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樋曽山


【日時】 2004年3月7日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 雪

【山域】 弥彦角田山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 樋曽山・ひそやま・296.7m・三等三角点・新潟県
【コース】 間瀬峠より
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/弥彦/弥彦、角田山
【ガイド】 なし

【時間記録】 9:00 新潟発=(新新バイパス、新潟西バイパス、R.116、県道新潟・寺泊線、角田浜、越後七浦シーサイドライン、間瀬 経由)=11:00 間瀬峠―11:21 樋曽平―11:37 新進農堂実習地跡―11:57 樋曽山―12:11 新進農堂実習地跡―12:25 樋曽平―12:42 間瀬峠=(往路を戻る)=14:00 新潟着

 弥彦山と角田山の間に、200〜300mの高さを連ねた丘陵地帯があり、その最高点を樋曽山と呼ぶ。新潟周辺でハイキングの山として人気のある両脇の山に比べ、この山の知名度は低い。これまでは弥彦山と角田山を結ぶ三山縦走路の通過地点として取り上げられるだけであったが、最近では、雪割草の自生地として、この山だけを目的地にして訪れる登山者も多くなっている。
 樋曽山で、雪割草がすでに咲き始めていると耳にして、出かけなくてはと思っていた。日曜日朝の天気は、曇り空に青空がのぞく状態で、午後になれば花も期待できるかなと思い、樋曽山へ出かけることにした。樋曽山の登山道は、間瀬峠から五ヶ峠に通じているが、この登山道もかなり知られるようになって、他の登山者にも多く出会うようになった。新しいコースを開拓したく、角海浜の南に落ち込む尾根一帯の様子を偵察することにした。
 角田浜から越後七浦シーサイドラインに入り、五ヶ浜を目指した。五ヶ浜から角海浜への道に進むのは、今回が初めてであった。角海浜は、先頃計画中止になった巻原発の予定地のはずであるが、予定地がどれくらいの範囲であるのかは、新潟市民にも知られていない。角海浜は、荒涼とした海際の原野の中に事務所が置かれ、道路脇には、関係者以外立ち入り禁止の看板が数多く立てられていた。山道を探してうろつける状態ではなかった。車の外に出ると、足がもつれるくらいの強風が吹き寄せていた。内陸平野部からの放水路のひとつである新樋曽山隧道の出口を見たかったのだが、尾根の末端部をつらぬくトンネルは、金網で通行できなくなっていた。角海浜からの登山は諦めるしかなかった。
 越後七浦シーサイドラインに戻り、尾根への取り付き部を探しながら車を走らせていくうちに、猛吹雪になった。歩けそうなルートが見つかったものの、藪こぎを行うには天気が悪すぎるため、取りあえず樋曽山に登って、登山を成立させることにした。
 間瀬峠に到着して、弥彦スカイラインの入り口に車を停めたものの、猛吹雪のため、しばらく待機になった。雪が止んだところで、歩き出したが、山の斜面は真っ白に変わっていた。
 樋曽山へ間瀬峠から登ったのは、2002年3月24日以来ということになる。見ると、登り口に弥彦山から角田山への縦走路の標識が立てられていた。以前は、この山道は知る人ぞ知るといった状態であったのだが。登り初めの急登には、木で段々が設けられていた。ただ、段差が大きく、非常に歩き難かった。雪の間から春の花が顔を覗かせているのを見られるかなとの期待もむなしく、一面の銀世界になっていた。灌木帯の尾根を登っていくと、250mピークに到着するが、ここには樋曽平と書かれた標柱が置かれていた。
 一旦下った鞍部付近は、雪割草の花も多い所であるが、灌木に咲くナニワズの黄色い花が、雪にまみれて目に付くだけであった。鞍部からは、290mピークに向かっての急登になるが、鎖も付けられ登山道の整備が進んでいた。290mピーク付近は、杉の植林地が広がっているが、標識には、新進農堂実習地跡と書かれており、地名を知ることができた。
 ここからは稜線上の、小ピークを越していく道である。10センチ程の積雪があり、道を見失わないように注意が必要になった。横殴りの吹雪も時々強くなった。
 樋曽山の山頂は、稜線上の一点にしかすぎず、三角点を見つけないと判らないところであったが、山頂標識が立てられて迷う心配も無くなっていた。雪を掻き分けて三角点を探すと、標識の前の登山道の真ん中に見つかった。以前は登山道脇にあり、落ち葉を掻き分けて見つけたものだが、登山道が広がってしまったようである。
 五ヶ峠方面からの足跡はなく、この日に樋曽山を訪れたのは、私だけのようであった。帰る途中、吹雪によって、早くも足跡が消えかかっている所もあった。花の期待は外れたが、吹雪の中を、ともかく山歩きをしたということで満足しよう。

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