杁差岳

大石山、杁差岳


【日時】 2004年6月5日(土) 前夜発日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 飯豊連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
大石山・おおいしやま・1567m・なし・新潟県
杁差岳・えぶりさしだけ・1636.4m・三等三角点・新潟県
【コース】 奧胎内より足の松尾根
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/飯豊山/杁差岳、二王子岳
【ガイド】 分県登山ガイド「新潟県の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「飯豊山」(昭分社)
【温泉】 ロイヤル胎内パークホテル 500円

【時間記録】
6月4日(金) 20:30 新潟発=(R.7、新発田、R.290、胎内 経由)=21:40 奧胎内  (車中泊)
6月5日(土) 3:55 奧胎内―4:25 足の松尾根取り付き―5:15 姫子の峰―5:42 岩場―6:34 ヒドの窪み―7:48 大石山分岐〜8:04 発―8:45 鉾立峰―9:17 杁差岳〜9:55 発―10:29 鉾立峰―11:12 大石山分岐―11:24 大石山―11:40 大石山分岐―12:28 ヒドの窪み〜12:39 発―13:22 岩場―13:44 姫子の峰〜13:51 発―14:30 足の松尾根取り付き―14:47 奧胎内=(往路を戻る)=16:30 新潟着

 杁差岳は、飯豊連峰主脈北端を代表する山であり、山頂付近は美しいお花畑が広がっている。その名前は、「杁差しの爺や」と呼ばれる残雪形が名前の由来であるといわれている。杁差岳への登山道としては、胎内ヒュッテが起点となる足の松尾根を登って大石山を経由するコースが一般に用いられ、新潟からの飯豊登山の入門コースになっている。
 六月に入って急に蒸し暑くなり、梅雨入りも間近のように思えたが、週末の天気予報は、晴マークが並んだ。東北方面の山への遠出を予定していたのだが、晴天が期待できるなら、飯豊に花を見に行きたくなった。予定変更が木曜日のことであったため、泊まりの装備を調える時間もなく、歩き慣れている杁差岳へ日帰りで登ることにした。
 奧胎内にはゲートがあり、足の松尾根の取り付きまでは、50分ほどの車道歩きが必要になる。6月末からの夏山シーズンには、胎内パークホテルからバスが運行されるようになったが、早朝発の日帰りには役に立たない。現在、胎内川の奧でダム工事が行われており、胎内尾根を貫くトンネルの入口までは、二車線幅の立派な道が整備されている。今回は自転車を用意し、車道歩きを短縮することにした。
 6月は、日の出も早く、4時には明るくなっている。胎内の登山口までは、新潟からそれ程の時間もかからないが、夜明けに合わせるには、真夜中の出発になってしまう。それならば、前夜に登山口に入っておいて、早めに寝た方が良い。
 8時過ぎに新潟を出発したが、胎内スキー場から先も風倉トンネルの開通で整備が進んでおり、1時間少しで奥胎内に到着してしまった。奥胎内には、現在ホテル施設が建設中で、道路もさらに良くなっていくのかもしれない。以前は、渓谷沿いの長く感じる道が続いていたのが懐かしい感じがする。途中で、道路に飛び出しているウサギ二匹に出会い、野生動物が豊富なのは、昔通りといって良い。
 奥胎内の駐車場には、10台程の車が停められていた。登山者にしては多いなと思ったが、翌日は、探鳥会か鳥の調査が行われていたので、その参加者のようであった。
 目覚まし時計の合図で3時半に起床。朝食を簡単にすませていると、登山者の車も到着してきた。薄明るくなった4時に出発した。自転車のペダルを踏んで快適に足の松尾根へと行きたかったが、車道の傾斜は思ったよりも大きく、少し進んだ所で押して歩くことになった。小さな車輪の折りたたみ自転車は、坂道にはめっぽう弱い。奥胎内から尾根の取り付きまでは、標高差で100m程はある。奥胎内大橋から先の未舗装区間も、バスが運行されることになったせいか、以前よりは平らに路面がならされていた。傾斜が緩くなると自転車に乗ることを繰り返し、30分で足の松尾根の取り付きに到着した。行きに関しては、歩くのよりは少し早い程度であった。自転車を林道脇に置いて、歩きの開始になった。
 ブナ林に分け入ると、すぐ先で尾根の登りが始まる。木の根を足がかりにする急な登りが続く。以前、新大工学部の岡本教授が局地雨量の研究のため、登山道を整備するために張ったロープも、支点が取られて使いやすくなっていた。
 いつものように、寝起きで頭もぼんやりしている状態で、黙々と高度を上げていくことになった。尾根の上に横たわる岩場を木の根を踏み台にして乗り越え、もうひと登りすると、第一目標の姫子の峰に到着した。胎内尾根の上部が朝日に照らされていた。大石山は、逆光の中に黒々とシルエットを浮かべていた。ここまでの登りから体調を判断すると、問題は無いようであった。
