鳥海山、月山

鳥海山
月山


【日時】 2004年7月24日(土)〜25日(日) 前夜発1泊2日各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 24日:晴れ 25日:晴れ

【山域】 鳥海山
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 新山・しんざん・2236m・なし・山形県
 七高山・しちこうざん・2229.2m・一等三角点補点・山形県
 月山森・がっさんもり・1640m・なし・山形県
【コース】 滝ノ小屋コースより千畳ヶ原周遊
【地形図 20万/5万/2.5万】 新庄/鳥海山、大沢口/鳥海山、湯ノ台
【ガイド】 アルペンガイド「鳥海・飯豊・朝日」(山と渓谷社)、山と高原地図「鳥海山、月山」(昭文社)
【温泉】 鳥海山荘 500円

【山域】 出羽山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 姥ヶ岳・うばがだけ・1669.7m・三等三角点・山形県
 月山・がっさん・1984m・なし(1979.5m・一等三角点補点)・山形県
【コース】 姥沢コース
【地形図 20万/5万/2.5万】 仙台/月山/月山
【ガイド】 アルペンガイド「鳥海・飯豊・朝日」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「山形県の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「朝日、出羽三山」(昭文社)

【時間記録】
7月23日(金) 20:00 新潟発=(R.7、酒田、R.344、八幡、湯ノ台、鳥海公園青沢線 経由)
7月24日(土) =1:00 滝ノ小屋登山口  (車中泊)
5:36 滝ノ小屋登山口―5:50 滝ノ小屋―5:58 湯ノ台分岐―6:32 河原宿―8:08 伏拝岳―8:21 行者分岐―8:44 御室―9:01 新山―9:26 御室―9:47 稜線分岐―9:53 七高山〜10:22 発―10:28 稜線分岐―10:42 行者分岐―10:59 伏拝岳―11:46 千蛇谷分岐―12:12 御田ヶ原分岐―12:34 鳥海湖入口〜12:48 発―13:09 万之助道分岐―13:25 千畳ヶ原―14:20 月山森入口―14:29 月山森―14:36 月山森入口―14:55 河原宿〜15:07 発―15:36 湯ノ台分岐―15:46 滝ノ小屋―16:00 滝ノ小屋登山口=(鳥海公園青沢線、湯ノ台、八幡、R.344、酒田、R.7、鶴岡、R.112、六十里越街道、志津 経由)=21:00 姥沢  (車中泊)
7月25日(日) 7:00 月山リフト山麓駅=7:15 月山リフト山頂駅―7:37 姥ヶ岳分岐―8:01 牛首分岐―8:55 月山〜9:08 発―9:51 牛首分岐―10:11 湯殿山分岐―10:29 姥ヶ岳―10:41 姥ヶ岳分岐10:48 月山リフト山頂駅=11:03 月山リフト山麓駅=(志津、R.112、青竜寺、R.345、関川、雷峠、府屋、R.7 経由)=16:20 新潟着

 鳥海山は、日本海にその裾野を洗う成層火山であり、秀麗な山容から出羽富士あるいは秋田富士と呼ばれている。北関東・東北では燧ヶ岳に次ぐ標高を持ち、山頂部は複式火山特有の変化に富んだ地形になり、花の山としても名高い。

 月山は、羽黒山、湯殿山と合わせて、出羽三山と呼ばれ、古くからの信仰の山である。なだらかな山頂を持ち、日本海近くの豪雪地にあることから、夏遅くまで残雪を抱き、高山植物が豊富なことから人気の高い山になっている。

