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七ツ森・笹倉山、七ツ山・松倉山、薬莢山
禿岳、飯盛山


【日時】 2003年9月6日(土)〜7日(日) 前夜発1泊2日各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 6日:曇り  7日:雨

【山域】 船形連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 七ツ森・ななつもり
  笹倉山・ささくらやま・506.5m・三等三角点・宮城県
【コース】 御門杉登山口
【地形図 20万/5万/2.5万】 仙台/吉岡/ 根白石、七ツ森
【ガイド】 分県登山ガイド「宮城県の山」(山と渓谷社)、新編東北百名山(山と渓谷社)、宮城の名山(河北新報社)

【山域】 船形連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 七ツ森・ななつもり
  松倉山・まつくらやま・291.2m・一等三角点補点・宮城県
【コース】 信楽寺跡
【地形図 20万/5万/2.5万】 仙台/吉岡/ 根白石、七ツ森
【ガイド】 分県登山ガイド「宮城県の山」(山と渓谷社)、宮城の名山(河北新報社)

【山域】 船形連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 薬莢山・やくらいざん・291.2m・二等三角点・宮城県
【コース】 薬莢レストハウスより
【地形図 20万/5万/2.5万】 仙台/薬莢山/薬莢山
【ガイド】 分県登山ガイド「宮城県の山」(山と渓谷社)、新編東北百名山(山と渓谷社)、宮城の名山(河北新報社)
【温泉】 薬師ノ湯 800円

【山域】 鬼首山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 禿岳・かむろだけ・1261.7m・二等三角点・宮城県、山形県
【コース】 花立峠より
【地形図 20万/5万/2.5万】 新庄/鳴子/鳴子
【ガイド】 分県登山ガイド「宮城県の山」(山と渓谷社)、新編東北百名山(山と渓谷社)、宮城の名山(河北新報社)、山と高原地図「栗駒・早池峰」(昭文社)

【山域】 酒田
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 飯盛山・いいもりやま・41.8m・一等三角点補点・山形県
【コース】 もくもく館より
【地形図 20万/5万/2.5万】 酒田/酒田/酒田南部
【ガイド】 なし

【時間記録】
9月5日(金) 8:00 新潟発=(R.7、新発田、R.290、R.113、赤湯、R.13、山形蔵王IC、山形自動車道、東北自動車道、泉IC、R.4、富谷 経由)
9月6日(土) =12:30 七ツ森湖  (車中泊)
7:10 七ツ森湖発=7:15 御門杉登山口〜7:24 発―8:02 笹倉山〜8:14 発―8:40 御門杉登山口=9:10 信楽寺跡駐車場〜9:18 発―9:50 松倉山―10:16 信楽寺跡駐車場=(R.457、色麻、R.347、原町 )=11:25 薬莢レストハウス〜11:33 発―12:12 南峰―12:17 薬莢山・北峰〜12:42 発―12:57 林道―13:19 薬莢レストハウス=(R.347、中新田、岩出山、R.47、鳴子、R.342、鬼首 経由)=17:00 花立峠  (車中泊)
9月7日(日) 7:10 花立峠発―7:54 五合目―8:25 南峰―8:31 禿山〜8:42 発―8:47 南峰―9:07 五合目―9:39 花立峠=(最上、R.47、新庄、R.47、広田IC 経由)=12:25 もくもく館―12:29 南登山口―12:33 飯盛山〜12:56 発―12:44 もくもく館=(R.112、湯野浜、由良、R.7 経由)=16:20 新潟着

 仙台市の北部には、まとめて七ツ森とまとめて呼ばれる、松倉山・撫倉山・大倉山・鉢倉山・鎌倉山・遂倉山・たんがら森からなる、こぶ状のピークが並んでいる。各山頂には、薬師如来が祀られている。少し離れて笹倉山があり、一群の山の内では最も高く、数は八になってしまうが、このピークも七ツ森と呼ばれている。この山頂には、各峰に置かれた薬師如来を合祀した薬師堂が建てられている。
 薬莢山は、船形連峰の東部に位置する山である。古い火山の独立峰で、標高もそれほどないにもかかわらず、広大なすそ野を広げ、加美富士とも呼ばれている。
 禿岳は、直径10数キロに及ぶ鬼首環状盆地を取り巻く外輪山の最高峰である。鬼首に面した東面は、急峻な岩壁となり、アルペン的な景観を見せている。地元ではミニ谷川岳と呼ばれるというが、これは言い過ぎのような気がする。
 飯盛山は、酒田市の最上川河口部にある小さな丘で、一等三角点が置かれている。「日本の低山標高一覧」にも、この山は、山形県で一番標高の低い山としてのっている。