 姫子の峰からも登りは続くが、傾斜は少し緩み、小さなピークの乗り越しも現れる。足元が抉られている岩場に到着して、慎重に通過した。幸い晴の日が続いており、登山道や木の根は乾いているので歩きやすかった。
 残雪上を通過するような所も現れた。雪解け直後の草付きには、カタクリやショウジョウバカマの花が咲いていた。傾斜が一旦緩み、小ピークを乗り越すと、水場の入口となる標高1095mのヒドの窪みに到着した。窪地には、残雪が豊富に残っていた。結局、今回のコース上では、残雪に乗ったのは、足の松尾根登りの途中の二カ所だけであった。
 ヒドの窪みからは、ブナ林の登りがしばらく続く。大石山までは、あと500mの登りが続き、最後の頑張りどころとなる。右の二つ峰や左の鉾立峰が次第に目の高さになってくると、稜線もすぐそこに迫ってきた。単独行が下ってくるのが、今日初めての人との出会いであった。
 大石山の分岐に登り着いて、まずは朝食をとりながらひと休みした。ここまでは、順調なペースであった。後は、写真を撮りながらのんびり歩くことにした。がむしゃらに歩くにはもったいない眺めであった。鉾立峰との鞍部に向かって進むと、満開のハクサンイチゲの群落が広がっているのに出会った。お花畑の背後に広がる鉾立峰や杁差岳の斜面は残雪によって白い筋が描かれていた。6月ならではの飯豊の眺めを見たくて登ってきたのだが、望みはかなうことになった。シラネアオイも多く咲いていたが、なぜか白花ばかりであった。これまでにも、杁差岳付近には白花のシラネアオイが多いなと思っていたが、この日は、青い花の方が少ない状態であった。圧倒的なハクサンイチゲの群落であったが、その他には、チングルマ、ミツバオウレン、コイワカガミ、ハクサンチドリ、キジムシロの花を見ることができた。こらから先、ヒメサユリ、ニッコウキスゲと新しい花が咲いていき、夏を迎えることになる。
 いつもながら、鉾立峰への登りはきつい。大石山分岐から140m下り、250m登り返して鉾立峰。鉾立峰からは70m下り、140m登ってようやく杁差岳に到着となる。大石山から先の400m程の累積標高差は、普通のハイキングコースならもう一山登る勘定になる。稜線歩きといっても、気を抜けない。
 杁差岳への最後の登りの傾斜が緩むと、杁差岳避難小屋と、その背後に三角形に盛り上がった杁差岳山頂の眺めが飛び込んでくる。重くなった足を運ぶと、ようやく杁差岳の山頂に到着した。
 杁差岳の山頂には、小さな石の祠が置かれ、遮るもののない展望が広がっている。北股岳に至る飯豊連峰の主稜線が南に向かって長く続き、その左手には、飯豊本山も頭をのぞかせている。大勢の登山者で賑わっているであろう二王子岳も残雪を残した姿を見せていた。日本海の海岸線も見分けることができ、今日は新潟からも飯豊がはっきりと見えているはずである。
 眺めを楽しみながら、ビールを開けた。「なぜ山に登るのか?」「この一瞬のためにさ」と答えが出た。一本のビールを飲み干し、ぼんやりと風景を眺めていると、他の登山者も到着した。独り占めの時も終わったことから、歩き出すことにした。
 写真を撮りながらのんびりと戻った。他の登山者にもすれ違うようになったが、鉾立峰の上まであとどれくらいかと聞いてくるような、かなり疲れているような者もいた。大石山までの戻りは、行きと同じくらいの体力が必要なので頑張る必要がある。
 足の松尾根が合わさる分岐の1560mピークに大石山の標識があるが、地図には先に進んだ1567mピークに大石山と書かれている。分岐付近から1567mピークにかけては、かなりの人数の登山者が休んでいた。日帰りは、大石山までが普通のようで、杁差岳まで足を延ばす者は格段に少なくなるようであった。
 もう少し眺めを楽しみたくて、1567mピークまで足を延ばすことにした。分岐から少し下った鞍部付近には、ハクサンイチゲの群落が広がっていた。この日歩いた部分では、一番の群落であった。ハクサンイチゲと二つ峰の取り合わせが美しかった。
 杁差岳から大石山の稜線を歩いたのは、2001年6月30日〜7月1日の1泊2日の山行以来ということになる。この時は、頼母木避難小屋に泊まったが、夜中から強風が吹き出した。翌朝の下山の際には、一歩足を出すごとに体が横に飛ばされて倒れるといったひどい目に会った。美しいお花畑を見ていると、その時の山行は想像もできない。
 花と残雪に彩られた山の眺めを堪能したので、下山にうつることにした。下山途中で、大勢の登山者に出会ったが、知り合いにも三人すれ違ったのには驚かされた。振り返る稜線は、午後に入ってガスが出てきたようであった。快調に足を運んだものの、姫子の峰から先の最後の下りは足も疲れてきた。
 いつもなら山を下りてからも、辛い林道歩きが残されているのだが、今回は自転車を使うことができた。ほとんどこぐ必要もなく、ブレーキをかけながら一気に胎内ヒュッテまで戻ることができた。これからは、このコースでは、必ず自転車を用意することにしよう。

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