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御前ヶ遊窟
御神楽岳


【日時】 2003年10月12日(日)〜13日(月) 1泊2日各日帰り
【メンバー】 宇都宮グループ 合計8名
【天候】 12日:曇り時々雨 13日:雨

【山域】 御神楽岳周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
御前ヶ遊窟・ごぜんがゆうくつ・846m・なし・新潟県
【コース】 登り:シジミ沢コース 下り:ソウケイ尾根コース
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/野沢/安座
【ガイド】 関越道の山88(白山書房)
【温泉】 七福温泉 500円

【山域】 御神楽岳周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
御神楽岳・みかぐらだけ・1386.5m・二等三角点・新潟県
【コース】 登り:栄太郎新道 下り:室谷道
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/御神楽岳/御神楽岳
【ガイド】 アルペンガイド「上信越の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「新潟県の山」(山と渓谷社)
【温泉】 御神楽温泉・みかぐら荘 300円

【時間記録】
10月12日(日) 6:20 新潟発=(磐越自動車道、津川IC、上川、七名 経由)=8:10 林道入口〜8:33 発―8:39 林道終点―9:08 ソウケイ尾根コース分岐―10:11 シジミ沢出合〜10:30 発―11:54 ソウケイ尾根コース分岐―11:59 御前ヶ遊窟―12:25 発―12:48 最高点―13:11 御前ヶ遊窟―13:14 ソウケイ尾根コース分岐―15:05 タツミ沢出合〜15:18 発―15:30 ウケイ尾根コース分岐―16:01 林道入口=(七名、上川 経由)=蝉ヶ平登山口  (車中泊)
10月13日(月) 6:16 蝉ヶ平発―6:32 鉱山跡―7:10 湯沢出合―7:22 発―7:56 稜線上〜8:03 発―8:30 またずり岩〜8:58 発―10:00 高頭〜10:15 発―11:16 湯沢の頭―12:23 雨乞峰―12:37 御神楽岳〜12:42 発―12:55 雨乞峰―13:35 大森―14:00 水場〜14:15 発―15:24 室谷登山口=(往路を戻る)=18:30 新潟着

 御前ヶ遊窟は、会越国境近くの井戸小屋山の東の岩峰直下にある洞窟である。上川村によって登山道が整備されているとはいっても、スラブ登りが続くため、墜死の危険性が高く、一般登山道のレベルを越えている。シジミ沢のスラブ登りで山頂に至り、下山はソウケイ尾根をとるのが普通であるが、ソウケイ尾根とても鎖場が連続して気が抜けない。
 ところで、藤島玄氏の「越後の山旅」では、「遊窟のゆうは岩崖、岩窟の方言で、谷川岳の幽ノ沢もそれで、辞典によれば、岫(しう)が当たり、山の穴、巌穴とある。つまり、しうをゆうと訛って、おまけに同意義の窟まで重ねて地名にしたのだから、以下御前ヶ岫と記述するとしよう。」と書かれている。広辞苑を引いてみると、岫には、しゅう、ゆうの読みが書かれており、「ゆう【岫】岩窟」と記されている。従って、一般的にはゆうと読まれるようで、訛ったわけではなさそうである。ただし、漢和辞典の漢語林には、「【岫】しゅう(しう) 1 くき。山のほら穴。またほら穴のある山 2みね。山のいただき」とあって、ゆうという読みは載っていない。岫をゆうと読むようになったのは、釉薬などからの連想からのものであろうか。これが遊という良く知られている字に変わったと思われる。
 私は、遊窟というと、唐代の小説の「遊仙窟」を連想する。主人公が旅の途中、洞窟に迷い込み、仙女の歓待を受け、契りを結ぶという小説で、日本の文学にも影響を与えたという。洞窟には、余五将軍(平維茂)の夫人が隠れ住んだという伝説も残されており、「遊仙窟」の話にも通じる雰囲気がある。もっとも、地元の人が中国の古典を元に名前を付けたとは思えないが。ちなみに、平維茂は、謡曲「紅葉狩」で、戸隠の鬼女・紅葉を退治した武将として有名である。この紅葉(幼少の名は呉羽)の出身は、会津に生まれたとされている。御前ヶ遊窟の一帯は、以前は会津藩に属していたことや、戸隠も岩峰で有名であることからすると、紅葉狩あたりの話がごっちゃになっているような気もする。

