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大川入山、蛇峠山
金華山
小秀山


【日時】 2003年11月5日(水)〜9日(日) 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 5日:曇り 7日:晴 8日:曇り

【山域】 恵那山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
大川入山・おおかわいりやま・1907.7m・二等三角点・長野県
【コース】 治部坂峠より
【地形図 20万/5万/2.5万】 飯田/中津川/浪合
【ガイド】 アルペンガイド「中央アルプス」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「長野県の山」(山と渓谷社)、信州百名山ガイドブック(山と渓谷社)

【山域】 恵那山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
蛇峠山・じゃとうげやま・1663.9m・三等三角点・長野県
【コース】 治部坂峠より
【地形図 20万/5万/2.5万】 飯田/中津川/浪合
【ガイド】 アルペンガイド「中央アルプス」(山と渓谷社)
【温泉】 宿り木の湯 500円

【山域】 岐阜
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
金華山・きんかざん・328.9m・二等三角点・岐阜県
【コース】 ロープウェイ駅より
【地形図 20万/5万/2.5万】 岐阜/岐阜/岐阜北部
【ガイド】 分県登山ガイド「岐阜県の山」(山と渓谷社)、岐阜の山歩きベスト55コース(風媒社)

【山域】 阿寺山脈
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
小秀山・こひでやま・1981.7m・二等三角点・岐阜県
【コース】 三ノ谷コースより
【地形図 20万/5万/2.5万】 飯田/加子母/宮地、滝越
【ガイド】 アルペンガイド「乗鞍、御嶽、霧ヶ峰」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「岐阜県の山」(山と渓谷社)
【温泉】 下呂温泉 幸の湯 300円(石鹸、シャンプー無し)

【時間記録】
11月4日(火) 19:30 新潟発=(北陸道、上信越自動車道、長野自動車道 経由)=23:30 みどり湖PA  (車中泊)
11月5日(水) 5:30 みどり湖PA発=(長野自動車道、中央自動車道、飯田IC、R.153 経由)=6:45 治部坂峠〜7:02 発―7:08 大川入山登山口―7:59 横岳―8:34 三角点―9:26 大川入山〜9:34 発―10:10 三角点―10:41 横岳―11:13 大川入山登山口―11:19 治部坂峠=11:40 馬の背〜11:44 発―12:12 レーダードーム―12:19 蛇峠山〜12:41 発―12:46 レーダードーム―13:05 蛇峠山=(R.153、大桑峠、R.418、向井戸、R.257、恵那、中央自動車道、東名高速道路、東海北陸自動車道、岐阜各務原IC、R.21、R.156 経由)=17:30 岐阜 (ビジネスホテル泊)
11月7日(金) 8:45 ロープウェイ山麓駅=(金華山ロープウェイ 経由)=8:50 ロープウェイ山頂駅―9:00 岐阜城(金華山)―9:32 馬の背コース分岐―9:35 ロープウェイ山麓駅=(R.156、R.21、東海北陸自動車道、東名高速道路、中央自動車道、中津川IC、R.257、舞台峠 経由)=17:30 乙女渓谷キャンプ場  (車中泊)
11月8日(土) 6:30 乙女渓谷キャンプ場発―6:36 ゲート―6:56 三の谷登山口―8:38 二の谷分岐―8:56 かぶと岩―9:02 第一高原―9:14 第二高原―9:30 第三高原―9:46 小秀山〜10:13 発―12:25 第三高原―12:42 第二高原―12:58 第一高原―11:07 かぶと岩下―11:20 二の谷分岐―12:33 三の谷登山口―12:52 ゲート―13:01 乙女渓谷キャンプ場=(舞台峠、R.257、下呂温泉、R.41、高山 経由)=17:00 青年の家  (車中泊)
11月9日(日) 6:00 青年の家=(高山、R.41、富山IC、北陸自動車道 経由)=12:00 新潟

