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上ノ倉山〜白砂山〜佐武流山〜赤倉山縦走


【日時】 2004年5月2日(日)〜5月4日(火) 2泊3日
【メンバー】 宇都宮グループ
【天候】 2日:曇り 3日:晴 4日:曇り後雨

【山域】 上信越国境
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 西沢ノ頭・にしざわのかしら・1774.7m・三等三角点・新潟県
 セバトノ頭・せばのかしら・1890m・なし・新潟県、群馬県
 大黒ノ頭・だいこくのかしら・2070m・なし・新潟県
 上ノ倉山・うえのくらやま・2107.8m・三等三角点・新潟県、群馬県
 忠次郎山・ちゅうじろうやま・2084m・なし・新潟県、群馬県
 上ノ間山・かみのあいやま・2033.3m・二等三角点・新潟県、群馬県
 白砂山・しらすなやま・2139.7m・三等三角点・群馬県、長野県
 沖ノ西沢ノ頭・おきのにしざわのかしら2035.9・三等三角点・新潟県、長野県
 赤土居山(赤樋山)・あかどいやま・2095m・なし・新潟県、長野県
 佐武流山・さぶりゅうやま・2191.5m・二等三角点・新潟県、長野県
 ナラズ山・ならずやま・2051.7m・三等三角点・新潟県、長野県
 赤倉山・あかくらやま・1938.4m・三等三角点・新潟県、長野県
【コース】 三国スキー場より赤湯
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/四万、岩菅山/三国峠、佐武流山、野反湖、
【ガイド】 なし
【温泉】 街道の湯 600円

【時間記録】
5月2日 6:00 新潟発=(関越自動車道、湯沢IC、R.17 経由)=9:55 三国スキー場〜10:20 発―11:44 リフト終点〜12:05 発―13:41 西沢ノ頭―14:28 燕山分岐―16:20 県境分岐―16:50 セバトノ頭―17:15 ムジナ平  (テント泊)
5月3日 5:55 ムジナ平発―6:50 大黒ノ頭―7:15 上ノ倉山―8:05 忠次郎山―9:55 上ノ間山〜10:05 発―11:20 三県境―11:26 白砂山〜11:33 発―11:38 三県境〜12:10 発―13:45 沖ノ西沢ノ頭〜14:00 発―15:04 赤土居山〜15:20 発―16:50 佐武流山  (テント泊)
5月4日 6:32 佐武流山発―7:34 切明分岐―7:44 西赤沢の水場〜7:53 発―9:40 ナラズ山〜9:50 発―11:00 赤倉山―13:42 赤湯―14:33 見返の松―14:52 鷹ノ巣峠―15:33 林道終点―15:55 ゲート―17:08 林道除雪終点=(往路を戻る)=21:20 新潟着

 上越国境に沿って延びる谷川連峰の西端は、一般には三国峠といってよいであろう。三国峠から西の稲包山を経て三坂峠までは、最近登山道が切り開かれて、谷川連峰からの縦走路が延びている。さらにその西の県境線は、上ノ倉山、忠次郎山、上ノ間山を経て、新潟、群馬、長野三県境に位置する白砂山に至る。ここから稜線は北に向きを変えて新潟・長野県境となり、佐武流山、ナラズ山、赤倉山を経て苗場山に至る。谷川連峰、白砂山、苗場山と並べるとそれぞれ独立した山塊のように見えるが、これらを結ぶ稜線は、清津川の源流部を形作っている。北部の苗場山から赤倉山を経て佐武流山までは、最近になって登山道が整備されているが、他の区間は、藪に閉ざされているため、残雪期を選んで縦走することになる。
 一年のうちでも、まとまった休みのとれる五月連休の山行は、ここ数年続けて宇都宮の山中間の室井さんと山中テント泊での残雪縦走を行ってきた。今年は、三国スキー場から白砂山を経て佐武流山へ縦走することになった。当初は、苗場山から神楽峰経由で下山を考えた。しかし、かぐらみつまたスキー場は5月中旬まで営業とのことで、最後はゲレンデ歩きになってしまう。祓川までの林道の入れる所までと考えたが、4月24日に行った偵察では、みつまた集落のはずれで林道は除雪されないままに雪に埋もれていた。結局は、赤倉山から赤湯への下山が良いだろうということになった。赤湯は4月29日に営業開始との情報を得ていたので、苗場スキー場からゲートまでの林道は通れるものと思ってしまい、後で予想外れに出くわすことになった。本来は、4月24日の偵察で、この林道も確かめるつもりであったのだが、時ならぬ降雪で、ノーマルタイヤでの車の運転が心配で、みつまたから湯沢へ引き返してしまっていた。