 御神楽岳は、新潟と福島との県境にあり、東面には壮絶な岩壁、西面はブナの原生林に覆われた隠れた名峰である。御神楽岳の名前は、山中にて神楽の音が聞こえることに由来するといわれている。会津高田にある奥州二ノ宮の伊佐須美神社は、はじめこの御神楽岳に置かれ、その後、博士山から明神ヶ岳、そして現在の地に移ったと言われている。この山の登山道は、新潟県側より東面の岩壁を眺めながら登る栄太郎新道、福島県側より本名御神楽岳経由で登るコースの二つが利用されてきた。それに加えて、古くからの登拝道でありながら廃道となっていた室谷道が1997年に整備中され、現在では容易に登ることのできるこのコースを利用する登山者が多くなっている。しかし、御神楽岳の魅力は、栄太郎新道を歩いてこそ味わうことができるものである。

 いつも難しいコースを一緒に歩かせてもらっている宇都宮の室井さんから、御前ヶ遊窟と御神楽岳の誘いが入った。御神楽岳はともかく、御前ヶ遊窟は、難しそうで、一人で出かける気になっていなかったので、喜んで参加させてもらうことにした。事前の打ち合わせで、御前ヶ遊窟のスラブ登りの履き物は、沢用のフェルトシューズにすることにした。
 三連休の初日は、浅草岳に登り、晴天の山を楽しんだのだが、後の二日は、曇りから雨の予報に変わってしまった。果たしてというべきか、集合場所の津川ICに向かう途中からは、雨がぱらついたが、路面が濡れた状態になったものの、本降りにはならなかった。到着した室井さんがいうには、関東から会津までは本降りの雨であったという。計画の変更も考えたが、翌日も雨のようなので、なんとか小康状態を保っている今日は、御前ヶ遊窟に登ることにした。
 上川から七名を過ぎて、越後上川ゆとりの森のわらび園に到着すると、御前ヶ遊窟案内図が掲示されている。この案内図では、シジミ沢近くになると、鍬ノ沢の沢歩きになるように書かれているが、実際には、右岸沿いに山道が続いていた。ただ、この図を見ても、山中では思い出せないであろうから、どこまで役に立つものやら。
 棒目木を過ぎて、滝頭湿原に続く車道を進むと、大きくカーブするところに御前ヶ遊窟登山口の標識がたっていた。林道の入口の路肩には、車三台が停められていた。その先の林道の様子では、車が奧に入っている様子は無かった。車道のカーブ地点には、駐車スペースがあったので、ここから歩き出すことにした。出発の準備をしているうちに雨が降り始めた。
 出発の準備をしていると、車二台に乗った10名近くのグループが到着した。天気が悪いので行くとか行かないとか話をしていた。その中のリーダーらしき初老の二人が話しかけてきた。我々のグループが御前ヶ遊窟に登るというと、この天気では危ない、あげくのはてには落ちて死ぬとか言い出した。その言い方があまりに不作法なため、脇からチャチャを入れるなと、文句を言ってやった。このグループは、シジミ沢出合いまでの歩きに変更したようであったが、全員が軽装で、確保の道具も用意していないようであった。雨にならなかったら、御前ヶ遊窟にその装備で登るつもりなのかと、こちらが聞きたいところであった。
 雨は止んで、雨具のズボンを履いただけで歩きだした。林道を歩いていくと、5分程の歩きで林道終点に到着した。車はここまで入ることができるようであった。山道に進むと、直に水平道から分かれて、鍬ノ沢に向かっての下りになった。 徒渉点はナメになっており、飛び石伝いに渡ることができた。その後は、シジミ沢出合いまで、右岸沿いの山道の歩きが続いた。河岸段丘を行く道は、アップダウンも有り、意外に長かった。ソウケイ尾根への道を右に分けて進むと、シジミ沢まで45分の標識が現れた。
 対岸の頭上に、そそり立つ岩峰が見えるようになると、シジミ沢出合いに到着した。シジミ沢出合いは、山道が沢に向かって下りるように続いており、迷うことは無かった。すぐ上流には、高さ4m程の魚留滝がかかっていた。この河原で、ひと休みし、沢靴に履き替えた。幸い雨は、ここまでの歩きの途中で止んでいた。
 シジミ沢は、藪っぽい涸沢で、登山コースと判っていなければ、のぞいてみようかという気も起きないような沢であった。大岩を乗り越していく登りが始まった。ペンキマークがあるもののかすれており、ルートを慎重に判断する必要があった。岩には苔が生えて滑りやすく、難しいところにはロープや鎖が掛けられていた。
