大平山、五百山、鬼倉山

大平山、五百山、鬼倉山


【日時】 2004年10月10日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 長岡東山連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 大平山・おおひらやま・599・なし(592.6m・三等三角点)・新潟県
 五百山・ごひゃくやま・716m・なし・新潟県
 鬼倉山・おにくらやま・617m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/長岡/栃尾、半蔵金
【ガイド】 なし

【時間記録】 8:30 新潟=()=9:50 一之貝〜10:03 発―10:15 車道分岐―10:49 巡視路入口―11:13 稜線分岐―11:27 大平山―11:42 稜線分岐―12:32 水場―12:58 大平山―13:17 大平山登山口―13:21 鬼倉山登山口―13:35 鬼倉山〜13:55 発―14:04 鬼倉山登山口―14:49 車道分岐―15:01 一之貝=(往路を戻る)=16:30 新潟

 五百山と鬼倉山は、長岡東山連峰の盟主である鋸山の北東部に、大入峠を挟んで隣り合う山である。五百山からは、西谷川と矢津川に挟まれた稜線が北東に続いており、この末端部に位置する山が大平山である。平な台地状の山頂を持つことから、その名前が付けられているものと思われる。東山連峰の鋸山や八方台へはハイキングコースが整備されて、多くの登山者が山歩きを楽しんでいる。五百山、鬼倉山、大平山への登山道は無かったが、最近、登山道が切り開かれて、これらの山の名前も知られていくことになると思われる。
 体育の日がらみの三連休は、台風の関東地方上陸で始まった。当初の予定、第二案も吹き飛び、土曜日は家で大人しくしていることにした。日曜日は天候も回復しそうであったため、山に行くことにしたが、吹き返しの影響が残るかと思って、低山歩きを考えた。実際には、長野県の北アルプス方面では、天気が回復して山を楽しめたというので、遠出を避けた判断は、少々後悔が残るものになった。
 長岡東山連峰の大平山から五百山の間に縦走路が開かれたという話は聞いていたのだが、実際に歩いた報告はまだ読んでいなかった。大平山、五百山、鬼倉山の三山は、残雪期にそれぞれ登っているが、登山道ができたのなら改めて歩く必要がある。
 大平山への登山道は、送電線の巡視路を利用したもののようである。前回の大平山登山の際にも、候補に上がったが、一之貝から南の鞍部まで地図に破線が記されている道を整備した可能性が強い。一之貝から歩き出せば、五百山まで縦走し、大入峠から鬼倉山に寄り道して林道歩きで戻ってくることができる。実際の登山道がどのように続いているかは判らなかったが、地図を見て完成させた環状コースを歩きに出かけた。
 長岡から新榎トンネルを通過し、栃尾側に回り込んでから一之貝に入った。小学校入口を過ぎ、軽井沢集落方面に上がっていくカーブから目的の車道が始まっている。幅が狭いため、すぐ先のカーブ地点の空き地に車を停めた。その先は、沢沿いに車道は下っていくようであった。出発の準備をしていると、脇の民家からおじさんが出てきたので、大平山に登りますと挨拶をすると、「橋を渡ったら、左に大平山のコースが分かれる」と教えてくれた。ともかく、歩き出しは間違っていないようであった。
 農作業の軽トラックが先に進んでいっていたが、車道の半分程が崩落している箇所があった。夏の集中豪雨の影響のようであった。普通の車でも注意すれば通過できるようであった。矢津川を渡ると、少し先で車道が二手に分かれ、左の道には、大平山登山口を示す標識が立てられていた。ここが登山口であるのか、先なのかは判断出来なかったが。登山標識を見てひと安心したものの、この先は稜線分岐まで無く、地図を見ながらの山勘が必要になった。右は、帰りに使うはずの大入峠へ通じるはずの道であった。ここまで車は、入れる状態であったが、分岐付近は駐車スペースが無いため、橋を渡った先に数カ所ある空き地に車を停めるのが良い。
 この先の車道は、簡易舗装で、山あいに広がる田圃へ通じる道であった。谷奥にドーム状に盛り上がった山が見えて、それが鬼倉山のようであった。特徴的で目を引く姿であった。
 少し歩くと林道が左に分かれ、これが大平山の南の鞍部に続く破線道のようであった。この道に進み、ひと登りすると、送電線の下に出た。山との間には棚田が広がり、林道は左に逸れていくようであった。もう少し様子を見ることにして林道をそのまま進むと、カーブを描いて棚田の脇に出て、荒れた林道が山に向かって分かれた。歩いてきた林道は、そのまま北に向かうようであった。荒れた林道に進むと、山裾の杉林の中で、「越後線」の送電線巡視路の標識が現れた。この後は、枝道が分かれたが、山奧に向かって巡視路を辿ることになった。沢沿いのへつり道を進み、沢を渡った後で急な登りが始まった。沢には金網で滑り止めの施された丸木橋がかかり、急なところにはプラスチック板で階段が作られており、良く整備された道であった。
