焼額山、高標山、坊寺山、横手山、鍋倉山

焼額山、高標山、坊寺山、横手山
鍋倉山、黒倉山


【日時】 2004年10月2日(土)〜3日(日) 前夜発1泊2日 各日帰り
【メンバー】 2日:単独行 3日:宇都宮グループ5名
【天候】 2日:晴後曇り 3日:雨

【山域】 志賀高原
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
焼額山・やけびたいやま・2010m・なし・長野県
【コース】 南登山道
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/岩菅山/切明、岩菅山
【ガイド】 北信・東信日帰りの山(章文社)、山と高原地図「志賀高原、草津」(昭文社)

【山域】 志賀高原
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
高標山・たかっぴょうやま・1747.3m・三等三角点・長野県
【コース】 雑魚川林道ゲートより
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/中野、岩菅山/夜間瀬、切明
【ガイド】 北信・東信日帰りの山(章文社)、山と高原地図「志賀高原、草津」(昭文社)

【山域】 志賀高原
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
高標山・たかっぴょうやま・1747.3m・三等三角点・長野県
【コース】 雑魚川林道ゲートより
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/中野、岩菅山/夜間瀬、切明
【ガイド】 北信・東信日帰りの山(章文社)、山と高原地図「志賀高原、草津」(昭文社)

【山域】 志賀高原
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
坊寺山・ぼうでらやま・1839.5m・三等三角点・長野県
【コース】 石の湯温泉より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/中野/中野東部
【ガイド】 北信・東信日帰りの山(章文社)、山と高原地図「志賀高原、草津」(昭文社)

【山域】 志賀高原
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
横手山・よこてやま・2307m・なし(2304.9m・二等三角点)・長野県
【コース】 渋峠より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田、長野/岩菅山、草津/岩菅山、上野草津
【ガイド】 北信・東信日帰りの山(章文社)、山と高原地図「志賀高原、草津」(昭文社)
【温泉】 ほたる温泉 一平荘 500円

【山域】 関田山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
鍋倉山・なべくらやま・1288.6m・二等三角点・新潟県、長野県
 黒倉山・くろくらやま・1242m・なし・新潟県、長野県
【コース】 巨木の谷コースより関田峠へ
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/飯山/野沢温泉
【ガイド】 長野県北信・東信日帰りの山(章文館)
【温泉】 宝山荘 400円

【時間記録】
10月1日(金) 20:30 新潟=(関越自動車道、越後川口IC、R.117、飯山、R.292、丸池 経由)=
10月2日(土) =0:40 プリンスホテル西館登山口  (車中泊)
7:12 プリンスホテル西館登山口―7:46 中間点―8:17 焼額山〜8:45 発―9:06 中間点―9:28 プリンスホテル西館登山口=(カヤノ平高原 経由)=10:12 雑魚川林道ゲート―10:23 高標山登山口―10:58 分岐―11:21 高標山〜11:43 発―12:02 分岐―12:27 高標山登山口―12:59 雑魚川林道ゲート=(丸池、R.292、木戸池 経由)=13:32 石ノ湯温泉登山口―13:47 沢入口―14:11 坊寺山〜14:16 発―14:34 沢入口―14:46 石ノ湯温泉登山口=(R.292 経由)=16:24 横手山山頂駅―16:29 横手山三角点―16:01 渋峠=(丸池、雑魚川林道 経由)=18:30 屋敷鳥甲山登山口  (車中泊)
10月3日(日) 540 屋敷=(前倉、R.406、津南、R.117、市川橋、温井 経由)=7:40 巨木の谷登山口―8:16 下の分岐〜8:20 発―8:24 森姫〜8:30 発―8:50 森太郎―9:07 上の分岐―9:42 鍋倉山下の分岐―10:00 鍋倉山〜10:20 発―10:32 鍋倉山下の分岐―10:40 黒倉山―11:40 関田峠=(温井、R.117、越後川口IC、関越自動車道 経由)=16:30 新潟

