湯ノ沢岳縦走、胎蔵山

湯ノ沢岳〜母狩山〜金峰山縦走
胎蔵山


【日時】 2004年9月11日(土)〜12日(日) 前夜発1泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 11日:晴  12日:曇り

【山域】 摩耶連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
湯ノ沢岳・ゆのさわだけ・963.9m・三等三角点・山形県
三ノ俣山・さんのまたやま・660.2m・三等三角点・山形県
母狩山・ほかりやま・751.0m・二等三角点・山形県
鎧ヶ峯・よろいがみね・566m・なし・山形県
金峰山・きんぽうさん・471m・なし(458.1m・三等三角点)・山形県
【コース】 湯ノ沢岳より金峰山へ縦走
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/湯殿山、鶴岡/下名川、鶴岡
【ガイド】 分県登山ガイド「山形県の山」(山と渓谷社) 縦走路については無し。
【料金】 あさひ交通バス 南工業団地〜新落合 530円
【温泉】 かたくり温泉ぼんぼ 350円

【山域】 弁慶山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
胎蔵山・たいぞうさん・728.9m・二等三角点・山形県
【コース】 元田沢より
【地形図 20万/5万/2.5万】 新荘/大沢/中野俣
【ガイド】 分県登山ガイド「山形県の山」(山と渓谷社) 

【時間記録】
9月10日(金) 20:00 新潟=(R.7、鶴岡、青龍寺、R.112、新落合、下本郷)=
9月11日(土) =0:15湯ノ沢岳登山口  (車中泊)
5:48湯ノ沢岳登山口―6:56 五合目―7:38 九合目・縦走路分岐―7:54 湯ノ沢岳〜8:05 発―8:16九合目・縦走路分岐―9:14三ノ俣山―10:24母狩山〜10:39 発―11:34鎧ヶ峯〜11:40 発―12:23 金峰山一望台〜13:05 発―13:39 中の宮―14:10 金峰山参道入口―14:50 南工業団地バス停〜15:09 発=(あさひ交通バス)=15:30 新落合―16:09湯ノ沢岳登山口=(藤島、R.354、元田沢 経由)=19:00 鷺沢川登山口  (車中泊)
9月12日(日) 7:10鷺沢川登山口―8:05 鳥居松―8:27 弘法清水―8:36 中ノ宮―9:14胎蔵山〜9:28 発―9:52中ノ宮―9:58 弘法清水―10:07 鳥居松―10:46鷺沢川登山口=(余目、R.7 経由)=15:20 新潟

 温海村と朝日村の境界に位置する摩耶山は、岩壁をまとった姿が、登山愛好家の人気の的になっている。この摩耶山から北に延びる稜線は、湯ノ沢岳、母狩山、金峰山といったピークを連ね、庄内平野の西の縁を形作っている。これまで、湯ノ沢岳は単独で登られており、縦走路は金峰山から母狩山の間につけられていたに過ぎない。最近、湯ノ沢岳から母狩山までの縦走路が切り開かれて、待望されていた湯ノ沢岳と金峰山を結ぶ縦走が可能になった。
 胎蔵山は、鳥海山の南東部に広がる弁慶山地の西端にある山である。薬師神社が祭られた、修験道の山である。

 入会しているインターネットの「東北の山メーリングリスト」で、湯ノ沢岳から母狩山への登山道が新しく開かれたという報告があった。これによって、これまで道のあった金峰山から母狩山への区間と合わせて、湯ノ沢岳から金峰山への縦走が可能になった。湯ノ沢岳には、98年11月7日に登ったが、その時もこの縦走路が気になり、九合目から稜線の様子をうかがった覚えがある。先週、実際に歩いたという報告も出て来て、時間配分もおおよそ見当がついて計画が立てやすくなった。
