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天丸木山
烏帽子形山、妙法山


【日時】 2004年2月21日(土)〜22日(日) 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 21日:晴 22日:晴

【山域】 谷川連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 天丸木山・てんまるきやま・139.9m・三等三角点・新潟県
【コース】 三国小学校より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/四万/三国峠
【ガイド】 なし

【山域】 東頸城丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 烏帽子形山・えぼしかたやま・545.2m・四等三角点・新潟県
【コース】 辰ノ口より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/松之山温泉/大割野
【ガイド】 なし
【温泉】 リバーサイド津南 500円

【山域】 苗場山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 妙法山・みょうほうさん・645.0m・四等三角点・新潟県
【コース】 妙法育成牧場より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/苗場山/信濃森
【ガイド】 なし

2月20日(金) 20:30 新潟発=(関越自動車道、湯沢IC、R.17 経由)=21:15 三国小学校  (車中泊)
2月21日(土) 6:58 三国小学校発―8:07 第三雪庇防止柵下―8:43 天丸木山〜9:04 発―9:23 第三雪庇防止柵下―10:00 三国小学校=(R.17、石打、R.353、中里、R.117 経由)=11:45 辰ノ口〜11:55 発―12:55 烏帽子形山東尾根途中―13:24 辰ノ口=17:00 津南  (車中泊)
2月22日(日) 7:00 津南発=7:10 辰ノ口〜7:44 発―8:00 墓地―8:28 棚田―8:58 烏帽子形山〜9:06 発―9:19 棚田―9:25 墓地―9:35 辰ノ口=(津南、R.117、谷内、中子 経由)=10:20 西の肩〜10:28 発―10:40 妙法山―10:55 西の肩=(中子、谷内、R.117、越後川口IC、関越自動車道 経由)=14:15 新潟着

 天丸木山は、苗場スキー場と国道17号線を挟んで向かい合う山である。平標山の代表的登山口である元橋から平標山の家へ至るコースの、歩き始めの林道の頭上にある山である。

 烏帽子形山は、新潟と長野の県境近くの、信濃川左岸に位置する山である。
 妙法山は、新潟と長野の県境近くの信濃川右岸の河岸段丘上にある山である。南山麓には、乳牛の飼育を行っている妙法育成牧場が広がっている。

