長栂山、黒岩山、朝日岳、雪倉岳、鉢ヶ岳、白馬岳、小蓮華岳

白岩岳
駒ヶ岳
不忘山、屏風岳、水引入道


【日時】 2004年8月6日(金)〜8日(日) 前夜発2泊3日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 6日:雨  7日:曇り  8日:晴後雨

【山域】 和賀山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 白岩岳・しらいわだけ・1177m・なし・秋田県
【コース】 入角沢林道より
【地形図 20万/5万/2.5万】 秋田/角館/抱返り渓谷、大神成

【ガイド】 分県登山ガイド「秋田県の山」(山と渓谷社)、秋田の山登り(無明舎)
【温泉】 中里温泉 400円

【山域】 焼石山塊

【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 駒ヶ岳・こまがたけ・1129.8m・二等三角点・岩手県
【コース】 夏油温泉より
【地形図 20万/5万/2.5万】 新荘/川尻/夏油温泉
【ガイド】 分県登山ガイド「岩手県の山」(山と渓谷社)
【温泉】 元湯夏油 400円

【山域】 蔵王山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 不忘山・ふぼうさん・1705.3m・三等三角点・宮城県、山形県
 南屏風岳・みなみびょうぶだけ・1810m・なし・宮城県、山形県
 屏風岳・びょうぶだけ・1825m・なし(1817.1・一等三角点本点)・宮城県
 水引入道・みずひきにゅうどう・1656m・なし・宮城県
【コース】 みやぎ蔵王白石スキー場より
【地形図 20万/5万/2.5万】 仙台/白石、上山/白石、不忘山、蔵王山
【ガイド】 分県登山ガイド「宮城県の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「蔵王・面白山・船形山」(昭文社)

【時間記録】
8月5日(木) 13:30 新潟発=(R.7、本庄、R.105、大曲、中仙、白岩 経由)=21:30 入角沢の橋手前  (車中泊)
8月6日(金) 6:45入角沢の橋手前―7:24 林道分岐〜8:13 発―8:21 白岩岳登山口―8:30 沢巻台―8:57 旧道杉沢コース分岐〜9:08 発―9:19 シシ小屋―10:07 行太展望台―10:11 白岩岳―10:26 白岩薬師〜10:39 発―10:51 白岩岳―10:54行太展望台―11:26 シシ小屋―11:36 旧道杉沢コース分岐―11:53沢巻台―12:01白岩岳登山口―12:11林道分岐―12:50入角沢の橋手前=(白岩、太田、六郷、R.13、横手、R.107、北上西IC 経由)=16:00 夏油高原  (車中泊)
8月7日(土) 6:05 夏油温泉―6:58 尾根上―8:30 駒ヶ岳〜9:00 発―10:27 尾根上―11:14夏油温泉=(北上金ヶ崎IC、東北自動車道、白石IC 経由)=16:00 みやぎ蔵王白石スキー場
8月8日(日) 5:20 みやぎ蔵王白石スキー場―5:45 白石女子高校山小屋跡―6:50 弘法清水―7:30 不忘の碑〜7:35 発―7:50 不忘山〜8:00 発―8:36 南屏風岳―8:58 水引入道分岐―9:07屏風岳三角点―9:10 屏風岳―9:13屏風岳三角点―9:20 水引入道分岐―9:39 水引平―9:56水引入道〜10:11 発―10:18 コガ沢分岐―11:25 林道登山口―11:54みやぎ蔵王白石スキー場=(七ヶ宿湖、R.113、南陽、R.113、大島、R.290、R.7 経由)=16:00 新潟

 白岩岳は、真昼山地の北部の角館の東に位置するピークである。山頂近くには白岩薬師が置かれた信仰の山である。
 駒ヶ岳は、経塚山と牛形山と共に夏油三山に数えられる山で、露天風呂で有名な夏油温泉背後の山である。山頂には、駒形神社の奥宮が置かれ、古くから信仰の山とされてきたという。