 縦走の際に問題になるのは、車の回収である。いっそのこと、全て電車とバスを乗り継いでというなら簡単であるが、東京を起点とするならいざ知らず、地方都市の新潟と鶴岡を結ぶには、車を利用するしかない。先の報告では、自転車を利用して縦走を行っていたが、より一般的な山行を行うため、路線バスを利用することにした。
 荘内交通のホームページで、バスの時刻表を調べることができた。金峰山の麓の青龍寺から2km程歩いた、国道112号線沿いにバス停があるようであった。縦走を終えた後の夕方には、数本のバスが利用できて、意外に便が良いようであった。
 昨年来、東北の山に出かけることが多くなっている。今回は鶴岡までなので、新潟からも遠くはなく、気持ちも楽である。11時過ぎに鶴岡に到着して、まずは、金峰山中の宮におもむき、そこからバス停を目指した。つづら折りの山道を下っていくと門前集落の青龍寺に出る。歩く予定であった県道との交差点から東に向かう道は、一車線幅の農道であった。暗い中に乗り入れる気にはなれなかったので、一本南の車道で、国道に向かった。この道は、バイパスと旧道の分岐にある茶屋川原のバス停に出て、鶴岡方面に戻った所に南工業団地のバス停があった。
 続いて、湯ノ沢岳方面のバス停を確認することにした。大鳥方面のバス路線は、新落合で国道112号線と分かれる。役場前を過ぎて、本郷橋を渡った下本郷が下車するバス停のはずであった。付近に下本郷のバス停は見当たらなかったが、次の中里口のバス停は見つかったので、下本郷下車は間違いないであろう。
 下本郷の集落内に入る道の角から安藤組朝日採石工場へ続く車道が始まっており、これが湯ノ沢岳登山口の入口である。暗い中で気が付かなかったが、砕石所の資材置き場と思われる小屋掛けの上に、湯ノ沢岳登山口の標識が取り付けられていた。
 湯ノ沢沿いの車道を進み、採石工場を過ぎると畑の間をぬう一車線幅の道に変わる。細い道に不安になるが、直に大きな砂防ダムの下にある登山口の広場に到着する。翌日は早立ちをしようと心に決めて、ビールを飲んで寝た。
 明るくなってから登山口広場を見ると、登山口の標識や登山届けのポストも置かれており、先回の時よりは、整備が進んでいた。登山口の標識には、湯ノ沢岳 2時間40分、母狩岳 6時間と書かれていた。母狩岳から金峰山の間の時間が書かれていないのが残念であった。
 新しい木の橋で左岸に渡ってひと登りすると、休耕田が広がるようになる。畑の間を抜ける道には、夏草がややうるさい状態になっていた。沢に向かっての踏み跡を左に分け、正面の杉林に進むと、ジグザグの登りになるが、すぐに尾根に上がって、周囲にはナラやブナの林が広がるようになった。地図では、沢沿いにしばらく歩いてから尾根に上がるように書かれているが、実際とは違っている。
 コース沿いには、一合目から順に、合目標識が取り付けられていた。合目標識のある場所は、刈り払いが行われており、見晴らしを楽しみながら休憩ポイントになっていた。四合目では、スラブをまとった湯ノ沢岳の山頂の眺めが、誘うように広がった。七合目を過ぎると急な登りが始まり、鎖が掛けられた岩場も現れた。足場がしっかりしているので、通過は難しくはなかった。背後を振り返ると、庄内平野とその向こうに頭を持ち上げた鳥海山の眺めが広がっていた。八合目まで上がると、母狩岳への縦走路も目の高さになってきた。
 九合目で、母狩岳方面への縦走路が分かれる。縦走路の様子をうかがうと、しっかりした道が続いている様なので、ひと安心した。母狩岳へ3時間40分と書かれていたが、それだけの時間がかるとなるとちょっと厳しいことになるが、そうはかからないはずであった。まずは、湯ノ沢岳の山頂を往復してくることにした。
 湯ノ沢岳山頂へ続く登山道の左手は、薮に隠されていたが、スラブになって一気に切り落ちているようであった。急坂を前にして水場の標識があり、のぞくと、沢水が細く流れていた。再び登りの傾斜が増したが、それも長くはなく、湯ノ沢岳の山頂に到着した。