 週末の天気予報は、土曜日は晴れるが、日曜日は曇り後雨というものであった。一日の晴天を利用して、谷川連峰の端山である天丸木山に出かけることにした。近くには平標山や苗場山があり、展望を楽しむことができそうに思えた。天丸木山の山行には大して時間はかからないように思えたが、余裕を持たせるために、前夜発とした。
 2月末の金曜日の夜。湯沢の町は、スキーヤーでもっとも賑わう時期だと思うのだが、町はひっそりしていた。以前だったら、金曜日の夜から混雑は始まっていたと思う。コンビニに入ると、おにぎりを棚に入りきれないほど仕入れていたのが、スキーシーズンたけなわの唯一の印であった。これとても、ゲレ食が高いので、コンビニで昼食を調達してという倹約の現れかもしれず、バブル時との格差が際だつ湯沢町である。
 元橋には、平標山への登山者用の駐車場が設けてあるが、到着してみると、雪に埋もれていた。国道のスノーシェッド入り口に広場があったので、車を停めて寝た。朝起きると、隣に登山者の車が一台並んで止められていた。平標山をめざす山スキーヤーの車のようであった。
 道路脇には三国小学校があり、その校庭の背後に天丸木山の尾根が落ち込んでいる。スノーシューを履いて、雪に覆われた校庭に進んだ。尾根上に登ると、雪庇の防止柵が設けられていた。柵の脇は雪が飛んで地面が見えていたので、スノーシューを脱いでつぼ足になった。尾根の上には、雪庇の防止柵の保守用なのか、山道が続いていた。ひと登りすると、幅広の雪の斜面が広がるようになった。スノーシューを再び履くと、クラストした斜面はほとんどもぐらずに気持ちよく歩くことができた。右手には、雪庇が大きく張り出していた。
 右手には苗場スキー場、背後には苗場山の眺めが大きく広がった。再び雪庇防止柵が現れた。ここは、左手の雪の付いた斜面を通過した。再び、雪に覆われた幅広の尾根の登りが続いた。傾斜が増した斜面を登りきると、第三番目の雪庇防止柵が現れた。ここは雪が飛んでなくなっていたので、つぼ足でひと登りした。
 雪庇防止柵の上からは、雪の斜面が続くようになった。雑木林の中を登っていくと、天丸木山の山頂に到着した。山頂は、雪の小広場になっており、苗場スキー場が、ゲレンデ案内の鳥瞰図のように見えていた。その右手には苗場山が真っ白な姿を見せていた。山頂の先は緩やかな尾根状になっていたため、進んでみると、稲包山の展望が広がった。平標山は、谷を挟んだ向かいではあるものの、木立に遮られて隠されていた。尾根をそのまま辿っていけば、毛無山を経て谷川岳縦走路上の三角山に抜けることができる。天丸木山から浅貝ゲレンデに下りたり、林道経由で元橋に戻っても面白いかもしれない。天丸木山の山頂に至る尾根は、いろいろなコース取りに使えそうである。
 筍山の頂上から裾野一帯にかけて広がるゲレンデを眺めながら、ひと休みした。リフトの運行開始時間になったためか、ゲレンデで流すディスクジョッキーの声がうるさく聞こえ始めた。女性の声ならまだしも、若い男性の声なのが、余計に煩わしかった。せっかくスキーにきても、このような騒音を一日聞かされたら、次は行く気はなくなるであろう。スキー離れといわれているが、こういったサービスのはき違えも関係あるのではないだろうか。誰も登っていない静かな山で、騒音が気になった。
 予想以上の晴天の恵まれ、眺めを楽しみながら気持ちよく雪道を下ることができた。
 天丸木山から下山した時間も早かったことから、翌日の予定の津南方面に移動することにした。午後から登ることの出来そうな山ということで、烏帽子形山を選んだ。石打から山越えをして津南に入り、信濃川左岸に渡り、松之山へ通じる県道の入り口の辰ノ口を目指した。
 烏帽子形山への登り方としては、東に延びる尾根に上がり、後は尾根伝いに山頂へ至るというルートを考えた。県道が山裾を取り巻くようにカーブする手前のお堂の前に車を停めて歩き出した。
 スノーシューを付けて雪の上に立つと、気温が高くなって雪はグズグズ状態になっているのに驚かされた。重い雪に足を取られながら、田圃を横断して尾根に向かった。尾根上に這い上がったが、地図で予想していたのとは違い、藪のうるさい痩せ尾根であった。とくに右手は崖状で、うっかりすると下の道路へ転落する危険性が高かった。藪も密で、枝を掻き分けながら進む必要があった。コブ状の急斜面も現れ、左手の斜面をトラバースし、一旦枝尾根に乗ってから尾根上に戻るようなところも現れた。
 痩せ尾根に乗った雪の下が雪崩れ落ちている場所が現れ、それ以上先に進めなくなった。GPSを確かめると、1時間もかかって尾根の三分の一ほどしか進んでいないようであった。まずは、腰を下ろして、ひと休みすることにした。地図を見ながら休んでいるうちにも、ザザーと雪が落ちていく音が聞こえた。このコースは危険で無理と判断して、引き返すことにした。
 木の枝に掴まりながら下るような所もあったが、登りに1時間かかったところも30分しかかからなかった。お気軽にもう一山のつもりが、とんだ敗北に終わった。コースの再検討ということで、南からアプローチするための偵察を行った。南山麓に移動して眺めると、山頂から東に延びる尾根からは、雪が落ちて茶色い地肌が目立っていた。南から山頂に向かって延びる尾根は木立に覆われて雪がついているようであった。烏帽子形山は明日の課題ということで、付近の山の偵察をしながら、津南駅の温泉に向かった。