 鳥海山に登ったのは、1992年8月16日のことで、大分昔のことになった。この時は、日本百名山巡りが目的で、一番簡単そうな鉾立から往復した。鳥海山は、多くのコースがあり、歩いていない他のコースが気になっていた。ようやく梅雨明けとなり、高山植物も盛りかと思い、鳥海山に出かけることにした。鳥海山の翌日は、月山に登ることにした。月山には、2002年8月17日に登っており、そう時間が経ったわけでもないが、今の季節に咲く花を確かめたいのと、二日目とあって、山歩きを簡単に済まそうということで選んだ。
 酒田から八幡を通過し、湯の台をめざした。このあたりの道順は判りにくかったが、ナビのおかげで、地図を確認することもなく、車を走らせ続けることができた。山裾を登っていくと湯の台に出て、鳥海荘の手前で、滝の小屋手前に通じる車道に入った。二車線幅の立派な道が続き、カーブの連続で一気に高度を上げていった。右手に駐車場が現れ、その先700m程で、トイレの建物の設けられた車道終点に到着した。驚いたことに、六割程は車で埋まっていた。車が隣り合っていると、中で寝てるのも落ち着かないので、誰もいなかった下の駐車場で夜を過ごすことにした。
 翌朝、目を覚すなり車を車道終点広場に移動させた。もう一眠りしてから起きだし、出発の準備をしている六時過ぎには、駐車場は満杯になり、一車線をつぶしての路肩駐車が始まっていた。夏休みが始まったところでもあり、子供会か学校単位の登山グループが歩き出す準備をしていた。団体に巻き込まれてはたまらないということで、急いで出発した。
 石畳状に整備された登山道を行くと、滝ノ小屋に出た。ここの広場にも、子供混じりの団体が休んでおり、この先しばらくは、団体に挟まれて歩くことになった。沢を飛び石伝いに越し、湯の台からの登山道を合わせると、八丁坂の登りが始まった。しばらく登ると、団体は足を止めたので、その後は、マイペースで登り続けることができるようになった。
 八丁坂は、お花畑の広がる草原で、ハクサンフウロ、ヨツバシオガマ、ツリガネニンジンの花が咲いていたが、盛りは過ぎているようであった。振り返ると、湯の台方面になだらかな緑のスロープが続いていた。列を作って登ってくる登山者が見えたので、足を速めた。
 急坂を登り終えると、登山道の右脇を水量の多い沢が流れるようになり、前方に鳥海山の山頂が姿を現した。
 緩やかな台地を進んでいくと、河原宿に到着した。小屋の前には緩やかな流れの沢が流れ、休むには良い所であった。前方には、心字雪渓と呼ばれる大雪渓が延びており、登っていく登山者も見えていた。
 雪渓の下で、雪解け水を飲んで、元気を取り戻した。夏山の一般コースでこれだけの雪渓登りを楽しめるのは、さすが東北第二の高峰の鳥海山といってよい。傾斜もたいしたことはなく、スプーンカットも大きくできていたので、軽登山靴での登りでも問題はなかった。念のために六爪アイゼンを持ってきてはいたが。雪渓歩きに慣れていない登山者は、軽アイゼンを付けていた。雪渓の左脇には、夏道が続いているので、自信がなければそちらを通ることもできた。
 ひんやり冷気に包まれた雪渓の上でも、直線的な登りのために汗が吹きでてきた。雪渓上部で横断し、右手の草地に上がった。その上でも雪渓があったようだが、すでに消えており、ガレ場の登りになった。ここは雪渓跡の右手に踏み跡が続いていた。その先が、薊坂と呼ばれる急斜面の登りになった。辛い登りも、ヒナザクラ、ハクサンシャジン、ハクサンフウロ、トウゲブキやヨツバシオガマの色とりどりのお花畑が慰めてくれた。
 薊坂の途中からガスの中に入り、展望が得られなくなってしまった。外輪山の伏拝岳に登り着いて、登りもひと段落してひと息ついた。稜線通しの道は花に彩られていたが、写真撮影は後にして、ますは山頂へと急ぐことにした。予定では、七高山から新山という順番のつもりであったが、団体客が到着する前に新山を登っておくべきと考えが変わった。稜線は風が吹き抜け、寒くなって山シャツを着込んだ。
 はしごを一本下ると、行者峰の分岐になった。岩場を梯子を使って下ると、トラバース気味の下りになった。イワブクロとチョウカイフスマが、ガスの中から現れた。岩を伝い歩いていき、鞍部からひと登りすると鳥海山大物忌神社前に出た。新山へのコースは二本あるが、左周りをとることにした。
 山頂小屋の前から、大岩が累々と重なった斜面を、ペンキマークを導に登っていくことになる。北アルプスあたりなら、あたりまえの岩場であるが、運動靴の学校登山やその付き添いの人にとっては手強い岩場ではないだろうか。それとも、新山には登らないですましてしまうのか。団体が取り付いていれば、渋滞は必至のようであった。幸い、登山者はまだ多くはなく、自分のペースで登ることができた。
 山頂の一画に到着したところで、大切り通しの間を抜け、小岩峰の上に登ると、そこが新山の山頂である。数人がやっとの岩場のために、落ち着いて休んでいることはできない。展望もガスによって閉ざされていたため、すぐに下山にうつった。
