赤尾岳、笹ヶ峰、仏ヶ峰、鍋倉山、西戸屋山

赤尾岳、笹ヶ峰
仏ヶ峰、鍋倉山・黒倉山、西戸屋山


【日時】 2004年5月22日(土)〜23日(日) 前夜発1泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 22日:曇り 23日:曇り後雨

【山域】 妙高連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 赤尾岳・あかおだけ・1441m・なし・新潟県
【コース】 杉野沢橋より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/妙高山/妙高山
【ガイド】 山と高原地図「妙高・戸隠・雨飾」(昭文社)

【山域】 妙高連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 笹ヶ峰・ささがみね・1544.5m・三等三角点・新潟県
【コース】 杉野沢林道より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/妙高山/妙高山
【ガイド】 山と高原地図「妙高・戸隠・雨飾」(昭文社)
【温泉】 杉ノ沢温泉苗名の湯 450円

【山域】 関田山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 仏ヶ峰・ほとけがみね・1140.0m・三等三角点・新潟県、長野県
【コース】 戸狩スキー場より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/飯山/猿橋、野沢温泉
【ガイド】 なし

【山域】 関田山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 鍋倉山・なべくらやま・1288.6m・二等三角点・新潟県、長野県
 黒倉山・くろくらやま・1242m・なし・新潟県、長野県
【コース】 巨木の谷コースより
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/飯山/野沢温泉
【ガイド】 長野県北信・東信日帰りの山(章文館)

【山域】 苗場山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 西戸屋山・にしどややま・717.8m・三等三角点・新潟県
【コース】 清田山キャンプ場より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/苗場山/赤沢
【ガイド】 なし
【温泉】 ゆくら妻有 500円

【時間記録】
5月21日(金) 21:00 新潟発=(北陸自動車道、上越JCT、上信越自動車道、妙高高原IC、杉野沢 経由)
5月22日(土) =0:30 笹ヶ峰  (車中泊)
7:10 杉野沢橋―8:05 赤尾岳―8:17 赤尾岳展望台―8:31 南登山口―9:04 杉野沢橋=9:17 笹ヶ峰東登山口―10:04 笹ヶ峰〜10:25 発―10:52 ヒサコの滝展望台分岐―11:14 笹ヶ峰西登山口―11:27 笹ヶ峰東登山口=(杉野沢、妙高高原駅、斑尾、R.292、藤ノ木、蕨野 経由)=15:30 戸狩スキー場とんだいら  (車中泊)
5月23日(日) 6:25 とん平発―7:11 ゲレンデ上―7:41 仏ヶ峰〜7:45 発―8:08 ゲレンデ上―8:33 とん平=(温井 経由)=9:30 巨木の谷登山口―9:55 下の分岐―10:02 森姫―10:18 森太郎―10:36 上の分岐―11:05 筒方峠―11:16 鍋倉山―11:25 筒方峠―11:32 黒倉山―11:36 筒方峠―11:42 昼食〜11:58 発―12:18 上の分岐―12:25 下の分岐―12:46 巨木の谷登山口=(温井、R.117、倉俣、清田山 経由)=14:15 遊歩道入口―14:22 西戸屋山―14:30 遊歩道入口=(清田山、倉俣、R.353、R.117、越後川口IC、関越自動車道 経由)=17:20 新潟着

 妙高山と火打岳の南に位置する笹ヶ峰は、標高1250m付近に広がる高原である。登山基地やキャンプ場として賑わいを見せているが、周辺にはハイキングコースが整備されている。赤尾岳は、笹ヶ峰ダムによってできた乙見湖に流れ込むニグロ川と真川に挟まれた薬師岳から東に延びる稜線の末端にある山である。
 笹ヶ峰というと、妙高山の外輪山である三田原山の南山麓に広がる牧場やキャンプ場のある高原一帯をさすことが多いが、火打岳への登山道の途中の富士見平から弥八山を経て南に落ち込む尾根の末端にあるピークが笹ヶ峰で、遊歩道が整備されている。
 仏ヶ峰は、千曲川左岸の新潟・長野県境に沿って広がる関田山塊の、戸狩温泉スキー場上部の北隣に位置する山である。
 鍋倉山は、千曲川の左岸の新潟・長野県境に沿って広がる関田山塊の最高峰である。県境の関田峠からは容易に登ることができ、関田山塊を代表する山として親しまれてきたが、最近では、森太郎、森姫といったブナの巨木が残されていることから人気が高まっている。
 西戸屋山は、苗場山塊の北山麓が信濃川にぶつかる、清津川と釜川に挟まれた河岸段丘上の山である。山麓一帯には、清田山キャンプ場が設けられ、西戸屋山への遊歩道が整備されている。

