高津倉山、平標山

大峰、高津倉山
三国山、大源太山、平標山


【日時】 2004年7月3日(土)〜4日(日) 各日帰り
【メンバー】 3日:単独行 4日:宇都宮グループ 計9名
【天候】 3日:晴 4日:晴

【山域】 谷川連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 大峰・おおみね・1172m・なし・新潟県
 高津倉山・たかつくらやま・1181.0m・三等三角点・新潟県
【コース】 トレッッキング湯沢ヌ:ぢ(アルプの里から八木沢)
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/越後湯沢/越後湯沢、土樽
【ガイド】 なし
【料金】 湯沢ロープウェイ 650円 八木沢―湯沢越後交通バス 330円
【温泉】 コマクサの湯 300円

【山域】 谷川連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 三国山・みくにやま・1636.4m・二等三角点・新潟県、群馬県
 大源太山・だいげんたやま・1764.1m・三等三角点・群馬県
 平標山・たいらっぴょうやま・1983.7m・三等三角点・新潟県、群馬県
 松出山・まつでやま・1613.6m・三等三角点・新潟県
【コース】 三国峠から縦走路、松出尾根下山
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/四万/三国峠
【ガイド】 アルペンガイド「谷川岳と越後の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「谷川岳・苗場山・武尊山」(昭文社)
【温泉】 宿場の湯 600円
 
【時間記録】
7月3日(土) 6:40 新潟発=(関越自動車道、湯沢IC 経由)=8:35 湯沢温泉ロープウェイ山麓駅〜9:00 発=(湯沢ロープウェイ)=9:10 山頂駅―9:18 高山植物園〜9:41 発―10:12 一楠場ルート分岐―10:42 山頂パノラマペアリフト終点―10:58 大峰―11:04 車道―11:23 一楠場ルート分岐―11:27 栄太郎峠入口―11:51 ガーラ峠―12:14 高津倉山〜12:33 発―12:54 車道―13:01 栄太郎峠入口―13:26 ブナ姫―13:55 栄太郎峠分岐―14:19 鹿飛橋―14:48 栄太郎峠分岐―15:41遊歩道入口―15:51 八木沢バス停〜16:08 発=(越後交通バス)=16:30 湯沢駅=(R.17 経由)=19:00 元橋  (車中泊)
7月4日(日) 8:02 三国峠口―8:36 三国峠〜8:43 発―9:05 お花畑〜9:14 発―9:21 迂回路分岐―9:32 三国山〜9:43 発―9:51 迂回路分岐―11:10 三角山―11:18 大源太山分岐―11:34 大源太山〜11:38 発―11:48 大源太山分岐〜12:15 発―12:52 平標山の家〜13:00 発―13:43 平標山〜14:14 発―15:10 松出山〜15:24 発―15:41 鉄塔―16:17 登山口―16:20 元橋駐車場

 谷川連峰の西端近くの平標山から、北に向かってメアテ尾根が延びている。この稜線は、魚沼川と清津川に挟まれるように、日白山、タカマタギ、白板山を経て魚沼丘陵に長く続いている。大峰と高津倉山は、湯沢町の背後に聳える山で、谷川連峰と魚沼丘陵の接点にあたる山である。大峰は湯沢高原スキー場、高津倉山はガーラスキー場上部の山として知られ、一般登山の対象からは外された感がある。
 新潟と群馬の県境に沿って延びる谷川岳縦走路は、一般には三国峠から谷川岳の間をさす。このコースは、二泊を要することから、最近では平標山から谷川岳の間を一泊で歩く登山者が多いようである。多くの登山者で賑わう平標山と異なり、三国山との間の縦走路は、静かな山歩きを楽しむことができる。大源太山は、三国山と平標山の中間に位置する山で、山頂は群馬県側に僅かに入っている。
