鬼怒沼山〜黒岩山〜尾瀬沼

鬼怒沼山〜黒岩山〜尾瀬沼


【日時】 2004年9月18日(土)〜19日(日) 前夜発1泊2日 テント泊
【メンバー】 単独行
【天候】 11日:曇り  12日:曇り後晴

【山域】 尾瀬
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
物見山・ものみやま(毘沙門山・びしゃもんやま)・2113m・なし・群馬県、栃木県
鬼怒沼山・きぬぬまやま・2140.8m・三等三角点・群馬県、栃木県
黒岩山・くろいわやま・2162.8m・二等三角点・群馬県、栃木県、福島県
赤安山・あかやすやま・2050.7m・三等三角点・群馬県、福島県
袴腰山・はかまこしやま(高石山・たかいしやま)・2042m・なし・群馬県、福島県
【コース】 大清水より環状縦走
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/燧ヶ岳/三平峠、川俣温泉、燧ヶ岳
【ガイド】 アルペンガイド「尾瀬」(山と渓谷社)、山と高原地図「尾瀬」(昭文社)
【温泉】 吹割温泉センター龍宮の湯 500円(ボディーシャンプーのみ)

【時間記録】
9月17日(金) 20:00 新潟=(関越道、沼田IC、R.120、鎌田、R.401 経由)=23:50 大清水  (車中泊)
9月18日(土) 5:40 大清水―6:37 湯沢出合―9:17 物見山〜9:24 発―9:45 鬼怒沼〜10:35 発―11:03 鬼怒沼山登り口―11:11 鬼怒沼山―11:19鬼怒沼山登り口―12:58 小松湿原水場〜13:18 発―13:49 黒岩清水―14:14 黒岩分岐〜14:28 発―14:56 黒岩山〜15:07 発―15:33 黒岩分岐  (テント泊)
9月19日(日) 6:10 黒岩分岐―7:20 赤安山下―7:24 赤安山―7:27 赤安山下―7:54 赤岩清水―8:37 袴腰山入口〜8:47 発―9:28 袴腰山〜9:42 発―10:20袴腰山入口〜10:33 発―10:47 送電線下―10:58 中ノ俣沢分岐―11:08 小渕沢田代〜11::22 発―11:53 大江湿原―12:16 長蔵小屋―12:30 三平下東ベンチ〜12:57 発―13:00 三平下―13:18 三平峠―14:02 一ノ瀬―14:53 大清水=(往路を戻る)=20:00 新潟

 日光と尾瀬を結ぶ鬼怒沼林道とも呼ばれる縦走路は、鬼怒沼山、黒岩山、赤岩山、袴腰山といった2000m級の山を結び、オオシラビソの原生林を行く道である。尾瀬の紹介者である武田久吉も利用しており、その様子は「尾瀬と鬼怒沼」に著されている。本来は、奥鬼怒温泉郷が一方の登山口であるが、大清水から物見山を経て鬼怒沼へ出ることによって、環状縦走が可能である。
 「遙かな尾瀬」と歌われる尾瀬であるが、沼山峠や鳩待峠からなら、1時間の歩きで尾瀬沼や尾瀬ヶ原の畔に立つことができる。登山ブームといっても、手軽さばかりが受け入れられる時代で、かつてのメインの入山口であった大清水や富士見峠からの入山者は少なくなっている。
 この尾瀬への入山ルートの一つに鬼怒沼林道がある。鬼怒沼と尾瀬沼の間は丸1日で歩ける距離であるが、夫婦淵から奥鬼怒温泉郷へのアプローチと鬼怒沼への登りを考えると、鬼怒沼の避難小屋を利用した山中1泊で歩き通し、さらに尾瀬沼でもう1泊して下山というのが妥当な計画になる。
 車を利用した場合、鬼怒沼と尾瀬を結んだ縦走路は車の回送の問題で歩くことが困難に思われるが、大清水から物見山を経て鬼怒沼に至る物見山新道を利用すれば、環状ルートができあがる。黒岩山付近で幕営すれば、途中のピークを登っても、1泊2日で周遊できるはずであった。幸い、コースの途中には、数カ所の水場があるのも計画の助けになる。1999年6月12日〜13日に、尾瀬沼から黒岩山を経て、孫兵衛山に抜けたことがあり、鬼怒沼林道の半分は歩いているが、しっかりした道が続いていることは判っていた。