湯ノ沢岳の山頂一帯は伐採が行われており、以前とは違って見晴しが利くようになっていた。近くの月山は、木立が邪魔をしていたが、荘内平野と鳥海山の眺めが印象的であった。山頂から南に向かっても切り払い道が付けられていたが、これは三方倉山までつなげようと作業中の道のようであった。最終的には摩耶山までつなげる予定であるというが、完成が楽しみである。
九合目の分岐に戻り、母狩岳への縦走路へ進んだ。歩く者は少ないためか、踏みしめる足元は、落ち葉がふわふわしていたが、はっきりした道がつけられていた。登山道周辺には、美しいブナ林が広がっていた。大木は無いので、二次林のようであるが、太さの揃った林であった。
 966mピークの次の830mピークで、コースは、右に急に曲がった。この付近は、下生えが無いブナ林で、どこでも歩けてしまうために、コースを注意して見定める必要があった。小ピークを目の前にして、斜面をトラバースして右の尾根に乗ることになる。コース沿いにはテープが短い間隔で取り付けられているが、霧でも出るとコースを見失いやすそうである。もっとも、この後は、判りにくいところも無い一本道であった。
 ほぼ平坦な稜線を行くと、三角点の置かれた三ノ俣山に到着した。三ノ俣山の山頂は、木立に囲まれて、特徴的なピークではなかった。分岐からは、1時間の歩きで、まずまずのペースであった。傍らの木に「母狩岳 1時間40分、湯ノ沢岳2時間20分」と書かれた標識が掛かっていた。
 三ノ俣山を過ぎてしばらく行くと、痩せ尾根の上に枝を張った松があり、横をすり抜けてから良く見ると、松クグリと書かれていた。前方に母狩岳のドーム状の山頂が迫ってきて、小ピークを乗り越していく登りが続くようになった。地図には書かれていない田川・長滝分岐を過ぎると、ひと登りで母狩岳の山頂に到着した。
 母狩岳の山頂は、草地の広場になり、地元の登山記念碑が置かれていた。この様子では、金峰山で昼食になりそうであったが、軽くパンを食べながらひと休みした。快晴の青空が広がっていた。
 再び歩き出すと、すぐ先の下りにかかる所が、木立が刈り払われた見晴台になっていた。縦走路末端の金峰山も目の前に近づいてきたが、母狩岳からは、大下りになるようであった。
 湯ノ沢岳から母狩岳の間の縦走路は、道ははっきりしているといっても、切り跡が足元でボッキボキ音を立て、木の枝が体に触れるような所もあったが、母狩岳から先は、以前からの道とあって、良く踏まれた道になった。谷沢への道が分かれる三方境を過ぎると、急な下りが始まった。泥斜面で足元が滑りやすくなっていたが、固定ロープの助けを借りることができた。
 長い下りが終わって、登りに変わる所で、一本松という標識が現れた。振り返ると、母狩岳の山頂は高みに遠ざかっていた。再び登りに汗を流すと、中央に古びた展望盤と次三角点が置かれた広場に出た。このピークには、山名板は置かれていなかったが、鎧ヶ峯566m であることを、下山した金峰山中ノ宮の案内図で知ることになった。このピークからも、庄内平野と鳥海山の眺めを楽しむことができた。
 鎧ヶ峯からは、小さなアップダウンを繰り返すばかりなった。途中、水場入口50mという標識も現れたが、水は足りていたのでそのまま通過した。湯田川温泉分岐を過ぎ、ひと登りすると金峰山山頂に到着した。
 奥宮への道を右に分けて直進したため、先に三角点の置かれている一望台に出てしまうことになった。最高点を過ぎた先の広場には、ベンチ代わりのブナの丸太が置かれていた。神社付近には人がいたようであったが、広場には誰もいなかった。黄金に色づいた稲田の中に鶴岡市街地が島状に浮かんでいた。標高も低くなったためか、鶴岡市街地の町並みもはっきり見分けられるようになっていた。鳥海山が大きな裾野を広げ、その山裾は日本海に落ち込んでいた。
