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厚樫山、羽山、鹿狼山、羽黒山
虎捕山、信夫山、千貫森、木幡山、口太山
野手上山、国見山、懸の森山・毘沙目木山
十万山、手倉山、片曽根山


【日時】 2003年12月27日(土)〜30日(火) 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 27日:晴 28日:晴 29日:晴 30日:晴

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 厚樫山・あつかしやま・289.4m・三等三角点・福島県
【コース】 山頂まで車道
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/桑折/桑折
【ガイド】 うつくしま百名山(福島テレビ)、ふくしまの低山50(歴史春秋社)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 羽山・はやま・458.0m・三等三角点・福島県
【コース】 羽山神社より
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/桑折/舟生
【ガイド】 うつくしま百名山(福島テレビ)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 鹿狼山・かろうさん・430.1m・二等三角点・福島県、宮城県
【コース】 鹿狼温泉より
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/角田/丸森
【ガイド】 うつくしま百名山(福島テレビ)、分県登山ガイド「福島県の山」(山と渓谷社)、阿武隈・奧久慈・八溝の山(随想舎)
【温泉】 鹿狼ノ湯 400円

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 羽黒山・はぐろさん・354.8m・三等三角点・福島県、宮城県
【コース】 旗巻峠からの林道より
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/相馬中村/青葉
【ガイド】 うつくしま百名山(福島テレビ)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 虎捕山・とらとりやま・705.5m・三等三角点・福島県
【コース】 山津見神社より
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/保原/萩平
【ガイド】 うつくしま百名山(福島テレビ)、阿武隈・奧久慈・八溝の山(随想舎)、ふくしまの低山50(歴史春秋社)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 信夫山・しのぶやま・72m・なし・福島県
【コース】 月山駐車場より
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/福島/福島北部
【ガイド】 うつくしま百名山(福島テレビ)、ふくしまの低山50(歴史春秋社)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 千貫森・せんがんもり・462.5m・三等三角点・福島県
【コース】 UFOふれあい館より
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/保原/月舘
【ガイド】 うつくしま百名山(福島テレビ)、ふくしまの低山50(歴史春秋社)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 木幡山・こはたさん・666.3m・二等三角点・福島県
【コース】 陰津島神社二の鳥居より
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/川俣/川俣
【ガイド】 うつくしま百名山(福島テレビ)、ふくしまの低山50(歴史春秋社)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 口太山・くちぶとやま・842.6m・三等三角点・福島県
【コース】 夏無沼キャンプ場より
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/川俣/川俣
【ガイド】 うつくしま百名山(福島テレビ)、阿武隈・奧久慈・八溝の山(随想舎)、分県登山ガイド「福島県の山」(山と渓谷社)、ふくしまの山50(歴史春秋社)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 野手上山・のてがみさん・628.6m・三等三角点・福島県
