山寺山、城山

山寺山、城山


【日時】 2004年9月23日(木) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 山古志周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
山寺山・やまでらやま・298.5m・三等三角点・新潟県
城山(ひ生城跡・ひうじょうせき)・しろやま・260m・なし・新潟県
【コース】 道の駅「ちぢみの里おじや」より北陸自然歩道
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/小千谷/小千谷
【ガイド】 新・新潟ウォーキングガイド(新潟日報事業社)

【時間記録】 9:30 新潟=(北陸自動車道、中之島見附IC、R.8、R.17 経由)=10:40 道の駅「ちぢみの里おじや」〜11:00 発―11:25 峠部―11:35 山寺山―11:59 送電線下―12:17 城山〜12:40 発―13:02 極楽寺自動車参道入口―13:31 道の駅「ちぢみの里おじや」=(往路を戻る)=15:00 新潟

 小千谷の町の中心部は、信濃川左岸に広がっているが、上越線の駅は、橋向こうの右岸に置かれている。この右岸部に広がる丘陵地にある山が、山寺山と城山である。道の駅「ちぢみの里おじや」からこの二つの山を結んで極楽寺に至るコースは、中部北陸自然歩道として整備されている。
 10月末に行われる御前ヶ遊窟への会山行の偵察を約束していたのだが、起きてみると、本降りの雨になっていた。昨年の御前ヶ遊窟でも、小雨の中を登って、滑りやすい足元に、怖い思いをした。延期の連絡をした後にもうひと眠りした。
 朝食をとっているうちに雨も上がって、簡単な山に出かける気になった。中部北陸自然歩道として整備されているひ生城跡に出かけることにした。一方の登山口である極楽寺は、駐車場があるのかどうか判らなかったので、道の駅「ちぢみの里おじや」から歩き出すことにした。
 道の駅「ちぢみの里おじや」は、日帰り温泉施設も併設しているため、駐車場はほぼ満杯であった。駐車場の背後には、コンクリート製の恐竜像が置かれた子供の遊び場になっており、そこから登山道が始まっていた。入口には、中部北陸自然歩道「E-2 ひ生城跡への道」の案内板が置かれていた。
 杉林の中をひと登りすると左手から登ってきた林道に合わさった。この先の峠までは、この林道歩きになった。林道脇には、雑草の茂った休耕田が、所々にあった。開墾には、多大な労力が掛けられてきただろうに、他の利用法は無かったのだろうか。
 峠部からは、山道が始まった。急な所は段々に整備された良い道であった。ひと登りすると、ベンチの置かれ、小広場となった山寺山の山頂に到着した。パノラマ図が置かれており、展望が広がっていた。米山や黒姫山の山頂は雲に隠されていたが、信濃川の流れや小千谷の市街地、向かい合う時水城跡のある丘陵地を良く眺めることができた。地図には、アンテナマークが記載されているが、撤去されて土台が残されているだけであった。
 ひ生城跡への道は、緩やかな稜線上の道になった。右手は崖状になっているようで、危険を示すロープが張られていた。途中、栗の木が多く、実を拾うために、のんびりした歩きになった。登山道を横切って張られている蜘蛛の巣が多く、ストックで切り開きながらの歩きになった。蜘蛛の巣の状態から見ると、遊歩道は良く整備されているのもかかわらず、歩く者はほとんどいないようであった。
 魚沼線の送電線を通過すると、その先がひ生城跡のある城山になる。一旦行き過ぎてからから戻るようにしてひと登りすると、城山の山頂に到着する。ここにもベンチや展望板が置かれていた。信濃川下流部に広がる新潟平野と、弥彦・角田山の眺めが広がっていた。
 ひ生城跡は、初期はひ生氏、後には上杉氏が居城したという。この城も上杉謙信の跡目争いの御舘の乱の舞台になており、平子氏は景虎側につき、景勝によって滅ぼされたという。血なまぐさい舞台にもかかわらず、のどかな平野の眺めが広がっていた。
 下りは一旦分岐に戻り、その先の道に進んだ。落ち葉に埋もれた堀のように窪んだ道が続いた。ガイドには、滝の霊泉があるとのことであったが、気が付かぬ間に、麓の養鯉池の脇に出て、その先で車道に飛び出した。線路脇の入口には、極楽寺自動車参道入口の標識はあったが、中部北陸自然歩道の標柱は見あたらなかった。線路脇から見て、車道が左手にカーブする地点から始まる山道に進むのだが、ここから登るのは判りにくい。下りは中部北陸自然歩道から外れてしまったのだろうかという疑問が残った。後は、30分の車道歩きで道の駅に戻った。

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