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ヨモギ山、秋葉山
小出俣山


【日時】 2004年4月17日(土)〜18日(日) 各日帰り
【メンバー】 17日:単独行 18日:4名グループ
【天候】 17日:曇り 18日:晴

【山域】 越後三山
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 ヨモギ山・よもぎやま・989.5m・三等三角点・新潟県
【コース】 荒山より
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/八海山/八海山
【ガイド】 なし

【山域】 谷川連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 秋葉山・あきばやま・590.2m・三等三角点・新潟県
【コース】 七谷切より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/越後湯沢/越後湯沢
【ガイド】 なし
【温泉】 街道の湯 500円

【山域】 谷川連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 小出俣山・おいずまたさん・1749.3m・三等三角点・群馬県
【コース】 オゼノ尾根より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/四万/水上
【ガイド】 なし

【時間記録】
4月17日(土) 5:25 新潟発=(小出IC、R.17、大野虫野、R.291、荒金入口、荒山 経由)=7:10 高石沢入口〜7:40 発―8:19 尾根取り付きの橋―10:14 よもぎ山〜10:38 発―11:50尾根取り付きの橋―12:20高石沢入口=(荒山、荒金入口、R.291、六日町、R.17 経由)=16:24七谷切―16:44 秋葉山―17:02七谷切=(R.17、猿ヶ京 経由)=18:30川古温泉  (車中泊)
4月18日(日) 7:50 小出俣林道入口―8:44 千曲平―11:06 岩場―12:40 小出俣山〜
13:24 発―14:10 岩場―16:13千曲平―16:15 小出俣林道入口=(水上IC、関越自動車道 経由)=19:20 新潟着

 ヨモギ山は、越後駒ヶ岳より水無川右岸沿いに連なる稜線上のピークである。関越道の大和パーキング付近から越後駒ヶ岳を眺める時、その前衛峰として、ゴジラの背のような鋭鋒が連なっているのに目を奪われるが、その末端部にある山がヨモギ山である。
 秋葉山は、湯沢の町の南に位置する里山である。神立城跡があり、中世期に石臼郷を開いた土豪の拠点になり、その後は物見台やのろし台に使われていたという。また、信仰の山であり、登山道沿いには、板東一番から三十二番までの石刻碑、山頂には百番観音が置かれている。
 谷川岳と万太郎山の間に位置するオジカ沢の頭から南西に分かれる稜線を俎ぐら山稜と呼ぶ。小出俣山は、この俎ぐら山稜の南部に位置するピークである。この山からは、小出俣沢源頭部を取り巻くように、東に阿能川岳に向かう稜線、西には十二社峰へと続く稜線が分かれている。