 この週末も東北百名山巡りに出かけることにした。土曜日の天気は悪そうなため、少々天気が悪くとも無理がきく里山の七ツ森・笹倉山と薬莢山を登り、天気の回復が期待できそうな日曜日に鬼首の禿岳に登ることにした。
 ここのところ通い慣れた道を走って山形に出て、高速にのった。深夜の12時を回ってしまったが、眠気を我慢して運転を続け、登山口近くの七ツ森湖の駐車場に入って寝た。寝る時間が遅かったのと、空が暗かったため、起き出す時間もいつもの山の行動開始時間よりは遅くなってしまった。
 七ツ森湖のすぐ先に、登山口に通じる伊達山林道の入り口があった。二車線幅の舗装道路が続いており、高度も少し上げることができた。林道脇に広場が現れると、その脇に御門杉登山口があった。出発の準備をしている間に小雨が降り出したが、雨具を着るほどではなかった。
 登山口には、普通の民家の入り口で見かけるような門柱が二本並んでいた。その後の杉が御門杉なのだろうが、背後の杉林にとけ込んで印象が薄く、門柱の方が目立っていた。杉林の中の登りが始まった。大きく延びた立派な杉林が広がっていたが、信仰の山として守られてきたせいであるのかもしれない。木の間隔が開いているためか、GPSのログも途切れることなくとれていた。つづら折りの道をひと登りすると、尾根の上に出て、そこからは尾根上の道になった。周囲には雑木林が広がるようになって、木立からしたたり落ちる雨音が一際高くなった。
 ひと登りすると、登山道の真ん中に岩が露出しており、その上に二匹の亀が彫られていた。これが「亀ノ子石」と呼ばれるもので、「吉川恭輔という人が戊辰の役の東北戦争に出陣し、無事生還できたので自らここに亀の子を刻み薬師如来に献じた。」のが由来であるという。気が付かないと、そのまま踏んづけて通り過ぎてしまうかもしれない。山頂が近づくと、再び山の斜面のつづら折りの道が続いた。
 傾斜が緩むと、お堂の置かれた笹倉山の山頂に到着した。山頂は木立に囲まれて、晴れていても、展望は望めそうもなかった。地図を見ると、この山には三角点が置かれていた。周囲を探すと、お堂の右手に物置があり、その手前の木立の中に三角点を見つけることができた。
 下山は難波登山口に向かおうとしたのだが、すぐ先で踏み跡が判らなくなってしまった。雑木林の中は、下生えがほとんどなく、どこでも歩けそうなのが、余計にコースを判りづらくしていた。少し下りれば踏み跡が現れるかなと思ったが、小雨の降る中、無理をしないで来た道を戻ることにした。
 来た道を下っていくと、あずまやが現れ、これは国見崎展望台と呼ばれるもののようであった。仙台平野の眺めが広がっていたが、雨雲がたれ込めて、遠くは見えなかった。登りの時に見なかったので、一瞬、どこかでコースを間違えたのかと思ったが、カーブ地点をショートカットしたため、登りの時はあずまやを見落としたようである。
 小雨がぱらついたものの、なんとか雨具を着ずに笹倉山の登山を終えることができた。七ツ森湖に戻り、七ツ森大橋の上から、七ツ森の写真を撮った。雨雲も切れ始めたので、続いて松倉山に登ることにした。七ツ森の全てを登るには、帰りの車道歩きを含めると、時間も結構かかりそうであった。昔は、成人の儀式として、一日で20kmに及ぶ七ツ森の全縦走を行ったというが、地図をみると、そうたやすいことではなさそうである。七ツ森の歩きはまた別の機会ということにして、とりあえず、一塔三角点の置かれている松倉山を登ることにした。
 県道から信楽寺跡の標識に従って車道を進み、民家の角を左に曲がって細い農道に入ると、その先に信楽寺跡の駐車場が設けられていた。20台ほどは車を置けそうで、登山者のものらしい車も三台停められていた。歩き出そうとすると、日差しもでてきて、雨の心配は無くなった。
 信楽寺跡への道を見送り、田圃脇の道を進むと、すぐ先で七ツ森遊歩道と松倉山登山道との分岐に出た。七薬師掛コースとも書かれていたので、今でも七つのピークを結んで歩くことができるようであった。撫倉山他のピークは、別の機会に、遊歩道を通って登ることにしよう。右に曲がって田圃脇を通り抜けると、杉林の中の道になった。しばらくは緩い傾斜であったが、山に取り付くなり、ロープの掛かった急斜面が始まった。雨上がりの泥状の斜面は滑りやすく、登りはともかく、下りはロープが大いに役に立った。
 ロープが尽きると、山頂の一画で、縦走路から左に曲がって入ると、松倉山の山頂に到着した。松倉山の山頂に置かれた一等三角点の上には、木のやぐらが組まれていた。山頂からは、撫倉山の山頂がかろうじて見えるほどで、展望は良くなかった。三角点の写真を撮れば、それで用も終わる山頂であった。急斜面を注意しながら下った。