 尾瀬は、私の登山の原点であり、小学生から高校生にかけては、何度も訪れていた。その時のガイドブックには、尾瀬沼から鬼怒沼の間は、倒木帯となって歩くのが困難と書かれていた覚えがある。高校生の頃であっただろうか、金精峠から温泉岳を通って日光沢温泉に出て、鬼怒沼を往復して夫婦淵に下山したことがあった。尾瀬沼と鬼怒沼の間を結ぶことができないまま、30年の年月が経ったことになる。
 敬老の日がらみの三連休は、北陸方面は前線の影響で天気が悪そうで、予定していた富山県の山は諦めることにした。天気予報では、群馬県北部だけが天気も良さそうため、長年に渡っ気になっていた鬼怒沼林道を歩きに出かけることにした。
 大清水の駐車場には深夜に到着した。静かに眠るため、登山口から離れた予備の駐車場に車を停めて寝た。起きるなり、休憩所の前の駐車場に車を移動させた。駐車料金は、一回500円なので、数日の山行になっても値段が同じなのは助かる。紅葉のシーズンは、始まったばかりのせいもあるのか、出発準備をしている登山者も少なかった。
 休憩所の手前に登山標識があり、「尾瀬沼7.5km 物見山経由鬼怒沼6.0km」と書かれている。実際に歩く者が多いようには思えないが、メインコースであることは確かなようである。大清水橋を渡ったところで、林道には鎖が掛けられていた。
 カラ松林の中の林道歩きが長く続いた。1泊2日のソロ・テント泊のために荷物は重くなっていたが、足は軽く感じられた。歩き出しの感じとしては、体調も良さそうであった。林道は、夏草が左右から倒れ込んでおり、四駆でないと走行は難しそうであった。人声が登山道脇から聞こえたが、登山者ではなく釣り人のものであった。林道歩きの途中から見えるピラミッド型の山頂が、物見山のようであった。根羽沢の右岸に移ると、山道に変わった。
 地形図とは異なり、右岸通しに歩いていくうちに湯沢の徒渉点に到着した。傾いた丸太橋が架かっているのが見え、とても上は歩けないと思って上流部に回り込むと、岩陰に細い木を何本も並べた橋が渡されていた。問題なく渡ることができた。この徒渉点の位置も地形図より上流部であった。本格的な登りを前に、顔を洗って、元気を取り戻した。
 沢を渡ったところからひと登りすると、尾根上に出て、その後は、急な登りが続いた。尾根沿いに、標高差780mの登りが続くことになる。登山地図では、3時間のコースタイムが書かれており、ひたすら忍耐の登りを続けることになった。登山道の周囲は木立が濃く、展望は利かなかった。
 登山道は、木の根を足がかりにしたり、足場の少ない露岩帯を通過したりで、足元に注意しなければならない所も多かった。1670m標高付近で、層状に重なった特徴のある岩場が現れ、左下をかすめるようにして通り過ぎた。そこからひと登りした1700m地点で露岩の上に出て、目指す物見山の眺めが広がった。尖った山頂へは、うんざりするような急登が待ちかまえているようであった。
 最後は、GPSで、山頂までの距離を確かめながら足を進める、息も切れ切れの登りになった。山の初心者が、山頂まで後どれくらいですかと良く訊ねるが、それと同じことである。器械を使っているだけが進歩ということになろうか。残り300mが特に辛かった。鬼怒沼のあると思われる台地よりも高く登り続けているのが、うらめしく思われた。
 物見山の山頂は、木立に囲まれて展望はなく、三角点も置かれていなかった。それでも2000m峰であることを思えば、登りの苦労も我慢できた。
 物見山の下りからは、一瞬ではあるが、鬼怒沼湿原の眺めが飛び込んできて期待も高まった。
 鬼怒沼湿原の北の縁で、鬼怒沼山方面とのT字路に出た。木道の上にザックを置き、カメラだけを持って、湿原の散策に出かけた。霧が流れてきて、通り越してきた物見山の姿も隠されていた。湿原は、黄色に色づきはじめていた。鬼怒沼湿原は、標高2000m付近に広がる、日本で一番高所の高層湿原として知られている。この週末が、草紅葉見物の皮切りになったようである。木道の上を歩く足音が大きく聞こえるような、静寂が広がっていた。