【コース】 野手上ダムより
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/原町/小宮
【ガイド】 うつくしま百名山(福島テレビ)、阿武隈・奧久慈・八溝の山(随想舎)、分県登山ガイド「福島県の山」(山と渓谷社)、ふくしまの低山50(歴史春秋社)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 国見山・くにみやま・563.7m・三等三角点・福島県
【コース】 高の倉ダムより
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/原町/原町
【ガイド】 うつくしま百名山(福島テレビ)、阿武隈・奧久慈・八溝の山(随想舎)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 懸の森山・かけのもりやま・536m・なし・福島県
 毘沙目木山・びしゃめきやま・522.4m・一等三角点補点・福島県
【コース】 小袖橋より
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/原町/小高
【ガイド】 うつくしま百名山(福島テレビ)、阿武隈・奧久慈・八溝の山(随想舎)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 十万山・じゅうまんやま・450m・なし・福島県
【コース】 石熊より
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/浪江/浪江
【ガイド】 うつくしま百名山(福島テレビ)、阿武隈・奧久慈・八溝の山(随想舎)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 手倉山・てくらやま・631.0m・三等三角点・福島県
【コース】 西登山口より
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/浪江/古道
【ガイド】 うつくしま百名山(福島テレビ)、阿武隈・奧久慈・八溝の山(随想舎)、分県登山ガイド「福島県の山」(山と渓谷社)、ふくしまの低山50(歴史春秋社)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 片曽根山・かたそねやま・718.6m・二等三角点・福島県
【コース】 福祉センターコース途中より
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/常葉/船引
【ガイド】 うつくしま百名山(福島テレビ)、阿武隈・奧久慈・八溝の山(随想舎)、ふくしまの低山50(歴史春秋社)

【時間記録】
12月26日 15:00 新潟発=(R.49、安田IC、磐越自動車道、会津坂下IC、R.49、会津坂下、喜多方、R.121、米沢、R.13、福飯坂温泉、R.4 経由)=20:00 石母田  (車中泊)
12月27日 7:30 厚樫山=(梁川、山舟生 経由)=8:35 羽山神社〜8:53 発―9:03 出戸羽山・奧羽山分岐―9:14 出戸羽山―9:20 中羽山―9:29 奧羽山―9:36 童双神―943 きつね岩―9:49 出戸羽山・奧羽山分岐―9:56 羽山神社=(山舟生、丸森、R.113 経由)=11:10 鹿狼ノ湯〜11:30 発―12:02 鹿狼山―12:31 鹿狼ノ湯=(R.113、旗巻峠 経由)=13:06 羽黒山口―13:11 鳥居―13:15 羽黒山〜13:20 発―13:23 鳥居―13:26 羽黒山口=(R.113、鹿狼ノ湯)=相馬、R.115、霊山、佐須峠 経由)=16:30 山津見神社  (車中泊)
12月28日 7:12 山津見神社発―7:29 手水舎―7:44 奧ノ院本殿―7:56 虎捕山〜8:00 発―8:07 奧ノ院本殿―8:18 見晴らし岩―8:30 手水舎―8:41 山津見神社=(月舘、R.399、R.349、R.115、福島 経由)=9:50 月山駐車場―9:58 信夫山・羽山―10:03 月山駐車場〜11:00 発=(福島、R.4、R.114 経由)=12:02 UFOふれあい館―12:19 千貫森〜12:25 発―12:38 UFOふれあい館=(飯野、木旗 経由)=13:09 二の鳥居―13:25 林道駐車場―13:31 本殿―13:42 経塚―13:49 木幡山―13:59 経塚―14:03 本殿―14:12 林道駐車場―14:22 二の鳥居=(木幡、R.349、針道 経由)=3:01口太山入口―15:07 夏無沼キャンプ場―15:27 口太山―15:35 夏無沼キャンプ場―15:45 口太山入口=(蕨平、木戸 経由)=17:20 野手上ダム  (車中泊)
