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七時雨山、稲庭岳、釜臥山
縫道石山、吹越烏帽子岳
南八甲田・櫛ヶ峰、駒ヶ峰
戸来山、十和利山
十和田山、白地山、黒又山
焼山
安家森


【日時】 2003年8月2日(土)〜9日(土) 7泊8日各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 3日:曇り後雨  4日:雨後晴 5日:曇り 6日:曇り 7日:曇り 8日:曇り 9日:曇り

【山域】 北上山地北部
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 七時雨山・ななしぐれやま・1060.0m・一等三角点補点・岩手県
【コース】 七時雨山荘
【地形図 20万/5万/2.5万】 八戸/荒屋/ 七時雨山、陸奥荒屋、駒ヶ嶺
【ガイド】 分県登山ガイド「岩手県の山」(山と渓谷社)、新版東北百名山(山と渓谷社)

【山域】 北上山地北部
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 稲庭岳・いなにわだけ・1078.0m・二等三角点・岩手県
【コース】 町営稲庭キャンプ場
【地形図 20万/5万/2.5万】 八戸/浄法寺/ 稲庭岳
【ガイド】 分県登山ガイド「岩手県の山」(山と渓谷社)、東北百名山(山と渓谷社)

【山域】 恐山山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 釜臥山・かまぶせやま・878.6m・一等三角点補点・青森県
【コース】 釜伏山展望台
【地形図 20万/5万/2.5万】 野辺地/むつ/ むつ、恐山
【ガイド】 分県登山ガイド「青森県の山」(山と渓谷社)、東北百名山(山と渓谷社)
【温泉】 恐山温泉 500円(石鹸、洗い場無し)

【山域】 下北半島
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 縫道石山・ぬいどういしやま・626m・なし・青森県
【コース】 野平林道登山口
【地形図 20万/5万/2.5万】 青森/陸奥川内/ 陸奥川内
【ガイド】 分県登山ガイド「青森県の山」(山と渓谷社)、新編東北百名山(山と渓谷社)

【山域】 下北半島
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 吹越烏帽子岳・ふっこしえぼしだけ・507.8m・一等三角点補点・青森県
【コース】 明神平林道登山口
【地形図 20万/5万/2.5万】  野辺地/陸奥横浜/ 陸奥横浜
【ガイド】 分県登山ガイド「青森県の山」(山と渓谷社)、新編東北百名山(山と渓谷社)
【温泉】 六ヶ所温泉 350円(石鹸無し)

【山域】 南八甲田
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 櫛ヶ峰・くしがみね・1516.5m・二等三角点・青森県
 駒ヶ峰・こまがみね・1416.3m・三等三角点・青森県
 猿倉岳・さるくらだけ・1353.6m・三等三角点・青森県
【コース】 猿倉温泉
【地形図 20万/5万/2.5万】 弘前/八甲田山/ 八甲田山、酸ヶ湯
【ガイド】 アルペンガイド「八甲田・白神・早池峰」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「青森県の山」(山と渓谷社)、新編東北百名山(山と渓谷社)、山と高原地図「八甲田、岩木山、十和田湖」(昭文社)
【温泉】 猿倉温泉 500円、酸ヶ湯 600円(洗い場無し、混浴)

【山域】 十和田
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 戸来岳・へらいだけ
  大駒ヶ岳・おおこまがたけ・1144m・なし・青森県
  三ツ岳・みつだけ・1159.4m・一等三角点補点・青森県
【コース】 平子沢登山口より
【地形図 20万/5万/2.5万】 八戸/田子/ 戸来岳
【ガイド】 アルペンガイド「八甲田・白神・早池峰」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「青森県の山」(山と渓谷社)、新編東北百名山(山と渓谷社)