 白馬岳のテント泊での三泊四日の山行はやはり疲れて、翌日は一日休養になった。夏期休暇はまだ残っていたので、東北の山へ出かけることにした。足の疲労は回復していないので、日帰りの山を軽く登るつもりであった。
 あいにくと、日本近くで発生した台風が日本海に抜けてから、東北北部に再接近するようであった。雨具は欠かせない山行になりそうであった。まずは、東北百名山で残っている白岩岳を目指すことにした。この山を登れば、後は、週末の二日間で新潟から出かけられる範囲となって、完登のめどもついてくる。
 日本海沿岸を北上し、本庄から内陸部にはいり、角館に向かった。この道も、ここのところ、何度も行き来した道になっている。
 出発は早かったため、その日のうちに白岩の集落に到着した。神明社の脇からの林道に入ったが、すぐに二車線幅の車道に飛び出した。新しい道路ができているようであった。そのため、入角沢沿いの林道入口を通りすぎてしまったが、すぐに誤りに気づいた。
 橋のたもとから入角沢沿いの林道に進んだ。暗くなっており、登山口まで入らなくてもよかったのだが、未舗装ながら問題の無い道なので、車を進めた。造林の作業小屋脇を過ぎると、この先は通行不能の看板が立てられていた。行けるところまでと進むと、入角沢にかかる橋を渡った先で、林道に土砂が流れ込んでおり、進めなくなっていた。しばらくバックしてからなんとかUターンをした。結局、橋の手前の路肩に車を停めて寝た。雷が鳴って、雨が降り始めていた。
 翌朝、どんよりと雲が立ちこめていたが、雨は止んでいた。地図を見ると、登山口まではまだかなり距離があるようであったが、歩けない距離ではなかった。林道歩きの覚悟を決めて歩き出した。
 歩きながら振る手に、なにやらパラパラ当たるものがあった。目をやると、何時の間にか、アブの大軍に取り巻かれていた。手を振りながら、足を速めた。沢から離れれtば、アブもいなくなるはずであったが、あいにくと、林道は、どこまでも沢から離れずに続いていた。
 左に沢を渡る橋が現れ、白岩岳の標識が立てられていた。林道は、ヘアピンカーブを描きながら、高度を上げていく、アブも次第に少なくなっていった。右に荒れた林道が分かれるところで、登山道入口と書かれた標識が置かれていた。看板の脇あたりには登山道は無かったので、林道をもう少し進んだ先が登山口と思い込んで、左の車の轍のある林道に進んだ。稜線もまじかに迫ってきたところで、間違いに気が付き引き返しになった。この林道は、地図にあるよりも先に延びていた。先ほどの分岐に戻るまでに50分のロスになった。
 分岐まで戻り、右の林道に進むと、少し歩いた所で、林道終点の広場に出た。「奥羽山脈緑の回廊」という大きな看板が立てられていたが、周囲は杉の植林地になっていた。本来なら、ここから登山開始なのだが、歩き始めてから1時間30分が経っている。
 登山口からしばらくは、伸びた下生えの草が気になる、杉の植林地の中の道が続いた。そのうちにしっかりした登山道に変わり、沢巻台という標識が現れた。さらに杉林の中を登っていくと、旧道杉沢コースとの分岐に出た。西に続く尾根沿いの道は廃道になっているというが、この杉沢がどこをさしているかは、地図を見ても判らない。
 雨が激しく降ってきて、雨具を着込むことになった。朝方に雨は上がっていたので、天気は回復するのかと思っていただけに残念であった。
 しばらく登りを続けると、シシ小屋に出た。水場の標識もあり、ここには昔小屋があったのであろう。この上部は、ブナ林が続くようになった。雨のために薄暗く、登山道を辿るのがやっとで、周囲のブナ林の眺めを楽しむ余裕はなかった。
 傾斜が緩くなり、登山道周囲の木立の背も低くなってきたところで、行太展望台に到着した。周囲の木立の具合からして、展望はそれほどよさそうではなかった。少々薮っぽい道を登っていくと、白岩岳に到着した。T字路になっており、左は和賀岳に続くというが、その先の様子は判らなかった。右は、白岩薬師への道である。単なる分岐といった感じで、山頂らしからぬ雰囲気であった。
 白岩薬師への登山道は、最近刈り払いが行われたようであった。小さく上下する尾根道を辿っていくと、白岩薬師に到着した。お堂が建っているのかと思い、せめて庇の下で雨宿りでもと期待していたが、石の祠が置かれているだけであった。脇には、三角点が頭を見せていた。
 雨の降る中であったが、喉も乾いており、傘を差してビールを飲んだ。帰りは、あのアブの大軍の中を突破するという憂鬱な関門が待ち構えている。