12月29日 7:00 大鳥居発―7:18 金華山―7:32 野手上山―7:40 金華山―7:55 大鳥居=(木戸、高倉 経由)=9:00 高の倉ダム登山口〜9:20 発―9:39 雨乞滝入口―9:49 林道―9:59 森林公園駐車場分岐―10:09 分岐―10:19 山の神―10:28 反射板―10:32 国見山―10:40 分岐―10:46 森林公園駐車場分岐―10:52 林道―10:58 雨乞滝入口―11:12 高の倉ダム登山口=(原町、横川ダム 経由)=12:28 小袖橋―12:34 送電線常磐幹線入口―12:54 No.258鉄塔―13:10 No.259鉄塔―13:14 羽倉分岐―13:29 懸の森山―13:35 立石入口―13:45 毘沙目木山13:57 立石入口―14:04 懸の森山〜14:12 発―14:24 No.259鉄塔―14:34 No.258鉄塔―14:46 送電線常磐幹線入口―14:54 小袖橋=(横川ダム、浪江、石熊 経由)=18:00 とりあげ石  (車中泊)
12月30日 8:07 十万山登山口発―8:29 五合目―842 440mピーク―8:50 十万山〜9:16 発―9:23 440mピーク―9:30 五合目―9:44 十万山登山口=(石熊、高瀬川渓谷 経由)=10:41 西登山口―11:25 社殿〜11:31 発―11:35 手倉山―11:48 三角点〜11:53 発―12:02 手倉山―12:06 社殿―12:27 西登山口=(葛尾、R.399、R.288、船引、福祉センター 経由)=13:32 登山道入口―13:46 片曽根山〜13:58 発―14:08 登山道入口=(船引、R.288、船引三春IC、磐越自動車道 経由)=17:00 新潟着

 厚樫山は、阿津賀志山とも書かれ、文治五年(1189年)の源頼朝率いる鎌倉軍と平泉藤原軍が戦った奧州合戦の舞台になったという。山頂まで車道が通じている。
 羽山は、羽山信仰の山として福島県にはいくつもあるが、これは梁川町の最高峰である。麓の羽山神社から周遊コースが設けられている。
 鹿狼山は、宮城県と福島県の県境に位置する山である。登山道は良く整備され、太平洋の眺めが得られることから、多くの登山者が訪れる山になっている。
 羽黒山は、福島・宮城県境上にあり、鹿狼山の南に位置する山である。西山麓を、旗巻峠から天明グリーンヒルグルフ場に至る車道が通過しており、登り僅かで山頂に立つことができる。
 虎捕山は、山岳宗教と岩場の山で知られる霊山の南に位置する山である。今から千年程前に、源頼家の家来の藤原景道がこの山に潜んだ橘墨虎という盗賊を捕らえたという故事から名前が付けられている。麓の山津見神社は、古くから庶民の信仰を集めた山であるが、特に盗難避けの神様として知られている。
 信夫山は、福島市街地の東寄りに頭をもたげる山である。古くからの信仰の山で、現在では車道が山頂まで通じ、公園化が進んでいる。
 千貫森は、福島市の東にある円錐状の小山である。麓に小手神社、山頂に麓山神社があり、信仰の山であるが、最近では、UFOの見える山として売り出されている。
 木幡山は、12月第一週の旗祭りで有名である。中腹には隠津島神社が置かれた信仰の山である。
 口太山は、「昔、山陰中納言が銘木を探しにやってきた時、大猿に化けた山賊が襲いかかった時、白鹿がどこからともなく現れて窮地を救った」という伝説の残る山である。山頂部は芝生となり周囲の展望が広がっている。
 野手上山は、阿武隈山地の北東部の奥地にあり、小さいながらピラミッド型をした姿を野手ダムの背後に見せる山である。
 国見山は、太平洋に臨む原町の北西にある高の倉ダム脇に聳える山である。ダムサイドから登る登山道が整備されているが、林道が高い所まで延び、そこから楽に登ることができるようになっている。
 懸の森山は、原町の北西にあり、昔は山伏の修行の山であったという。欠森山と称されというが、昭和の支那事変に伴い「かけのもり」の山の神様を、戦いの神様として武運長久を祈る信者が増え、神殿を再建するにあたって欠の字を嫌い、現在の懸の森山という名前になったという。毘沙目木山は、懸の森山の南にある一等三角点峰であり、周囲には美しい雑木林が広がっている。
 十万山は、太平洋に臨む双葉町の西に位置する山である。特に特徴のある山容を持つわけではないが、登山道は良く整備されている。
 手倉山は、紅葉で名高い高瀬川渓谷の奥地にある山である。信仰の山で、山頂には岩場を持ち、明神様を祀った社殿が置かれている。
 片曽根山は、船引町の南に大きく裾野を引く、田村富士とも呼ばれる山である。山頂近くまで車道が上がっており、山頂一帯は園地かが進んでいる。

 年末最後の山行は、阿武隈山地の「うつくしま百名山」巡りに出かけることにした。新潟は、例年よりも寒気の入り込みガ遅く、そのため雨が降ってなかなか雪にならないでいる。御用納めからの週末も荒天の予報が出ていた。