 木道を進んでいくうちに、霧も上がり、鬼怒沼山や物見山の眺めも広がるようになった。ただ、遠くの山の眺めは閉ざされているのは残念であった。湿原の中央には、大きな池が、そよとも揺れずに湖面を広げていた。その先で木道は周遊コースになって二手に分かれた。
 写真を撮りながら歩いていくと、登山者に出会うようになった。奥鬼怒温泉郷方面から登ってきたようであるが、夫婦淵から歩いてきたとなると、ちょっと到着が早いように思える。日光沢温泉あたりに前夜泊まって登ってきたのだろうか。
 鬼怒沼湿原は、高校生の頃に登って以来なので、30年が経過している。夏の盛りに登ったため、一面の草原という感じで、尾瀬ヶ原と比べて、印象も薄いものになっていた。この湿原が美しく思えるのも、いろいろな風景を見て、山の経験を少しは積んできたからであろうか。
 T字路に戻って遅い朝食をとってから、鬼怒沼山へ向かった。鬼怒沼山は、三つのピークが並び、地形図で三平峠と川俣温泉の二幅にまたがっているため、中央と東のピークに山名が置かれている。一般には、三角点の置かれている中央峰が鬼怒沼山として登られているようである。
 南峰の東を回り込むと、中央峰の麓に到着した。県境線沿いに登山道が付けられているのかと思ったが、少し北側に進んだ所に登り口があった。ザックを下ろし、GPS片手に、この登山道に進んだ。西の山腹を巻くように登山道は続いていた。テープが付けられていたが、踏み跡はあまりはっきりしておらず、注意深くコースを見定める必要があった。鬼怒沼山の山頂は、木立に囲まれて見晴らしは無かった。登り口からは、時間も大してかからなかったが、これが二山目の2000m峰になった。
 鬼怒沼山の登り口から先は、一般登山者は足を踏み入れない領域になる。すれ違いに到着した夫婦連れの「何キロ背負っているのだろう」という声を背に聞きながら、従走路へ足を踏み出した。
 鬼怒沼山からは、一旦下りになり、その後は、小ピークを巻きながらの緩やかな道が続いた。登山道周辺には、オオシラビソの原生林が広がり、倒木は一面の苔で覆われていた。あちらこちらに白く見えるのは、キノコであったが、食用になるものかどうかは判らなかった。キノコに詳しい友人とくれば、今晩はキノコ汁を食べることができたであろう。見晴しは利かなかったが、なぜか心が落ち着くような道であった。
 特徴の無い地形の歩きが続いた。GPSを使っていなかったら、自分がどこまで歩いてきたか判らなくなりそうであった。登山道脇に水音が聞こえると思ったら、「小松湿原」と書かれたワンゲルの金属プレートに水場と書き込まれた標識が、木に取り付けられていた。水場は、登山道のすぐ下にあった。地中から湧き出ている清水であった。水は2.5L持ってきていたが、思い切り飲み干す水は、生き返る気がした。
 時計を見ると、そろそろ、今晩の泊まり場を考える必要があった。時間もまだ早いので、黒岩山を登ってから適当な場所を見つけることになりそうであった。黒岩山までの間に、黒岩清水があるのだが、もしも涸れていると困るので、ここで水を補給することにした。全部で3Lの水を持つことにした。今晩余計に水を使っても、明日は、赤安清水で水を補給することができる。小松湿原は、この清水から流れ出る沢を下っていけば良いように思えたが、先に進むことにした。
 2043mピークを下っていくと、鞍部の原に出た。この付近に黒岩清水があるのかと思ったが、黒岩山に向かって少し登った所にあった。この黒岩清水に標識は無かったが、登山道が横切る広場の一画にあり、すぐに判る状態であった。ここも地中から湧き出ている清水であったが、湧水点が奥に後退しているため、しずくの下にコップを置くのも、穴の中に手を思い切り伸ばす必要があった。テントを張るスペースもあったが、水の流れの脇で、じめついた感じであった。
 黒岩山に向かっての緩やかな登りが続いた。登山道がトラバースを開始する地点から県境尾根を登るつもりであった。目標の地点に到着してみると、地面に「尾瀬沼方面 5時間 黒岩山 奥鬼怒方面3時間10分」と書かれたプレートが置かれ、刈り払い道が右に分かれ、ビニールテープが短い間隔で付けられていた。黒岩山に登山道が付けられたのかと驚いたが、ともあれ、サブザックに最小限の荷物を詰め込んだ。
