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長須ヶ玉山
大中子山


【日時】 2004年4月29日(木)〜30日(金) 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 29日:晴 30日:晴

【山域】 南会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 長須ヶ玉山・ちょうすがたまやま・1913.6・二等三角点・福島県
【コース】 左惣沢より
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/燧ヶ岳/帝釈山
【ガイド】 会津百名山ガイダンス(歴史春秋社)
【温泉】 燧の湯 600円(ボディーシャンプーのみ)

【山域】 南会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 大中子山・おおなごやま・1843.4・三等三角点・福島県
【コース】 エセ沢より
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/燧ヶ岳/帝釈山
【ガイド】 会津百名山ガイダンス(歴史春秋社)
【温泉】 燧の湯 600円(ボディーシャンプーのみ)

【時間記録】
4月28日 20:00 新潟発=(磐越道、会津坂下IC、R.49、会津坂下、会津本郷、芦ノ牧温泉、R.118、湯野上、R.121、会津田島、R.289、南郷、内川、R.352 経由)=23:40 檜枝岐  (車中泊)
4月29日 6:58左惣沢出合―8:20 沢二俣―9:03 稜線鞍部―9:38 長須ヶ玉山〜9:50 発―10:14 1714mピーク〜10:51 発―11:13 沢二俣―12:09左惣沢出合
4月30日 5:51 エセ沢出合―7:53 山頂台地端―8:28 大中子山〜8:52 発―9:25 山頂台地端―11:16 エセ沢出合=(往路を戻る)=15:40 新潟着