 大川入山は、恵那山から南東に派生する尾根の末端部の、愛知県との県境に近い長野県の山である。特徴のある山容を持つ山ではないが、北、中、南アルプスの展望台として知られ、信州百名山にも選ばれている。
 蛇峠山は、治部坂峠を挟んで大川入山と向かい合う山である。山頂部は、アンテナ群が置かれて林道が通じており、ゲートのある馬の背からひと登りの山である。山名の由来は、「昔、蛇出(じゃで)という屋号をもった山麓の農家に住みついていた大蛇が、体が大きくなったので頂上付近の池(または治部坂峠の池)に引っ越すと、わざわざ挨拶をして出ていったという伝説」によるという。
 金華山は、稲葉城とも呼ばれる岐阜城が山頂に立つ山である。ロープウェイが掛けられて、岐阜観光では必ず訪れる観光スポットになっているが、山頂へ至るハイキングコースも良く整備されている。
 小秀山は、長野と岐阜の県境に広がる阿寺山脈の最高峰である。美しい渓谷で知られる二ノ谷が山裾に刻まれ、山頂一帯には伸びやかな笹原が広がっている。展望にも優れており、日本二百名山にも選ばれている。

 岐阜で学会があり、その行き帰りを利用して山に登ることにした。新潟から岐阜に入るルートとしてはいろいろ考えられるが、行きは中央道を使うことにして、その途中の大川入山に登ることにした。
 月曜日が休日であったためか、高速道は、いつもに比べてトラックが多かった。途中で仮眠し、翌朝、飯田で高速を下りた。国道153号線に進んで、登山口の治部坂峠を目指した。峠付近は、スキー場や別荘地が広がり、観光開発が進んでいた。国道脇にスキー場の大駐車場があったので、ここに車を置いて歩き出すことにした。漬物屋の左脇から林道が始まっており、その入り口に大川入山の登山案内が掲げられていた。
 舗装された車道を登っていくとT字路に突き当たり、右手に登山口があった。車は、ここまで入って来られるようであった。ひと登りすると簡易水道の施設があり、歩き始めはパイプ埋設道のようであった。水源地の沢に掛かる鉄製の橋を渡ると、木の根が露出した尾根の登りが始まった。崩壊地の脇をすり抜けて急坂を登りつめると、横岳に到着した。山名が付けられているものの、下から上がって来なければ、稜線上の通過点でしかないような小ピークであった。
 その後は、緩やかな稜線歩きが続いた。登山道脇にはカラ松林が続き、下生えには笹が広がっていた。途中、ベンチも置かれた展望地もあったが、ガスがかかって、展望は閉ざされていた。大川入山の山頂が見えず、距離がつかめないので、足早に歩き続けるしかなかった。四等三角点の置かれた小ピークを越してしばらくすると、一旦大きな下りになった。
 鞍部近くから見上げると、笹原の中に登山道が一気に上がっていくのが見えた。その先が山頂のようであった。気をひきしめて、登りに汗を流した。先週からの風邪がまだ治っておらず、体調はあまり良くなかった。傾斜が一旦緩んでから、笹原をもうひと登りして大川入山の山頂に到着した。
 大川入山の山頂からは、南アルプスや中央アルプスの展望が広がっているとのことであったが、ガスのために何も見えなかった。山頂は小広場になっていたが、灌木が回りを取り囲んでいるため、直下の笹原に下りた方が眺めが良いのかもしれない。風を避けてひと休みしたものの、寒くなり、早々に退散することにした。下山途中には、平日にもかかわらず、5組程の登山者とすれ違い、人気のある山であることを知った。
 引き返す途中、ガスが上がって、大川入山の山頂が姿を現した。なだらかな山頂を持つ山であった。せめて、山の形が判っただけでも良しとしよう。
 車に戻り、続いて国道の反対側にある蛇峠山を目指した。観光センター前から、別荘地の中を登っていく車道に進んだ。道路は入り組んでいたが、登山口の馬の背までの道標が整備されていた。車を進めるうちに高度は一気に上がった。蛇峠山は、標高1663mであるが、馬の背は1450mであり、残りは僅かである。馬の背は小広場になっており、6台ほどの車が停められていた。車道には鎖が掛けられて、その先には進めなくなっていた。