 この週末は、新緑のブナ林を期待して、妙高から関田山塊方面を回ることにした。土曜日に予定していた妙高の赤尾岳と笹ヶ峰は、朝立ちでも登れるのだが、前夜発とした。金曜日の晩に夕食を終えれば9時近くになって、翌朝早起きするとなれば11時に寝る必要があり、2時間ほどの時間しか残らない。それならば、車の運転を終えておいて、翌朝はのんびり起き出した方が良い。天気予報も、昼過ぎから天気は下り坂になるようであった。
 深夜に笹ヶ峰の駐車場に到着して、ビールを飲んで寝た。翌朝、時間を決めた訳ではなく、目が覚めたところで起き出した。火打岳登山口をのぞくと、何台もの車が停まっていた。火打岳は、残雪の山として楽しい季節であるが、01年5月27日に同じ時期に登っている。今日は、マイナーピークを目指すことにした。
 乙見峠へ通じる杉野沢林道へ進むと、乙見湖上流部の真川をまたぐ杉野沢橋に出る。橋を渡った先に、「赤尾岳遊歩道」と書かれた大きな標柱が立てられ、登山道が始まっていた。橋の周辺部には、山菜採りの車が多く停められていた。
 遊歩道に入ると、急な登りが続いたが、じきに台地の上に出た。細い白樺やブナが立ち並ぶ笹原の中に登山道は通じていた。笹が倒れ込んででおり、さらに残雪も現れて、コースが判りにくくなっていた。初心者のハイカーでは、辿れないかもしれない状態であった。今年初めてのサンカヨウの花も発見。この花を見ると夏も近づいてきたと思う。エンレイソウやオオタチツボスミレの花も咲いており、カメラ片手の歩きになった。前方に赤尾岳の山頂が迫ってきた所で、コースは、右に折れて、稜線の上を目指す急な登りが始まった。ブナ林の広がる稜線の上に出ると、はっきりした道が続いていた。緑のなかにミツバツツジのピンクが一際鮮やかであった。
 赤尾岳の山頂を目指して登りを続けていくと、下りにかかってGPSを確認することになった。赤尾岳の山頂を少し過ぎていることが判り、戻ることになった。赤尾岳の山頂は、稜線上のただの一点でしかなく、標識や三角点もないため、通り過ぎてからそれと気がつくような所であった。赤尾岳の山頂は、木立に囲まれていたが、振り返ると、まだ白い焼山を眺めることができた。
 南東に下っていくと、赤尾岳展望台と書かれた小広場に出た。乙見湖を眺めることができたが、木立が茂って、展望が邪魔されていた。展望台を整備してから、かなり日数がたっているようであった。展望台からは、つづら折りの下りが始まった。傾斜がゆるむと、じきに林道に飛び出した。
 地図では、林道は、乙見湖へ岬状に張り出した先端にむかって大きく迂回しているが、実際にはショートカットしており、歩く距離も短くなっていた。杉野沢橋に向かって戻る途中、ミズバショウの群落が道路脇に広がっていた。木道も設けられている所もあったが、見物している者はいなかった。
 続いて笹ヶ峰に登るため、林道を戻った。登山口は、東と西の二ヶ所あるが、とりあえず東の登山口から登ることにした。沢沿いに登っていくと、トラバース気味の登りになり、南西の尾根に回り込んでから本格的な登りになった。赤尾岳に比べると、笹ヶ峰の登山道の方が良く踏まれていた。途中に入り込む枝沢には、ミズバショウが、花を咲かせていた。この一帯では、ミズバショウは、ごくありふれた花になっていた。シロバナエンレイソウを発見。この花は、初めて見るので、これだけでも笹ヶ峰を歩いた価値はあったというものである。
 南西尾根を登っていき、ひとつ手前の尾根にうつると、その後は僅かな登りで笹ヶ峰の山頂の一画に到着した。笹ヶ峰の山頂一帯は、すらりとしたブナ林が広がっていた。山頂手前で、単独行が湯を沸かしながら休んでいた。三角点の置かれた山頂の脇には、融け残りの残雪が広がっていた。
 残雪の縁に腰を下ろして昼休みにした。ブナ林の緑が、残雪の白と相まって一際鮮やかであった。単独行も歩き出していき、一人だけの山頂になった。しばらく森の息吹に耳を傾けることにした。