 日曜日に、三国峠から平標山への縦走の約束が入り、それに伴って土曜日はどうするか迷った。湯沢付近で登っていない山としては、大峰と高津倉山があるが、スキー場上部の山で、それだけではちょっとものたりない。登り口の湯沢高原スキー場にあるアルプの里のホームページを見てみると、ヒマラヤの青いケシや悪魔の爪といった珍しい花が咲いているようであった。大峰と高津倉山を登った後に、さらに清津川へのトレッキングコースを歩けば、一日がかりのコースとなってよさそうであった。
 8時40分始発のロープウェイに乗るつもりであったのだが、途中で朝食をとったりして遅くなり、9時の便に間に合う時間で湯沢に到着した。新幹線のガード下にある町営駐車場に車をおいて出発した。
 湯沢ロープウェイの片道切符を買うと、下山はどうするのかと聞かれた。清津川へのトレッキングコースに進むと答えると、4時間はかかるといわれた。山歩きの装備を見れば、ロープウェイの山頂駅付近で遊ぶのでないことは一目瞭然だと思うのだが、観光客が入り込まないように、片道切符を売る時のマニュアル的質問になっているのかもしれない。
 湯沢高原スキー場には、過去にも訪れたことはあったが、冬のスキーのためばかりで、166人乗りの大型ロープウェイに変わってからは初めてであった。10分程で山頂駅に到着した。標高差は500m程なので、お気軽なアプローチということになる。
 山頂駅前には、園内を結ぶ無料のシャトルバスが待ち構えていたが、風景を眺めながら歩くことにした。湯沢の町が眼下に広がり、飯士山がピラミッド型の山頂を突き上げていた。ラベンダー畑を前景にして、高津倉山の山頂が目の前に広がっていた。園内の案内図を確かめて、高山植物園をめざした。
 ニッコウキスゲの花などを見ながら谷に向かって下っていくと、植物園入り口に到着した。ロープウェイ運行開始直後だというのに、団体の引率者が、何時に出発しますと叫んでいた。この賑わいからすると、始発前に団体用の臨時便が出たのかもしれない。
 植物園の入り口には、池が設けられ、アヤメなどの湿性植物が植えられていた。花を見ながら歩いていると、マイク片手の若い女性が近付いてきた。地元のFM局の者で、放送開始時に流すコメントを集めているとのことであった。池の脇にも、FM局の仮設テントが立てられていた。12時の放送時には、トレッキングコースに進んでいてラジオは聞かないのだがといったが、それでも良いからというので、メッセージを吹き込んだ。新潟からやってきました岡本ですと言った後には、アルプの里は初めてだけど、色々な花がきれいに咲いていますねと誉めておいた。山のホームページ「新潟からの山旅」を開いているのでよろしくと宣伝もしておいた。知り合いは誰か聞いただろうか。
 池の奥の斜面にはガレ場が設けられて、キリンソウ、タカネナデシコ、アケボノフウロウをはじめ、多くの高山植物が咲いていた。まずはお目当てのヒマラヤの青いケシを探した。青いケシは、ガレ場の中央に植えられ、10個程の花が咲いていた。今は盛りが過ぎて青の色が少し褪せてきているとのことであった。ヒマラヤの現地でこの青ケシを見てみたいものだが、珍しい花を見たことで今日のところは満足しておこう。特徴的な名前に引かれる「悪魔の爪」は、ヨーロッパアルプス南部のドロミテ地方の特産で、ききょう科の花であるという。ガレ場の下部に植えてあり、二種類の花が咲いていた。それと注意していないと見のがしてしまいそうな、小さな花であった。植物園に植えられているものは、見なれない物も多く、脇に書かれている名前をいちいち見る必要があった。終わっている花もあり、時期を変えて訪れば、また楽しめそうであった。
 この先も予定があるため、栄太郎峠へ通じる一楠場ルートへ進んだ。一転して、普通の登山道に変わった。沢を横断すると、ブナ林の中のつづら折りの登りになった。山登りとしては、特別急坂というわけではないが、汗をかきながら足を運ぶ必要があった。途中、疲れて休んでいる二組のハイカーを追い抜いた。ロープウェイ上部の遊歩道と思って入り込むと、思わぬ苦戦を強いられるということのようである。