 刈り払い道に進むと、トラバースが続き、黒岩山の山頂に向かっての登りが始まらなかった。近くにある黒沼田代にでも通じる道なのだろうかと、疑問がわいてきて引き返すことにした。
 分岐に戻って、県境沿いの登りを始めた。先回の登りで経験していたことであったが、密生した藪を掻き分け、時には倒木の間に落ち込みながらの、苦労の多い登りになった。途中、岩をかすめるようにして登っていくと、稜線上に出て、周囲の様子も目に入るようになった。
 2120m地点で、右手から刈り払い道が合わさった。下をうかがうと、テープの列が続いていた。やはり分岐からの道は、黒岩山への登山道であったようで、帰りはこの刈り払い道を辿ってみることにした。この先は、藪を掻き分ける所もあったが、粗いながら刈り払いが行われているので、楽な歩きになった。
 黒岩山の山頂は、小広場に三角点が置かれ、周囲には箱庭風に岩が転がっている。背の低い灌木で囲まれているため、360度の展望が広がっている。先回の登頂時には、燧ヶ岳や会津駒ヶ岳、至仏山に笠ヶ岳、その左に遠く武尊山、山頂が一方によった三角形が面白い四郎岳、さらに白根山や男体山といった日光の山々の展望を楽しんだのだが、今回は雲が厚く、展望は閉ざされていた。黒岩山は、原生林の上に山頂を突き上げた展望台になっており、知られざる名峰といって良い。傍らの木立は、深紅に色付いていた。
 黒岩山は、三つのピークからなる。福島、群馬、栃木の三県境に位置しているが、三県境は、正確には中央峰にある。三角点峰から中央峰までははっきりした踏み跡が続いていることは前回経験済みではあるが、下りが気になるため、今回はこの三角点ピークで充分ということで、引き返すことにした。
 稜線から刈り払い道に進むと急な下りになった。一旦傾斜が緩んで、後はトラバース道かと思うと、また下降が始まるといった具合であった。ヤブコギよりは遙かに楽であったが、テープを見失わないように注意が必要だった。最後は、最初に歩き始めたトラバース道に出た。
 結局、黒岩山への道は、黒岩分岐から県境稜線の北側に大きく回り込んだ後に、稜線上の2120m地点に出るものであった。昔の引馬峠への道を復活させたものなのだろうか。
 黒岩分岐には、テントを張れる良いスペースがあった。時間は少し早かったが、先に進んでも適当な場所が見つかるか判らないため、ここで泊まることにした。
 テントを張って、早い夕食をとってしまうと、後はすることがなくなった。周囲どれくらいの範囲に人がいるのだろうかと考えると、さすがに寂しさを感じて、ラジオを聞くともなくつけていた。暗くなった時には、すでに眠り始めていた。深い原生林に囲まれ、静かな夜は過ぎていった。音に敏感になったようで、風の通り過ぎる音が大きく感じたが、テントは揺れることもなかった。
 翌朝は、手早く朝食を取り、テントを撤収して歩きだした。前夜の天気予報では、昼前に雨が降るようなことを言っていたが、雲が低くたれ込めているものの、雨具は無しで歩き出すことができた。黒岩分岐から尾瀬沼までは、前回も歩いているので、気は楽であった。
 黒岩山の長いトラバース道を終えると、黒岩山の下りが始まり、次いで赤安山への登りになった。この二日目には、大した登りはないのが有り難い。
 登山道は、赤安山の山頂直下をトラバースしている。GPSで山頂の位置をマークしてあったので取り付きは迷わなかったが、近くに目印のテープが付けてあった。薮は比較的薄く、ひと登りした稜線上の笹薮の中に三角点を見つけることができた。
 赤安山を下っていくと、赤安清水に到着した。木に「赤安清水 尾瀬沼方面3時間 奧鬼怒方面5時間10分」と書かれた標識が取り付けてあった。この清水は、ロープの固定されているガレ場を下る必要もあり、水は充分あるので、そのまま通過した。
 周囲の樹林相も次第に違ってきて、ブナも現れるようになったが、袴腰山への登りにかかる頃には、濃い笹薮が広がるようになった。
