護法山, 赤埴山、櫛ヶ峰、磐梯山

護法山
赤埴山、櫛ヶ峰、磐梯山


【日時】 2004年8月21日(土)〜22日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 21日:晴 22日:晴

【山域】 会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 護法山・ごほうやま・444m・なし・福島県
【コース】 熱塩温泉より
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/熱塩/熱塩
【ガイド】 ふくしまの低山50(歴史春秋社)

【山域】 磐梯山
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
赤埴山・あかはにやま・1430m・なし・福島県
櫛ヶ峰・くしがみね・1636・なし・福島県
磐梯山・ばんだいさん・1818.6m・三等三角点・福島県
【コース】 猪苗代スキー場より
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/磐梯山/猪苗代、磐梯山
【ガイド】 櫛ヶ峰:山を訪ねて(歴史春秋社)
【温泉】 猪苗代磐梯はやま温泉 幸陽の杜 500円(石鹸のみ)

【時間記録】
8月21日(土) 9:00 新潟発=(磐越自動車道、会津坂下IC、山都、喜多方 経由)=16:20 熱塩温泉入口登山口―16:33 護法山〜16:38 発―16:54 示現寺―16:58 熱塩温泉入口登山口  (熱塩温泉山形屋泊)
8月22日(日) 5:25 熱塩温泉発=(R.121、塩川、県道7号線 経由)=6:20 猪苗代スキー場〜6:43 発―7:45 天ノ庭―8:14 赤埴山北の入口―8:22 赤埴山〜8:30 発―8:37 赤埴山北の分岐―8:40 赤埴林道分岐―8:50 沼ノ平標識―9:01 渋谷分岐―9:13 噴火口上分岐―9:25 櫛ヶ峰取り付き―9:48 櫛ヶ峰〜9:59 発―10:24 櫛ヶ峰取り付き―10:32 噴火口上分岐―10:50 弘法清水―11:14 磐梯山〜11:30 発―11:47 弘法清水―12:10 噴火口上分岐―12:33 沼ノ平標識―12:39 赤埴林道分岐―12:43 赤埴山北の入口―13:04 天ノ庭―13:44 猪苗代スキー場=(猪苗代磐梯高原IC、磐越自動車道 経由)=17:00 新潟

 護法山は、会津北部の熱塩温泉の脇に聳える小山で、地図には山名は記載されていないが、遊歩道が整備されている。

 磐梯山は、会津の中心部猪苗代湖の北側に位置する火山である。磐梯火山は、大磐梯山、櫛ヶ峰、赤埴山の三つから構成されており、方向によって姿が異なる。1888年の水蒸気爆発によって大磐梯山の北に位置していた小磐梯山は吹き飛び、流れ出た土砂は川をせき止め、裏磐梯の湖沼地帯が作られた。