 焼額山は、志賀高原の北部に岩菅山と向かい合う2000m峰である。山頂部までスキーゲレンデの開発が進んでいるため、登山の対象としての関心は薄くなっている。しかし、登山道は良く整備されており、山頂一帯に広がる稚児池や湿原を楽しむことができる、無視するには惜しい山である。
 高標山は、志賀高原の北側に位置する山で、山麓一帯にはカヤノ平の牧場が広がっている。
 坊寺山は、志賀高原の中心部の木戸池近くの山である。国道から一歩外れているため、観光開発も及んでおらず、静かな山になっている。
 横手山は、志賀高原の最高峰であるが、スキー場や車道が山頂まで延びており、観光客用の夏山リフトも運行されており、300名山に選ばれているものの、登山の対象から外れた感がある。
 鍋倉山は、千曲川の左岸の新潟・長野県境に沿って広がる関田山塊の最高峰である。県境の関田峠からは容易に登ることができ、関田山塊を代表する山として親しまれてきたが、最近では、森太郎、森姫といったブナの巨木が残されていることから人気が高まっている。

 宇都宮の室井が鳥甲山に登るというので、その車回しの手伝いのために、一緒に登ることになった。前日の土曜日をどうするか迷ったが、志賀高原では幾つか残っているピークがあるので、この機会に登っておくことにした。
 志賀高原までは、車のナビでは、北陸自動車道から上信越自動車道を経由して、中野ICで下りるというルートが第一候補として出てきた。高速代を節約するため、越後川口から飯山を経由することにした。
 一般道の走りが長くなったが、その晩のうちに志賀高原まで入ることができた。プリンスホテルの西館前に着くと、登山者用駐車場があり、焼額山登山道入口と書かれた標識が立っていた。スキー場内に通じる車道の入口には、ゲートとしてパイプが渡されており、進入禁止になっていた。西館は、夏の間は閉鎖になっているようであり、巨大な建物が、明かりもないままに闇に佇んでいるさまは異様であった。もっとも、そのおかげで、静かに眠ることができた。
 天気予報では、午後から崩れるようなことをいっていたが、快晴の朝になった。これならば、もう少し頑張って登る山を選んだ方が良かったかなと少し後悔した。
 ゲートからゲレンデ内に進み、リフトの下をかすめて前方の尾根の末端に進むと、焼額山登山道入口の標柱がたっていた。木立に囲まれて展望の利かない登りが始まった。それ程の急登ではないのだが、歩き始めということもあり、汗が噴き出てきた。ひと登りすると、ゲレンデを横切り、さらにその先で、ゲレンデの登りになった。ゲレンデ登りの途中、「焼額山中間点」の標識が現れた。焼額山山頂までは30分、焼額山登山口までは15分と書かれていた。
 ゲレンデ中の歩きの途中からは、さえぎるもののない展望が広がっていた。焼額山の山頂も、ゲレンデ上部に望むことができたが、とりわけ背後の眺めが素晴らしかった。一際高い横手山やドーム状の笠ヶ岳を良く眺めることができた。ただ、向かい合う岩菅山は逆光になっているのが残念であった。
 山頂手前で、ゲレンデから外れて左手の尾根に取り付くと、針葉樹林帯の登りになった。水が流れ込んで、ぐちゃぐちゃした道に変わると、山頂の一画に飛び出した。リフトの山頂駅をかすめて台地を進むと、稚児池を周遊する歩道の分岐に出た。
 まずは、右手の歩道に進むと、すぐ先で池の畔に出た。池は、鏡のように静まりかえって、青空や周囲の木立の影を映していた。横に枝を伸ばした針葉樹の枝振りが、岡山の後楽園のような日本庭園を思わせた。池の畔に立つ木の鳥居も、和風のイメージを強くしていた。周囲の木立の中には、紅葉が始まっている木もあったが、先日来の台風の影響で、葉が飛ばされてしまっているものも多かった。