 登山道は良く踏まれているため、足早に下ることができた。問題の林道歩きであったが、雨具の上下にフードを目深にかぶっての完全装備であったが、上着のめくれ目から腹が刺され、袖から飛び込んできて腕を刺され、数ケ所の被害であったのは、まだ上々というべきかもしれない。
 道路上にブルのキャタピラ跡があると思ったら、土砂が流れ込んでいた不通部分が整備されていた。いつ通れるようになったかは知らないが、車で登山口近くまで入れれば、アブの被害には合わないですんだだけに、巡り合わせの悪さが残念であった。
 車に到着してもアブの大軍に取り巻かれていた。車から殺虫剤を取り出して、逆襲とばかりたっぷりと噴霧してやった。死んだかどうかは知らないが、あたりからアブはいなくなった。
 車を少し走らせた所の温泉に入って、さっぱりした。足の疲れは残っているようなので、翌日は、夏油温泉の露天風呂を楽しみに、駒ヶ岳を登ることにした。
 夏油高原の林道脇で夜を過ごし、朝になってから夏油温泉に移動した。土曜の朝早くのせいもあるのか、駐車場の車は僅かであった。
 元湯の駐車場から橋を渡った先の国民宿舎夏油山荘の前が、登山口である。しばらくは、散策路として整備されているが、ひと登りしたところで、駒ヶ岳への登山道が始まる。ブナ林の中を緩やかに登っていく道が続いた。
 尾根に出ると、オガラ森山と夏油温泉に通じる道路の眺めが広がった。汗を拭きながらひと息いれた。この先もブナ林の中の緩やかな登りが続いた。正面にピークが迫ってきたことから、これが駒ヶ岳なのだろうと思ったところ、コースは、左に向きを変え、沢沿いの下りになり、その後、トラバース道が続くようになった。どうやらこれは1034m三角点ピークの南東にある1110mピークのようであった。トラバース道の途中には、水芭蕉の葉が茂る小湿地や沢が現れた。山の奥へと分け入る道で、山に登っている感じではなかった。歩いているコースは、地図に書かれている破線とは少し違っているようで、三角沼方面から合わさる登山道との分岐は判らなかった。
 駒ヶ岳が迫ってきたところで、ようやく登りが始まった。山腹をトラバースを交えながら登っていく道であった。このあたりの道も、実際と地図とでは異なっていた。潅木の中をくぐるような尾根道になると、じきに駒ヶ岳の山頂に到着した。
 山頂には、コンクリート製のお堂が建ち、東に一段下がった登山道上に三角点が置かれていた。東から延びてきている登山道は、しっかりした道のようであった。神社の正面は、東を向いているので、この道が表の参道なのかもしれない。
 雲がかかって展望が閉ざされているのは残念であった。広場に転がっていた石に腰をおろした。蒸し暑さがひどく、首に巻いたタオルがしぼれるほどの汗をかいていた。前夜の雨のために下草は濡れているため、長靴を履いてきていたが、露なのか汗なのか判らないが、ズボンもびしょぬれであった。下山後の温泉を楽しみに山を下ることにした。
 下山途中、単独行一人とすれ違ったのが、山中で会った全てであった。経塚山や牛形山と比べると、登山者は少ないようである。私自身も、三山のうちで、駒ヶ岳が最後の山になっている。
 車に戻り、着替えをした後、ビールを持って、元湯に向かった。駐車場は、思ったよりもすいていた。まずは、食堂でカツ丼を食べて腹ごしらえをした。一番奥の大湯にまず入ったが、息をとめてうなりながらでないと入れない熱さであった。東京下町育ちで熱い湯には慣れているつもりであるが、これは我慢の限界であった。アブも数匹飛び回り、落ち着いて風呂に入れる状態ではなかった。真湯は丁度良い温度であったので、ビール片手に入浴した。露天風呂巡り充分楽しんだ。夏油三山を三回に分けて、その都度夏油温泉に入ってきたが、この次はいつ入れるのだろうか。
 三日目は、新潟に帰る都合上、近くの山まで戻る必要があった。蔵王連峰のうち、まだ登っていない不忘山に登ることにした。東北自動車道に乗って南下した。仙台七夕祭りのためであろうか、高速のパーキングは、仙台付近では満杯状態であった。
 白石で食料を買い込み山に向かった。広大な裾野を上がっていくと、みやぎ蔵王白石スキー場に到着した。登山口を確認した後、だだっ広い駐車場に車を止めて夜を過ごした。
 不忘山へは、白石市南蔵王憩いの家の前から、スキーゲレンデの下部を左に回り込むように進んだ。ゲレンデの中の踏み跡をしばらく進むと、未舗装の管理道に出て、左に曲がった。しばらくこの道を歩くと、白石女子高校山小屋跡に出た。今は建物はなにもなく、空き地だけになっていた。ここからは、高みに向かっての登りが始まった。傾斜はゆるいものの、一直線の登りのため、足に堪えた。白馬岳縦走の疲れが、意外に尾を引いているようであった。台地の上に出てコースを左に変えると、不忘山の山頂も望めるようになった。1時間ほどの登りで弘法清水に出たが、水溜まり状態で使えなかった。