 三国スキー場から上ノ倉山、白砂山、佐武流山、赤倉山を経て赤湯へ下山の2泊3日、予備日1日の山行計画がまとまった。このコースの利点は、両登山口が近く、車を二台用意すれば、車回しが20分程ですむことである。なによりも両登山口が新潟県側にあることが、新潟県人の私にとっての県境縦走には相応しかった。後は天候と残雪の状態を祈ることになった。天気予報では、2日と3日は晴れ、4日は曇り時々雨というものであった。途中のエスケープルートとしては、白砂山から野反湖下山も考えて、その場合はタクシー代もそうとうにかかるため、お金も余分に持っていくことにした。
 集合場所は、元橋の平標山登山口ということになった。天気予報に反して、谷川連峰付近は風も強くガスがかかっていた。早めに到着して、平標山へ出発していく登山者を見ていると、悪天候に出発を躊躇している者もいた。
 宇都宮からの4名の仲間が到着したところで、まず赤湯温泉への林道を目指した。苗場スキー場の下から林道に進むと、苗場―田代ゴンドラが頭上を通過するところで残雪のために通行止めになっていた。予期せぬことであったが、赤湯からバス停のある元橋まで歩く登山者もいるはずなので、余計な林道歩きを覚悟すれば良いことであった。私の車を置いて、三国スキー場に向かった。
 三国スキー場は、今回とほとんど同じメンバーで、昨年の秋に三国峠から稲包山を経て三坂峠から下山して以来ということになる。室井さんが法師温泉口から稲包山に登るという計画を聞き、それならば車を出すので、三国峠からの縦走にしようと誘ったのも、谷川連峰と白砂山方面を結ぶその気にさせるための呼び水のつもりもあった。ゲレンデ入口の広場には数台の車が停まっていたが、山菜採りのもののようであった。
 2泊3日の残雪縦走の荷物はずっしりと重かった。ピッケル、アイゼンの他に、悪天候も予想されたため、濡れた衣類の代えも考えて、余計に荷物は多くなっていた。
 全く雪の無いゲレンデを歩き出した。ゲレンデ登りは、見た目よりも厳しい。第一レフト終点付近になってようやく残雪も現れた。雪解けの後から顔を出したフキノトウを夕食のおかずにつんだ。
 第二リフト終点で、昼食を兼ねての大休止になった。ここからいよいよヤブコギの開始になる。ガスのために視界が利かないのが、難しさを増していた。
 リフト終点からの尾根には、テープの列が続いていたが、ブナ林の林床に広がる頭上を越えるクマザサを掻き分けての登りになった。東からの尾根が合わさる1650m小ピークは、ヒノキに覆われた岩のピークで、ザックが引っかかって通過に苦労した。尾根に乗ってやれやれと思ったものの、期待していた残雪は現れなかった。最初の目的地の西沢ノ頭が目の前に迫ったものの、シャクナゲとハイマツの手強い藪に、遅々とした前進になった。鞍部付近からは残雪が現れて少しは楽になったものの、燕山分岐のピークや1852mピークでは、密な藪に出会い、木の枝をくぐるにしても大型ザックでは引っかかって体力を消耗した。県境線手前の1850mピークでは、雪堤に乗ってホッといして下ろうとすると、方向が違うことに気が付いて藪の中に方向修正することになった。
 視界が閉ざされているためにGPSが役にたったが、思わぬ落とし穴もあった。GPSで進む方向を判断するには、器械の方向を一定にして移動する必要がある。ところが密な藪のために、一歩ずつ体がぶれて、GPSを一定の角度で保持できず、そのために方向を見定めることが難しくなった。軌跡から歩いている方向を判断できるのだが、ひどいヤブコギでは、正しい方向へコースを修正するのも用意ではない。電子コンパス内蔵のGPSもあるのだが、電池の消耗が大きいという。今回の山行のために、GPSを内蔵メモリーの大きなeTrek Venture日本語版に代えた。三日間の山行の軌跡はとれたのだが、早朝から使用していると午後には電池切れになってしまった。予備電池の重さも馬鹿にならない。
 ようやく県境線に出たが、笹薮が広がり方向を判断するのが難しかった。ここは、中村謙著の「ふるさとの山 上信越国境を歩く」では、笹ノ平(仮称)と記されている所である。この本は、ランタン会の上村さんに教えてもらい、本を一冊コピーさせてもらった。
 セバトノ頭では、三角点が頭を出していた。この先は、残雪も続くようになって行程もはかどった。残雪の上にアイゼンを付けた単独行の足跡が見つかり、この先は残雪歩きになるのだろうという期待も高まった。
 3時半到着の予定よりは大幅に遅くなったものの、泊まり場のムジナ平に到着してホットした。諦めずに根気歩いていれば、ひどい藪であっても前に進むものである。ムジナ平は、大黒ノ頭への登りに取りかかるまえの台地で、シラビソとダケカンバの林に囲まれた良いテント場であった。