 ゲート脇の山道に進むと、灌木帯の登りになった。ひと登りで車道に飛び出し、車道脇の尾根沿いに登ると、再び車道に飛び出した。この第二区間は、帰りに車道を歩いたが、時間は変わらないようであった。再び車道に出ると、アンテナの立ち並ぶ山頂の一画に到着した。大川入山から下山の途中では、天気が一旦回復したものの、雨粒が落ちてきそうな天気に変わってきて、ガスのために山頂がどこから判らない状態になっていた。中継基地を回り込んで少し大回りをしてしまったが、雨量観測用のレーダードームの下に出ると、その下の笹原の窪地の先に山道が続いていた。
 雑木林の中をひと登りすると、鉄骨製の展望台の置かれた山頂に到着した。展望はガスのために閉ざされていたが、この展望台が無ければ、木立に囲まれて、展望は得られなさそうな山頂であった。展望自体は、レーダードーム脇の広場の方が良さそうであった。三角点は、展望台の基部を回り込んだ背後にあった。展望台の上は風が冷たかったため、登山道脇に腰を下ろして昼食をとった。
 下りは早く、あっという間に車に戻ることができた。登り口に日帰り温泉施設があったので、さっそく風呂を目指した。入浴後、荷物の整理をしているうちに雨が降り始めた。
 岐阜での学会中は晴天が続き、絶好の登山日和であった。最終日の朝に空いた時間があったため、学会場の目の前にある金華山に登りにいくことにした。駅前のビジネスホテルを早めに出発したものの、麓にあるはずの駐車場が判らず、結局、学会場のホテルの地下駐車場に車を入れることになった。時間をロスしたため、登りはロープウェイを使って、下りだけ歩くことにした。
 15分おきのロープウェイ駅の出発を待つ間に、背広姿の集団も到着した。金華山いや岐阜城は、時間の合間を使っての観光スポットとして人気が高いようである。以前に二度岐阜を訪れており、その度に岐阜城に上がっていたものの、歩くのはこれが初めてである。5分の空中散歩で山頂駅に到着した。ここからは、観光客に交じって、山頂への石段を登った。11月とは思えない暖かい陽気に、たちまち汗が噴き出てきた。下からは、何人ものハイカーが登ってきていた。
 金華山の山頂には二等三角点が置かれているのだが、地図で位地を確認すると、天守閣手前にある岐阜地方気象台金華山分室の構内にあるようであった。塀で囲まれて、ドアにはかんぬきが掛けられていたので、中に入るのは遠慮することにした。
 丁度開いたばかりの岐阜城に、200円の入場料を払って入った。中には、こういった施設ではお決まりのような、甲冑や資料の展示があるのだが、時間がないため、最上階へと直行した。天守閣の最上階からは、長良川の流れと岐阜市の町並みを一望することができた。
 岐阜城の先から、いよいよ山歩きの開始になった。下山には、馬の背コースと瞑想の小径コースの二つが考えられる。馬の背コースの入り口には、老人子供は危険との看板があったため、楽そうな瞑想の小径コースに進むことにした。いきなり、ごつごつした岩混じりの痩せ尾根の下りが始まった。足場のステップは豊富で滑落の心配はないものの、つまづけば、手なり足なりすりむくのは確実であった。普段履きのトレッキングシューズを履いていたから良かったが、ロープウェイで登った観光客が、そのまま歩いて下りようとすれば、革靴が滑って危険な目にも遭うかも知れない。
 尾根の途中には、展望地があり、眼下の眺めを楽しむことができた。途中ですれ違う登山者も多かった。一気に高度を落とすと、照葉樹林と呼ぶのか、薄暗い森の中に入り、左方向にトラバースしていくと、馬の背コースと合わさり、そのすぐ下でロープウェイ駅の裏手に出た。用事の始まる時間も迫っており、急いで学会場に戻った。
 学会を終えて、小秀山に向かった。300名山巡りとして、近くの位山や川上山に登ってはいたが、200名山にも選ばれている小秀山がまだ残っていた。夕方の道路混雑を避けるため、一旦中央自動車道にのって、中津川経由で向かうことにした。食料の買い出しにコンビニを探したが、セブンイレブンやローソンといったお馴染みのチェーン店は無いようで、名前の知らない店に入ったが、幸い弁当やパンの品揃えは普通であった。