 不忘山の山頂も近づいてきたが、一直線に近い急斜面の登りのようで頑張る必要がありそうであった。登山道もガレ状態の中を登るようになったが、整備されて歩きやすくなっていた。最後はガレ場の登りになって、体力を振り絞る必要があった。
 登りの途中、稜線上にはケルンが二つ並んでいるように見えたが、到着してみると大岩であった。一つにはプレートがはめ込まれいた。これは、第二次大戦中に墜落したB29の慰霊碑の「不忘の碑」である。不忘山の山頂も、細尾根をもうひと登りした先であった。ここから不忘山までは、お花畑になっていた。イワギキョウ、ハクサンフウロ、ハクサンシャジン等の花が咲いて、目を楽しませてくれた。不忘山は花の山として名高いようだが、すでに花は終わっているだろうと思っていただけに予想外であった。
 登り着いた不忘山の山頂に立派な黒御影石の山頂標識が立てられていたが、脇の三角点は倒れかかっていた。周囲の展望は素晴らしく、南屏風岳から屏風岳、水引入道の眺めが広がっていた。
 ひと休みの後南屏風岳に向かって歩き出すと、急な下降になった。山頂からはこの鞍部は隠されていて、なだらかな稜線が続くと思っていただけに、いささかがっかりであった。細尾根を足元に注意しながら下り、その後はしばらく急登に耐える必要があった。三人連れとすれ違ったが、刈田峠から縦走してきたようである。足の便さえ確保してあれば、刈田峠からの縦走の方が楽かもしれないが、不忘山に登ったという感じは薄くなるであろう。
 ハイマツに囲まれた登山道を登っていくと、南屏風岳の山頂に到着した。オオシラビソの森が広がる向こうに、蔵王のお釜を取り巻く火口壁を眺めることができた。熊野岳の山頂は雲に覆われていた。
 ひと登りして水引入道との分岐に出て、まずは屏風岳の山頂を目指した。ほとんど高低差のない稜線歩きで、屏風岳の三角点広場に到着した。ここには屏風岳山頂の標識が立てられているが、最高点はもう少し先である。広場には、刈田峠からと思われるグループが休んでいた。
 最高点めざして先に進んだ。屏風岳の最高点付近は、樹林帯の中で、緩やかな下りとなることでようやく判る状態で、山頂とは言いがたいところである。山頂標識のようなものはなにもない。
 地図を見ていて気が付いたのだが、県境線は、この最高点ではなく、西に外れた山腹を通過している。どのような理由なのだろうか。宮城県側に山頂を含めなければならない、歴史的な事情があったのだろうか。考えれば、ますます不思議に思えてくる。
 分岐に戻り水引入道への道に進むと、一気の急降下になった。眼下に鞍部の台地が広がり、池が光るのが見えた。足下の滑りやすい坂であった。
 鞍部は、水引平と呼ばれ、池の周りには草原が広がっていた。夏もう少し早い時期にはお花畑になるようである。水引入道の山頂が、三角形の姿を見せていたが、屏風岳からの下りよりは、登り返しは少なそうでひと安心した。ひと休みするところには良い所であった。
 急坂を登り詰め、小ピークを越した少し先で水引入道の山頂に到着した。岩とハイマツが点在する狭いピークで、山頂標識のようなものはなかった。腰を下ろしてひと休みした。ガスがかかり、屏風岳の山頂は隠されていた。
 雨粒がぽたりと落ちてきたのを期に下山に移った。入れ違いに単独行が登ってきた。少し下りると、ガレ場となり、コガ沢コースとの分岐になった。ここはコガ沢方面に向かってもペンキマークがあるので、間違えないように注意が必要である。左方向に向きを変えながら下っていくと、雷が鳴って本降りの雨になった。すでに樹林帯の中だったので、傘だけで歩き続けた。すでに衣類は汗でびしょぬれになっており、気温も高いので、濡れるのは気にならなかった。ジャンボリーコースと呼ばれるこのコースは、歩きやすい道であった。
 下るにつれブナ林が広がるようになり、真っ赤なベニテングダケがそこかしこにかさを開いているのが目に入った。
 林道に飛び出した後は、30分の林道歩きで駐車場に戻ることができた。車に着いた時は雨は止んでいた。観光バスが停まっており、宮城県の町の主催による登山教室と書いてあった。山中で雨にあって、初心者は辛い思いをしたかもしれない。
 三日間の山登りは終わりにして、新潟への家路を急いだ。

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