 風も落ち着いてきて、静かな夜になった。夜中にテントを出ると、月明かりに白い稜線が浮かび上がっていた。明日こそ雪の稜線歩きが続くかと、期待が高まった。
 二日目は、快晴の朝になった。大黒ノ頭への続く尾根が目の前に立ち上がっていた。半分は笹原が出ていたが、左半分に広がる雪原を使って登れそうであった。朝食を手早く済ませ、早めに出発した。
 朝一番の仕事は、大黒ノ頭への標高200mの一気の登りになった。県境線の走る尾根を登っていき、山頂手前で右にトラバースして雪田を伝い、山頂に登り着いた。ここからは、ようやく2000mの稜線歩きの開始になった。稜線上には、所々で切れているものの、残雪がつながっていた。縦走路の逆方向には、大黒山が、横に広がった山頂を見せ、筍山や平標山の奥に続く谷川連峰を眺めることができた。
 大黒ノ頭からはほど遠くない上ノ倉山を過ぎると、これから辿る白砂山が彼方に見えていた。また右手の谷越しには、白砂山と大して変わらない距離に、佐武流山の山頂も見ることができた。今日中に、白砂山を越して佐武流山まで行けるのだろうかと思わずにはいられなかった。
 気持ちよく雪原を下る場面もあったが、尾根が痩せて、崖の際を木の枝を掴んで横歩きするようなところも出てきた。忠治郎山は、シラビソの針葉樹に覆われたドーム型のどっしりした山頂を持っていた。その後は、小さなアップダウンが続き、体力を消耗していった。
  上ノ間山までくると白砂山が近くなってきた。小さなピークを乗り越しながら標高を上げていくことになるが、ほとんどは雪を使って登ることができそうであった。上ノ間山山頂の雪は解けて、三角点が姿を現していた。材木が横倒しになっていたが、小屋掛けでもあったのだろうか。上ノ間山の山頂は、白砂山、佐武流山、上ノ倉山の各方面を眺めるのに良い展望台であった。
 白砂山が近づくにつれ、気持ちの良い雪原歩きが続くようになったが、疲れも出て足は前に進まなくなった。三県境に出たところでザックを置き、カメラ片手に白砂山の山頂を目指した。白砂山の山頂には数組の登山者がいて、ビール片手に昼の大休止に入っていた。山頂からは、赤土居山から佐武流山にかけての稜線が横に広がっていた。我々の今日の目的地はまだ遠く、道半ばであった。
 白砂山は、これが三度目の登頂であった。先回は、野反湖から佐武流山を往復する予定であったが、激しい雨のために、八間山から白砂山へ登っただけになっている。今回、ようやく佐武流山への縦走路へ足を踏み入れることになる。といっても、この先は佐武流山へのメインコースでもあり、連休中に多くのパーティーが入っているはずで、三国スキー場から白砂山の区間を踏破できたことからすれば、気は少し楽であった。
 佐武流山方面の稜線は白く染まっていたが、ここまで歩いてきた上ノ間山方面の稜線を振り返ると、雪はほとんど無くなって黒々としていた。標高はそれ程違わないので、稜線の走り具合といった地形的なものなのだろうか。
 三県境分岐に戻って昼食をとった。休んでいると、佐武流山から夫婦連れが戻ってきた。ここを4時に出発してというので、往復8時間かかったようである。我々の重荷と疲れた足取りでは、今日中に佐武流山まで辿り着ければ上々のようであった。
 重い腰を上げて佐武流山への稜線に進んだ。白砂山からは、雪原の一気の下りが続いた。白砂山からのピストンでは、ここを登り返すのはかなり大変になりそうである。沖ノ西沢ノ頭の手前では、稜線左手の薮の間を通る必要があった。赤土居山への登りでは、岩峰が立ちはだかっていた。幸い、岩場には踏み跡ができていたのでヤブコギの苦労は無かったものの、右手は崖のため、慎重に歩く必要があった。一ヶ所3m程の岩場の下りで氷が張り付いている所があり、バックステップで足場の指示を受けながら下るところがあった。岩場を過ぎると、穏やかな登りになって赤土居山の山頂に到着した。
 赤土居山から一旦下った後は、佐武流山への最後の登りになった。険しいところも無く、いくつかの段々を越していく登りが続いた。シラビソの林で囲まれた穏やかな稜線に変わると、佐武流山の山頂は近くなった。最後はかろうじて足を前に出しているという状態で佐武流山に到着した。ザックを下ろしてしばらくは、なにもできなかった。
 佐武流山の山頂は、2000年9月23日に切明から登ったのに続く二回目であった。どこから登るにしても遠い山である。山頂標識が雪の上に出ており、かわるがわるに記念写真を撮った。
 体力と時間切れということで、山頂手前のシラビソの林の中にテントを張った。夕方になって天気は下り坂になり、風も出てきていたが、テントには風は当たらなかった。結果的には良いテン場であった。山行の疲れが限界を越してしまったようで、食事が喉を通らなくなり、水分を補給しただけで寝ることになった。