 御用納めの昼の酒も我慢し、家に帰るなり出発した。最初の目的地の福島へは、どのようなコースをとるか迷ったが、道路が混んでおり、新新バイパスには乗れずに自然と49号線に進んでしまい、安田ICから高速に乗った。福島県との県境を越しても、道路に雪は無かったため、会津坂下から喜多方を経由して米沢に向かい、高速代を節約することにした。
 喜多方と米沢を結ぶ国道121号線は、大峠付近をトンネルの連続で通過して、走りやすい道が整備されているが、峠付近では小雪がちらつき道路を雪が覆い、新車で初めての雪道の運転になった。米沢に入ると雪はなくなった。今年は雪の訪れが遅いようである。
 最初の目的地の厚樫山のため、石母田の集落近くの東北自動車道の脇の道路脇で夜を過ごした。暗い中で厚樫山への登り口が判らず、明るくなるのを待つ必要があった。
 明るくなって、高速脇から始まる荒れた林道が登山コースと思って歩き出したが、すぐに行き止まりになった。車に戻り、高速道の脇に沿って走る車道を進むと、厚樫山展望台という標識が現れた。舗装された整備された車道で、車を進めると、山頂の駐車場に到着し、さらにトイレの脇を過ぎると、山頂に着いてしまった。登山が目的ではあるが、登山道が別に整備されているならともかく、わざわざ車道歩きをする気にはなれない。
 山頂には展望台が設けてあり、上に登ってみると、電球の飾り付けで占領されていた。昨晩、山の上に電飾の明かりが見えていたが、これがその正体であった。「うつくしま百名山」巡りの第一歩から、がっかりすることになった。山頂からは、信達平野の眺めが広がっており、きちんとした登山道が整備されていれば、小さいながら楽しめる山なのであろうが。
 続いて羽山に向かった。福島県にはいくつもの羽山があるが、この梁川町の羽山については、「うつくしま百名山」のガイドだけが便りであった。そのためコースもあやふやで、GPSで地図にコースを引こうにも、予想がつかなかった。現地についてから、登山道を探すしかなかった。山舟生に着いてみると、道の脇に羽山の案内が載っており、なんとか登山口の羽山神社に到着することができた。
 羽山神社の前の駐車場に車を停めて歩き出した。神社の裏手では、ブルドーザーが神社の入口から回り込んできた林道の工事をしていたが、近づいていくと、運転手が下りてきて、登山口を教えてくれた。簡易水道の小屋掛けがあり、その脇から山道が始まっていた。ひと登りすると林道を再び横断し、左よりに山道が続いていた。
 山道に進むと、すぐに道が二つに分かれた。左は出戸羽山、右は童双神経由奧羽山とあった。まずは、出戸羽山に向かうことにした。
 左方向にトラバース気味に登って行くと、尾根の上に出た。石の祠があり、出戸羽山という標識が置かれていた。集落の見晴らしが広がっていたが、尾根の張り出しで、思っていたようなピークではなかった。尾根を登っていくと中羽山という標識があり、右手に入ると、杉林の中に祠が置かれていた。
 ここから急な登りを続けると、奥羽山のピークの上に出た。小さなお堂が置かれていたが、扉は閉ざされていた。三角点も傍らに置かれており、現在地を確認することができた。
 奧羽山からは、童双神経由で下ることにした。急斜面を下ると、木の鳥居が現れ、その先で伐採地の中に続く荒れた林道に飛び出した。標識では、東に行けば赤柴、西に向かっていけば、童双神経由で羽山とあった。童双神は、尾根上に身長を超す程の大岩があり、二つに割れているものであった。これをご神体として、祠が祀られていた。その先で、登山道をわずかに外れた所にきつね岩というものがあったが、大岩であるものの、どこがきつねなのかは判らなかった。付近の山の斜面を見ると、大きな岩がそこかしこに転がっていた。
 地元の人間しか歩いていないようなコースであったが、所々にある標識に導かれて、歩き始めの分岐に戻ることができた。
 羽山に続いて、鹿狼山に向かった。日本海に面する新潟から、太平洋まで東北地方を横断することになる。鹿狼温泉の脇の登山口は、駐車場やトイレが整備されていた。駐車場には数台の車が停められて、登山者が入っているようであった。
 鳥居をくぐって登り始めると、すぐにコースが展望の道と樹海の道の二つに分かれた。まずは、右の展望の道に進んだ。尾根沿いの登りであったが、丸太の段々やつづら折りで、遊歩道として良く整備されていた。葉が落ちて見通しの良くなった林に明るい日差しが入り込んでいた。登るにつれて、太平洋も見えるようになってきた。
 ひと汗かくと、杉林の傍らに木のお堂が置かれた鹿狼山の山頂に到着した。この杉林は、麓からも良く眺めることができ、鹿狼山の良い目印になっている。山頂一帯は、草地の広場になって、展望が広がっていた。相馬港や火力発電所の向こうに太平洋の大海原が広がっていた。元日登山の山としても人気があると聞いているが、確かに初日の出を拝むには良さそうであった。
 下りは、樹海の森を目指した。南に尾根を辿り、送電線の鉄塔手前から展望コースとは谷を挟んで南側の尾根に進むと、一気の下りになった。登山道はジグザグに付けられているのだが、ショートカットして歩く者が多いようであった。最後は、貯水池の脇に下り立ち、歩き始めの分岐に戻ることができた。