 笹ヶ峰の山頂からは、北に向かう登山道に進んだ。尾根に広がる雪原の登りになるところで、遊歩道は、左に直角に向きを変えていた。赤布が付けられていたが、薮が倒れ込んでいて判りにくくなっていた。その先の登山道に、足跡はなく、先程の単独行はどこにいったのやら。この尾根は、弥八山を経て富士見平に通じている。単独行は、ローカットのトレキングシューズにデイパックの軽装備で、この尾根を登りにきたとも思えない。間違えて先に進んでしまったのかもしれないが、そのうち間違いに気が付くであろうし、下降部が判らなくても、笹ヶ峰の山頂に戻れば良いだけのことである。
 つづら折りの急な下りは落ち葉がつもって滑りやすく、二度も尻餅をついてしまった。沢沿いの下りになると、右にヒサコの滝展望台への遊歩道が分かれた。台地の中を下っていくと、ミズバショウやニリンソウ、ミヤマカタバミの群落に出会うことができた。予想以上に花の多い山であった。
 林道を歩いて戻る途中、行き交う車に出会ったが、みな山菜採りのようであった。
 時間もまだ早いので、低山をもう少しと思ったが、急に黒雲が広がって、雨が降り出しそうになった。山歩きの意欲もなくなって、杉野沢の温泉に向かった。
 翌日の仏ヶ峰のために、斑尾山をかすめて飯田へ向かった。途中の万坂峠で袴岳への取り付きを見ると、先回の雪の季節には判らなかったのだが、カラマツ林の中にしっかりした道が付けられていた。斑尾山から松之山まで関田山脈を縦断する登山道を開くという「関田山脈ロングトレイル」計画も進んでいるようであった。
 仏ヶ峰の登り口の戸狩温泉スキー場は、かなり上部まで車で上がることができるようであった。車のナビをセットしたものの、蕨野の集落内で道に迷って、行ったり来たりになった。ようやく正解の道に入ると、舗装された車道は、つづら折りを繰り返しながら一気に高度を上げた。ゲレンデ中央部は、盆地状でリフトが集まっており、ロッジも二軒並んでいた。ロッジの名前からすると、ここはとん平と呼ばれるようであった。山菜採りやゴルフの練習の人の車が数台停まっていたが、雨が降り始めて、山を下りていった。
 雨の振り出しは思ったよりも遅れたが、夜通し激しい雨が続いた。翌朝は、幸い雨が上がってくれたが、薮が濡れているため、雨具のズボンを履いての出発になった。
 まずは、一番の高みに通じているリフトの終点までゲレンデを登る必要がある。戸狩温泉スキー場のゲレンデ配置については全く知らなかった。新潟からこのあたりのスキー場まで来るとなると、志賀や野沢に足が向いてしまう。目の前のゲレンデを登り、左から回り込んでいけば、ゲレンデ最上部に到達できそうであった。
 ゲレンデは、草の丈も短く、歩くのは問題は無かったが、急斜面のため息がたちまちあがってしまった。リフト一本分を登り詰め、最上部のリフトに向かって南から接近していった。ゲレンデ周辺には、すらりと背の高いブナ林が広がっているのが目にとまった。このゲレンデも、ブナ林であったものを切り倒して作ったものだとすると、今となっては貴重な資源を無くしてしまったことになる。
 ゲレンデ最上端に到着して仏ヶ峰に向かう尾根をのぞくと、はっきりした山道が切り開かれていた。歩き始めの尾根にはブナの大木が並んでおり、入口に立つブナの木に、「森林資源モニタリング調査基点案内標」と書かれた赤いプレートが付けられていた。この山道は、スキー場付属のブナの観察路とも思えないので、「関田山脈ロングトレイル」に関連して整備されたものかもしれない。
 歩き出してすぐのこぶを右から巻くと、県境稜線が左から合わさった。仏ヶ峰とは逆方向にも、少し薮っぽいものの切り開きがされており、テープが付けられていた。少し山歩きになれたものなら、それほどの苦労もなく、県境線を歩けそうであった。谷向こうに仏ヶ峰の山頂も頭をのぞかせていた。
 仏ヶ峰へ向かう稜線は、僅か先で方向を右に変えた。潅木帯の中の緩やかな登りが続いた。途中、木の枝が伸びている所も出てきたが、ヤブコギという程のことはなかった。一旦傾斜が緩んで、さらに先に進み、もうひと登りすると、仏ヶ峰の山頂に到着した。
 頭を赤ペンキで塗られた三角点が無ければ、山頂とは思わないようなところであった。山頂標識や、仏ヶ峰という名前から想像されるような宗教的遺物のようなものは見あたらなかった。山頂からは、薮が少しうるさかったが、野沢方面の山の眺めが広がっていたが、雲が多かった。山道はさらに先に続いていた。
 予想外の山道に助けられて、仏ヶ峰の登山は、ゲレンデ登りが一番のアルバイトということで終わった。