 山頂下で体内くぐりの狭い隙間を通過し、後はペンキマークに注意しながら下っていくと、雪渓の脇に下り立った。後は緩やかに下っていくと、鳥海山大物忌神社に出た。このコースの方が、岩場の登りは少ないような感じがした。神社に手を合わせ、どこで休もうかと考えた。登山者が続々と到着しており、風も強いので、もう少し歩くことにした。
 七高山への道に進むと、雪渓の雪解け水を水源とする水場に出た。パイプから水が勢い良く出ていた。冷たい水を飲んで元気を取り戻り、外輪山への登りに取りかかった。鎖がかけられてはいたが、登りには必要はない斜面であった。
 稜線上は風が強く、暑さ対策のためにかぶってきた麦わら帽子を片手で押さえながらの歩きになった。七高山の山頂は、岩のかげになっているのか、風も治まって、休むのに良い具合であった。ビールを飲みながら、ガスが切れるのを待った。一瞬、新山が姿を現したものの、写真を一枚取る間で、その後はガスに隠されてしまった。学校登山の団体が到着して賑やかになったこともあり、腰を上げて歩き出すことにした。
 薊坂との分岐を過ぎると、登山者も少なくなった。鉾立方面からの登山者が一番多いはずだがと考えたが、登りは、千蛇谷を通る者が多いためのようである。チョウカイアザミ、イワギキョウ、ウサギギク、ミヤマリンドウ、イワオトギリ、ハクサンシャジン、ヤマハハコ、トウゲブキ、ヨツバシオガマ、ウメバチソウ、ニッコウキスゲの花を見ながら、のんびりと下った。千蛇谷コースと外輪山コースの分岐となる七五三掛からは、大勢の登山者と行き交うようになった。御田ヶ原が近付くと、登山道は石畳み状に整備されるようになった。お昼を食べている登山者も多く、この付近までで引き返す者も多いようであった。
 遊歩道のように続く御浜への道と別れると、扇子森の山腹を巻いていく道になり、再び登山者は少なくなった。草原にはニッコウキスゲが咲いていたが、ちらほらという状態であった。今年は各地でニッコウキスゲの不作が伝えられているが、例年だと、もっとすごい群落を楽しめるのかもしれない。
 左手下方に、千畳ヶ原の草原を見下ろすようになったところで、右手にひと登りすると、鳥海湖の畔に出た。直径約200m、水深約4mとのことであるが、静かなカルデラ湖である。風景を楽しみながらひと休みした。
 登山道が不明瞭なガレ場を下り、小さな沢を渡っていくと、千畳ヶ原の大草原に出た。前方には、月山森が山頂をのぞかせていた。山中にこのような草原が広がっているとは思っていなかった。木道が敷かれていたが、二ノ滝口へ向かうもので、河原宿へは、草原の踏み跡を辿るので、道を間違えないように注意が必要である。
 草原を進んでいくと、月山森への登りが始まった。幸次郎沢そのものが登山コースになっていた。水は靴を濡らす心配もない程であったが、自分で足場を考えながら岩を乗り越えていく必要があった。コースを示すペンキマークもかすれて消えかかっていた。一ケ所には、ロープが下げられており、岩を登るところもあった。難しい登りではないが、これが登山コースかと、初めてであると疑問が湧いてくる。
 急坂を上り詰めると、潅木の中の小広場に登山標識が立てられており、コースを外していなかったことを確認できた。この先も大草原が広がっていた。雲ノ平のような雰囲気のところであった。右手には、月山森の山頂が、そう遠くないところに見えていた。草原を歩いていくと、右手に踏み跡が現れた。この機会にということで月山森を登っていくことにした。
 草原の中のはっきりしない踏み跡を辿っていくと、尾根の上に出て、ハイマツの中に道が続いていた。最高点と思われる付近は、石が点在する草原になっていたが、山頂標識のようなものはなかった。単独行が山頂の先に進んでいくのが見えた。登山地図には破線で記されている鈴木小屋へ通じるコースがあるようでるが、そこに向かおうとしていたのであろうか。
 月山森の下りからは、河原宿が、草原の彼方に見えていた。そこまでは、もうひと頑張りする必要があった。草原には、所々で雪渓から流れ出る小沢が流れ込み、のんびりしていたい所であったが、時間も気になるようになって、疲れてきた足を速める必要があった。
 河原宿に到着すると、休みをとっている団体で大混雑になっていた。丁度団体が出発するところであったので、時間をあけるためにしばらく休みをとることにした。鳥海山を振り返ると、山頂を覆う雲も薄くなっていた。今晩は、山頂小屋の宿泊客も相当な数になるのではないだろうか。
 最後に八丁坂を下りを頑張り、車に戻った。下山後の温泉は、湯の台の鳥海山荘に入って汗を流した。
 酒田で夕食をとったり買い物をして、月山に向かうのは遅い時間になった。ナビに従って車を走らせていると、旧道の六十里越街道に入ってしまったが、これは失敗であった。カーブの連続する細い道で、月山道路をもう少し進んでから月山に向かった方が良かった。
