福取岳、井戸小屋山

福取岳、井戸小屋山


【日時】 2004年5月8日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 会越国境
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 福取岳・ふくとりだけ・584・なし・新潟県
【コース】 福取より
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/野沢/徳沢
【ガイド】 新潟の低山藪山(白山書房)

【山域】 会越国境
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 井戸小屋山・いどこややま・902・なし・新潟県
【コース】 棒目貫先の林道より
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/野沢/安座
【ガイド】 なし
【温泉】 七福温泉 500円

【時間記録】 8:20 新潟発=(R.49 経由)=10:55 尾根取り付き〜11:02 発―11:28 岩場―11:47 福取岳〜12:02 発―2:30 岩場―12:49尾根取り付き=(R.49、上川、七名、棒目貫)=13:30 林道入口〜13:36 発―13:52 尾根取り付き―14:44 844mピーク―14:58 井戸小屋山〜15:15 発―15:28 844mピーク―16:15 尾根取り付き―16:31 林道入口=(往路を戻る)=19:20 新潟着

 福取岳は、国道49号線の会越国境近くにある福取集落背後に聳える岩山である。小さいながらスラブをまとった姿は、登頂意欲をそそる。
 会越国境近くに一枚岩のスラブ登りで名高い御前ヶ遊窟がある。御前ヶ遊窟は岩峰の下にうがたれた岩屋であるが、西に隣り合う井戸小屋山が、最高点ピークである。井戸小屋山は、御前ヶ遊窟を訪れた際に登頂することが一般的であるが、御前ヶ遊窟へのスラブ登りとソーケエ尾根の下りで、時間的にも体力的にも精一杯ということになってしまい、この山頂まではなかなか届かない。かつては、滝首から滝首沢を登り、尾根伝いに井戸小屋山へ登る道があったようである。現在では、棒目貫から滝首をむすぶ車道の峠部から分かれる植林林道の終点近くから、鍬沢左岸尾根を辿って短時間で登ることができる。御前ヶ遊窟は、余五将軍(平維茂)の夫人が隠れ住み、井戸小屋山には、ここの清水を婦人が使ったという伝説が残され、山名の由来になっている。
 五月連休の残雪縦走の疲れが残っており、標高差のある山は登れそうもなかった。ヤブコギで散々痛めつけられたにもかかわらず、なぜか藪が恋しくなっていた。津川の奥の藪山を目指して出かけることにした。
 はじめに、土埋山の南にある袴腰山を目指したのだが、津川カントリークラブによる、この一帯の山に登るには入山料1050円を取り、無断の入山者は、1万円の罰金という看板を見て引き返すことになった。土埋山の登山口には、登山標識と並んで、この看板がでかでかと置かれていた。土埋山への登山道は整備されたようであるが、以前は一等三角点ピークとして知るものだけが細々と登ってきたものを、人が少しは集まるからといって入山料をとるのは納得がいかない。営業は4月から11月というので、12月に入ったら登りにこようか。
 気分を入れ替えて近くの福取岳に向かった。福取集落へは、一旦福取トンネルを抜けてから国道を離れて入った。トンネル手前からの道は、荒れて通行止めになっていた。福取集落に着くと、福取岳が小さいながら、スラブをめぐらした荒々しい姿を見せていた。ここを訪れるのは、99年11月20日に古惣座山を登って以来ということになる。
 集落はずれの舗装道路終点先の空き地脇に車を停めた。福取岳は、小さい山であるが、険しい山なので、コースを考える必要がある。山頂から南に延びる尾根は、途中で南と南西の二つの枝尾根に分かれる。どちらの尾根から登るか迷ったが、とりあえず南の尾根から取り付くことにした。杉林に入り、尾根の上めざして藪の薄そうな所を選んで登った。尾根に上がると、はっきりした踏み跡が続いていた。手で枝を掻き分ける必要はあったが、急斜面の登りのため、手がかりになって助かった感もある。
 急坂のため、高度もすぐに上がり、眼下に集落を見下ろすようになった。尾根の右手は断崖になっているようであったが、薮に覆われているため、危険を感じるようなことはなかった。尾根が左に曲がるところで直進して薮に突入しそうになったが、良く見ると、踏み跡は左に続いており、赤布も付けられていた。