 職場の旅行で会津の熱塩温泉に泊ることになった。初日は、山都でそば打ち体験をし、午後はドライブがてら土湯峠まで走り、新野地温泉の露天風呂に入った。ここから蓑輪山を経て安達太良山まで登山道が通じているので、いつか歩いてみる必要がある。その時は、下山後の入浴のために、この露天風呂をまた訪れることにしよう。
 熱塩温泉脇には、護法山という遊歩道の整備されている小山がある。旅館に入る前に、この山を登っておくことにした。旅館街入口に、遊歩道入口があった。看板が立てられていて、遊歩道の地図も載っていたが、酒気帯び、下駄履き、浴衣のような登山に相応しくない服装の者は登山禁止と書かれていたのは、温泉街ならではの注意である。
 護法山は、急斜面に取り囲まれているが、ジグザグを描くように道が付けられていた。問題のない山道であるが、下駄履きの浴衣がけでは登れない道であった。登山道脇には、雑木林が広がり、大木もあり、自然が保たれている山のように感じられた。汗ばむようになった頃、山頂に到着した。山頂には、石の祠が置かれ、石仏が納められていた。
 山頂の看板には次のように山名のいわれが書かれていた。
「護法山 愛宕権現
 愛宕権現は、この地を守護する将軍地蔵と火の神の神仏混交の祠で、毎年四月四日の早朝、信徒や氏子が手作りの団子を供えて、家内安全、無病息災を祈願する。
 当山一帯は聖域とされ、樹木の損傷、鳥獣の捕獲は厳しく禁じられ、それ等がよく護られるようの願いから、護法山と名付けられたと伝えられる。」
 示現寺に向かう登山道を下ると、岩混じりの痩せ尾根になり、鎖もかけられていた。鎖に頼るような岩場ではなかったが、足下には注意を払う必要があった。登山道の途中には、石仏が短い間隔で置かれていた。三十三観音ということで、三十三体が置かれたのだろうが、コース自体が短いので、間隔も狭くなっていた。
 トラバース道に変わると、じきに示現寺の裏手に飛び出した。石塔が並んでおりじっくりと見ようとしたが、薮蚊が寄ってきて、たちまち数カ所刺されてしまい、退散することになった。
 示現寺は、平安時代初期に空海が建立したといわれ、その後荒れていたものが、約600年前に那須の殺生石を法力によって済度した玄翁心昭和尚によって再建されたという。東北各地に40ヶ寺の末山をもつこの地方きっての名刹である。
 山門を通り抜けると、温泉街の中心部を通る道路に出て、すぐに歩き初めの登山口に戻ることができた。
 熱塩温泉は、透明だが、塩を多く含んでおり、暖まる湯であった。宴会ではいささか飲み過ぎたが、翌日の山のために、11時頃には寝た。
 翌日はフリーなため、朝から山登りに出かけることができるが、どこに行くか迷った。結局、磐梯山の隣の櫛ヶ峰を一番の目標にして、赤埴山と磐梯山も合わせて登ることにした。三山を登るには、猪苗代スキー場からの表登山道を使うことになるが、このコースはこれまで歩いていなかった。磐梯山は、登山を始めた1991年6月29日に、裏磐梯から登ったきりになっている。磐梯山は新潟から遠くはないが、学校登山や団体が多く、ポピュラーすぎる山というイメージがあって敬遠気味であった。
 猪苗代スキー場に到着してみると、広い駐車場があり、登山口は、日帰り温泉施設の「猪苗代磐梯はやま温泉幸陽の杜」の脇であった。下山後に汗を流すためにも良かった。
 表コースの歩き始めは、スキーゲレンデ内の作業道の登りであった。日差しを遮るものがないため、少し時間が遅くなれば、暑くて登るのは大変になりそうであった。幸い、朝のまだ涼しいうちのため、日ざしは気にはならなかった。もっとも、昨晩のアルコールのため、足は重かった。ゲレンデ内は、作業道が複雑に分かれていたが、磐梯山への登山道を示す登山標識はしっかりと付けられていた。
 ゲレンデの登りの途中、汗を拭きながら振り返ると、眼下には猪苗代湖が大きな湖面を広げていた。ようやくゲレンデの上部に出ると、作業道から別れて、ゲレンデの脇に付けられた登山道の登りになった。尾根の上に出た所が天ノ庭で、ゲレンデや猪苗代湖の眺めが大きく広がっていた。背後の薮の中の岩には、一合目と書かれた。
 ここからは、赤埴山へ向かっての尾根の登りになった。ガレ状の所も現れたが、登山道は良く整備されていた。
 登山道は、赤埴山の山頂を通過するものと、トラバース道の二つがあるようである。赤埴山へ登るために、分岐を気にしながら歩いていった。南の肩に到着した所で、赤埴山を示す標識が現れた。登山道はと見ると、どこに道があるのか判らない完全な薮であった。現在では、この道は廃道状態であった。北からのアプローチを考えて、トラバース道を進んだ。
 赤埴山の山腹を巻き終えて、北に延びる尾根に出ると、ここにも赤埴山の標識が立てられていた。身の丈を越す笹が被っていたものの、ここからは、登山道の跡がしっかりと残っていた。歩けそうなので、赤埴山に向かって進んだ。登山道が判りづらい所も出てきたが、屈んでみれば、笹藪の下に踏み跡を見分けることができた。少し進むと、薮も腰下になり、山頂が近づくとガレ場の登りになって薮から開放された。
 赤埴山の山頂は、岩が転がるガレ場で、遮るもののない展望が広がっていた。「二合目赤埴山」と岩に彫り込まれていた。磐梯山と櫛ヶ峰が並び立ち、その間のすり鉢状の窪地に沼ノ平が広がっていた。沼ノ平の手前に光るのは、鏡池のようであった。時計を見れば、取り付きからは10分もかからずに登ってきていた。絶好の展望台であり、磐梯山を目指すのであっても、寄り道をしないのはもったいないピークであった。
 分岐に戻り、沼ノ平へ進んだ。すぐに赤埴林道からの登山道が合わさり、人声がして、登山者が登ってくるようであった。