 以前、笠倉山に登り、同じ林道沿いにあるヨモギ山に登ろうと機会をうかがっていた。雪解けは進んでいるが、林道歩きもあるので、雪も安定した今頃が登山時期かなと思って出かけた。
 大崎より荒山の集落を目指した。水無渓谷の谷奥には、越後駒ヶ岳の山頂が、姿を現していた。この道は、グシガハナ経由で越後駒ヶ岳に登って以来ということになる。荒山の集落の先で、道路は冬季通行止めとなっていたが、ゲートの脇は開いていたため、車を先に進めた。高石沢に向かう林道の入口で道路上に雪が現れたので歩き出すことにした。
 林道を少し進むと、武蔵大学ワンダーフォーゲルの立派なロッジが現れた。沢沿いに林道を登っていくと、堰堤にぶつかって行き止まりになってしまった。いきなりのミスということで引き返すと、ロッジを過ぎた先で、林道が右に分かれていた。直進する道が立派なのと、杉林のために、入口が判りにくくなっていた。ここまでは車で入れたが、歩いても大して距離ではない。
 歩いていくうちに、林道を残雪が覆うようになったが、周辺の斜面に雪がまったくないのが、気がかりであった。
 ヨモギ山の登山ルートとしては、高石沢の徒渉の関係で、標高420mの林道が左岸から右岸に移る橋の手前から北西尾根に取り付くことにした。インターネットの知人もヨモギ山に登っているが、その報告からすると、北西尾根を使って登ったようである。
 橋の手前から雪の斜面をトラバースし、尾根の末端を目指した。枝沢に突き当たったが、この流れの幅は狭いので、場所を選んで飛び越すことができた。北西尾根の末端部はスギの植林地となり、林床には残雪が広がっていた。灌木の枝が飛び出しているものの、歩きづらいという程ではなかった。尾根通しは薮が濃いため、一段下の杉林の中を進むようにして高度を上げていった。標高560m付近でようやく尾根上に雪が乗るようになった。尾根の北側の谷間には、白く染まった林道が長々と続くのをすぐ近くのように見下ろすことができた。
 尾根の傾斜が増すと、雪が落ちており、薮の歩きになった。といっても、うっすらと踏み跡があり、歩くのに問題は無かった。標高750m付近で尾根が広がると、ブナ林の登りになった。先方に動く物があると目をこらすと、カモシカであった。カメラをかまえると、逃げようと急ぐわけではなく、のんびりと斜面をトラバースして去っていった。
 ブナ林の広がる斜面の傾斜が緩むと、ヨモギ山の山頂に到着した。ヨモギ山の山頂は雪原となっていた。越後駒ヶ岳の眺めを楽しみにしていたのだが、1036mピークが目の前にそそり立つのが目に入るだけであった。1036mピークへの稜線は雪が大きく割れて落ちかかっていた。天気も悪いので、ヨモギ山までで引き返すことにした。いずれ、晴の日を選んでヨモギ山を再訪しなければならない。
 風が冷たいため、少し下った所で休むことにした。ブナ林の中で腰を下ろし昼食をとった。ブナ林の中には、私とカモシカの足跡が残るだけであった。
 下るにつれて天気も回復してきたようで、山頂に心が残る思いがした。林道に下りて道端を見ると、フキノトウが誰も採らないままに、一面に生えていた。家へのお土産に、フキノトウを少し集めた。
 ヨモギ山は、林道の雪の状態次第で要する体力も違ってくると思われるが、尾根にはかすかながら踏み跡があるので、雪解けが進んだ時期でも登ることのできる手頃な山と考えられる。
 翌日の小出俣山のために三国峠を越して群馬県に抜ける必要があった。六日町で買い物やらの寄り道をしているうちに夕暮れも近づいてきた。湯沢の町を過ぎると、国道17号線は、大きなカーブを描きながら高度を上げていくが、この迂回している山が秋葉山である。七谷切の橋のたもとに登山道の入口があるのは以前から気に掛かっていたが、雪の季節であったりして、登るのが後回しになっていた。まだ明るかったので、登っていくことにした。国道の通行量は多いが、登山道入口には、路肩のスペースがあって車を置くことができる。
 カメラとGPSだけを持って歩き出した。丸太の段々で整備された遊歩道が続いていた。登山道の脇には、イワウチワやコブシの花が目立っていた。登山道脇には、観音像が彫り込まれた石碑が置かれていた。急坂を登り終えた小ピークから緩やかな稜線を辿っていくと、秋葉山の山頂に到着した。杉林に囲まれた中に、祠や石碑が置かれていた。登山道はさらに湯沢方面に続いていたが、車の関係で引き返すことになった。この山は、JRの「駅からハイキング」の山に取り上げられているので、登山道も良く整備されているようである。
 山頂から引き返す途中、周囲を眺めると、神立スキー場やNASPAスキーガーデンスキー場がどうしても目に入ってしまう。秋葉山自体が、スキー場の中で手つかずに残された山になっている。
 小出俣山は、2003年3月8日に悪天候のために山頂手前で中退して以来の再挑戦である。小出俣林道入口の広場は、川古温泉の駐車スペースにもなっているため、近くの仏岩トンネル脇の広場に車を停めて寝た。翌朝仏岩トンネル上の稜線を眺めると、どこにも雪は見あたらなかった。赤谷越から阿能川岳へ登りたいと思っていたが、雪解けも進んでおり、来年の課題になりそうであった。当面の問題は、小出俣山へ登るのにもヤブコギを覚悟する必要がありそうなことであった。
 小出俣林道入口に移動し、宇都宮から来る室井さん一行を待った。一緒に歩くのは、昨年の御前ヶ遊窟と御神楽岳以来ということになる。