 仏ヶ峰の北には、鍋倉山がある。鍋倉山に登ったのは、94年10月23日だったので、それから10年が過ぎてしまった。今回の目的は、ブナの巨木として良く耳にするようになってきた森太郎と森姫を見ることであった。巨木の谷として遊歩道も整備されたようであるが、人が多く入り込んで木の回りの土が踏み固められることを避けるため、登山口がわざと判りにくくされているらしかった。また、森太郎と森姫の位置についても、わざと曖昧にされてきたようである。ただ、二年前発行の「長野県北信・東信日帰りの山」のガイドブックには、巨木の谷コースのコース図が掲載されている。コースをGPSに移し替えて歩く準備をした。
 温井の集落を過ぎると、観光バスも通れるほどの立派な車道が、鍋倉山に向かって続いていた。昔もこんなに良い道であったかどうか。ただ、県境の関田峠から向こうの新潟県側は、冬季閉鎖が続いているようであった。田茂木池を左に見たら、そこから2.6kmの地点が登山口のようであった。地図から読みとった登山口の地点を車のナビにセットして、車を走らせた。登山口の手前と行きすぎた所に車を置くことのできる広場があった。小型の観光バスがとまっており、関東方面の団体が入っているようであった。
 巨木の谷コースの登山口は、灌木帯の中に分け入る踏み跡状態で、それと知らなければ判らないようになっていた。20m程中に進んでみると、 「いいやまブナの森倶楽部」の立てた案内標識が置かれていた。もっとも、冬の間に痛むのを防ぐためか、看板部分は取り外して、青いビニールシートに包まれて脇に置かれており、読み取れたのは標柱に書かれた文字だけであった。新しいシーズンに向けてのコース整備は、まだのようであった。
 コースに間違いはなさそうなので、近くの広くなった路肩に車を停めて歩き出す準備をした。灌木帯の中を抜けていくと、沢沿いの登りになった。ひと登りの後は、西に向かってのトラバース道になった。張りだした木の根を跨ぎ越していく歩きにくい道であった。尾根に上がった所は三叉路になっており、尾根沿いの上方に向かっては鍋倉山、谷に向かってトラバースしていく道が、巨木の谷観察路であった。ここには、周遊コースの絵看板が置かれていた。
 トラバース道に進むと、左に下る道が現れた。100m程下ると沢に突き当たって踏み跡は終わりになった。森姫はどこだと見回して振り返ると、そこにあった。白い幹に、苔が緑の模様を描いていた。梢はかなり痛んでおり、脇にこの冬に落ちたものかどうか判らないが、太い枝が横たわっていた。木の脇に立ち入らないように荒縄が張り巡らされていたようであるが、冬の間に縄は切れて地面に落ちていた。少しでもインパクトを少なくするため、縄の外から見物することにした。太いことは確かだが、少し離れているため、大きさの実感が掴みにくかった。
 トラバース道に戻って先に進むと、ブナの倒木が横たわっており、土塁のように土に帰りかけていた。案内板にあった謙信ブナの倒木のようであったが、これは確かに太かった。倒木の上には、すでに他の植物が目を出していた。屋久島の屋久杉ランドで見た、倒木と新しい木の芽生えのサイクルを思い出した。古くなった木は倒れて、次世代の木の栄養と、太陽を分け与える役目を果たすという。
 トラバース道は、残雪で覆われた沢を渡って続いていた。森太郎は、登山道脇に佇んでいた。坪田氏の「ブナの山旅」
 によれば、幹回り5.35mで1994年の順位で全国9位になるようである。コノブナは、幹の回りに多数の縦縞のコブができているのが特徴的であった。これは、幹の内部に生じたヒビを補強するために割れたところがふくらんで、コブ状に盛り上がっていくのだという。いずれにせよ、老齢の印である。森太郎は、緑の葉も多くついており、木の勢いは強いようであった。平成14年の樹木医による衰退度の5段階評価(5が一番悪い)では、森太郎が3、森姫が4であったという。いずれは倒れる運命にあるといっても、ブナ見物で寿命を短くしてはいけない。
 二本の老木を後にして遊歩道を進んだが、太い木は他にも沢山あった。森太郎のすぐ先で遊歩道は折り返すように、一段高い所をトラバースしながら続き、再び三叉路上部の尾根に出た。ブナ見物が目的といっても、山に登らなかれば片手落ちのため、鍋倉山への道に進んだ。ひと登りの後、山腹を右に巻いていく道が長々と続いた。途中で横断する沢は残雪で埋もれて、足元に注意する必要があった。