 袴腰山は、先回は取り付きを過り、時間が無いと言うことでそのまま通過したピークである。1950m台地から県境線を辿る予定で、GPSにコースを入力してあった。雨は降り出していなかったが、夜露に笹の葉が濡れていたため、雨具の上下を着てスパッツも付けての完全装備になった。
 袴腰山一帯は、猛烈に密生した笹薮が広がっていた。足が挟まって抜けずに、もがくようなことが続いた。眼鏡も何度も飛ばされ、足下が滑って横倒しになることも幾度にも及んだ。水平距離600m、標高差90mの登りであったが、40分もかかってしまった。山頂は、完全な薮の中で、見晴しのようなものは無かった。
 山頂付近で時間をとってしまったのは、三角点を探して薮の中を行き来したためであるが、このピークに三角点は置かれていないため、見つかるはずもなかった。薮漕ぎで思考能力も低下してしまったようである。帰りも、GPSだけが頼りの薮漕ぎになった。コースの取り方を斜面を横切るように設定したため、登りは尾根上に膨らみ、下りは谷に下り過ぎて、コースの修正が必要になった。相当の自信が無い限り、赤布と磁石だけでは、登らない方が無難な山である。一般には、残雪期に登る山であろう。
 目標の五つの2000mピークを終えて、後は尾瀬沼を目指すばかりになった。天気も回復してきたようなので、登山道に戻った所で、雨具を脱いだ。
 袴腰山から緩やかに下っていくと、只見幹線の送電線が頭上を横切った。笹原の中には巡視路の切り開きが続いている。その先は、登山道に雨水が流れ込んで石が転がって歩き難いような所も現れた。大清水へ通じる中ノ俣沢分岐を過ぎると、いよいよ尾瀬到着も間近に迫った。
 突如、目の前の視界が広がると、小淵沢田代に飛び出した。黄金色に色付いた草原が広がっていた。以前は、湿原に敷かれた木道も朽ちた状態で、湿原を踏まないと歩けなかったが、新しい木道が整備されていた。前方に登山者が見えたが、引き返していき、一人だけの湿原になった。檜高山が湿原の向こうに三角形の山頂を見せていた。ここにも登りたい山が、残されていた。残雪期にでも訪れてみようか。
 小淵沢田代からは、直接長蔵小屋を目指すコースもあるが、青空に誘われるまま、大江湿原に遠回りしていくことにした。大江湿原への道は、檜高山の北側の1911mピークをトラバースしていくが、かなりの部分で木道が整備されていた。
 大江湿原は、明るく輝き、大きな広がりを見せていた。二日間に渡って、オオシラビソの原生林の中を辿ってきたため、余計にまぶしく見えたのかもしれない。ハイキングの荷物も持たないような、登山者が、沼山峠に向かって行き来していた。燧ヶ岳の山頂も眺めることができる、美しい風景であった。その中で、薮埃で薄汚れて、大荷物を持った私は、ちょっと場違いのような感じもした。
 長蔵小屋でビールを買うことを思い付き、足を早めることになった。さすがに観光地の尾瀬だけのことがあって、ビールは400円と、山中としては格安であった。小屋の周辺は登山者で大賑わいであったため、三平下近くの沼の畔に、燧ヶ岳の展望が美しい所があることを思いだし、先に進んだ。
 木のテラスに腰を下ろし、尾瀬沼の向こうに広がる燧ヶ岳を眺めながら、ビールを飲んだ。子供の頃から数えて、何回目の尾瀬になるのだろうか。尾瀬全体となると、十回では利かないであろう。ここの所、尾瀬ヶ原は良く訪れていたが、尾瀬沼には、91年以来ということになる。沼山峠から尾瀬沼を経て尾瀬ヶ原までで疲れ果て、体力の低下を痛感し、健康ために登山を始める切っ掛けになった山行であった。こうして、二日間のテント泊縦走ができることには感謝しなければならない。
 久しぶりに歩く、三平峠から一ノ瀬への道は、昔とは様変わりしていた。延々と木道がはり巡らされていることに驚かされた。道は良くなったが、峠までの登りでバテているものも多かった。一ノ瀬から大清水に向かう林道歩きは、足も痛くなってきた。遙かな尾瀬への旅を終えるべく、最後の力を振り絞った。

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