 誰もいない静かな稚児池であるが、ロープウェイも運行されていて、僅かな時間で登れるというので、もう少し遅くなれば、アマチュアカメラマンで賑わうのかもしれない。1時間の登りで、この静かな風景を楽しむことができるなら、ロープウェイを使わずに歩いた方が良いであろう。
 一旦、北側のゲレンデ終点部に出てから池に向かって回り込むと、焼額山頂と児池湿原の標識が立てられていた。池の脇には湿原が広がり、木道が延びていた。湿原は、意外に広く、茶色に色づいていた。
 湿原の間の木立にプレートが取り付けられていたのは、竜王越えのスキーツアーのためのもののようであった。最初の分岐の手前から別れる登山道があり、これが竜王スキー場へ通じる夏道のようである。コースは整備されているようだが、歩く者は少ないようである。いつか歩いてみようか。
 焼額山を下山した時間も早かったので、続いて高標山に向かった。カヤノ平へ通じる林道は、舗装されているといっても細い曲がりくねった道のため、意外に時間がかかった。今晩は秋山郷に出る必要があるため、午後から坊寺山に登ろうとすると、志賀高原の中心部に一旦引き返す必要があり、ちょっと道順が悪くなってしまった。
 2000年9月24日に、カヤノ平でキャンプをした後に、八剣山に登ったことがある。この時は、遊歩道に間違って入り込み、ようやく八剣山の山頂に辿りつくことになった。続いて高標山に登るつもりではあったのだが、登山の意欲を失って帰宅してしまった。高標山は、懸案の山ということになっていた。
 キャンプ場の入口に広場があり、その先の雑魚川林道はゲートで閉鎖されている。広場には、6台ほどの車が停められており、高標山はこんなに人気の山であったのかと驚いた。登ってみて判ったことだが、登山者は一人だけで、後はキノコ採りの車のようであった。
 林道を10分ほど歩いていくと、高標山の登山口に出た。Mt.Kohyosanと書かれていたが、地元では「たかっぴょうやま」と呼ばれているはずである。単なる音読みよりは、「たかっぴょうやま」と読んだ方が、親しみがもてる気がする。
 登山道周囲には、はじめ、カラ松林が広がっていた。木にからまるツタが美しく紅葉していた。隣の八剣山の山麓に広がる教育園では、見事なブナ林が広がっていただけに、少しがっかりした。それでも、高度を上げていくと、ブナの大木も現れるようになった。
 稜線上に出ると、左手から山道が合わさった。この道は、林道の終点から延びてきているようであった。この道を下山に使おうかと思ったが、地図を見ると、林道歩きが長くなるため、結局は来た道を引き返すことになった。
 台地状のほぼ平坦な道を行き、最後にひと登りすると、平標山の山頂に到着した。山頂広場の中央には、石の祠が置かれていた。志賀高原のさらに奧ということで、人里との関係の薄い山かと思っていたが、牧場も開けているように、野沢方面からは昔から人が入っていたようである。単独行が休んでいたので、少し手前の見晴らしの利く場所で休むことにした。
 鳥甲山が、意外な近さで山頂を見せていた。白くらから本峰までの間は吊り尾根となり、中間部に見える岩場がカミソリ刃のようであった。明日歩く予定ではあるが、天気が気に掛かるところである。岩菅山から笠法師山にかけての稜線、苗場山の眺めを楽しむことができた。
 高標山から下山し、続けて坊寺山に向かった。木戸池を過ぎて、笠ヶ岳方面の道に曲がってすぐに脇道に入り、坂道を下っていくと、ダートの広場で終点になった。脇にある建物は、廃屋になっているようであった。
 広場の脇に木の橋があり、かたわらに坊寺山の登山標識が立てられていた。岩山が見え、その背後のピークが坊寺山の山頂のようであった。距離は短いが、結構きびしい登りが待ちかまえているようであった。風景を眺めていると、高齢の夫婦が二組下山してきた。ひと組は、沢コースということで引き返してきたというのが、耳に入ってきた。カメラを首からぶるさげ、運動靴姿では、歩けない道のようであった。