【山域】 十和田
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 十和利山・とわりさん・990.9m・三等三角点・青森県
【コース】 迷ヶ平登山口より
【地形図 20万/5万/2.5万】 弘前/田子/ 十和田湖東部、中滝
【ガイド】 アルペンガイド「八甲田・白神・早池峰」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「青森県の山」(山と渓谷社)、新編東北百名山(山と渓谷社)、山と高原地図「八甲田、岩木山、十和田湖」(昭文社)
【温泉】 倉石村交流センター 300円(石鹸無し)

【山域】 十和田
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 十和田山・とわだやま・1053.8m・三等三角点・青森県
【コース】 宇樽部登山口より
【地形図 20万/5万/2.5万】 弘前/田子/ 十和田湖東部
【ガイド】 分県登山ガイド「青森県の山」(山と渓谷社)、東北百名山(山と渓谷社)、山と高原地図「八甲田、岩木山、十和田湖」(昭文社)

【山域】 十和田
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 白地山・しらじさん・1034.0m・一等三角点補点・秋田県
【コース】 中小屋コース
【地形図 20万/5万/2.5万】 弘前/十和田湖/ 十和田湖西部
【ガイド】 アルペンガイド「八甲田・白神・早池峰」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「秋田県の山」(山と渓谷社)、新編東北百名山(山と渓谷社)、山と高原地図「八甲田、岩木山、十和田湖」(昭文社)
【温泉】 大湯温泉いずみ荘 200円(石鹸無し)

【山域】 奥羽山脈北部
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 黒又山・くろまんた・280.6m・三等三角点・秋田県
【コース】 宮野平登山口
【地形図 20万/5万/2.5万】 弘前/花輪/ 毛馬内
【ガイド】 分県登山ガイド「秋田県の山」(山と渓谷社)

【山域】 八幡平
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 焼山・やけやま・1366.1m・二等三角点・秋田県
【コース】 御所掛温泉より
【地形図 20万/5万/2.5万】 秋田/八幡平、森吉山/ 八幡平、森吉山
【ガイド】 アルペンガイド「八甲田・白神・早池峰」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「秋田県の山」(山と渓谷社)、新編東北百名山(山と渓谷社)、山と高原地図「八幡平・岩手山・秋田駒」(昭文社)
【温泉】 御所掛温泉 400円(ボディシャンプーのみ)

【山域】 北上山地北部
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 安家森・あっかもり・1239.1m・一等三角点本点・岩手県
【コース】 袖山高原登山口より
【地形図 20万/5万/2.5万】 八戸/陸中関/ 安家森
【ガイド】 分県登山ガイド「岩手県の山」(山と渓谷社)、新編東北百名山(山と渓谷社)