 鹿狼ノ湯で入浴と思ったのだが、山歩きをもう少し続ける時間があった。鹿狼山の南に位置する羽黒山は、旗巻峠からの車道からでは、僅かな登りなので、これからでも登ることが出来そうであった。
 旗巻峠からの車道に進んでみると、思ったよりも良い道であった。車を走られせていくうちに、前方に小高い羽黒山の山頂が見えてきた。南西に回り込んだ所で、羽黒出羽神社参道入口の標識が現れた。その先は、未舗装の林道のため、路肩に車を停めて歩き出した。
 すぐ先で広場に出ると、木の鳥居が立ち、山道が始まっていた。一般的には、車はこの広場まで入るようであった。山道をひと登りすると、杉林に囲まれた中に、赤く塗られた鳥居とお堂が建つ羽黒山頂に到着した。太平洋の眺めも広がっていたが、木立がややうるさかった。
 風が急に強まり、車に戻る頃には、寒さが堪えるようになった。鹿狼ノ湯に戻り、温泉に入った。浴槽も小さく、地元の人間だけが入る温泉であったものが、登山ブームによる登山者の下山後の入浴で活気を取り戻したという雰囲気であった。
 相馬で夕食を買い込み、霊山を目指した。小雪が舞うようになり、日が落ちると、路面も白く変わった。霊山は、1993年12月18日に訪れたことがあるが、その時も路面が凍結していた。霊山からは、佐須峠を越して、虎捕の集落に向かった。虎捕山の登山口の山津見神社は、思っていたよりも大きな神社で、大都市でもめったにないような大駐車場が設けられていた。白くなった駐車場に車を停めて寝た。
 朝起きてみると、地面は白くなっていたものの、厚さは1センチに満たない程で、日が昇れば、消えてしまう程度であった。神社の社殿の右手に「山津見神社本殿登拝入口」と彫り込まれた石柱が立てられており、山道が始まっていた。
 雑木林の中を登って行くと、手水舎の水場に出て、道が二手に分かれた。まずは尾根沿いに、本殿をめざした。道は落ち葉に被われて判りづらくなっており、コースを良く見極める必要があった。頭上に岩場が迫ってくると、梯子が現れた。ここまでに盗賊が潜んだという虎捕洞があったはずなのだが、知らずに通過してしまった。
 梯子を登ると石の祠が置かれたテラスに出て、下りに使う南尾根コースが分かれていた。見上げると、岩峰にへばりつくように本殿が置かれていた。鎖を頼りに岩場を登ると、本殿に到着した。本殿の背後の岩場に進むと、周囲の眺めが広がった。転落防止の柵が設けられていたが、岩の上に雪がうっすらと乗っていたため、足元に注意しながら岩場を通過した。本殿の先は、道型はしっかりしているものの、冬の季節以外は、藪が少しうるさそうであった。雑木林に囲まれた尾根を登っていくと、三角点の置かれた虎捕山の山頂に到着した。周囲は木立に囲まれて、展望の無い山頂であった。
 本殿に戻り、一段下のテラスから南尾根に向かった。岩場の下りになり、鎖を掴んで慎重に下る必要があった。途中、麓の田園風景の眺めが広がる展望地状の岩場もあり、岩場の通過に気を付ける必要はあったものの楽しめるコースであった。ただ、岩場に慣れない初心者は、来た道を戻った方が良いかもしれない。最後は、尾根と谷をトラバースしていくと、歩き始めの分岐に戻ることができた。
 続いて信夫山に向かった。信夫山は、福島の市街地の中にある山である。山頂まで車道が通じているので、そのまま車で上がってしまうことにした。山頂一帯は信夫山公園として整備されており、まずは最高点の羽山を目指した。月山駐車場と書かれた駐車場から歩き出した。進入禁止の林道を登っていくと、湯殿山神社の祠が現れた。ここが最高点であったが、尾根を少し下っていくと、267.2mの四等三角点を見つけることができた。
 信夫山は、小さな山であるが、地図を見ると三角点が三つも置かれている。残りの三角点を探すことにした。中央部の216.4m四等三角点は、薬王寺の脇に無線中継地があり、石段を登った先のフェンス脇の笹藪の中にあった。
 東端の268.2m二等三角点は、少し手前から通行止めとなった保守道を登っていくと、ピークの上に立つ無線中継基地に出て、その金網フェンスの中にあった。信夫山は、下から登る代わりに、三角点巡りを行ったことで良しとしてもらおう。
 続く千貫森は、円錐型をした小山であるが、最近では、UFOが見える山として地元で売り出しているという。UFO会館なるものも出来ているということで、ナビは、UFO会館にセットして車を走らせた。山の中腹に上がると、UFO物産館の駐車場に出た。その前のUFO会館からUFO道と呼ばれる登山道への連絡道が始まっていた。
 良く整備された遊歩道であったが、所々に宇宙人をかたどった石像が置かれていた。セラだとかゴモラだとか名前が書かれていたが、子供じみて趣味が良くない。小さな山といっても、円錐形の山なので傾斜はけっこう急であり、登っていく途中、息が切れた。
 千貫森の山頂には、大同二年(1170年)創建の麓山神社の祠が置かれているが、「UFOコンタクトデッキ」と呼ばれるコンクリート製の展望台に占領されている。三角点の脇には、UFOを現すのか、金属球のモニュメントが置かれていた。展望台の上からは、周囲の展望が広がっていた。吾妻連峰や安達太良山も、昨晩の雪のためか白く輝いていた。
