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北条城址、鳶ヶ峰、高河内山、城山(高柳)


【日時】 2004年4月3日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り時々雨

【山域】 東頸城丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 北条城址・きたじょうじょうし・150m・無し・新潟県
【コース】 本条林道より
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/柏崎/塚野山
【ガイド】 新潟の里山(新潟日報事業社)

【山域】 東頸城丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 鳶ヶ峰・とんびがみね・146.9m・三等三角点・新潟県
【コース】 中加納より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/岡野町/越後野田
【ガイド】 なし

【山域】 東頸城丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 高河内山・たこうちやま・187.6m・四等三角点・新潟県
【コース】 高河内軽井川林道より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/岡野町/越後野田
【ガイド】 なし

【山域】 東頸城丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 城山・じょうやま・291.3m・三等三角点・新潟県
【コース】 岡野町より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/岡野町/岡野町
【ガイド】 なし
【温泉】 高柳じょんのび村 450円

【時間記録】 8:30 新潟発=(北陸自動車道、柏崎IC、R.252、鳥越、R.291、北条 経由)=10:00 林道登山口〜10:05 発―10:22 北条城址―10:39 林道登山口=(R.252、下加納 経由)=11:39 登山口発―11:53 稜線分岐―12:00 鳶ヶ峰〜12:05 発―12:12 稜線分岐―12:27 登山口=(堀、南下、高河内軽井川林道 経由)=13:08 登山口―13:18高河内山―13:33 登山口=(細越、与板、R.252、高柳 経由)=14:15 寺脇―14:38 散策路合流点―14:59 城山―15:11 散策路合流点―15:15 林道登山口―15:21 車道―15:30 寺脇=(R.252、柏崎IC、北陸自動車道 経由)=18:00 新潟

 北条城址は、柏崎の山間部にある北条氏の代々の居城が置かれた山城である。歴史上で特に名前が出るのは、上杉謙信時代の北条丹後守高広の居城としてである。北条高広は、武田信玄や北条氏康に内応して謀反を起こしてはその都度許されている、懲りない人物であったようである。謙信の死後勃発した御館の乱では、高広の息子・景広は、上杉三郎景虎方についたため、上杉景勝方に攻められて落城した。「北条いにしえロード」の名で、専称寺あるいは普広寺から散策路が設けられている。
 鳶ヶ峰は、柏崎の奥の鯖石川と鵜川に挟まれた丘陵地の東部にある山である。
 高河内山は、柏崎の奥の鯖石川と鵜川に挟まれた丘陵地の西部にある山である。
 城山は、高柳の集落の背後に聳える山である。