 長須ヶ玉山は、尾根の入口として人気の高い檜枝岐村の南、舟岐川の左岸にある山である。福島・栃木県境に位置する黒岩山と台倉高山の間にある孫兵衛山から北に延びる稜線の末端に位置している。登山道は無いため、残雪の時期に登る必要がある。
 大中子山は、「おおなごやま」と読み、檜枝岐村の南、舟岐川の右岸にあり、長須ヶ玉山と向き合っている山である。登山道は無く、残雪期に登る山である。
 これまでの五月の連休には、残雪期しか登れない山として、檜枝岐周辺の山毛欅沢山や坪入山、会津丸山岳を登ってきた。今年は谷川連峰方面の縦走の計画が入っていたが、これは後半のため、前半にどこに行こうか迷った。結局、会津百名山に選ばれている長須ヶ玉山と大中子山を選んだ。麓を走る舟岐川林道は、帝釈山、台倉高山、孫兵衛山を登るために行き来しており、林道途中の頭上にあるこの両山が気になっていた。
 長須ヶ玉山と大中子山は、一般にはなじみのない山であるが、会津百名山に選ばれている。会津百名山は、登山道が無いために残雪期しか登れない山も多く、時期も限られ、コースも自分で研究する必要があり、なかなかはかどらない。それでもかなりの数を登り終えて、六山ある登山難易度超上級とされている山の中では、この二山が残るだけになっていた。会津丸山岳などとは異なり、日帰りの山なので、無理そうに思えたら引き返せば良く、自分一人でもなんとかなりそうに思えた。
 檜枝岐への道は、通い慣れた道である。会津田島から駒止トンネルを越し、伊南川沿いを走る頃には真夜中が近づいていた。白く染まった山肌が、闇の中から浮かび上がるはずであったが、雪は見あたらなかった。雪解けの早さに、残雪歩きができるのか心配になった。檜枝岐の村に到着すると、ようやく道路脇の林には残雪も見られるようになった。舟岐川林道に入った所の林道脇に車を停めて寝た。
 快晴の朝になった。登山も危ぶまれる大風の新潟を後にしてきたのが嘘のようであった。林道は、4月1日の渓流釣りにあわせて除雪されるというが、道路は良く乾いていた。オートキャンプ場を越して未舗装に変わると、その先の広場で除雪は終わっていた。車を運転している間は現在地が判りにくいので、地図とGPSを出して確認すると、通り過ぎたばかりの未舗装に変わった所の沢が、登りに使う左惣沢の出合であった。
 ここまでの道順をまとめるならば、次のようになる。檜枝岐の「燧の湯」裏手から始まる舟岐川林道は、右岸沿いに続き、大中子山の取り付きになる牛首橋で左岸に渡る。左岸沿いに走るとオートキャンプ場が現れ、そのはずれで舗装が終わる所が、左惣沢出合である。左惣沢出合には小さな堰堤がかかり、左岸には朽ちかけた小屋がある。
 出発の準備をしていると、単独行が声をかけてきた。台倉高山を登りにきたらしいが、除雪終点が手前のため、馬坂峠まで歩くのが大変なために断念し、長須ヶ玉山に登ることにしたという。長須ヶ玉山への登山コースについていろいろ聞いてきたが、こちらも本で読んだこと以上は知らず、なま返事になった。
 朽ちかけた小屋の立つ左惣沢左岸から歩き出した。山道を辿って杉林を抜けると、川岸の崖に突き当たり、右岸への徒渉になった。コースを良く見定める必要があったが、水面下の石を足場にして飛び越すことができた。右岸の一段高い所の斜面をトラバースしながらの登りが続いた。先行者は、最前の単独行ともう一人いるようであった。予期しない先行者の足跡のため、コース取りは楽になってしまった。沢沿いは、初めは杉林、その先はブナ林が広がるようになった。残雪は豊富であったが、堅く締まっており、途中からアイゼンをつけた。
 途中で現れる二俣は左に進み、1550m付近で左俣に入ると水の流れもようやく雪の下になった。急になった沢筋を上り詰めると、周囲にオオシラビソの林が広がり、傾斜も緩やかになって溝の中を歩くようになった。
 1714m小ピークとの鞍部に出たところで、左に曲がり、高みを目指しての登りが始まった。途中で急斜面が現れた。ピッケルとアイゼンを使って慎重に登った。傾斜が緩むと、山頂台地の一画に上り着いた。オオシラビソの林で視界が閉ざされており、GPSの指標を頼りに、三角点を目指した。下りを考えるならば、この山頂台地では、一般的には目印の赤布を付ける必要があろう。
 三角点を目指して歩いていくと、その手前で先行の二人に出会った。三角点は、山頂台地の南のはずれにあるが、この地点には山頂標識やテープといった目印はなかった。先頭を歩いていた単独行はフリートレックを背負っており、孫兵衛山を経て黒岩山まで行くとのことであった。このような藪山で三名の登山者が出会うとは、といって笑いあった。
 長須ヶ玉山の山頂は見晴らしがないため、1714m小ピークとの鞍部まで下ってから休むことにした。山頂は暗い樹林帯の中であるし、急斜面の下りが待っているとあっては、落ち着いてビールを飲めない。登りは北に追いやられたが、下りは少し南にコースをとってみた。慎重に下っていくと、直に鞍部の雪原に下り立つことができた。
 1714mピークは、数本のダケカンバが立つ雪原となり、オオシラビソで覆われた長須ヶ玉山の山頂を振り返ることができた。雪にビールを埋め込み、冷えるまでの間、西の縁に進んで燧ケ岳の展望を楽しんだ。
 下りは雪も緩んで滑落の心配も無くなり、気楽に歩くことができた。
 長須ヶ玉山からの下山の時間は早かったが、翌日の予定の大中子山を登るには遅かった。登山は終わりにして、林道入口の燧の湯で温泉に入り、檜枝岐名物の裁ちそばを食べた。