 下山の最後に、小手神社に寄った。小振りながら古くから信仰されてきた神社のようであったが、周囲がUFO関係の施設やらが設けられて、肩身が狭そうであった。
 次の木幡山は、木幡の集落から隠津島神社を目指したつもりが、遙拝所の置かれた二の鳥居に到着していた。歩きは少し長くなるようだが、本来の参拝路としてはここから歩き出すようであった。隠津島神社近くまで通じている車道は、R.349から入るのが判りやすいようであった。
 二の鳥居をくぐると、杉林の中の登りが始まった。石段が整備されていたが、歩く者は少ないのか、落ち葉に被われていた。ひと汗かくと車道に飛び出し、横断した先の山道を右方向に進むと、駐車場からの参道に合わさった。幅広で、所々で石段が整備された立派な参道を登っていくと、三重塔が現れ、その上で社務所や本殿が並ぶ境内に出た。山頂にあるにしては、大きな神社であった。木幡山の山頂へは、最上部の養蚕大神社の脇から経塚の標識に従って山道に進むことになった。この先は、歩く者は少ないようであった。
 ひと登りで経塚に出て、後は緩やかな尾根道を進むと、木幡山の山頂に到着した。三角点が置かれているだけで、眺めの無い山頂であった。
 木幡山から駐車場に戻ってところで、2時半になっていた。日没が早く、山歩きの限界も4時頃であった。近くの口太山は、不動坂登山口からでは1時間以上かかって、今日登るのは無理であったが、夏無沼キャンプ場からなら、なんとかなりそうであった。翌日の野手上山のためには、移動時間の節約のため、今日のうちに登っておきたかった。
 R.349の針道から林道に進んだ。車道上には所々雪が残っていたが、支障なく車を進めることができた。中継基地の置かれた峠部で、未舗装の林道が分かれ、その入口に口太山を示す標識が置かれていた。車道脇の広場に車を置いて歩き出した。時間も遅くなっており、急ぎ足で歩いた。林道を歩いていくと、夏無沼への道が右に分かれ、その先で草地の広がるキャンプ場に出た。送電線が通過しており、その先に見える小高い山頂が口太山のようであった。夏無沼方面からと思われる林道が上がってきていた。
 口太山登山口の標識があり、山頂まで2.5kmと書かれていた。すでに3時になっており、2.5kmの距離だと、少々まずいことになりそうであったが、GPSでは直線距離で722mをさしていた。なんとかなるだろうと思い、先に進んだ。尾根沿いの登りが始まった。途中で刈り払いの原をかすめる所では、登山道にかかる草が少し深くなっていた。
 一日の最後の力を振り絞って登り続けると、口太山の山頂に到着した。20分の登り時間を考えれば、GPSの表示の方が正しいようであった。山頂は雪で覆われ、不動滝方面から上がってきたと思われる登山者の足跡が付いていた。眺めをひと通り楽しんだ後、西に傾いた太陽に照らされた山頂を後にした。
 夏無沼キャンプ場の登山口近くに、登山届けのポストが置かれていた。見ると、「福島百名山65番」と書かれていた。針道振興会が設けたものだが、何番札所ののりであった。しかし本の順番は地域毎に並べただけであり、歩く順番ではない。1番札所は、西吾妻連峰となって、登山を始めるにはちょっと難しいかなと思うし、8番札所が飯豊では、初心者は先に進まないであろう。記帳台の上には、登頂記念のスタンプが置かれていた。残念ながら、うつくしま百名山でスタンプが置かれている山は、他には知らない。
 夕食を買い込んでいるうちにすっかり暗くなってしまった。野手上山の登山口の野手上ダムへは、車のナビ頼りのドライブになった。途中でいくつもの峠を越えていくことになった。蕨平の先で県道から分かれると、未舗装の道に変わった。幸い、夜間の運転にも支障はない道であった。再び舗装道路に変わると、直にダムサイトの登山口入口に到着した。ここまでのアプローチとしては、北側の沼平方面からの方が道は良いのかもしれない。月明かりの元、野手上山の山頂がシルエットを浮かべていた。
 翌朝、明るくなったところで、大鳥居のある登山口に車を移動させた。コンクリート製の大きな鳥居が立てられていたが、社殿は、そっけない倉庫風の建物で、その後ろに木の祠が置かれていた。野手上山の登山道は、良く整備されており、急斜面には丸太の段々が設けられていた。朝一番の階段登りは、息が切れて辛かった。
 小ピークに上がると、黄金山大神と彫られた石碑が置かれていた。このピークは、金華山と呼ばれるようであった。僅かに下った後に、再び急な登りが始まった。周辺は、気持ちの良い雑木林が広がっていた。登山道沿いには、合目標識が置かれていたが、八合目は山頂の一画で、九合目は、展望台の置かれた山頂を目の前にした位置であった。
 野手上山の山頂には、木の祠が置かれていたが、二階建ての展望台に占領されていた。山頂から見える山の名前は判らなかったが、太平洋を望むことができた。帰りは、足任せに一気に山を下ることができた。