 尾根の合流点手前で、10m程の露岩帯が現れた。難しい岩場では無かったが、岩の上に小石が散らばっているため、足を滑らさないように、岩角や木の枝を掴んで慎重に通過した。下りは、尾根からこの岩場に下りる所が判りにくいのと、登り以上に転落に注意が必要であった。
 尾根の合流点からは、痩せ尾根の先に小ピークが聳え、その奥に福取岳の山頂が見えていた。チゴユリやミツバツツジに彩られた薮を掻き分けながら、これくらいのヤブコギなら楽しいなと思った。
 福取岳の山頂は、刈り払われた小広場となり、飯豊の大日岳の展望が大きく広がっていた。阿賀野川にかかる赤く塗られた鉄橋も眼下に見下ろすことができた。40分程で登ることのできる集落の裏山とは思われぬ眺めであった。
 下りは、岩場上の尾根分岐をそのまま直進しそうになった。この方面にも、踏み跡は続いているようであった。尾根の末端で、登り口を確かめようとしたが、杉林の中で不明になってしまっていた。
 福取岳を登り終えて今日の目標は達成したが、時間も早いことから、井戸小屋山の偵察を行うことにした。インターネットの仲間から、井戸小屋山の山頂には、御前ヶ遊窟以外の方向から山道が上がってきているという情報を得ていた。藤島玄氏の「越後の山旅」を見ると、昔は滝首から山道が通じていたようである。新しい地図を見ると、たきがしら湿原からと、棒目貫とたきがしら湿原を結ぶ車道の峠部から、林道が延びている。このどちらかの林道終点付近から山道が始めるだろうと想像した。まずは峠部からの林道をあたってみることにした。
 棒目貫の先の御前ヶ遊窟入口を過ぎると、車道はつづら折りを交えながら高度を一気に上げる。尾根の乗り越し部の峠部に到着してみると、地図にある林道が始まっていた。鎖はかかっていなかったが、路面の様子が判らなかったため、この先は歩くことにした。
 尾根通しに林道は続き、急なカーブ地点は舗装もされており、車の走行には支障はなさそうであった。前方には、スラブが切り落ちた稜線の眺めが広がっていた。どうやら、御前ヶ遊窟からの下山に使うソーケエ尾根のようで、その右手が井戸小屋山のようであった。御前ヶ遊窟へは、取り付きのシジミ沢まで1時間30分も沢沿いの山道を歩いたことを思うと、意外な近さであった。20分程の歩きで、前方の山の斜面が伐採地になっており、その手前で尾根の末端に突き当たった。
 尾根の末端部を見ると、踏み跡が始まっていたので、ここを登ってみた。杉の植林地とブナ林の境界に踏み跡は続いていた。北側からの尾根の合流点に上がると、北側も伐採されて植林地が広がっていることが判った。南に向かって、植林地の縁を進むと、急斜面となって植林地は終わり、その上でブナ林の広がる広尾根になった。
 今回は偵察だけと思って歩き出したのだが、踏み跡はさらに続き、地図をみると、井戸小屋山の山頂まではそう遠くないことから、3時になったら引き返そうと思いながら歩き続けた。ブナの林床の笹原も丈が低く、時折踏み跡をはずしてもすぐにリカバリーできるといった状態であった。尾根が痩せてくると、左手の谷越に、岩峰が並んだ岩尾根の眺めが広がった。どうやら御前ヶ遊窟上部の岩塔を裏から眺めているようであった。しじみ沢からの圧倒的な眺めではないにしても、ここまでの簡単な登りからすれば、思わぬもうけものといった感じがした。尾根の左端はタツミ沢に向かって一気に切り落ちているようであったが、灌木が壁になっており、危険な感じはなかった。
 844m小ピークを越えると、ブナ林が広がった。雪田も残っており踏み跡は不明瞭になり、コースを杉の木立が続く尾根沿いにとった。ここまでの踏み跡は、井戸小屋山のピークを西に巻いていったのかもしれない。
 結局、尾根の取り付きからは、1時間の登りで井戸小屋山の山頂に到着した。鍬沢沿いを歩いていたならば、ようやくしじみ沢の取り付きに到着したところである。
 井戸小屋山の山頂は、狭い刈り払いが行われ、頭の丸い主三角点が頭をのぞかせていた。御前ヶ遊窟方面にはしっかりした山道が続いていたが、県境方面は薮が広がっていた。山頂の眺めは、薮に邪魔されていたが、登ってきた尾根やソーケエ尾根からタツミ沢に落ち込むスラブを眺めることができた。昼食もとらずに歩いてきたので、ひと休みした。井戸小屋山の山頂に、3時過ぎまでのんびりしているとは、御前ヶ遊窟からソーケエ尾根を下山するとしたら、考えられないことである。
 井戸小屋山への本コ−スは、しじみ沢から御前ヶ遊窟へのメインルートと比べれば、裏道といった位置づけであろうが、御前ヶ遊窟からの安全な下山、井戸小屋山を経て鍋倉山や談合峰へ至る際のアプローチとして利用価値は高いと思われる。
 鍋倉山や談合峰への足がかりができたと喜びながら、夕暮れも近づいた山道を下った。

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