 登りの傾斜が弛んで右方向へのトラバースに変わると、車道に飛び出した。栄太郎峠を経てトレッキングコースに進むには右折であるが、大峰の山頂を踏むために、左折した。つづら折りの車道歩きが続いた。未舗装ではあるが、観光バスもすれ違うことのできるような立派な道であった。気温が上がって車道歩きも辛くなり、大峰までは意外に遠く感じられた。
 大峰の山頂が迫ったところで、取り付きを探しながらの歩きになった。ヤブコギは距離も短いのでかまわないが、遊歩道があるとすれば、それを歩く必要がある。山頂を見上げながら歩いていくと、リフトが上がってきている東の肩部に到着した。ここからは、谷川連峰方面の展望が大きく広がっていた。
 山頂に向かって踏み跡があり、それを辿ると、無線中継基地の建物に出た。その背後の潅木の中に踏み跡が続いていた。これで山頂まで行けると思ったのだが、少し先で、二基の石の観音像が置かれた広場にでて、踏み跡は終わりになった。ここを山頂としてもよさそうであったが、最高点をめざしてヤブコギを続けた。潅木の枝をかきわけながらのヤブコギを続けていくと、笹薮がベルト状に続いているところに出た。どうやら道の跡のような感じであった。笹薮になって歩くのも楽になり、大峰の最高点に到着した。山頂標識のようなものは無かった。
 山頂からは、西に向かって踏み跡が続いていた。掠れた赤ペンキのマークや国有保安林の看板も置かれていた。「ここは保安林ですから許可なく木を切ったり草や土石などをとったりすることをできません」とも書かれていたが、薮の中に置かれた看板は奇妙であった。北西尾根を下っていくと、車道脇に出た。尾根沿いの踏み跡はかすかになったので、すぐ脇の車道に下り立った。この踏み跡の入り口は、不明瞭で判り難くなっていた。
 ところで、大峰と高津倉山といっても、新潟県在住の人でも、どこにある山とすぐに判る人は少ないであろう。ところが、山好きなら一度は手に取ったことのある本に、この山の名前が出てくる。「終戦後私は越後湯沢に住んでいたことがあって、その裏の大峰へ幾度か登ったが、たしかにこの頂上からも神楽ヶ峰が邪魔して、苗場山は見えなかった。大峰から高津倉山の方へ進むと、初めてあの厖大な背を持った苗場が現れてきた。」深田久弥の日本百名山である。
 深田久弥の「山さまざま」に含まれている「湯沢の一年」には、家族での大峰登山についての紀行文が載っている。旅館高半の裏手からすぐ登りになり、西国三十三番の地蔵さんが、間をおいて立っている。頂上から三国街道の七谷切集落へは板東三十三番の地蔵さん、秋葉山には秩父三十三番の地蔵さんが並んでおり、この三つの観音めぐりをするのがこの地の信仰深い人の行事であることが書かれている。
 大峰山頂の観音像は、第一、第二と書かれていたが、ロープウェイの山頂駅からアルプの里へ行く途中に、同じような観音像がまとめて置かれていた。スキー場の整備によって山中に置かれていたのものがまとめられてしまったのかもしれない。スキー場の整備によって、大峰が、信仰の山としての地位を失ってしまったようである。日本百名山愛好家で、大峰と高津倉山に興味を持つ者はどれ程いるのやら。
 高津倉山に向かって来た道を戻った。一楠場ルートの入り口を過ぎると、僅か先で栄太郎峠入り口に出た。この先は、高津倉山の山腹を巻く車道歩きが続いた。高津倉山の山頂から南に向かい、1072m点の手前から車道に下りてくるスキーのコースが設けられていたが、急斜面であった。北側に周りこんでから登った方が楽そうであった。大汗をかいてガーラスキー場まで歩いた。
 北に延びる尾根の取り付き部は、ガーラ峠と呼ばれるようである。高津倉山の山頂が目の前に迫っていたが、もうひと頑張りする必要があった。ゲレンデは、膝程の丈の草地で、歩くには支障が無かった。目の前であったが、25分も登りに時間がかかった。