 橋を渡ると、すぐ先で沢に出た。橋の代わりなのか、大きな石を並べた上を飛び石伝いに渡ることになった。川に沿って下流方向に進んでいくと、「70m沢登り」という標識が現れた。この先は、沢がコースになっていたが、いわゆる沢登りという程のことはなかった。コースははっきりしていたが、足場を自分で見定めていく必要があった。苔で足を滑らさないよう注意が必要で、運動靴では足元が濡れてしまうため、歩くのは難しそうであった。登っていくと、ロープが張ってあり、右手の尾根の登りに誘導された。
 急斜面の登りが始まった。岩場の基部を巻いているようであったが、展望は木立に阻まれていた。階段状に整備されていたが、歩幅が合わずに、苦しい登りになった。低山といえども、三山目ともなると、疲れが出てくる。
 下から見上げた岩場にもかかわらず、特に危険なところもなく、山頂に到着した。山頂は小広場になっていて、東の眺めが広がっていた。横手山が目の前であった。雲が出てきて、あたりは暗くなってきた。天気がここまで持っていてくれただけでも感謝しなければならない。雨も近いようなので、すぐに山頂を後にした。
 下山した時は、まだ雨は降っていなかったので、急いで横手山に向かった。横手山には、スキーや観光で何度も登っているのだが、山頂の三角点を確かめたことがないし、山行記録から抜けている。300名山を一つ減らしておくためにも、横手山に登っておくことにした。
 横手山は、歩いて登るにしても適当なコースがないため、渋峠からのリフトを使うことにした。峠に着いた時には、霧が流れていた。寒くて、山シャツの上に雨具を着ることになった。リフトに乗っている間、寒さに身震いするようになった。帰りは歩くつもりで片道切符を買っていたが、もうリフトには乗りたくない気分になっていた。
 リフトの山頂駅脇に鳥居があり、そこから三角点への遊歩道が始まっていた。この遊歩道は、バードウォッチングコースとのことで、標識には「神社・三角点」と書かれていた。
 三角点広場には、石の祠が置かれていた。広場の脇は崖になっており、眼下にはノゾキの駐車場を眺めることができた。展望地のようであったが、峰峰の山頂部は厚い雲に覆われていた。
 リフトの山頂駅に戻り、最高点に進んだ。最高点一帯は、アンテナ施設や焼きたてパンで有名なレストラン、リフトの山頂駅で占められており、さらに車道も上がってきていて、登山の対象となる山頂という雰囲気ではない。いつもだと観光客で賑わっているのだが、天気が悪くなってきているため、人影はまばらであった。リフトの山頂駅の二階にある展望台に上がってみた。中の食堂はストーブがたかれており、ドアから流れ出る暖房が心地よく感じられた。展望台に登っても、遠くの山の眺めは閉ざされており、行き来するリフトが見えるだけであった。
 下りは、車道歩きで渋峠に戻った。横手山は、すでに登山の対象から外れている。横手山は日本300名山に選ばれているが、山をめぐる環境が変わって、300名山自体がすでに時代遅れになっている。300名山のピークハントを続けている時に、馬鹿馬鹿しくなることがある。
 これでこの日の山は終わりで、後は秋山郷を目指せばよいのだが、その前に夕食と明日の食料を買い込む必要があった。山ノ内町方面に向かって山を下り、昔の有料道路のゲート近くにコンビニがあったので買い物をした。再び志賀高原に戻って、雑魚川林道に進んだ。どうも行ったり来たりで、車の移動に関しては、効率が悪い。
 濃い霧が出始め、志賀高原への上りや雑魚川林道沿いでは、前方を必死に眺めながらの緊張の運転が続いた。待ち合わせのため、鳥甲山の屋敷側登山口に車を停めた。雨も本降りに変わっていた。