 天気もあまりぱっとせず、柏崎を中心とした低山巡りに出かけることにした。柏崎ICで高速をおりて、まずは北条城址に向かった。登り口の本条に近づくと、八石山が目の前に大きく広がった。その手前にある北条城址の置かれた山は、それに比べると低い丘にすぎず、一般的には、ここまで来たら八石山に足は向いてしまうであろう。
 鯖江川を渡り、登り口の専称寺を探した。あいにくと電柱の架線工事をやっており、車を停めて偵察を行いづらい状態のため、車を走らせると、本条林道に入り込んでしまった。登山道は、この林道を途中で横切るはずということで車を進めた。車の走行には問題のない道であった。
 登山道の横断点は、標識があってすぐに判った。少し先に広場があり、北条城址の案内図が置かれていた。山城の復元図も書かれていたが、なかなか大がかりな山城であったようである。杉林の中に続く登山道を登っていくと、二の丸に出て、土塁の壁を迂回しながら登るようになった。
 カタクリやショウジョウバカマの花が盛りであったが、ここのショウジョウバカマは、白花が多いのが特徴的であった。この花のショウジョウは、伝説の猩々の酒飲みの赤い顔からきているというのに、白くては名前の由来にそぐわない。いつも見慣れた赤紫の花とは違って、新鮮に見えた。
 本丸跡は、ベンチが置かれた広場になっており、柏崎市内や日本海を良く眺めることができた。広場の奥には、北条城址の石碑が置かれていた。桜も植えられており、お花見の場所としても整備されているのかもしれない。
 下山は、普広寺登山口への道を下り、林道に出たところから車に戻った。本来は、麓から登るべきであろうが、林道途中からのミニ周遊コースに変わってしまった。
 北条城址に続いて、鳶ヶ峰に向かった。地図を見ると、中加納の北側から山頂の北東部に山越えをする破線が記されている。ここから稜線通しに山頂を目指そうという作戦であった。
 谷間に広がる田圃の中を進み、山際で山道を探したが、それらしき物は見あたらなかった。雪の季節なら地形だけでコースを設定できるが、薮山では山道を探す必要があって、かえって面倒である。かたわらの民家の人が屋外で作業をしていたので鳶ヶ峰への道を聞いてみた。地図にある道は無くなっており、南東の斜面の杉林から130m小ピークとの間の鞍部への道があり、そこから峰伝いに進めば良いとのことであった。お礼をいって車に戻り、GPSのコース設定と地図の印刷のやり直しになった。
 再度の出発になった。谷の中央部の農道を進んでいくと、農道の終点手前で左の杉林に向かう道が分かれる。山の斜面を斜めに登っていくように道が付けられていた。右下に溜め池を見下ろすと、その先で沢沿いの登りになった。枝尾根を登り詰めると、130m小ピークの北側で稜線上に出た。踏み跡は鳶ヶ峰の山頂に向かって続いていた。登山道を埋めるようにカタクリが咲いていた。
 緩やかに登っていくと、鳶ヶ峰の山頂に到着した。三角点が、土の上に上面だけを出していた。踏み跡は、この三角点までで、その奥は薮であった。人工物はなにも見あたらない山頂であった。
 登山道を探すのに、実際の歩きよりも時間がかかった山であった。
 続いて、高河内山に向かった。鳶ヶ峰とは同じ丘陵地帯にあるものの、反対側に位置する。丘陵を横断する林道も幾つかあるのだが、雪解け直後のため、林道が走れるかどうか判らないため、北側を大きく迂回することになった。南下を過ぎて新屋敷の集落手前に、高河内山に向かう高河内軽井川林道が始まっていた。林道には、ゴミの違法投棄を防止するために、警察巡回路という看板が立てられていたが、効果のほどはいかがなものであろうか。
 つづら折りで一気に高度を上げた。山頂に向かう破線は手前と奥の二ヶ所に記されていたが、手前の道は見つからなかった。奥の破線入り口に到着してみると、杉林の中に山道が続いていた。稜線通しに歩いていくと、石に彫り込んだ仏像や石碑が道の脇に置かれていた。その奥で、古びたお堂が現れた。山道もその先は怪しげになった。お堂の先で右手の薮の中に入ると三角点を見つけることができた。高河内山は、かつては宗教登山で新屋敷から登る者がいたようであるが、林道の開通によって、昔の道は消えかかっているように思われた。
 もうひと頑張りして、高柳の城山に向かった。城山の山頂にはアンテナマークが記されており、近くには観光に力を入れているじょんのび村があることからハイキングコースが整備されているかなとの期待もあった。
 鯖石川右岸の西照寺脇から北尾根を辿るコースを歩くことにした。お寺の脇の谷間には田圃が広がっており、畦道を右往左往することになった。それでも尾根に取り付くと山道が現れた。ひと登りして尾根上に出たが、城山の山頂方向の踏み跡はかすかであった。薮は薄かったので歩くには支障はなかったが、一般道でないことは確かであった。右手から尾根が合わさる小ピークを越すと、右下から幅広の道が合わさった。登山道の入り口を間違えたことが判った。城山の山頂まではもうひと登りする必要はあったが、登山道が整備されているなら、後は足を前に出していれば良かった。登山道脇には、カタクリに加えて、雪割草が咲いているのが目にとまった。雪割草というと日本海に沿った丘陵地に生えているものと思っていたので、このような奥地で見られるとは意外であった。大きな群落はないので、わざわざ見に来るほどではないにしても、春に東頸城丘陵を歩く時は、雪割草を探して分布を確かめる必要がありそうである。
 急な坂を登り詰めると、城山の山頂に到着した。テレビの中継塔が置かれ、その脇に三角点が置かれていた。鯖石川に向かっては、中継塔への送電線が通じていたが、急坂のため道があるのか判らなかった。東の稜線沿いには道が通じているようであった。いずれにせよ、山頂付近の破線やアンテナマークは位置がおかしかった。
 下山は、小ピークから正規の道を下った。直に林道に飛び出すと、城山散策路の標識が置かれていた。車はここまで上がって来られるようであった。左に向かって林道を下っていくと、高柳木材加工共同組合の工場の間を抜けて車道に飛び出した。車に向かう途中、城山散策路の入り口があり、一段上にお堂のようなものが見えた。ここから登っていくと、林道の登山口に出るように思えた。
 雨も本降りになり、時間も尽きて、近くのじょんのび村の温泉を目指すことになった。

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