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方丈山


【日時】 2004年4月24日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 雪

【山域】 谷川連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 方丈山・ほうじょうさん・843.2m・三等三角点・新潟県
【コース】 中里スキー場より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/越後湯沢/越後湯沢、土樽
【ガイド】 なし
【温泉】 岩の湯 300円

【時間記録】 5:30 新潟発=(関越道、湯沢IC 経由)=9:10 中里スキー場〜9:15 発―10:00 尾根下―10:38 分岐―11:05 方丈山〜11:10 発―11:33 分岐―11:58 ゲレンデ―12:09 湯沢パークスキー場下―12:34 中里スキー場=(往路を戻る)=16:10 新潟着

 上越国境の蓬峠のすぐ北側から西に延びる尾根を足拍子山稜と呼ぶ。この尾根は、シシゴヤノ頭、コマノカミノ頭、足拍子岳、荒沢山、柄沢山といったピークを連ね、方丈山で終わっている。方丈山の山裾の西には中里スキー場、北には湯沢パークスキー場が広がっている。
 五月連休に行う縦走のため、谷川連峰方面に出かけて確かめなければならないことがあった。再び谷川連峰に向かったが、先週の晴天とはうってかわり、寒気が入り込んで冬に戻った陽気になっていた。湯沢で高速を下りると、山肌はすぐ上まで雪で白くなっていた。三国峠に向かって進むうちに道路上にも雪が現れた。みつまたの集落で、祓川への林道を確認すると、集落のはずれのリフト乗り場から先は雪で覆われていた。国道をさらに進むと雪も多くなりそうなため、ノーマルタイヤでの三国越えは諦めて引き返すことにした。県境付近で確かめたいこともあったのだが、最低限の偵察は行うことができた。
 悪天候の場合は、三国峠を越して群馬県側の山を登ろうかと思っていたのだが、天気が少し回復したのを見て、中里スキー場上部の方丈山を登ることにした。標高もさほどないため、このような悪天候でもなんとかなりそうであった。
土樽への道に進み、中里スキー場に向かった。中里スキー場は、夏はゴルフの練習場になるようであったが、手前の駐車場付近は、空き地になっていた。中里スキー場は、大学生の時、東京から新潟へ戻る途中、中里駅でおりてスキーをしたことがある。上越線の駅前がゲレンデのため、交通の便が非常によかったのだが、今では新幹線に輸送の主役は奪われ、その位置もガーラスキー場に取って代わられている。
 ゲレンデは、山に向かって、横に長く広がっている。リフトの位置と尾根の関係を地図で確かめた。どの尾根を使うか迷ったが、リフトが三本集中している尾根を使い、南西から山頂に登るという計画を立てた。
 枯れ草の枝が足元でぼきぼきと音を立てるゲレンデの登りが始まった。家に戻ってからゲレンデマップを確かめると、第5ロマンスB線に沿って登ったことになる。初心者用のコースのようであるが、歩いて登るとなると汗をかく。リフト終点から第5ロマンスの終点に進み、尾根の取り付きを見ると、期待していたような山道は無く、藪が濃かった。晴れていればともかく、木立はうっすらと雪をかぶり、さわると水滴が落ちる状態であった。もう一本北側の第6ロマンスをあたってみることにした。一旦ゲレンデを下り、リフトの終点に登り返したが、その先に道は無かった。
 方丈山の西に延びる尾根には道が有りそうに思えたので、ゲレンデ脇を注意しながらゲレンデを下った。ゲレンデ下より少し上で、杉林に続く山道が見つかった。杉林に踏みいると、すぐ先にお堂があり、はっきりした道はここまでであった。尾根上に向かってテープが付けられていたので、斜面を登った。
尾根上に出ると、刈り払いが行われており、踏み跡が続いていた。藪がちなものの、このコースで山頂まで行けそうなため、登り続けた。藪をかき分けるとしずくが落ち、空からは雪も降ってきて、たちまちびしょぬれになってしまった。テープの列が続いていたが、650mの小ピーク付近で右下に下りていってしまった。尾根沿いには境界見出しの杭が打たれていたが、これは、スキー場の境界を測量したものなのかもしれない。
 歩くのに支障のない尾根であったが、時折雪が降る中で、方丈山の山頂は遠く見えた。左手の谷間に新緑のブナ林が広がっていたが、そこから登山道が上がってきており、下り口には標識も立てられていた。地図を見ると、湯沢パークスキー場から登ってきたもののように思えた。帰りには、この道を歩いてみることにした。
山頂が近づくにつれ、尾根は急になった。落ち葉の上に10セント程の雪が乗って、足場が隠されて滑りやすくなっていたが、固定ロープが山頂まで続いていた。これだけのコース整備をしているのに、方丈山の登山道のことが知られていないのは不思議である。
 ようやく急坂を登り終えると、小広場になった方丈山の山頂に到着した。立派な山頂標識が立てられており、登ってきたコースはブナ林コースで、三本杉コースと記されているのは、稜線沿いに続く道のことであろうか。稜線の先には柄沢山があるが、方丈山と結んだ周遊で歩くことができそうであった。
 方丈山の記録をさがしてみると、新ハイキングの02年3月号に、佐藤光雄氏の紀行文が載っていた。01年3月11日の記録で、中里スキー場の第3ロマンスリフト途中から南西尾根を登っており、下山は同じ尾根を使い、ブナ林分岐近くから第6ロマンスへ下りている。残雪もそれなりにあったようであるが、山頂標識のことは全くふれられていない。登山道が付けられたのは最近のことなのだろうか。
 岩原スキー場が目の前に広がっていたが、その上に聳える飯士山の山頂は雲に隠されていた。晴れていれば、大源太山や足拍子岳、谷川連峰の眺めが素晴らしそうであったが、今回は、雪の降る中、登れただけで満足である。
 下りは、登り以上に滑りやすく、ロープ頼りになった。ブナ林の分岐から登山道を辿ってみることにした。ブナ林の林床は残雪に覆われており、登山道を辿るには、木に付けられたテープを良くみる必要があった。沢に下り立ったところで、標識が置かれていた。右岸の杉林を通って下っていくと、再び沢に下り立ち、後は沢の両岸を細かく渡り返す道になった。
 最後は、湯沢パークスキー場の銀河コースの途中に飛び出した。地図には細線で記されている道の南東から北に曲がる地点であるが、標識のようなものは雪のせいか見あたらなかった。少なくともこの日の残雪の状態では、このコースよりは、登りに使った尾根尾根の方が少し藪がちであるが判りやすい。
雪解け後に現れた車道を下っていくと、湯沢パークスキー場の下部に出て、後は車道歩きで中里スキー場に戻ることになった。30分の車道歩きで戻れ、そう遠くなかったのは幸いであった。
ずぶ濡れとなり、下山後は、湯沢定番の岩の湯へといそぐことになった。温泉で生き返った気持ちになったが、翌日の天気予報も悪いため、とりあえず家に戻ることにした。
 その後、インターネットの検索により、方丈山の山名の由来は、「この地にある名刹「瑞祥庵」の開祖(方丈様)が、 この山頂で座禅を組んで修行をしたことで命名されたと言われている。 」ということが判った。また、三本松コースは、山頂から北東の尾根に進み、ゲレンデ北端に下り立つことが判った。山頂からの下り口は同じであるが、柄沢山までの稜線は歩けるのかどうか。ホームページには、湯沢パークホテルでは、通常600円のところが、方丈山に登ってきたといえば、500円になるというお得情報も載っていた。

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