 ひと登りして樹林帯から抜けると、すべり台のように落ち込むスラブの下に出た。ここからが、いよいよ御前ヶ遊窟の核心部といえるスラブ登りになった。岩が乾いていれば、気持ちの良いスラブ登りになったかもしれないが、岩が濡れていて滑るため、慎重に足を運ぶ必要があった。幸い、少し急になると、右手の藪の中に踏み跡が付けられていた。安全な所でひと息つきながら下を見ると、登っている時以上に高度感があった。落ちれば、命に関わることは間違いは無さそうであった。
 上部になると、スラブの傾斜も増し、多くは右手の藪の中にルートが続くようになった。ルート表示の赤ペンキも色あせており、ルートを良く見極める必要があった。山頂近くでは紅葉の盛りになっており、岩峰との取り合わせが一際美しかった。岩峰の基部に近づくと、下山路と書かれたソウケイ尾根との分岐に出た。ここからは、緩い下り気味に進むと、二つの洞窟が現れた。二つ目の洞窟の中には、賽の河原のような石積みがされていた。まずは目的地到着ということで大休止とした。すでに肌寒い陽気になっていたが、タオルを絞る程の汗をかいており、岩場の通過に、相当緊張したようであった。
 昼食をとってひと休みした後、空身で最高点を目指すことにした。時間の関係で井戸小屋山は割愛しなければならないのは、残念であった。洞窟の先へひと登りすると、スラブの上端に出た。見下ろすと、高度感充分であった。ここからは、スラブを斜めに登って左手の尾根に上がる必要があった。登りはともかく、下りは足を滑らす危険性が高かった。万が一足を滑らせれば、下まで一気に墜落になってしまう。安全のためにロープを張ることになった。この山には、単独行は避けるのは勿論のこととして、クライミングに慣れたメンバーと一緒に登る必要があろう。
 尾根に取り付くと、灌木の中にしっかりした踏み跡が続いていた。稜線部に上がると、左に井戸小屋山への踏み跡が分かれたが、ここは右に進んだ。迫ってきた岩峰はそそり立っていたが、最後は、松の枝を掴みながら、割と簡単に登ることができた。頂上は数人が立つのがやっとの広さで、縁は断崖絶壁のため、周囲をぐるりと見回しただけで下山することにした。
 ロープに助けられて、無事に御前ヶ遊窟へ戻ることができた。下山は通り過ぎてきた分岐から、ソウケイ尾根に進んだ。下山路にもかかわらず、尾根に出るまでは、岩場の登りが続いた。岩場をトラバースしたり、手がかりの少ないスラブ登りがあったりと、この区間でも結構苦労した。シジミ沢が難しいからといって、ソウケイ尾根の往復を目論んでも、ここが下りになるため危険性は変わらない。
 尾根に出て、ひと息ついた。これでひと安心と思って、軽登山靴に履き替えたのは失敗であった。ヒメコマツの尾根を下っていくと岩稜が現れた。中間でひと足置くだけのトラバースなのだが、足場が浅く傾いているため、軽登山靴では滑りそうで、なかなか足が出せなかった。この後は、何本かの鎖場も現れたが、この下りもなかなか難しかった。
 幾つかの鎖場を下ると、尾根道が続くようになった。尾根の両側の斜面にはスラブが広がっていた。ようやく普通の登山道並の歩きになったと思いながら高度を下げていくと、沢に下り立つまで後少しという所で、再び鎖場が現れた。ここまでで最長の鎖場で、岩場を斜めに巻くように下っていく必要があった。腕の力が途中で抜けないように、慎重に足場を選んで下る必要があった。その先で短いが足場の乏しい鎖場を下ると、タツミ沢に下り立った。
 ようやく安全圏へ帰還ということでほっとし、乾いた喉を沢水を飲んでうるおした。タツミ沢の落ち口は滝になっているため、ここは下れなかった。向かいの段丘に這い上がると、沢沿いに山道が続いていた。しばらく歩くと沢岸が近づいてきて、山道は草が被っているため、河原歩きに変えた。河原を進むと、右岸沿いの山道に上がる道が見つかり、これをひと登りすると、行きに通過した分岐に戻ることができた。
 いつしか、青空が広がるようになり、難しい山を終えた充実感に浸りながら車へ戻った。
 登山口には、テントが張られ、翌日の御前ヶ遊窟登山のために二人連れが休んでいた。言葉を交わし、軽登山靴では滑って危ないことをつげた。鋲付き地下足袋とクライミングシューズを持ってきているというので、それなら大丈夫でしょうと言い、お互いの無事を祈って別れた。
 温泉に入り、一旦津川に戻ってコンビニで翌日の食料の買い出しを行うと、日も暮れてしまった。まず蝉ヶ平登山口に向かい、林道終点の広場にテントを張って、泊まりの道具を下ろした。夕食の準備をしている間に、白石さんと二人で、車を置きに、室谷登山口に向かった。両登山は、車でも片道40分ほどかかる距離なので、事前に車をデポしておく必要がある。室谷の集落を過ぎたところの田圃の中に、左に分かれる道があり、ここに御神楽岳登山口の標識が立っている。あとは標識に従って室谷大橋を渡ると、登山口に至る林道が始まる。以前よりは舗装区間も長くなり、未舗装の部分も走りやすい道になっていた。誰もいない登山口に白石さんの車を置いて引き返した。