 時間があったので、桧枝岐村にできた観光施設の「ミニ尾瀬公園」を見ることにした。観光客向けで入場料も取るため、いつもは敬遠していたのだが、尾瀬にゆかりの深い「武田久吉」メモリアルホールをのぞいてみたかった。
 入場料を払うために財布を探りながら入っていくと、幸いなことに、この日は無料開放であった。管理棟の二階が武田久吉メモリアルホールになっていた。武田久吉は、英国公使アーネスト・サトウを父とする植物学者である。日本山岳会の創設メンバーで、尾瀬の紹介者であり、尾瀬貯水池計画に反対する調査報告書を提出し、自然保護運動の先駆者になっている。著書の「尾瀬と鬼怒沼」は、平凡社ライブラリーとして現在でも入手可能で、尾瀬の愛好者にとっての必読書になっている。愛用のカメラや登山用品、資料を興味深く見た。
 公園内は、ミニ尾瀬にふさわしく、さまざまな植物が植えられているようであったが、雪解け直後とあって、ミズバショウ、ザゼンソウ、リュウキンカ、キクザキイチゲが咲いているだけであった。
 のんびりしているうちに夕暮れが近づいたので、再び林道に戻り、夜を過ごした。
 大中子山へは、ガイドブックによれば、牛首橋手前のエセ沢から登るようにあったが、見ると、沢水も勢い良く流れていた。雪に埋もれた沢伝いに登ることは無理なようであった。エセ沢と一ノ岐戸沢にはさまれた尾根を登ることになるが、取り付きは、どちらの沢よりの枝尾根にするか迷った。とりあえず、車道から一段上の台地に進んで様子を見ることにした。
 出発しようとすると、昨日の単独行がやってきた。林道歩きが長いため、台倉高山は諦めて、大中子山に登ることにしたという。今月の岳人に、台倉高山と長須ヶ玉山の紹介が載っている。それによれば黒沢出合まで例年5月には車が入ると書かれている。左惣沢から黒沢出合までは3kmほどの距離であるので、その先の馬坂峠までの6kmの長い歩きに比べれば、少し距離が長くなっただけと思のだが、計画変更は人それぞれの判断である。
 車を置いた広場からは、踏み跡が台地の植林地へと続いていた。クマザサをがさがさ言わせながらエセ沢の縁に寄ってみたが、沢沿いに歩ける状態ではなかった。エセ沢の左岸尾根を見ると、踏み跡が見つかった。
 急な尾根であったが、踏み跡に助けられて、ヤブコギの苦労は免れて登り続けることができた。立ち木にも、はじめのうちは、ペンキマークがつけられていた。1170m標高付近で尾根の立ち上げも終わり、傾斜も少し緩やかになった。この尾根は、西向きで日当たりが良いのか、雪はかなり登らないと期待できそうもなかった。踏み跡も登るにつれてはっきりしなくなってきたが、幸い薮は薄かった。
 尾根が広くなった1350m標高付近でようやく雪の上に乗ることができた。背後を振り返ると会津駒ヶ岳の稜線が白く輝き、昨日登った長須ヶ玉山の右脇に燧ケ岳の山頂が頭をのぞかせていた。
ブナ林の中を登り続けていくと、正面が急斜面になったので、左に巻くと一面の雪原が広がっていた。ひと登りすると、オオシラビソの立ち並ぶ尾根に戻ることができた。そこからは僅かな登りで大中子山の山頂台地の一画に到着した。
 大中子山の山頂台地は、オオシラビソの林が広がっていたが、長須ヶ玉山よりは木の間が開いており、明るい感じであった。三角点をめざして、山頂台地を進んだ。登りついたところから右手の高みに登り、続く高みは左を巻き、細いダケカンバの林を抜けると尾根状の地形に出た。小ピークを越した次の高みが、三角点の置かれた位置であった。GPSを使ったために迷うこともなく到達できたが、30分ほど山頂台地を進んだことになり、うかつに歩くと現在地を見失いかねない難しい地形である。
 すぐ手前の木には、三角点の点名の「深跡」と書かれた明大ワンゲルのプレートが付けられていたが、大中子山と書かれた山頂標識は見当たらなかった。プレートには、1967とも書かれていた。このプレートは、訪れる者もまれな山頂に、37年もの風雪に耐えていたことになる。打ち付けた本人は、私より少し上の中高年のはずであるが、今でも山登りを続けているのだろうか。時の流れを感じさせるプレートであった。
 山頂の南東には、呼出沢を挟んで、近い距離に帝釈山を望むことができた。また、右手には、大倉高山も見分けることができた。雪の上に腰を下ろし、ビールを飲んだ。春山を満喫するにはビールは欠かせない。
 山頂台地から尾根に乗った後は一本尾根の下山のはずであったが、枝尾根に引き込まれかけてオヤと思うこともあって、油断はならなかった。最後に木の枝にもつかまりながら急傾斜の尾根を下ると大中子山の登山は終わった。
 時間は早かったが、連休後半の山のために体力を温存しておく必要があり、家に戻ることにした。
登山自体は、ミス無く終わったのだが、車に荷物を放り込むと、ピッケルがないことに気がついた。ザックのサイドベルトにさしていたため、ヤブコギの間に引っかかって抜けてしまったようである。最後にザックを下ろしてピッケルがあったなと思う所までは、1時間以上は登り返す必要があり、諦めることにした。サイドベルトに通す時は、抜けた時のためにどこか結びつけておく必要がある。次の山行にためにピッケルは欠かせないため、帰宅後、スポーツ店へ直行した。金額よりもピッケルへの愛着の方が惜しいが、ひとつ勉強になった。

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