酒の仕込み水として有名になったどっぱら清水など、手頃に自然と親しむことのできる山である。菅名山塊には、多くの登山道が整備され、周遊コースをとることもでき、下越地区における人気の山のひとつになっている。
 菅名岳への登山コースのうち、小山田登山口から丸山尾根を登るものが最も一般的であろう。この場合、菅名岳を経由して五葉尾根を下るのが、周遊コースになって面白い。最も一般的であるといっても、このコースを歩いたのは、登山を始めた年の、1991年11月10日きりである。それ以降、丸山尾根は歩いてはいるのだが、もっぱら大蔵山から菅名岳へ縦走した際の下山路として使っている。当時の記憶も薄れ、改めて歩く必要があると思っていた。
 2004年10月23日は、新潟中越地震の日として、新潟県民の記憶に長く残ることになるであろう。夜の6時前後に、震度6強の地震が三度にわたって中越を襲い、小千谷、長岡、栃尾、山古志を中心に被害が出た。この時は、教室の同門会ということで、ホテルで宴会を始めるところであった。揺れもひどかったが、余震も続き、落ち着いて酒を飲む雰囲気ではなくなった。帰宅してテレビを確認すると、上越新幹線が長岡で脱線し、高速道も被害が出ているようであった。生憎と妻が東京に出かけており、その帰宅の方法を考えなければならなくなった。深夜になって徐々に情報が入るにつれて、新潟市で思っているよりも、大きな被害が出ていることが判った。翌日も上越新幹線は動かないであろうということで、東北新幹線の郡山経由で会津若松まで来てもらい、会津若松まで車で迎えに行くことになった。
 会津若松まで行くとして、そのついでにどこかの山に登れないかと考えた。磐越自動車道が順調に動いているならば、会津若松はそう遠くはない。菅名岳に登っても、昼過ぎには会津若松に到着できるはずであった。
 新潟市に地震の被害は無かったが、朝は早くから空にはヘリコプターの音が木霊し、コンビニには、配送の遅れとかで、おにぎりは無かった。磐越自動車道は順調に動いているようなので、予定通りに菅名岳に向かった。
 小山田の集落の先の林道も問題なく通過でき、登山口の駐車場に到着できた。晴れの日にもかかわらず、一台の車が停まっているだけであった。
 駐車場から先の林道は草が被っており、ゲートはないものの、車は駐車場までとなる。駐車場のすぐ先で、右に鉄製の橋がかかっており、丸山尾根へはこの橋を渡る。左岸に渡ったところで、丸山コース名物ともいうべき、急斜面の階段登りが始まる。歩幅が合わないため、体力の消耗が激しい。頭の血管がぶち切れそうな、直登が続いた。
 息も荒くなって、ようやく尾根上に到着した。この後は緩やかな尾根歩きが続くので、深呼吸をしながら歩き続けた。どっこん清水のある北沢への道を右に分け、さらに尾根沿いの登りが続いた。初めは杉の植林地も広がっていたが、次第にブナ林が見られるようになった。
 椿平は、見事なブナの大木が並び、ベンチも置かれており、休憩地になっていた。大蔵山から菅名岳への周遊だと、この椿平からどっこん清水のある北沢へ下りることが多い。この菅名山塊のブナ林は、他の山と比べても素晴らしいものであるが、入門の山ということもあって、新潟の登山者はかえってその価値を理解していないかもしれない。ここから傾斜は少し急になり、再び登りに汗を流すことになった。
 二人連れを追い抜き、さらに登りを続けると、鐘とベンチが置かれ、丸山尾根の看板の看板の立てられた広場に出た。ここも良い休憩地になっていた。尾根を挟んで平行に走る鳴沢峰から花見山にかけての尾根を眺めては、菅名岳の山頂までの距離を想像しながらの登りになった。
 山頂手前で、階段も現れる急な登りになったが、それを突破すると、菅名岳の山頂に到着した。快晴の紅葉の山にも関わらず、山頂には誰もいなかった。白く染まった北股岳から大日岳にかけての飯豊連峰が、青空に浮かび上がっていた。会津磐梯山も遠くに見えていた。地震の翌日とあって、多くの者は、山登りを控えているようであった。
 鳴沢峰への稜線歩きも、先回の10月11日から二週しか経っていないわけだが、葉が落ちて周囲の展望が良くなっていた。緩やかに起伏する稜線の眺めが美しく、遠くの飯豊連峰に目が引き付けられた。季節は、晩秋から初冬に移ろうとしており、薮山歩きのシーズンが始まろうとしている。
 僅かに登り返して到着した鳴沢峰で、腰を下ろしてひと休みした。ここまで休まずに歩き続けてきたのも、これからの用事が頭にあって、気分的にのんびりしていられなかったこともある。谷向いの五頭連峰を眺めた後、下山にうつった。
 鳴沢峰から下りはじめると、すぐに花咲温泉への道が右に分かれる。急な尾根をそのまま下っていくと、馬下温泉保養センターへの道が右に分かれるので、五葉尾根へは、小山田と書かれた左の道に進む。菅名山塊では、2万5千分の1地図にも登山道は記されていないし、登山者用地図があるわけではないので、慣れていない者には判りにくい。
 五葉尾根も急な尾根で、一気に高度を下げると、杉林が登山道に現れる。沢音が近づいてくると、金属ばしごが現れる。てすりを注意深く握りながらはしごを下ると、林道に下り立つ。ここには鳴沢峰の登山標識が立てられていた。
 後は、林道歩きをしばらく続けると、歩き初めの駐車場に戻ることができた。車は5台に増えていたが、通常であったなら、もっと多くの登山者が集まっているはずである。
 登山を手っ取り早く終え、一番の目的のはずの会津若松へと急いだ。

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