 夜中には雨がぱらついたが、朝方にはガスが流れる状態であった。あいかわらず食欲は無かったが、行動には支障はなさそうであった。お茶を多めに飲んで、お菓子を流し込んだ。疲れた時の食料計画についてもう少し検討する必要がありそうである。
 雨具を着込んで出発の準備をし、一晩過ごした佐武流山山頂を後にした。佐武流山からの下りは残雪が豊富で快適に下ることができた。この連休中に歩いたと思われる数名グループの足跡も続いていた。和山からのコースは、春先は檜俣川の徒渉が難しいであろうから、赤湯から登ってきたもののようであった。下山方向からの登山者がいることで、コース上の心配は少なくなった。天気も回復してきて、鳥甲山や苗場山、さらには越後三山の眺めが広がった。しばしば、カメラタイムのために足が止まった。
 和山道分岐では、先回の山行で見た、釘で模様を描いたプレートを見つけることができた。ビニール袋にいれた掲示があり、「これから先苗場山までは前進倶楽部が北信森林管理署の許可を得て整備しました。苗場山の一部が自然保護のために通行止めになっています。木道等、整備完了するまでお待ち下さい。(平成16年9月頃)」と書かれていた。昭文社の登山地図の94年版でも03年8月開通とあり、赤倉山まで赤線が新しく記されている。これで、ヤブコギの苦労からは開放された。
 分岐から少し下ると、雪の消えた尾根道になったが、思っていたよりも良く刈り払われた登山道が続いていた。西赤沢源頭の水場には、折れた立木に大きく水と書かれていた。数分の距離のようであったが、この季節では水場は残雪で埋まっているはずなので、見には行かなかった。
 この先からは、登りが続くようになった。刈り払われた笹の枝が、足元でポキポキ音を立てる道であった。登山道があるので歩けたものの、ここでもヤブコギが続くようであったら、予備日のもう1日を使うことになったであろう。登山道は、小ピークを左を巻いてくれたので助かった。ナラズ山へは、地図上の破線は北側を巻いているが、雪原が広がっていたため、山頂をめざした。新しい登山道もピークを越しているようであった。振り返ると、佐武流山の山頂が遠ざかっていた。
 ナラズ山からは、広大な台地を広げ、右に神楽峰の鋭峰を従えた苗場山が目の前に迫って見えた。下山口の赤倉山も一段低く見えていた。
 一旦下ってから登り返すと、赤倉山の南のピークに到着した。ここから西にはっきりした尾根が派生しているので、ここを赤倉山と勘違いすると、間違った尾根を下りかねない。
 赤倉山に到着して、長かった稜線歩きは終わりになった。赤倉山から苗場山の間は、心残りもあるが、登山道もあることから、次の機会にとっておくことにしよう。
 雪原を下っていくと、急斜面が現れた。コースを外れかかっていたためもあったが、短い距離をピッケルを出してバックステップで下りる必要があった。尾根の左側に付いた雪堤と、尾根通しの登山道を交互に移りながら、高度を一気に下げた。この尾根を登るのは、結構大変そうである。
 1465mピークを越す頃から雨が落ちそうな天気になってきた。夏道は尾根の一段下をトラバースするように続いていたが、残雪が寸断している場所もあり、慎重な歩きが必要であった。雪が無くなった頃、尾根から外れてつづら折りの下りが始まった。
 清津川に下り立ったところには、「赤湯1号橋」と書かれた立派な鉄橋が架けられていたが、対岸の川岸は、残雪の斜面が川に向かって落ち込んでいた。ピッケルを取り出して、慎重にトラバースした。その先は河原歩きになったが、水面が迫っている所もあり、増水すると通過が難しくなりそうであった。
 赤湯温泉山口館は、新潟県内でも数少ない山間の秘湯である。下山後の温泉を考えていたのだが、車までは3時間程の歩きが待っているとあっては、ここで気を抜くことはできなかった。さらに、雨が今にも降り出しそうであった。温泉は次回ということで、小屋の前に引いてある水を飲んで元気を取り戻して歩き出した。
 赤湯からの道は、もう一回ハイキングコースを歩き直すといった感じであった。登り返しのつづら折りで、息が上がった。ゲートを過ぎて車までの林道歩きは、ただひたすらに足を動かすばかりであった。
 車に戻ったところで、直ちに三国スキー場に車の回収に向かい、着替えもそのままに二居の「宿場の湯」を目指した。温泉に入って人心地を取り戻し、2泊3日の藪山山行の締めくくりとした。

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