 湯ノ沢岳と金峰山には、それぞれ単独で登っていたが、ようやく二つを結ぶことができた。縦走を祝ってビールを開けた。バスの時刻表を見ると、ここで大分時間を取る必要があった。最後にバスや電車を使うとなると、つい気ぜわしくなって、早足になってしまうようである。
 居眠り状態でしばらく腰を据えていたものの、それにも飽きて、歩き出すことになった。奥社にお参りしてから、下りにかかった。石畳が続いていたが、苔が付いていて、滑りやすそうであった。そう長くはないものの、急な下りで、ここを登りに使うと、結構汗を流すことになろう。健康登山なのか、軽装で登ってくる登山者にも数名出会った。下りの途中になる見晴らしからは、鎧ヶ峯や母狩岳を振り返ることができた。中の宮の社務所の前にある、閼伽井の清水で水を汲み、冷たい水で喉をうるおした。
 通常だと、山歩きはこれで終わりになるところであるが、湯ノ沢岳登山口に引き返す仕事が残っていた。中の宮の駐車場から赤く塗られた山門を通り、参道に進んだ。薄暗い杉林の中に参道が続いていた。句碑や記念碑が多く置かれており、ゆっくり見ながら歩きたかったのだが、ヤブ蚊が多く、たちまち数カ所を刺されて、早足での下りになった。この参道の途中には、安政二年に建てられた松尾芭蕉の「めずらしや 山を出羽の 初なすび」の句碑も置かれていたが、現在は中ノ宮の博物館に収められているという。縦走で時間が遅くなった場合には、車道を歩いて下っても、時間はそれ程変わらなそうであった。
 金峰山の麓の青龍寺の車道沿いの家は、元は僧坊のような古い造りであった。金峰山登山口のバス停脇で自動販売機を見つけることができ、コーラを飲みながらの歩きになった。田圃の中の一本道を国道に向かって進んだ。稲は稲刈り黄色に色づき、足元からバッタが飛び去る音が続いた。金峰山の山頂を振り返り見ながら、歩き続けた。
 工業団地の脇を通り抜けると、国道に飛び出した。近くにセブンイレブンもあったので、バスの到着までの暇つぶしに良いなと思ったが、まずはバスの時刻表を確認することにした。右に曲がってすぐ先に、南工業団地バス停があった。
 時刻表を見ると、二系統の路線が走っていることが判った。大鳥行きの路線だけを調べていて、羽黒山方面の路線は考えていなかった。3時から7時頃までは、30分に一本の割でバスが通り、意外に便は良かった。事前に考えていなかった羽黒山行きのバスが、少しの待ち時間で到着した。羽黒山行きのバスは、途中で二人下りては乗ってのローカル線であった。車窓からは、1日かかって歩いてきた縦走路を眺めることができた。
 羽黒山行きのバスは、新落合で大鳥行きの路線と分かれる。新落合で下車したが、次の朝日小前の十字路で下りた方が、少し近かったようである。最後の車道歩きを続け、明るいうちに湯ノ沢岳登山口の車に戻ることができた。登山届けのノートを見ると、この日の湯ノ沢岳の登山者は、他に一組いただけのようであった。せっかく開かれた縦走路なので、多くの登山者が利用すると良いのだが。
 路線バスも寄り道したカタクリ温泉に戻って一日の汗を流した。
 翌日は、庄内平野の東の縁にある胎蔵山を登ることにして、食料を買い込んだ後、登山口の元田沢に向かった。
 胎蔵山は、信仰の山でしっかりした登山道があるようであったが、ガイドブックの説明を読んでも、登山口がどこなのか判らなかった。現地に着けばどうにかなるかなと思って、車を走らせた。