 続く国見山の登山口の高の倉ダムへは、蕨平方面に戻ってから、県道62号線で一本道であったが、カーブ連続の未舗装の山岳道路で、途中でうんざりしてきた。沼平に出てから県道12号線を回った方が、距離は長いが、早かったかもしれない。
 ようやく高の倉ダムに到着すると、ガイドにも載っていない国見山森林公園への道が分かれたが、まずはダム堰堤入口の登山口から歩き出すことにした。
 国見山へは、道路脇のコンクリート作りの階段が登り口になった。廃墟状態のホテルを見下ろしながら尾根沿いに進むと、右手から上がってきた林道に出た。尾根の末端を回り込むと、簡易水道の取水施設があり、そこからは沢沿いの道になった。雨乞滝入口を過ぎると、水の流れを何度も横切るようになった。夏は涼しくて面白いかもしれないが、日も入り込んで来ず、冬の季節は寒々としてしていた。沢を遡っていくと、滑滝状に美しくなったが、すぐ上に車道の壁が見えてきた。
 登山道は、一旦車道を横切ることになった。舗装された車道で、これは森林公園へ通じているようであった。どうやら、森林公園から歩き出せば、沢沿いの歩きを省略できるようであった。
 この先は、沢沿いのコースもあるようであったが、尾根沿いのコースを行くことにした。車道からは、丸太階段の登りが延々と続いた。一旦尾根を乗り越すと、左から登山道が合わさった。標識には、駐車場400mとあり、やはりそこから歩けば、汗もかかずにここまで達することが出来るようであった。
 杉の植林地と雑木林が入り交じる尾根沿いの道を進んでいくと、直登コースとのんびりコースの分岐に出た。山頂は近いようであったが、標高差はまだかなりあり、直登コースは急な登りが続くようであった。登りは、のんびりコースを使うことにした。緩やかな登りを続け、山頂の西側に回り込むと、山の神に出て、東に方向を変えることになった。山の神には、木彫りの陽物が供えられていた。山の神脇には、林道がどこからか上がってきていた。国見山一帯は、植林作業が盛んなようであった。
 尾根沿いに登っていくと、反射板の下に出て、そこからは僅かな歩きで山頂に到着した。国見山の山頂の縁は、段々が設けられ、風景を眺めながら休めるようになっていた。太平洋の眺めが大きく広がっていた。車道の延長によって、簡単に登ることができるようになり、初日の出を眺めるために登る登山者も多くなっているのかもしれない。
 下りは、直登コースに進むと、すぐにのんびりコースとの分岐に下り立った。後は、来た道を戻った。
 下山後、森林公園への車道を確かめることにした。ダムの上流部に戻り、林道国見線に進んだ。山腹をトラバースしながら高度を上げていくと、登りの際の横断部を通過し、その先で尾根の末端部を回り込むと、広い駐車場に到着した。そこから国見山の登山道が始まっていることを確認した。ここからなら、大した苦労も無く、国見山に登ることができるようであった。これからは、ここが一般的な登山口になるようであった。
 林道国見線は、次の目的地の懸の森山の登山口の横川ダムに通じているようであったが、残念ながら、駐車場から先は通行止めになっていた。引き返して、横川ダムを目指した。
 横川ダムの上流部に、小袖橋があり、その先はダム右岸沿いの道が続いていたが、ゲートがあり車の進入はできなくなっていた。小袖橋の向かいには、駐車スペースもあり、ここから歩き出すことになった。
 小袖橋を渡り、しばらく車道を歩いていくと、滝のかかる沢向こうの尾根を回り込んだ所から送電線常磐幹線巡視路が始まっていた。巡視路は、一般登山道並に良く整備されていた。小さなジグザグを交えているものの、急な尾根の登りが続いた。小さな山とはいえ、一日の三山目となると、足にも疲れが出てきていた。
 No.258の鉄塔の下に出ると、周囲の展望が広がった。谷向こうのピークが懸の森山のようであった。もうひと頑張りすると、稜線上に出て、その先でNo.259の鉄塔の下に出た。雑木林に囲まれた緩やかな道を進むと、左から羽倉からの登山道が合わさった。小ピークを右に巻くと、懸の森山への最後の登りが始まった。頂上直下の大岩の下に大山祇神社の祠が置かれていた。そこに置かれていた案内板によれば、この山は、一時は、信仰の山として人気があったというが、今では、登山者からの関心もあまり引かなくなっている。そこからは、ひと登りで懸の森山の山頂に到着した。木立に囲まれた山頂であったが、木が切られて展望が開けていた。
 うつくしま百名山巡りとしては、この懸の森山に登ったことで目的を果たしたことになるが、この先の毘沙目木山は一等三角点ピークであることから、登らない訳にはいかなかった。小さな登り下りのある道が続いた。立石入口を過ぎて毘沙目木山が近づくと、美しい雑木林が広がるようになった。今回の山行の中では、一番美しい林であった。落ち葉を踏みながら歩く山道は気持ちが良かった。