 登山脇が土砂崩れで崩壊している所もあって、夏の始まりの集中豪雨のひどさを改めて思い知った。最後に急坂を上りつめると、五百山へと続く稜線の上に出た。沢沿いや急坂を考えると、このコースは積雪期の登山には適していない。西野俣から登って正解であったということになる。
 稜線に辿り着いた所は十字路になっており、登ってきたのと反対の西野俣方面へも巡視路が下っていた。標識があって、大平山と五百山と書かれていたが、どれ位の時間かは書かれていなかった。
 大平山へ向かって登り出すと、すぐに鉄塔No.119の下に出て、その後は、荒い刈り払い道になった。歩くには支障はないものの、木の枝が体に触れる状態であった。少し急な所もあったが、直に、台地状の山頂の一画に到着した。木立に囲まれて見晴しのない中を先に進んでいくことになった。599m点には、なにも標識は無く、三角点に出た所で、山頂標識が立てられていた。
 冬に登った時は、一面の雪原で周囲の展望が広がっていたのだが、夏には、薮に囲まれた山頂であった。一之貝と行き先を書かれた道を進むと、すぐ先で、西の展望が広がった。この後、五百山への縦走路が待っているので、すぐに引き返した。下りの途中、守門岳や毛猛山塊の眺めが広がった。
 分岐から、五百山方面の道は、やはり荒い刈り払い状態であった。足下に切り落としの枝が出ているため、歩きづらかった。コースも微妙に方向を変えるので、注意が必要であった。578点を過ぎると、下りの道が続き、その鞍部付近では夏草が茂って足下が見えなくなる程であった。薮漕ぎとまではいわないまでも、初心者だけでは歩くのは難しいかもしれない。
 五百山への登りにかかる所で、登山道の右脇に、沢の源頭状の涌き水が現れた。気温も高くなって汗がしたたり落ちる状態だったので、汲んで飲んでみたが、冷たく美味しかった。ただ、この水場は、雨が続いた後なので生きていたが、通常は涸れてしまっているかもしれない。
 しばらく急登りに耐えると、広尾根となり、ブナ林が広がった。紅葉にはまだ早かったが、心がなごんだ。山頂は、もう少し先であったが、傾斜も緩やかになってきて、薮尾根を辿る緊張感からも開放された。
 五百山の山頂は、小広場になっており、新しい山頂標識が立ち、二つの丸い石が並べられ、その間に祠の屋根状の三角形の石が置かれていた。右の石は、「海神社」と書かれていた。先頭の一字が欠けて「八海神社」なのであろう。左は、「北斗星」とまでは読めたが、右に書き添えてある一列は読めなかった。前回は、この広場は雪の下であったので、石碑を含めて、ようやく山頂の様子を確かめることができた。出発が遅かったせいもあって昼になっていたが、昼食は鬼倉山で取ることにして先に進んだ。
 五百山からは、ブナ林の中を下っていく道になった。道の状態も縦走路よりはしっかりしてきた。小ピークを越えて下っていくと台地に出て、最後は林道に飛び出した。先回は、残雪を利用したといっても薮こぎで登ったので、結構頑張ったものである。林道脇には、五百山登山口の標識があり、向かい合うように鬼倉山登山口を示す標識も立てられていた。林道真木半蔵金線から大入峠に入れば、この登山口はすぐ脇なので、五百山は簡単に登ることのできる山になった。以前の薮漕ぎで登った苦労を思うと、道ができたことを残念に思うところもあるが、その代わりに、大平山への縦走路ができたことで良しとしよう。
 荒れた林道を下っていくと、沢が流れ込む所に、鬼倉山登山口の標識が立てられていた。登山道は急な登りで始まった。途中で、ロープが張られていて、登りの助けになった。大入峠方向からの尾根にのった所で山頂に向かって方向を変えた。前回は、密生した潅木の枝に苦労した所である。今回は、道が付けられているといっても、歩きづらい道であることには変わりはなかった。溝状の地形を越すと、山頂に到着した。
 ここにも、新しい山頂標識が立てられていた。薮に囲まれていたが、鋸山と一之貝方面に薮が切り開かれていた。
 登りも終わったということで、ビールを開けて大休止にした。暑い日になって大汗をかいていたので、ビールも美味しかった。
 大入峠から一之貝方面へは、地図では破線が記されている。大入峠付近で見る限りは、オフロード四駆なら走行も可能であるような荒れた林道である。この道が通れないと、少々まずいことになるのだが、山際まで水田が広がっているのが見えていたので、なんとかできそうであった。
 登山口に戻り、林道を下っていくと、水田脇で、鋪装された車道に飛び出した。後は、少し長く感じられたが、車道歩きで初めの分岐にもどることができた。
 登山道が開かれたといっても、一般登山道のように標識が完備されているわけではないので、地図を良く見ながら歩く必要のあるコースであった。それだからこそ、充実感のある歩きが楽しめるコースであった。大勢の人が歩くようになると良いのだが。

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