 約束の11時前に、宇都宮からの一行も到着したが、遅い時間になっていたため、翌朝は5時起きということだけ決めて寝た。
 朝起きてみると、細かい雨が降っていた。登山口付近は谷間であるため、稜線沿いの風の具合は見当もつかなかった。鳥甲山は、岩場の通過や急坂のある山で、悪天候の時に登りたくはなかった。室井さんと相談し、鳥甲山は取りやめということにした。
 代わりの山として、小赤沢から苗場山か、鍋倉山でブナの巨木見物はどうだろうと提案した。室井さんは、坪田氏の「ブナの山旅」を読んでいたところであったこともあり、鍋倉山に行くことになった。出発の準備をしていると、バスが到着し、団体が鳥甲山へ出発していった。屋敷登山口からの山頂往復であろうが、雨の中、辛い山行になったことであろう。
 秋山郷からR.117まで戻るのも、長いドライブが必要である。R.117に出て、再び長野県境をめざした。今回は、同じような所を行ったり来たりしている。
 温井の集落から、関田峠への道に進んだ。5月23日に歩いたばかりというのに、巨木の谷コースの入口を見落とさないように、車を注意して走らせる必要があった。登山口の先の広場に車を停めて皆を下ろし、二台の車で関田峠に行き、室井さんの車を置いて戻った。先回は、巨木の谷コースの往復であったが、今回は二台の車があるので、黒倉山から関田峠へ下山することができる。
 幸い、雨も上がっており、雨具は着ないで歩き出すことができた。ブナの谷コースの入口に標識はなく、踏み跡があるのを見て、中に分け入っていく必要がある。20mほど進むと、巨木の谷の標識が立てられている。「巨木の谷までの通路は、非常に足場が悪く、装備の十分でない方、体力に自信にない方はご遠慮下さい。」と書かれていた。前回は、この標識は冬越しのために取り外されて、ビニール袋にくるまれて脇に置かれていた。今回の歩きで、このコースの整備状況を確かめことができる。
 沢沿いにしばらく登ると、左に方向を変えて、山の斜面を横断するようになる。根元が曲がったブナをまたいでいく道で、歩きづらい。「これは、マタギ道」だと、室井さんが冗談を言った。雨が降り始めて、雨具を着込むことになった。歩くのに支障のない雨であるだけでも有り難いと思わなくてはならない。
 尾根の上に出ると、ここは三叉路になり、巨木の谷は、尾根を越した先になる。尾根沿いに続く道は、鍋倉山に向かう道で、巨木の谷コースを往復するなら、上の分岐からこの道を下ってくることになる。
 ここには、ようこそブナの森へという案内が置かれていた。
「 この先の巨木の谷に、樹木医の皆さんいよって治療を施された2本のブナがあります。
『森姫』『森太郎』の2本の巨大なブナは、入山者による根元の踏み固めも原因して、樹勢が急速に衰えています。このため、緊急に根元に腐葉土や、わらなどを敷き、根元の土壌を回復させ、根からの水分の吸い上げを容易に出来るように治療したのです。
 鍋倉山麓のシンボルでもある巨木を延命させたいと願う方々の協力の下実施した根元の踏み固め防止の対策を、何とぞご理解のうえ、『森姫』『森太郎』はもちろんのこと、ブナの巨木の根元に近づかないようお願いいたします。巨木に触りたいと思う気持ちもわかりますが、地元に暮らす人たちにとっても涵養林として大切なブナの保護、どうかご理解下さい。
  鍋倉山麓のブナの森の保護と利用を考える
  『いいやまブナの森倶楽部』」
と書かれていた。
 トラバース気味の道を進んでいくと、下に向かって道が分かれる。これが森姫への道である。灌木帯の中を下っていくと、周囲には、ブナの大木が並ぶようになる。森姫はどこだと、見回すようになるが、左後ろを振り返ると、森姫がたたずんでいる。立ち入り禁止のロープが張ってあるので、それと確認できる。このブナの巨木は、幹が白く、女性的な印象がする。