 温泉に入った後も付近の山の偵察を行い、夕食を買い込んだ後に、閉鎖になっているマウンテンパーク津南スキー場の駅裏駐車場に車を停めて寝た。
 日曜日は、曇り後雨のはずであたが、青空が広がっていた。再び、辰ノ口に戻った。歩き始めの地点近くに除雪された小広場があり、車を停めることができた。
 車道から雪壁を乗り越して雪原の上に立ち、田圃を横断して、山裾の林をめざした。林の中には、林道が続いていた。ただ、地図に書かれているのとは、少しコースが違っていた。林道には橋がかかっていたが、烏帽子形山の東の肩の崩壊地から落ち込む沢は、コンクリートで固められた深い側溝状で、橋以外の場所では越すことは難しそうであった。左手に緩やかに登って尾根の上に出ると、墓地が広がっていた。地図には、林道終点に四角の点線で囲まれた区画として書かれている。
 ここまでの道は、墓参り用に利用されているようだが、その先にも山道が続いていた。雪に覆われてどのような道であるか判りにくかったが、軽トラックがかろうじて通ることのできる程の道のように思えた。烏帽子形山の南山麓には、田圃マークが書かれており、ここに続いているように思えた。緩やかなジグザグを描きながら登っていく道が続いた。周辺には、すらりと背の高いブナ林が広がった。予想していなかったブナ林であるが、美人林で有名な松之山やブナの巨木で有名な鍋倉山もほど遠くないことを考えれば、不思議はないことなのかもしれない。
 尾根沿いにショートカットできそうであったが、林道の走り具合を地図におとすために、そのまま林道を進んだ。左手の沢に寄ったところで、谷間に広がる棚田に飛び出した。もっとも、雪に覆われて地形が判るだけなので、休耕田になっているかどうかまでは判らない。
 ここから、烏帽子形山の山頂へ直線的に登ることにした。傾斜は急になったが、スノーシューのトップが雪に食い込み、難なく登り続けることができた。息が上がって足を止め、周辺に広がるブナ林の眺めを楽しんだ。昨日の東尾根とは、歩く楽しみが格段に上であった。数本の杉木立が見えるのが烏帽子形山の山頂のようであった。最後は急斜面になり、木の幹に足を掛けて四つんばいになって登った。
 烏帽子形山の山頂は狭く、南面の展望が開けていた。見えるのは、苗場山から野沢方面の山のようであったが、見慣れない角度であった。東尾根を見下ろすと、痩せており、この方面から登るのは無理であった。時計を見ると、歩き始めからは1時間と少しで山頂まで登ることができた。昨日の東尾根での苦労はなんだったのだろう。地図では読み切れないところがあるからこそ面白いともいえるのだが。
 下山は、山頂直下の急斜面を避けるため、西の尾根に進んでから、角度の緩そうな所を選んで下った。少し大回りになったが、スノーシューを使う分は、少しくらい距離が長くなってもそう気にはならない。山腹を左にトラバースするように下っていくと、棚田の脇で、登りのトレースに出会った。
 その後は、林道をショートカットしながら下った。30分しかかからずに山を下ることができ、改めて雪道の下りの早さを実感した。
 烏帽子形山の後のもう一山ということで、妙法山をめざした。前日の偵察で、中子の集落を訪れてみると、妙法育成牧場への林道は除雪されていた。当初の予定では、中子から林道を辿り、北東の林道分岐から尾根沿いに登るつもりであった。ところが、現地に到着してみると、除雪後の雪の壁が高く、山に取り付くことはできなかった。車を林道の先に走らせていくと、結局、南西の山裾に出てしまった。そこから山頂へは、牧場の中の歩きのようであった。山頂まではひと歩きといったところであったが、温泉に入って着替えてしまった後だったので、妙法山は、翌日回しということになった。
 妙法山に再び戻り、西のカーブ地点を回り込んだ所で車を停めた。身長程の高さの雪壁の登りが、第一の難関になった。雪壁の上に立つと、目の前には、一面の雪原が広がっていた。妙法育成牧場の中心部はもっと先であるが、妙法山は境界に位置しているようであった。苗場山から鳥甲山にかけての展望が広がっていたが、あまり馴染みのない無い角度からのものであった。
 牧場と雑木林との境界部に沿って登っていくと、妙法山の山頂に達した。なだらかな山頂で、その先が下りになっていることから最高点と判るような所であった。広々とした雪原の眺めを楽しみながら車に戻った。
 山から戻ってから妙法育成牧場のことをインターネットで調べていると、面白い記事が目にとまった。真保裕一原作の「ホワイトアウト」の映画の最終場面の、警察のヘリが着陸して、主人公の富樫輝男がヒロインの平川千晶を抱いて雪原を歩いて来る場面は、この妙法牧場で撮影されたという。ホワイトアウトは、奧只見ダムを舞台にしたものであるが、ダムは黒部ダムで撮影されたと聞いていた。大雪原の撮影場所として、この妙法育成牧場を使ったことに興味を持った。DVDを借りてきて見返してみると、最後の場面で映っている山並みは、野沢方面のようであった。
 妙法育成牧場は、雪に覆われた間は、クロカンやスノーシュー遊びのフィールドとして使えると思うのだが、知られていないのは残念である。

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