 車に戻り、次は薬莢山を目指した。道順が複雑で、ナビ任せの運転になった。平野の向こうに見えていた台形の独立峰が次第に近づいてくると、それが薬莢山であった。遠くからもスキーゲレンデが切り開かれていることは見えたが、薬莢山の麓一帯は、温泉施設や観光牧場、トリムコースなどの観光開発が進められていた。レストハウスの脇には広い駐車場が設けられており、多くの車が停められていた。
 スキー場の左端に赤い鳥居が立ち、ここが薬莢山への登山道入り口であった。ゲレンデの縁に沿っての一直線の登りが続いた。道は舗装されており、入り口の車止めがなければ、そのまま車で上がってくることができそうであった。スキーゲレンデは、子供向けのようで、緩斜面の草原が続いていたが、その脇を歩いて登るとなると、結構疲れた。
 ゲレンデ上部で、もうひとつの赤い鳥居が現れ、ここから登山道が始まった。706段の階段が続き、50段おきに標識が立てられていた。階段登りは、足に堪えて、息が上がってきた。コースタイムもたいしたことはなく、下からも山頂はすぐそこに見えたのだが、足をなだめすかせながら頑張って登る必要があった。コースの途中には、レストハウスで食事をすると、薬莢山の登山証明書を発行すると書かれた看板が置かれていた。
 傾斜が緩んで階段が終わって山頂と書かれていたが、その先も、尾根道を少し辿ってから僅かであるが登る必要があった。辿り着いた南峰にはお堂が置かれていた。薬莢山の山頂を示す矢印が置かれていたので先に進んだ。
 緩やかな稜線を歩いていくと、石の姥像が置かれていた。よろず願いをかなえるとのことであるが、お賽銭の他に、ハサミやペンチが置かれているのは、なんの印であろうか。ハサミは縁切り、ペンチは抜歯であろうかと、姥像の歯の無い口元を見て考えた。その先には、無料の望遠鏡が置かれていた。眼下には牧場が広がり、その先は霞んでいた。晴れた日なら太平洋が見えるのだろうか。
 人声がすると思ったら、女性の三人組であった。山頂にはほとんど同時に到着のようで、一人きりの山頂でないのが少し残念に思えた。薬莢山の山頂は、南峰と同じようなお堂が置かれていた。三角点を探すと、お堂の背後の高みに埋められていた。三角点を探している間に、女性グループはそのまま先に進んで行ってしまった。一般ハイカーは、三角点には興味がないようである。結局、一人きりの山頂になった。
 お堂の脇の草地に腰をおろして昼食をとった。暑くもなく、寒くもない気温であった。夏というには遅いし、秋というには早すぎる、どっちつかずの季節である。
 下りは、北登山口に向かった。こちらも良く整備された登山道が続いていた。こちらは、階段がないので助かった。急斜面を足早に下っていくと、あっけなく林道に飛び出した。後は、レストハウスまで、舗装された車道歩きになった。
 下山後の温泉は、山に一番近い所に入ることにしているが、登山口近くの薬師の湯は、800円と、東北の温泉にしては高かった。タオルがついていなくて、靴入れに10円を取るのも印象を悪くしていた。大都市仙台の近くなので、値段が高いのは仕方のないことなのか。東北の山巡りで、酸ヶ湯、御所掛、夏油、鶴の湯と、日本を代表するような温泉にここのところ入ってきたが、いずれも500円以下であったので、余計に高く感じた。
 翌日の禿岳のために、鬼首の花立峠に向かった。鳴子から千秋ラインに入ると、前方に衝立のように広がる禿岳が迫ってきた。峠への登り口は、リゾートパークオニコウベで、ここは以前に花渕山登山の際に、ゴンドラを使って下山したことがあった。時間が遅いこともあってか、人の姿は見あたらなかった。ここまでは、スキー場へのアクセス道路ということもあり二車線幅の道路であったが、この先は道幅が狭まった。幸い、舗装道路が続き、途中でカーブが連続したものの、難なく花立峠に到達できた。
 峠には、夕日見物らしき車が一台停まっていたが、直に山を下っていった。峠周辺は、風障地帯なのか、背の低い灌木と笹藪になっていた。夕暮れの最後の明かりに、禿岳の山頂が浮かび上がっていた。花立峠はすでに標高796mであるから、禿岳の山頂までの標高差は500m弱ということになり、登頂はそう難しくは無さそうであった。高い山々の山頂はガスに隠されていたが、荒雄山の山頂は姿を見せていた。
