新保岳

新保岳


【日時】 2004年5月29日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り後雨

【山域】 蒲萄山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
新保岳・しんぼだけ・852.2m・一等三角点補点・新潟県
【コース】 浜新保登山口
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/笹川、蒲萄/笹川、蒲萄
【ガイド】 なし

【時間記録】 6:30 新潟発=(R.7、聖籠、R.113、R.345、浜新保 経由)=8:35 新保岳登山口〜8:52 発―9:03 尾根上―9:40 606m点―10:44 新保岳〜11:02 発―11:46 606m点―12:11 尾根上―12:21 新保岳登山口=(往路を戻る)=15:20 新潟

 蒲萄山塊は、新潟県北部の、景勝地笹川流れのある日本海海岸部と国道7号線の間に広がる、南北24km、東西約8kmに及ぶ山塊である。新保岳は、この蒲萄山脈の最高峰である。一等三角点が置かれ、この山域では貴重な登山道が整備されていることから、登山者に親しまれている山になっている。 長年親しまれてきた塩野町からの登山口が、広域林道新保岳林道の整備に伴い、標高480m地点に移り、登りのコースタイムも2時間20分から、1時間程に短くなった。これを補うかのように、日本海側の浜新保からの登山道が新しく開かれ、ブナ林をじっくりと楽しみながら登ることができるようになった。
 新保岳の名前は、浜新保の真東にあたり、蒲萄山塊の最高峰であるので沖から漁船の良い目標になったことから、集落名よりとられたという。内陸部の塩野町付近からも良く目立つ山ではあるが、海岸部からも登ってみたいと思っていた。
 藤島玄著「越後の山旅」及び同行した上村幹雄氏の紀行文を読むと、新保川を遡り、二俣の中尾根を辿って新保岳の山頂に至っている。尾根の取り付きまでの沢沿いのアプローチが長いため、このコースは、簡単には手が出せそうもなかった。
 新保岳への浜新保からの登山道が開かれたことを聞いたのは、地元新聞の読者欄への投書であった。小学校に集合し、車で登山口へ移動し、新保岳登山を楽しんだというような内容であった。登山道が開かれたことは判ったが、どこが登山口やらコースはどうなのかについては書かれていなかった。登山道が開かれたことを知っただけでも、貴重な情報ではあるのだが、せめて登山口くらいは書いてあるともっと役に立つ。登山道を開いたと聞くことがあるが、世間へ知らしめる広報がしっかりと行われないので、せっかくの登山道が草ぼうぼうということが良くある。
 2003年10月25日に、塩野町側の新登山口から登り、紅葉のブナ林を楽しんだ。その際に山頂で海岸方面からの登山道を探したが、見つからなかった。整備が完全に終わっていないと、山頂からの入口付近は、薮で隠されている可能性もあり、いずれ浜新保方面から登山道を探してみようかと思っていた。
 その後、断片的な情報も入ってきて、桑川沿いの林道の先に登山口があることを知った。登山口が判れば、後は、登るコースも地図上で見当がついた。登りに出かける前の情報集めの方が難しい山行である。
 県北方面の山はひさしぶりになった。。村上から先は、日本海の海岸線沿いの道が続く。山に出かけるのに、海を見ながらのドライブというのも少し変わった感じがする。
 浜新保について、桑川小学校の案内で国道から分かれて脇道に入った。羽越線の線路をくぐると、新保岳林道が始まっていた。思っていたよりも立派な舗装道路が続いた。途中二カ所に通行止めの看板があったが、路面は問題の無い状態だったので行ける所までと先に進んだ。桑川左岸沿いに続く林道は、新しい地形図には記載されているが、実際には、それよりも谷の奥へと続いていた。
 二回ヘアピンカーブを描いて高さを増すと、その先で新保岳登山口の標識が現れた。林道脇の法面に踏み跡が始まっていた。林道の道幅はあったので、路肩に車を寄せて止めた。
 法面を垂れ下がったロープでひと登りすると、雑木林の中に高みに向かう道が続いていた。登山道は、歩く者は多くは無いようであった。見失わないようにという印か、ビニールテープが道に沿って張られていた。もっとも、急坂のためにつかまってしまう人がいるためか、所々で切れて地面に落ちていた。
 ひと汗かくと、尾根上に出て、傾斜も少し緩やかになった。雑木林に囲まれて見晴らしのない登りが続いた。もっとも、今にも雨が降り出しそうな空模様で、展望は期待できない天候であった。尾根が右に方向を変えると、その先で、606m点に出た。浜新保からのコースは目印に乏しく、中間の目標地点を設定しづらい。地図上で、この606m点は、地図上で唯一標高表示のある地点であるが、下山の時は通過してから判る状態であった。
 606m点から先は、ブナ林が広がるようになった。大木は少なかったが、すらりと伸びて、太さも揃ったブナ林は美しかった。昨年の秋には、塩野町側から登ってブナ林の紅葉を楽しんだが、新緑のブナ林もいいものである。
 ブナ林の下生えは少なく、尾根も広いため、うっかりすると踏み跡をはずしそうになった。640m標高付近では、登山道は、南方向に水平に向きを変えたし、平行に並んだ尾根を乗り換えるような所も出てきた。ビニールロープが頻繁に付けられていたが、残雪でもあると、登山道を忠実に辿るのは難しそうであった。690m地点では、窪地にできた池も現れたが、夏には枯れてしまいそうであった。
 登ってきた尾根は、新保岳の北隣りの820mピークに突き上げるが、ピーク手前で方向を変え、トラバース気味に鞍部をめざした。登りの労力は少なくてすんだが、コースが判りにくくなっていた。このあたりまで来ると、登山道の整備から日数がたっていないのか、登山道は不明瞭になってきた。
 ブナ林にガスがかかり、幻想的な風景が広がった。山頂まであと僅かというところで雨も降り出したが、傘だけで歩き続けた。鞍部からは、最後のひと頑張りで、新保岳の山頂に到着した。登山道が飛び出したのは、山頂広場手前の塩野町登山道脇であった。広場に直接飛び出すと思っていたので、意外であった。山頂広場の周囲には、刈り払いの木の枝が散乱した状態なので、先回は見落としたのか、それとも入口は隠されていたのか、結局判らない。先回は、この前を行き来していたことは確かである。
 雨の予報が出ていたためか、誰もいない山頂であった。ガスがかかり、粟島はおろか日本海も見分けることはできなかった。雨は小降りであったため、傘をさして風当たりの弱い所に腰を下ろした。風が吹き抜けると、梢から落ちる雨粒が、ブナ林に音をたてた。
 下りの途中、雨は本降りとなった。気温も高くて気にはならなかったのだが、車に戻った時には全身ずぶ濡れになっていた。
 着替えの後、林道がどこまで続いているかを確かめるため、車を先に進めてみた。1km程で林道は終点になった。林道新保岳線は、塩野町と浜新保の両側から延びているわけだが、そのつながり方に疑問がでてきた。林道は新保岳とその北側の米ヶ山との鞍部を通過するという。塩野町側の林道は、現在のところ、登山道の南に回り込んでいる。もう一度登山道を横切らないと、米ヶ山方面にはつながらない。また、新保岳と米ヶ山の鞍部を通過するとなると、そこから新保岳の山頂までは、標高差もほとんどないので、30分以内の登りになってしまう。そこまで歩く距離が短くなると、登山の面白味は無くなってしまうだろう。浜新保側からの登山道の新設も、林道のおかげではあるのだが、これ以上林道が延びないと良いのだがと思った。

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