 毘沙目木山は、目立ったピークではなく、登山道の周囲が広く刈り払われた中に一等三角点が埋められていた。三角点の脇の木には、日陰山、手倉山といった周囲の一等三角点の方向を示した矢印が取り付けられていた。阿武隈山地の一等三角点は、まだ訪れていなものが多く、いずれ一等三角点巡りを行う必要もある。
 懸の森山で、この日の登山は終了になった。下山後の風呂に入りたかったが、地図で見つけた日帰り入浴施設は、年末で休業していた。浪江の町で買い物を済ませ、十万山の登山口の石熊に向かった。
 石熊の集落を過ぎると、舗装道路は終わり、未舗装の林道が二手に分かれた。この分岐には、昔、熊がその上でお産をしたという取り上げ石があった。暗い中で様子が判らないので、車道終点の広場に車を停めて寝た。
 翌朝、うっかりして七日沢沿いの林道に歩き出してしまい、無駄な時間をとってしまった。十万山は、車道を少し戻った所で、大きな標柱があるので、明るい時なら見落とすようなことはないはずであった。駐車スペースが無く、路肩駐車になるので、前の晩に車を停めた場所は正解であったのだが。
 畑の脇から登り出すと、伐採地に出て、その先からは尾根沿いの登りが始まった。良く整備された登山道で、合目標識も置かれていた。小ピークの上に出た所で、登山道は右にコ−スを変えた。小ピークを越すと、ブランコ等の遊具が置かれた山頂広場に到着した。奧の高まりに祠が置かれていた。祠のある場所が最高点で、十万山と書かれた山頂標識もあることから、ここが十万山の山頂と思い、祠の回りに三角点を探したが見つからなかった。
 ガイドブックの「阿武隈・奧久慈・八溝の山」を読むと、三角点へは、祠の先の踏み跡を辿った先と書かれているが、今回の山行では、昨日登った懸の森山までが当初の予定の山で、うっかりして読んでいなかった。悪いことに、登山道のコースが判らなかったため、三角点の位置もGPSに落としていなかった。十万山に登ったことは間違いは無いのだが、すっきりしない気分が残った。歩き始めといい、特に難しい山ではないのだが、ついていない山のようである。あるいは、山登りが続いて、注意力が低下しているためか。
 続く手倉山へは、高瀬川渓谷沿いのドライブが最初の関門になった。途中、車のすれ違いの困難な幅の狭いところがあり、紅葉の季節などは、美しかろうと入り込む気にはなれない道であった。西登山口の目印は鳥居ということであったが、渓谷沿いのドライブが長いため、ナビがなければ、現在地が判らなくなるところであった。
 目指す鳥居は見つかったが、手倉山の登山口を示す標識は、なにもなかった。登山道は、落ち葉に被われて判りにくかった。登り始めの尾根から涸れ沢を渡った次の尾根が、登りのコースであったが、うっかりすると、涸れ沢をそのまま登りそうになりそうであった。
 急な尾根の登りが始まった。足の疲れも溜まり、そろそろ今回の山旅も引き上げ時のようであった。登りの距離が短いと思って甘く見たが、その分急斜面であった。
 山頂が迫ってくると、岩壁の下に出て、これを右に巻きながら登ると、神社の置かれた手倉山に到着した。神社の上にそそり立つ岩に登ると、眼下の眺めが広がった。鎌倉山の尖った山頂が特に印象的であった。小ピークを越した先が、三角点ピークのようであった。
 三角点ピークに向かって進むと、僅か先で、手倉山山頂という標識が右をさしていた。ひと登りすると、小ピークの上に手倉山という標識が付けられていた。手倉山の山頂としては、神社のある岩峰、この小ピーク、三角点ピークが考えられるが、どれを選ぶかは、各人の好みで良いかもしれない。
 小ピークから一旦下った後、三角点ピークへの登りになった。登山道は、草がかぶり気味になった。到着した三角点ピークは、木立に囲まれて展望はなく、三角点だけが見所であった。
 手倉山を登り終えて、後は、家路につくことにしたが、帰り道の途中にあたる片曽根山に寄っていくことにした。片曽根山は、車道が山頂まで通じており、歩かずに登ることができるはずであった。
 船引の町に出て、福祉センター脇を通り抜けて、山頂目指して上がっていく車道に進んだ。雪が所々残っていたが、中腹の日陰で、凍結状態になっており、タイヤが滑って上がれなくなった。車道が完全に氷の滑り台になっており、勢いを付けて登ってしまっても下りが危険なため、歩くことにした。
 すぐ先で、福祉センターからの登山道が横断していたので、山道に進んだ。杉林の中の急な登りが続いた。片曽根山には、歩かずに登ってしまおうという甘い考えであったのが、とんだアルバイトになった。
 片曽根山の山頂は、芝生状に園地化しており、放送の施設が建ち並んでいた。広い山頂で、三角点がどこにあるのか判らなかったが、福島放送の中継基地の金網の中にあるのを見つけることができた。大滝山に信夫山、それにこの片曽根山。阿武隈山地の三角点は、金網に囲まれているものが多いようである。
 今年の山登りは、これにてお仕舞い。白く染まった吾妻連峰や安達太良山を眺め、雪山に思いを馳せながら家路に就いた。
 
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