 夜になって風が強まった。明日の天気を期待して寝たものの、翌日目を覚ますと、霧雨が静かに降っていた。日曜日の天気予報は曇りであったのにと恨み言をいって、もうひと眠りした。太陽が昇れば、雨も上がるだろうとおもったものの、そうぐずぐすしているわけにはいかなかった。ゆっくり朝食をとったのち、車の中で雨具を着込んで、意を決して出発した。
 笹原の中を登っていくと、裸地が現れ、石積みが置かれていた。その先で一合目の標識が現れた。この合目標識は、山頂まで、欠けることなく続いていた。もっとも、間隔はバラツキがあったので、頼り切らない方が無難である。登るにつれて、登山道周辺にブナ林が広がるようになった。通常は、登山口周辺にブナ林が広がり、登るに連れて笹原が広がるというのが普通である。峠付近は、風の通り道になって気象条件が厳しいことに由来するもののようである。途中で、泥田状態のところがあり、またまた泥んこ姿になってしまった。
 四合目から五合目の間は、ロープも張られた急斜面になっていた。その先は、灌木帯の稜線歩きになった。晴れていたなら、素晴らしい展望が開けているのはずなので、残念であった。幸い霧雨も収まってきた。
 九合目は、禿岳の南峰で、小広場の中に石の祠が置かれていた。その先は、草原が広がり、花の盛りは楽しめそうであった。緩やかな稜線を辿ってくと、禿岳の山頂に到着した。山頂は、三叉路になっており、立派な石の山頂標識が置かれていた。
 ともかく山頂で休むことができるほどには天気が回復してくれた。とにかくビールを開けて、あらためての朝食とした。周辺の灌木の所々で、紅葉に色づいていた。秋は足早に近づいているようであった。
 峠近くになった所で、二名グループとすれ違い、峠に下りると、他にも車が増えていた。着替えの間に見ていると、一台は登山口を眺めただけでそのまま下っていき、新たに到着した二台の車は、そのまま様子見になっていた。麓では曇りであったのが、峠に到着してみると、霧雨状態で、登山を躊躇しているようであった。
 鬼首に戻って吹上温泉で入浴と思ったものの、地図を見ると、花立峠から山形方面に下った方が、距離を大幅に短縮できそうであった。道路は、山形県側は未舗装なものの、昨晩からときおり峠を越していく車もあったので、通行には支障はなさそうであった。温泉は次の機会にして、山形県側に下ることにした。山形県側は、未舗装で道幅も狭く、しばらくはカーブが連続するので、運転に注意が必要であった。夜間の通行は、止めた方が無難なみちであった。
 ナビで新潟への道順を確認すると、新庄から酒田に出るというコースが出た。酒田では、最上川河口付近に一等三角点があったことを思い出し、時間も早いことから寄っていくことにした。
 地図を見ると、土門拳記念館を中心とした飯盛山文化公園というのがあり、その一画にめざす飯盛山があるようであった。土門拳記念館は以前訪れたことはあったが、その時は山を始めた年でもあり、一等三角点ピークの知識は無かった。土門拳記念館が近づいてくると、木の茂った丘が見えて、それが飯盛山とすぐに判った。丘の麓をめざすと、もくもく館というのがあったので、車を停めて歩き出した。
 山裾を東に向かって歩いていくと、木の鳥居が立ち、新奧の細道の自然歩道の標識が置かれていた。ひと登りすると、左下から上がってきた舗装された道にのった。その先僅かで、飯盛山の山頂に到着した。山頂は、芝生の中にタイル貼りの歩道が続き、あずまやも設けられ、酒田市街地の展望が広がっていた。低山とは思えない、良く整備された山頂であった。
 めざす一等三角点もすぐに見つかったが、その脇に石の測定基盤が置かれていた。天測点なら、幾つかの一等三角点の脇に置かれているのを見たことはあったが、これは、外形が円柱状で背が低く、石も少し粗末であった。かたわらの看板には、「経緯度観測点 この標石は、1928年に、大陸移動説を検証するための経緯度観測点として、飯盛山・飛島・三崎山の三点に設けられたものの一つです。
 正面の銘板には「経緯度観測点 昭和三年七月〜八月文部省地学委員会」と刻まれています。」と書かれていた。石を眺めたが、銘板は見あたらなかった。今ではGPS測定で、大陸の移動も正確に測定できるようになっているが、昔は苦労して測定したはずで、その名残りと思うと、貴重なものに思える。そうなると、後の二つの飛島と三崎山でも同じ標石があるのか確かめたくなる。
 帰りは舗装された道を下っていくと、芝地の公園の一画に出たので、車に近づくように左に曲がっていくと、もくもく館の裏手に出て一周することができた。飯盛山は、標高は低くとも、山歩きの発見を楽しむことができた。
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