 ここには、次のように書かれていた。
「ブナの巨木『森姫』 推定樹齢300年以上
 森姫は1986年の国有林伐採問題の際発見され、現在まで自然保護の象徴として山麓の村人や自然愛好家に親しまれてきました。近年、急激な入山者の増加により、根元を踏み固められた『森姫』は枝が折れ、葉の付きが悪くなり、急激な衰弱を見せ始めました。また、衰弱したことにより弱った幹にキツツキが穴を開け、キノコも生えてきました。
 2000年3月、『いいやまブナの森倶楽部』が発足し、樹木医の方の指導の下『森姫』の保護活動が始まりました。根元をほぐし肥料を与え、水分保持、土壌保持のためワラを敷きました。ブナは、浅く広い範囲に根を張り、地上に近い部分で栄養を吸収しています。そのため特に重圧に弱く、根は枝と同じ広さに広がっています。『巨木に触れたい・・・』というお気持ちもわかりますが、多くの人々に親しまれ、愛される『森姫』を優しく見守っていただきたいと思います。」
 「森姫」をじっと眺め、写真を撮った。霧の中に、白い幹が幻想的に浮かんでいた。
 入口に戻り、山道を先に進んだ。左手に、土塁のようになって、草や木の芽に覆われた倒木が現れるが、これがそう遠くない頃に倒れた謙信ブナのようである。秋ということで、キノコに覆われていた。
 小さな沢を渡っていくと、登山道脇に、「森太郎」が現れる。
 森太郎については、次のように書かれていた。
「ブナの巨木『森太郎』 推定樹齢400年以上
 森太郎は1986年の国有林伐採問題の際発見され、現在まで自然保護の象徴として山麓の村人や自然愛好家に親しまれてきました。近年、急激な入山者の増加により、根元を踏み固められた『森太郎』は枝先が枯れる、葉が小さくなるなど急激な衰弱を見せ始めました。また、急斜面にあるため根元の土が流され、根が露出してしまいました。
 以下森姫と同文」
 森太郎は、幹回り5.35mで、縦縞コブが取り巻いており、男性的な力強さを感じさせてくれる。このブナは、登山道が良い展望台になっていた。回りの木立の葉はまだ緑が濃かったが、紅葉の盛りの姿も見てみたいものである。
 森太郎の先で、登山道は折り返してトラバース道になり、最後は尾根に出て、鍋倉山と登山口方面に通じる道と合わさる。この先、山頂に向かっては、緩やかな登りが続くことになる。稜線が近くなると、登山道周囲には、背の高いブナ林が広がり、この付近も美しいところである。
 5月の際には、残雪が現れて、登山道は隠されてしまっていたが、今回は、登山道を辿って、稜線分岐に出ることができた。この分岐には「鍋倉山頂200m、巨木の谷方面1km」という標識が立てられていた。巨木の谷コースは一般にはほとんど知られていないため、関田峠から歩いてきてこの標識を見た者は、なんだろうと思うかもしれない。
 鍋倉山への最後の登りは急な所もあり、足に力を込める必要があった。登山道脇にクリタケがみつかり、キノコを探しながらのゆっくりした歩きになってしまった。
 誰もいない鍋倉山の山頂に到着した。ここで昼食としたが、雨足が強くなってしまい、早々に歩き出すことになった。
 分岐に戻り、その先でひと登りすると、黒倉山の山頂に到着する。この山頂の方が、立派な山頂標識があるのは不思議である。黒倉山からは、緩やかな下りが続く。ブナ林が美しいところもあり、足を停めて雨に濡れたブナ林の眺めを楽しんだ。
 関田峠に到着すると、5台の車が停まっているのに驚かされたが、登山者の車ではなかった。雨の中のブナ林を楽しんだということで、代わりの山の山行を終えた。

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