 登山道脇に池が現れ、これは赤埴山の山頂から見た鏡池のようであった。ただ、木立に囲まれて、池の見晴らしが充分には開けていないのは残念であった。細い沢を渡って台地を進んでいくと、沼ノ平の標識が置かれていた。その前からは、のびやかな草地を前景にして、磐梯山が、切り立った東面の岩壁を見せていた。櫛ヶ峰の山頂も近づいていた。
 渋谷登山道を右に分けると、ガレ場の登りになり、尾根上に出た。目の前に天狗岩の尖塔がそそり立っていた。ここは磐梯山と櫛ヶ峰の分岐になるが、まずは気に掛かる櫛ヶ峰に向かうことにした。櫛ヶ峰は、磐梯山よりも標高は低いが、登山道の状態がはっきりしていなかった。
 川上温泉への道を少し進むと、櫛ヶ峰の展望が広がった。登るコースを目で確かめた。尾根の右には草付きの斜面が広がっていたが、左は噴火による崩壊地になっていた。崩壊地の縁の痩せ尾根を登っていくようであった。途中には、結構急な所があるようであった。登れるのかなあという不安も出てきたが、とにかくアタックしてみるしかない。
 鞍部に向かって下っていくと、左手には、噴火跡の眺めが広がった。ここが1888年の大爆発によって、小磐梯山が吹き飛んだ跡であると思うと、爆発のすさまじさを想像しないではいられない。崩壊地は、眼下に赤味を帯びた湖面を見せる銅沼まで、一気に落ち込んでいた。眺めに見入って、しばし足が止まった。
 鞍部で川上温泉への登山道を左に分け、櫛ヶ峰へと、尾根をまっすぐ進んだ。どのような状態なのか判らず不安があったのだが、尾根沿いには、はっきりした踏み跡が続いていた。ひと登りすると、ザレ状の急斜面が現れたが、固定ロープがあり、上り下りの助けになった。中盤では、左手の崩壊地が大きく抉れているため、尾根際の踏み抜きが怖く、尾根を右に少し外して登った。上部になると足場の悪いガレ場となり、少し右にトラバース気味に登った後、草付きに取り付いた。草付きには、踏み跡が続いていた。山頂が近づくと、左手へのトラバース気味の登りになって、櫛ヶ峰の西の肩部に登り着いた。
 背の低い灌木帯の踏み跡を辿ると、最高点に到着した。櫛ヶ峰の北側は草地が広がっていたが、南は崖になって一気に落ち込んでいた。山頂からは、遮るもののない展望が広がっていた。磐梯山が、右手に噴火跡を見せながら聳えていた。少し低い位置から見上げているため、高度感が増しているようであった。磐梯山の山頂下にある赤い屋根の弘法清水の小屋も、はっきりと見分けることができた。安達太良山、吾妻連峰、飯豊連峰、檜原湖を始めとする裏磐梯、見飽きない眺めが周囲に広がっていた。
 腰を下ろして静かに風景を眺めていたかったが、山頂付近の岩には、羽蟻が群がっており、休む妨げになっていた。虫を避けるため、歩きながら写真を撮った。
 下りは、登り以上に、足元に注意を払う必要があった。浮き石で足を滑らさないまでも、落石を起こしやすい状態であった。悪いことに、下から5名グループが登ってきたため、絶対に落石を起こしてはいけない状態になった。登山地図では、櫛ヶ峰への登山道は書かれていないが、意外に登る者もいるようであった。グループには、大きな三脚を背負っているものが多かったため、磐梯山の写真撮影が目的だったのかもしれない。
 櫛ヶ峰は、踏み跡もあり、登るのは難しくはないが、グループで登る際には、落石を起こさないように注意が必要である。また、上部のガレ場で踏み跡が不明瞭になるので、登りの際のルート判断と、下山時に登ってきたルートを忠実に辿るよう気を付ける必要がある。悪天候の時は避けて、展望を楽しみに晴天の時に登るべきであろう。
 沼ノ平から登ってきた分岐に戻り、磐梯山を目指した。ひと登りして草原状の台地に出ると、草付きの中に黄金清水が湧き出ていた。パイプの中から水が勢いよく出ていた。水を汲んで飲むと、冷たく美味しい水であった。元気を取り戻して、沢状のガレ場を登ると、八方台からの登山道を合わせ、その先で弘法清水に到着した。ここには、弘法清水小屋と岡部小屋の二軒の山小屋があり、飲み物や食べ物、山のお土産を売っており、登山者で賑わっていた。ここの弘法清水も美味しいのは、以前に登った時に経験済みであるが、すでに黄金清水で腹一杯水を飲んできたので、飲むのは下山の時ということにした。
 弘法清水からは、樹林に囲まれた急坂が続く。25分ほどの登りであるが、比較的楽な八方台から歩いてきても、ここの急登は避けられない。行き交う登山者は多かったが、登りの途中で足が止まっている者も多かった。登り優先ということで道を譲ってくれるのだが、こうも登山者が多いと、足を速めて登ることが多くなって大変である。
 磐梯山の山頂は、予想していたことではあるが、登山者で埋まっていた。この山頂でも、羽蟻が飛び回っていた。あまり落ち着いた雰囲気では無かったが、登頂の儀式として、ビールを飲んだ。山頂に集まって登山者を見ると、家族連れが多いのが目立った。故郷の山ということで、夏休みの機会に登ってきているようであった。
 周囲の遮るもののない展望が広がっていたが、磐梯山が周囲で一番高いため、裏磐梯や猪苗代湖、会津盆地を見下ろすことになって、平凡な眺めになっていた。櫛ヶ峰も、低くなって、崩壊地の迫力は薄まっていた。猫魔ヶ岳の山腹に刻まれたスキーゲレンデの跡が目に付いた。磐梯山も猪苗代湖側から見ると、スキーゲレンデの跡があまりに痛々しく感じられるのだが、会津の人達は何とも思わないのだろうか。
 途中の風景の写真を撮りながら山を下ることにした。弘法清水の下で八方台への登山道を分けると、その先は再び静かな道になった。磐梯山と櫛ヶ峰を比べて、登って面白いのはと聞かれれば、櫛ヶ峰に軍配があがる。機会があったら、裏磐梯から火口原コースを登り、そのまま櫛ヶ峰への山頂を目指してみようか。

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