 姥沢の車道終点付近の駐車スペースは、ほぼいっぱいであったため、その下の大駐車場に車を停めた。翌朝、リフトの始発を待つためにゆっくりと起きだした。月山リフトの始発は、8時ということになっているのだが、先回の経験では、夏の盛りには少し早めに運転開始になるようであった。待ってもかまわないと思って、少し早めに駐車場を出発した。
 月山環境美化協力金200円を払い、リフト乗り場に通じる坂道に進んだ。今日も暑い日になりそうで、さっそく汗が噴き出てきた。リフト乗り場の切符売り場には、短いものの列ができていた。7時になると、切符を売り出し、リフトも動き始めた。どうやら、このリフトは、夏の盛りには7時始発を期待してもよさそうである。
 20分のリフト乗車で、標高1500mの山頂駅に到着する。山頂駅付近は、樹林限界を超しており、草原が始まっている。リフトの往復は1400円であるが、楽であることは確かである。月山の山頂までは、標高差は500mほどなので、初心者用の日帰りコースということになる。
 月山の山頂は、逆光と朝霧に隠されていたが、姥ヶ岳が青空をバックに浮かび上がっていた。「月山」と書かれた観光客用の看板が置かれているが、この姥ヶ岳を背景にしている。記念写真を行っているものも多いが、姥ヶ岳を月山と勘違いしかねない。
 今年は、ニッコウキスゲが、各地で花無しの状態であると聞くが、姥ヶ岳の山腹の草原のニッコウキスゲもちらほらの状態であった。石畳状の登山道をひと登りすると、姥ヶ岳の山頂と牛首への道との分岐に出る。周遊で歩くつもりであったが、先回は姥ヶ岳を先に登ったので、今回は牛首への道を先に歩くことにした。
 木道が敷かれ、緩やかな登りが続くが、牛首が近づくにつれ、登りの傾斜も増してきた。花を眺めながらのんびりと登ることにした。先回に比べると、雪渓がずいぶんと小さくなっていた。スキーを持って登っている家族連れがいると思ったら、右手の残雪の残る沢に下りていった。月山の夏スキーは有名である。山の斜面に広がる雪渓を滑っているのかと思ったが、意外に狭い所で滑っていた。牛首までの登山道沿いには、残雪の消えた後に咲く、ヒナザクラ、チングルマ、タテヤマリンドウ、イワイチョウの花が見ることができた。
 牛首からは、標高差250m程のガレ場の登りが続き、このコースで一番苦しいところとなる。前よりは、浮き石が整理されて歩きやすくなっていた。早くも下山してくる登山者に出会うようになった。どうやら、阿弥陀ヶ原から歩き出し、姥沢へ下山する団体のようであった。バスの回送ができる団体なら、そのようなコースとりもできる。せっかく登ったのならもう少しのんびりしたらとも思うが、自分自身でもそのような登山をやってきたなと反省するところがある。
 登りの途中振り返ると、姥ヶ岳から湯殿山への緑の稜線に、雪渓の白さが映えて美しかった。ウサギギク、ハクサンシャジン、ハクサンフウロ、ミヤマアキノキリンソウ、モミジカラマツなど、登山道脇の草原を彩る花も多かった。
 昨日の鳥海山の疲れがどうかなと思ったが、急坂がひと段落する鍛冶小屋までは一気に登ることができた。鍛冶小屋は、撤去され、土台が残るだけになっていた。再建されるのかどうかしらないが、日帰りが楽にできる月山では、宿泊客も少なくなってしまって、経営ができなくなったのだろうか。
 鍛冶小屋からひと登りすると、芭蕉の句碑のある台地に出て、登りは終わる。月山神社の置かれた小さなピラミッド状の山頂が、台地の先に望むことができる。人が多くなり、白装束に身を包んだ、講中の人々ともすれ違うようになった。月山信仰は、現在でも盛んに続いているようである。
 姥沢方面からは、先頭集団で登ってきたのだが、阿弥陀ヶ原方面からの登山者がすでに大勢登ってきていた。月山神社は混み合っているようなので、今回は省略して、一等三角点の置かれている山頂で休むことにした。
 月山の一等三角点は、神社の裏手の稜線上にあり、小さな岩峰より少し下がったところに置かれている。三角点脇に腰を下ろしてひと休みした。三角点の上には、お賽銭のつもりか、硬貨が置かれていた。阿弥陀ヶ原方面からは、登山者の列が続いていた。
 混み合う山頂を後に、写真を撮りながらの下山にうつった。月山も多くのコースがあるので歩いてみる必要があるのだが、今回のような楽々コースで花を眺めながら歩くのも良いものである。
 帰りは、姥ヶ岳へと回った。ひと登りして到着した姥ヶ岳山頂は、木道が敷かれ、多くの登山者が休んでいた。リフトで登ってきて、この山頂までという者も多いようであった。姥ヶ岳付近も、キンコウカ、ニッコウキスゲ、イワショウブの咲く草原が広がっている。
 リフトに再び乗り込んで登山者終了となった。鳥海山、月山という花の山を楽しんだ後は、新潟までのドライブを頑張ることになった。

山行目次に戻る
表紙に戻る