 元田沢の集落にある薬師神社の里宮の前を過ぎ、鷺沢川沿いに進んだ。塩水堂を過ぎると、T字路の形で、舗装された車道に飛び出した。左右のどちらに進むべきか迷ったが、ここには、古びた胎蔵山の看板があり、かろうじて左へとの矢印が読み取れた。沢沿いに広がる畑地の間を抜けていくと、舗装された車道は、左に曲がって沢を渡り、左上の尾根に上がっていった。後で確かめると、この車道は、すぐ先で土砂崩れのために不通になっていた。このカーブ地点から、標識はないが、沢沿いの未舗装の林道に進んだ。小さな橋で右岸に渡ると、工事のためのプレハブ小屋があり、その先で林道は不通になっていた。方向転換のためにかなりの距離をバックで引き返すことになった。あたりは暗くなっており、登山口を見つけることは無理と判断し、少し引き返した路肩の広場で車を停めて寝た。
 ガイドブックの概念図では、林道が、左岸から右岸に移った先に登山口があるように書かれている。その先は、林道は、右岸沿いに続くようである。そのような所は、地図で見つからなかった。林道が、左岸から右岸に移った先が草付きの切り通し状になっており、そこから杉林の中に、山道が上がっていくのが見つかった。下草がややうるさいものの、3m程の道幅の山道であった。これが登山道と思って、歩き出した。ジグザグの登りで尾根の上に出ると、道は無くなってしまった。登山者が残したと思われる赤布が笹藪に付けられていたが、登山道は見つからなかった。
 全くの藪山ならそれなりの攻略法もあるのだが、登山道を歩くとなると、見つからなければ引き返すしかない。林道に戻り、林道の先を確かめることにした。
 鷺沢川は、短い距離でカーブし、林道は再び左岸に移った。新しい林道の工事現場が広がり、以前の田圃は、泥の下になっていた。工事現場のすぐ先で、胎蔵山登山口標識が立っているのが見つかった。昨日、車を引き返す時、周囲が明るければ、この標識も目に入った距離であった。
 用水堀ほどの流れになった鷺沢川を丸太を渡した橋で越すと、立派な登山道が続いていた。先ほど間違った山道とは比べようもないが、知らないことには、判断のつけようがない。
 山の斜面をつづら折りを交えながらひと登りすると、稜線通しの道になった。周囲には杉の植林地が広がり、見晴らしは利かない道であった。蜘蛛の巣がうるさく、ストックを振り回しながらの歩きになった。木立の切れ間から胎蔵山と思われる高いピークが見えたが、まだ遠かった。
 中里への分岐を過ぎ、ピークが目の前に迫った所で、枯れた松の大木が立つ鳥居松に出た。山の南斜面は、伐採地が広がっていた。展望も開けたものの、曇り空で、遠望は利かなかった。
 ここからは、ようやく高度を上げていく急な登りが始まった。坂の途中、弘法清水があり、一服することができた。それにしても、弘法大師は、日本全国にどれだけの温泉や清水を見つけているものやら。現在なら、それだけで商売になりそうである。この付近の登山道の位置は、地図とはかなり違っていた。胎蔵山付近には、多くの破線が記載されているが、そのほとんどは廃道であるという。
 傾斜が緩むと、お堂の置かれた中ノ宮に出た。ひと安心したものの、この先もまだ登りが続いた。
 ようやく胎蔵山の山頂が近づくと、登山道周囲には、ブナ林が広がるようになった。これまでは、杉林の中の暗い感じの道が続いただけに、よけいに美しく思えた。かつての藩時代には、ブナの原生林の保護のために、きこりの入山も禁じられていたというが、今ではブナ林が山頂付近だけに残されているだけなのは残念である。
 最後に痩せた尾根を登っていくと、胎蔵山の山頂に到着した。山頂には奥宮のお堂が置かれ、木立が僅かに切り開かれて眺めが得られるだけであった。三角点は、奥の藪の中にあった。
 踏み石の上に腰を下ろしてひと休みした。登りに要した2時間の時間以上に草臥れた感じがしたが、これも歩き初めの間違いが尾を引いたものである。
 下りは、良く踏まれた登山道であるため、快調に足を運ぶことができた。結局、山中で誰にも出会うことなく、登山は終わった。

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