 夕暮れ時に、登山口の乙女渓谷キャンプ場に到着した。すでにキャンプ場はシーズンオフで閉鎖になっていた。掲示を見ると、二の谷コースは閉鎖とあった。ガイドブックには、平成十五年には整備が完了するとあったが、まだのようで、三の谷コースを登るしかないようであった。
 キャンプ場の奥に進んだところの、キャンプファイヤー広場の下の空き地に車を停めた。その先の林道は、車の駐車禁止と書かれていた。他に車は上がって来ず、静かな夜を過ごすことができた。
 翌朝歩き始めると、林道を進んだ少し先でゲートが現れた。その後の林道歩きは、少し長く感じられた。車の通行には支障のない林道であった。地図には二の谷コースが記載されていないため、いつ登山口に到着するのか判らない状態であった。途中パイプを差し込まれた水場が設けられて、ここがコース最後の水場になった。
 三の谷コースの登山口には登山標識があり、登山届けのポストも置かれていた。林道脇の木立の中に営林所の小屋が置かれていた。小屋の脇を抜けると、小さな祠があり、ここから本格的な登りが始まった。檜なのだろうか、薄暗い植林地の中のつづれ折りの道が続いた。トラバース部分が大きいため、体力的には辛くはなかったが、かなりの急斜面に道が付けられていた。
 ようやく枝尾根の上に乗ったものの、その後も急な登りが続いた。二の谷コースの分岐に到着して、ひと息ついた。二の谷への登山道を覗き込むと、笹に覆われて歩くのは難しそうであった。急な登りをさらに続けると、かぶと岩の岩峰の下に出た。直登とトラバースのコースが左右に判れた。直登コースへ進んだが、それ程難しい岩場でもなく、ひと登りで岩の上に出た。帰りにトラバースコースに進んだが、それほど歩きやすい道でもなく、時間も余計にかかった。
 その後は、傾斜も緩んで、稜線歩きが続いた。かぶと岩から少し先の第一高原は、名前負けしそうな小さな笹原であった。次の第二高原は、開放感に溢れた広々とした笹原であった。前方に見えるのは、1920mピークで、小秀山の山頂はその後に隠されていた。1920mピークを乗り越した鞍部が第三高原であった。ここでようやく小秀山の全貌を眺めることができた。小秀山は、なかなか遠い山であった。
 小秀山への最後の登りは、見た目よりは短い時間で終わった。小秀山の山頂は、小広場になっており、立派な山頂標識が置かれていた。ただ、この山頂標識、下段におこじょについての説明板が掲げられていたが、これは余計である。山頂標識は、山名と標高が書かれていれば、それで良い。最近増えている、「○○百名山」などという肩書きはもっての他だが。
 山頂からの展望は開けていたのだが、目の前に大きい御嶽山も霞んでいたのは残念であった。この季節なら、新雪に覆われた姿も眺めることができたはずである。今年は、雪の訪れは遅いようである。ビールを片手に食事をとっていると、後続の登山者も到着するようになった。
 下山の途中、すれ違った登山者から、「岡本さんですか」と声を掛けられた。一瞬、関西・北陸方面の知人を考えてしまったが、以前にもメーリングリストでの集まりで一緒に燧ヶ岳に登ったことのあるYさんであった。しばらく立ち話の後に分かれた。山での遭遇やすれ違いを以前にも経験したことがあり、意外に山の世界は狭いものである。 小秀山から下山してみると、車を停めた空き地には、7台ほどの車が停められていた。下山後の温泉として、以前にも入ったことのある下呂温泉の公衆浴場に向かった。
 翌日の山としては、岐阜県北部の山の中から考えることにした。乗鞍岳の一画にある、丸黒山が登山道も整備されており、気楽に歩くことができそうであった。飛騨高山で夕食をとって食料の買い出しを行い、登山口の乗鞍青年の家に向かった。到着してみると、大きな建物で泊まり客も多いようで、明かりが煌々とついていた。少し戻ったキャンプ場入り口の空き地で夜を過ごした。
 天気予報は悪かったのだが、はたしてというべきか、翌朝は本降りの雨になった。登山は諦めて家に戻ることにした。

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