 テントに戻ると鍋も煮えており、ひさしぶりの山での宴会を楽しんだ。いつものように車の中で寝た。夜中は星が出ていたのだが、朝起きて出発の準備をしているうちに雨粒が落ち始めた。天気予報は、残念ながら当たったようである。またもや雨具を着ての出発になった。
 栄太郎新道は時間がかかるため、我々が出発した6時頃には、歩き始める必要があるが、他には登山者は現れなかった。雨のために山行を中止したか、栄太郎新道は敬遠して、室谷道に計画変更したのであろう。
 広谷川に沿って、ほぼ水平な道を辿ると、鉱山跡に到着する。以前は、広谷銅山として賑わったという広場も、登山者が訪れるだけで静まりかえっている。登山道の上には、注連縄が掛けられているので、ここからいよいよ本格的な歩きという感じがする。
 登山道は、しばらくは、谷に沿って続く。枝沢を渡るところでは、足場が悪く、岩が苔で滑りやすいところもあって注意が必要である。以前は、稜線上の岩場よりも危ないなと思った滝の落ち口を通過する沢の横断は、新しく迂回路ができたようで、通らないで済んだ。
 湯沢出合に到着したところで、ひと休みした。ここからが、本格的な登りの開始になる。急斜面を登っていくと、岩場が現れる。鎖もかかっているが、最初の岩場ということで、慎重に通過した。岩場を通過すると、トラバース気味の登りになって、尾根上に到着する。
 ザックを下ろしてひと休みすると、目に前には、磨かれたスラブをまとった岩壁の眺めが広がっていた。カメラを取り出して数枚撮影しているうちに、ガスがかかって眺めは閉ざされた。結局、展望が開けたのは、この時だけであった。私自身は、これが四回目の栄太郎新道で、紅葉の盛りに登ったこともあったので良いとして、この山が始めての人には、もっと風景を楽しんで欲しかった。
 痩せ尾根を登っていくと、岩峰の乗り越しが現れる。鎖が掛かっているとはいっても、垂直に近い傾斜で、木の枝にもしがみつく必要もあり、緊張する所である。この後も鎖が連続するが、以前の歩きでは、次第に慣れていったののだが、今回は雨で滑るため、最後まで緊張感が消えなかった。このコースの難所として有名な股ずり岩も、最初に慎重に岩の上に立てれば、二歩程で中間の岩の突起にしがみつくことができて、あとは岩を跨いで、づりながら通過できる。見本として通過したが、後続は安全のためにロープを張ることになった。その後に現れた鎖場よりも、草付き脇や、スラブ状のちょっとした岩場が、意外に危なく思われた。
 高頭に到着したところで、お腹もすいてひと休みになった。歩き始めは暖かく感じられたのが、急に冷えてきた。前線の通過した影響かもしれない。稜線の灌木は美しく紅葉していたが、雨のためにカメラを取り出すこともできなかった。湯沢の頭までくれば、御神楽岳への登りも一望できるはずなのだが、雨で見通しの利かない中、黙々と登り続けるだけであった。
 草付きをトラバースしたあと、直上すると、雨乞峰の分岐に到着した。危険地帯は終わり、ほっとした。今まで以上に苦労した登りであったが、これもやはり雨によるものであろう。泥田状態の登山道を辿り、ひと登りすると御神楽岳の山頂に到着した。予想に反して、誰もいない山頂であった。室谷道からでも、雨の中を登る者はいないようである。
 風が冷たいため、ひと休みしただけで下山に移った。栄太郎新道とは異なり、室谷道は、岩場のような危険箇所は無く、下山路としては利用価値が高い。ただ、登山道はぬかっており、途中で尻餅もつき、下半身は泥だらけになった。しばらくは台地をを行くが、やがて急斜面のつづら折りの下りが始まる。今回の歩きでは、室谷道を正確に地図上に記すという目的があった。標識のある大森は、大森山の手前であることは判っていたが、その後のコースは、GPSの軌跡を地図に落として、ようやく確認することができた。
 最後の水場に下り立ち、雨の中でも喉が渇いていたので、水を汲んで飲んだ。ここから登山口まではまだ遠い。最後にセト沢沿いの道を歩く頃には、歩くのもいやになって、ついGPSで、登山口までの距離をカンニングした。
 蝉ヶ平に戻って車を回収した後、みかぐら荘で温泉に入り解散とした。


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