 高津倉山の山頂は、リフト終点の広場になっていた。その中央に塚状に小高くなっている所があり、その上に登ると、三角点が埋められていた。スキー場の整備によって、山頂は平らにならされたが、三角点の部分だけは手を加えなかったようである。
 高津倉山の山頂に腰を下ろして昼食をとった。昼も回って、ここまでの歩きは、意外に時間がかかっていた。
 高津倉山からの下山は、南にルートをとった。急斜面で夏草も茂っていたが、下りではそれほど気にならなかった。1072m点からは尾根沿いにも行けそうであったが、すぐ近くを走る車道に下った。
 栄太郎峠入り口から入ると、すぐ先が栄太郎峠であった。ブナ林の中の下りが始まった。美しいブナ林で、麗人の森という標識が置かれていた。尾根沿いの急な下りが始まり、清津川へのほぼ中間地点では、「ブナ姫」と書かれたブナの大木も現れた。清津川沿いの遊歩道までは、1時間程の急降下になった。この逆コースをとるには、それ相応の覚悟が必要になりそうであった。
 清津川沿いの遊歩道に出たところで、鹿飛橋まで往復していくことにした。ほぼ水平な道を辿っていくと、土砂崩れのための迂回コースが現れ、大きく登り下りするところが現れた。再び水平な道に戻ると、すぐ先でダブルキャニオンロッくと呼ばれる渓谷の両脇の岩壁が狭まった景勝地に出た。足場の悪いへつり道を通過していくと、鹿飛橋に到着した。鹿飛橋は、鉄製の立派な橋であった。この先は難コースのため、トレッキング者は、ここから引き返すようにという警告が書かれていた。橋向こうの道をのぞくと、草がかぶり気味の荒れた道が続いていた。
 栄太郎峠分岐に戻り、バスの時間を確認した。八木沢までは4kmと書かれていた。4時8分通過のバスまでには、1時間20分の余裕があるので間に合うはずであった。その後のバスとなるとは、1時間半待つ必要がある。足を速めて歩き出した。分岐からすぐ先で、美しいブナ林に出ると、ここにはフィトンチット広場という標識が立てられていた。コバルトブルーキャニオンと呼ばれる美しいトロや、美しい岩場も現れて目を楽しませてくれた。早足で通り過ぎるのももったいないように感じた。紅葉の季節に、この遊歩道を歩くのも楽しそうである。杉林が現れて、里も近付いたことが判った。
 遊歩道入り口は、グランド脇で、そこに駐車場が設けられているようであった。もうひと頑張り歩くと、畑の脇を抜けて車道に飛び出した。国道沿いのバス停には、余裕を持って到着した。汗が引いた頃にバスが到着した。
 湯沢に戻り、ロープウェイ駅に併設された温泉に入って、歩きの締めくくりをした。
 買い物をして夕食をとってから、平標登山口の元橋に向かった。登山口の駐車場には、テントも張られて賑わっていた。落ち着いて寝たいため、近くに見つけておいた静かな広場に移動して夜を過ごした。
 翌朝は、目を覚したところで、元橋の登山者用駐車場に移動した。6時の早朝にもかかわらず、登山者で賑わっていた。宇都宮グループが到着した7時半過ぎまでには、元からあった舗装すみの駐車場は埋まり、脇の未舗装の駐車場の上段部もほぼ埋まっていた。改めて平標山の人気の程を知った。
 宇都宮グループは、二台の車、8名がやってきたので、私の車を置いて三国峠口に向かった。三国峠口にも、登山者のものと思われる車が10台程停まっていた。梅雨の中休みで、山は賑わいそうであった。
 三国峠への道は、このメンバーと稲包山への縦走を行った昨年の11月16日以来ということになる。緑も濃くなり、静かな歩きを楽しむことができた。三国峠への道は、昔の街道であったためか、緩やかにつづら折りを交えながら登っていき、無理なく歩くことができる。しばらくぶりということで、山の近況を話し合ううちに、三国峠に到着した。
 峠の神社の向こうには、青空を背景に三国山がドーム状の山体を見せていた。実際の山頂は見えていないので、そこと思って気を抜いてはいけない。朝から気温は高かったが、強烈な日差しが照りつけていた。夏用に買って車に放り込んでおいた麦わら帽子を被ってきたのは正解のようであった。