 昨年は、新雪が積もって、わかんを履いての林道の歩きに苦労した。今回は、雪はどこにも見あたらず、回りの山の斜面は、芽吹き前の枯れ草色に囲まれていた。小出俣沢の深い谷間を見下ろしながらの歩きが続いた。ダムを過ぎてひと汗かく頃、千曲平に到着した。ここまでの歩きは、先回は1時間40分もかかったのに対し、今回は55分で、足慣らしといった程度で済んだ。
 千曲平は、テホド沢と大木穴沢の二つの支流が合わさる広河原で、流れの脇に美しい林が広がっている。千曲平は、地図では曲に「げん」と読みがふられており、「せんげんだいら」と読むようであるが、橋には「ちくまだいらばし」と書かれていた。どちらが正しいのやら。二つの流れに挟まれたオゼノ尾根が、登山コースになる。
 橋を渡った所が尾根の末端であるが、道路脇が崖状のため、一旦右手に回り込んでから林道を離れることになる。杉林の中を抜けていくと、尾根にぶつかり、本格的な登りが始まる。雪は全く無かったが、ブナ林が広がる尾根は、下生えも少なく、歩くのには問題は無かった。獣道かどうか判らないが、踏み跡らしきものも認められた。
 急な登りが続いた。尾根が痩せてブナが消えると、密生したネマガリダケの薮も現れた。足が進まないという程ではないにしても、スピードダウンは避けられず、いいかげん残雪が現れないかと、回りを見渡すことになった。阿能川岳や十二社方面の谷間の斜面を見ると、残雪を期待しても良さそうに見えた。このオゼノ尾根は、真南を向いており、日当たりが良好すぎるようであった。ヤブコギをしている間に、今年一番の大汗をかくようになった。それでも1200m地点付近より残雪が現れ、初めのうちは歩く助けにもならなかったが、そのうち残雪の島がつながるようになっていった。
 オゼノ尾根の1410m地点には、地図上では読みとれない崖があり、この通過が一番の難所になる。先回は、雪原のトラバースと直登で通過したが、念のためにロープを張った。雪原を登っていくうちに問題の崖が迫ってきた。雪の中に黒々とした崖が高さ20m程の高さにそそり立っていた。直登は、シャクナゲの薮が濃くて無理のようであった。崖下を右に回り込むことにした。前回とは違い、崖下の雪が解けており、中段まで登ってから、雪原の登りが始まった。室井さんが先頭に立ち、ステップを深く刻みながら登っていった。後に続くのは楽であったが、雪が薄くなっている所もあり、雪ごと滑り落ちないように注意が必要な所もあった。一番急な所も、崖際の木の枝を足がかりや手がかりにして通過でき、後は尾根上目指しての直登になった。
 難所を通過して、ひと息ついた。先回は、ロープを張って一人ずつ通過したため、30分を要したが、今回は、停滞することなく登り続けることができた。
 この先は、急な雪原の登りがひたすら続いた。待ちこがれていた雪原歩きであったが、足が急に前に出なくなった。気温が高くなったため、体調がおかしくなってのブレーキのようであった。
 傾斜が緩んで右手から尾根を合わせると、阿能川岳が、低い位置にみえるようになった。前方の高まりが小出俣山のようであった。青空のもと、山頂からの眺めの期待が膨らんだ。先回引き返した付近でひと休みした後、最後の登りに取りかかった。足が重くなったせいもあるが、写真を撮る必要もあり、カメラを首から下げて、最後からついていくことになった。小ピーク状に見える尾根の張り出しを右手から回り込むように登ると、雪庇が張り出した小出俣山の山頂が迫ってきた。
 雪庇を乗り越すと幅広の稜線に出た。僅か先の薮の出た高まりが小出俣山の山頂であった。山頂標識が置かれていたが、ササの中に三角点を見つけることができた。周囲は360度の展望が広がっていた。特に目を奪われたのは、仙ノ倉岳から万太郎山を経て谷川岳に至る谷川連峰の縦走路の眺めであった。俎ぐら山稜によって一部が隠されるものの、この縦走路を一望できるのは、この山頂の他は無いであろう。俎ぐら山稜の俎ぐらや川場ノ頭は、急峻で雪を留めぬ黒々とした姿を見せていた。谷川岳山頂付近の雪田付近には、点々と登山者らしきものが見えていた。雪の上に戻り、ビールを開けて登頂を祝った。
 阿能川岳は、一段下に見えたが、そこまでの稜線は白く続いていた。しかし、阿能川岳から三岩山を経て赤谷越に至る稜線の雪はすでに消えていた。阿能川岳は登ってみたいピークであるが、最近出そろった群馬百名山にも選ばれて、人気の山になりそうである。来年の課題として頭に入れておこう。
 絶景の山頂を後に、写真を撮りながらゆっくりと下り始めた。先回悪天候のために撤退のところから山頂までは、登りでも30分はかからない所であった。中退は心残りであったが、晴の日に登ることができ、もやもやもすっきり晴れた。先回無理をして登ったとしても、小出俣山の真価を味わうことはできなかったであろう。
 急斜面の下りは早く、あっという間に難所の崖に到着した。木の枝に掴まりながら慎重に通過した。その先は、雪もすぐに消えて、ヤブコギの下りが続くようになった。最後は息も切れたが、薮の下りは登りよりも格段に楽である。最後はブナ林の下りとなって、林道に飛び出した。林道歩きも、先回のラッセル状態と比べれば楽であった。雪解けが進んでいて危ぶまれた小出俣山であったが、先回の降雪直後よりは楽に登ることができた。

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