 黒倉山と鍋倉山との鞍部が近づくと、背の高いブナ林が広がった。鞍部にかけては、残雪の斜面になっていた。所々で夏道が現れていてコースは間違っていないのだが、ここまで続いていた先行する団体の踏み跡が無くなってしまった。雪原のトラバースを避けるため、ブナ林を一旦下り、鞍部めがけての直登を選んだようであった。残雪があるとは思っていなかったのだが、雪は柔らかく、長靴でのキックステップでも問題は無かった。鞍部目指して、トラバースを続けた。
 鞍部は、筒方峠と呼ばれる。先回の山行では、誤って温井への登山道に入り込んでしまって引き返した覚えがあるので、登ってきた登山道はコースが少し変わっているのかもしれないが、昔からあったようである。この先は、登山者にも出会うようになって賑わっていた。
 鍋倉山への最後の登りは、沢沿いの陰気な道であったと思うのだが、雪原の一気の登りになった。ハイキング気分で登ってきた者は、この残雪の登りに驚かされたことであろう。私自身も、予想していなかった。滑っても滑落まではいかないので、ハイカーの良い思い出になったことであろう。
 鍋倉山の山頂は、祠と三角点が中央に置かれた狭い広場である。休憩中のハイカーが思い思いに腰を下ろしていた。山頂広場からは、新潟方面、少し先に進んだ切り開きからは、千曲川の眺めが広がっていた。南に続く県境線にそっては、登山道が切り開かれていた。「関田山脈ロングトレイル」も現実のものになろうとしているようであった。
 混み合った鍋倉山の山頂で休む気にはなれず、黒倉山に向かってみることにした。雪原を下って鞍部に戻り、再び登りに転ずると、ひと登りで黒倉山の山頂に出た。木製と石づくりの標柱が置かれていた。山頂からは新潟県側の光ヶ原牧場を眺めることができた。この山頂も、登山者が行き来して落ち着かないので、鞍部手前のブナ林まで戻ってから昼の大休止をした。
 ブナの新緑が美しかった。巨木とは違った壮年期というべき、勢いのある美しさであった。腰を下ろし、じっと眺めているだけで、緑が心にしみてくる感じがした。時折、雪に押さえ付けられていた潅木の枝が開放されて跳ね上がる音だけがブナ林にひびいた。一人で山に登ってこそ味わえるひと時であった。ゆっくりしていたかったが、空模様が怪しくなり、下山を急ぐ必要がでてきた。
 尾根の下りに入り、森太郎への道を見送って直進すると、直に始めの三叉路に出た。後は、木の根で歩きにくい道を戻ると、登山口に戻ることができた。
 主な目的は果たしたが、最後のおまけとして、新潟に戻る途中で寄ることのできる西戸屋山によっていくことにした。西戸屋山への登山道は地図には記載されていないが、山麓一帯にキャンプ場が設けられていることから、遊歩道があるはずであった。
 国道から分かれて清津川沿いに遡ると、段丘上への急な登りになった。信濃川右岸の苗場山の山裾は、特に河岸段丘が発達している。車を走らせているうちに、雨も本降りになってきた。ここまで来たうえは、なんとしても西戸屋山に登っておきたかった。
 清田山の集落を過ぎると、農道めいた狭い道になった。このような山奥にと思うような所に、清田山キャンプ場があった。テニスグランドやオートキャンプ場が設けられているようであるが、このように知名度の無いところに人が集まるのだろうか。
 キャンプ場の脇から遊歩道が始まっていたが、少し先で車道を横断しているようなので、車を先に進めた。再び遊歩道入口に出たので、ここから歩き出すことにした。傘をさし、GPSとカメラだけを持って歩き出した。ブナ林の中に切り開かれた遊歩道を登っていくと、じきに西戸屋山の山頂に到着した。といっても、三角点が頭をのぞかせているので西戸屋山の山頂と判るが、山頂標識のようなものは無く、遊歩道の一点といった感じであった。遊歩道はさらに先に続いていたが、これはキャンプ場の敷地内を一周して続いているようなので、来た道を戻ることにした。
 車に戻ると、登山を切り上げる合図のように、雨も激しくなった。

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