 三国峠への登りは、ほとんど全部が階段登りになっている。歩幅が合わずに、たちまち息が切れてきた。息を整えるために振り返ると、一気に高度を上げており、稲包山やこの5月に歩いたばかりの上ノ倉山から白砂山にかけての稜線を眺めることができた。
 ひと汗かくとお花畑に到着した。お花畑は、傾斜が一旦緩む休み場で、ベンチも置かれている。ニッコウキスゲの花も咲いていたが、時期は少し早いようであった。
 再び階段登りに汗を流し、山頂の迂回路を過ぎると、三国山の山頂に到着した。三国山の山頂は、灌木に囲まれて群馬県側の展望が開けているのみである。鐘が置かれており、登頂者が代わる代わる叩いていた。
 ひと休みの後、平標山への縦走路に進んだ。ここまでの過剰整備の道と比べて、静かで落ち着いた道になった。一旦大きく下ると、迂回路が左から合わさり、この分岐は右に進む。小さなピークを越していく道が続いた。平標山から仙ノ倉岳を経てエビス大黒の頭、万太郎山、谷川岳に続く縦走路を眺めることができた。赤谷川の谷向こうには、春に登った小出俣山の山頂も望むことができた。梅雨の時期としては、思ってもいなかった展望であった。
 大源太山までは登り気味の道が続いた。大源太山の手前の1690mピークは、浅貝スキー場からのコースが合わさり、三角山という標識が立てられているが、縦走路の手前から見ると、確かに三角形をした小ピークになっていた。
 三角山を過ぎると、大源太山山腹のトラバース道になり、西の肩に進んだ所で大源太山への分岐が現れる。疲れて大源太山はパスするというメンバーもいたので、この分岐で昼食をとることにして、大源太山を往復してくることにした。
 樹林帯の中のひと登りで山頂の一画に到着する。主三角点の標石が置かれているが、山頂広場は笹原の中を抜けてもう少し先になる。大源太山は、紅葉の季節に三国峠から往復したことがあり、これが二度目である。大源太山の山頂では、数組の登山者が日陰を探して休んでいた。大源太山の山頂は、谷川連峰の展望台となっている。平標山も大分近づいてきていた。
 分岐に戻って昼食とした。予定では大源太山の山頂で昼食の予定であったが、ブナやダケカンバに囲まれたこの分岐の方が涼しくて良かったようである。縦走路は日陰がなくて暑くてまいったが、この日、湯沢では33度を超す夏日になったようである。
 大源太山からは緩やかな下りになり、平標山から仙ノ倉岳にかけての稜線が大きく広がった。写真撮影のためにしばらく足が止まってしまった。この先は、さほどの苦労もなく平標山の家に到着した。小屋には水が引かれており、冷たい水をおもいっきり飲むことができた。この稜線上の水場は、ほんとうに助かる。
 平標山への山頂までは、木の階段が続く。歩幅の合わない体力勝負の登りになって、マイペースでないと歩ききれない。一人になって、先に歩き出した。平標山から下ってくる登山者は多かった。
 大汗をかいてようやく平標山の山頂に到着した。目の前に仙ノ倉山に続くなだらかな笹の稜線が広がっていた。時間がなく仙ノ倉山まで足を延ばすことができないのは残念であった。山頂にメンバーが揃うまでの間、風景をゆっくりと楽しんだ。
 下りは松出山コースをとった。山頂から少し下った付近にはお花畑が広がっている。オノエランや、ヨツバシオガマ、ハクサンチドリ、ハクサンフウロの花を見ることができたが、盛りはもう少し先のようであった。ゆっくりと花を見ていたかったが下山を急ぐ必要があった。松出山でひと休みし、平標山の山頂を振り返った。その先は下山の足を速めた。鉄塔を過ぎるとブナ林の中のつづら折りの下りになり、最後はテニス場の脇で車道に飛び出した。
 駐車場に戻ると、さすがに車は少なくなっていた。三国峠においた車を回収し、宿場の湯に入って解散した。

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