【時間記録】
8月2日(土) 14:30 新潟発=(R.7、新発田、R.290、R.113、赤湯、R.13、山形蔵王IC、山形自動車道、東北自動車道、安代IC 経由)=23:30 七時雨山荘  (車中泊)
8月3日(日) 5:40 七時雨山荘発―6:12 登山道入り口(三合目)―7:02 北峰―7:11 南峰〜7:17 発―7:26 南峰―8:02 登山道入り口(三合目)―8:25 七時雨山荘=(浄法寺 経由)=9:17 キャンプ場登山口発―9:53 稲庭岳―10:20キャンプ場登山口=(浄法寺IC、八戸自動車道、百石道路、下田百石IC、R.338、六ヶ所、吹越、R.279、むつ 経由)=15:27 展望台―15:37 釜臥山―15:48 展望台=(恐山、むつ、川内、畑 経由)=20:00 川内ダム  (車中泊)
8月4日(月) 5:00 川内ダム発=(野平 経由)=5:20 登山口〜6:03 発―6:28 福浦分岐―7:11縫道石山〜7:18 発―7:47 福浦分岐―8:10 登山口=(福浦、R.338、野平、川内ダム、畑、川内、R.338、むつ、R.279、吹越、第一明神平 経由)=12:44 林道登山口―12:58 送電線鉄塔―13:10 ガレ場―13:35 吹越烏帽子岳〜13:48 発―14:06 ガレ場―14:19 送電線鉄塔―14:30 林道登山口=(第一明神平、六ヶ所、R.394、東北、七戸、R.394、谷地 経由 )=17:30 猿倉温泉  (車中泊)
8月5日(火)5:02 猿倉温泉―6:08 矢櫃萢―6:21矢櫃橋―7:02 乗鞍岳分岐〜7:07 発―7:38 黄瀬沼分岐―7:49 駒ヶ峰入り口―8:15 櫛ヶ峰入り口―9:20 櫛ヶ峰〜9:33 発―10:36 櫛ヶ峰入り口―11:03 駒ヶ峰入り口―11:24 駒ヶ峰〜11:30 発―11:21 猿倉岳―13:32 猿倉温泉=(R.103、酸ヶ湯、焼山、R.102、宇樽部、R.454 経由)=17:30 平子沢キャンプ場  (車中泊)
8月6日(水) 5:48 平子沢キャンプ場発―6:24 上部林道―7:46 大駒ヶ岳〜7:55 発―8:07 鞍部―8:30 三ツ岳―8:48 鞍部―9:15 大駒ヶ岳〜9:50 発―10:35 上部林道―11:04 平子沢キャンプ場=(R.454 経由)=11:30 迷ヶ平〜12:12 発―12:20 三叉路―13:20 十和利山〜13:30 発―14:03 あずまや―14:22 三叉路―14:30 迷ヶ平=(R.454、五戸、R.454 経由)=18:30 宇樽部駐車場  (車中泊)
8月7日(木) 5:09 宇樽部駐車場発―5:22 十和田山登山口―6:39 十和田山―7:32 十和田山登山口―7:44 宇樽部駐車場=(R.103、発荷峠 経由)=8:40 鉛山峠入口〜8:50 発―8:58 鉛山峠―9:14 鉛山分岐―9:18 白雲亭跡―9:54 ミソナゲ峠―10:45 展望所〜10:53 発―11:04 長引分岐―11:09 碇ヶ関分岐―11:19 白地山〜11:24 発―11:37 碇ヶ関分岐―11:42 長引分岐―11:55 展望所〜12:24 発―13:09 ミソナゲ峠〜13:14 発―13:52 白雲亭跡〜14:00 発―14:03 鉛山分岐―14:19 鉛山峠―14:26 鉛山峠入口=(発荷峠 R.103、大湯 経由)=16:23 黒又山登山口―16:34 黒又山―16:41 黒又山登山口=(花輪、R.282、長嶺、R.341、アスピーテライン 経由)=20:00 御所掛温泉駐車場  (車中泊)
8月8日(金) 6:48 御所掛温泉駐車場発―6:54 御所掛温泉―7:52 国見台―8:13 毛せん峠―8:35 焼山山荘―8:42 鬼ヶ城―8:55 名残峠―9:03 焼山―9:09 名残峠〜9:19 発―9:30 鬼ヶ城―9:35 焼山山荘―9:56 毛せん峠―9:58 栂森―10:00 毛せん峠―10:17 国見台―11:08 御所掛温泉―11:13 御所掛温泉駐車場=(アスピーテライン、西根、沼宮内、R.281、江刈川 経由)=18:30 袖山高原登山口  (車中泊)
8月9日(土) 4:10 袖山高原登山口―4:17 牧柵―4:48 安家森―5:04 牧柵―5:12 袖山高原登山口=(江刈川、R.281、沼宮内、R.4、滝沢IC、東北自動車道、山形自動車道、山形蔵王IC、R.13、赤湯、R.113、R.290、新発田、R.7 経由)=16:00 新潟着

全走行距離 1907km

 七時雨山は、東北自動車道と八戸自動車道が分かれる安代JCTの南東に位置する山である。山麓の田代平高原には牧草地が広がり、登山道が整備されている。印象的な山名は、天気が変わりやすく、一日に何度も天気が変わることに由来しているという。
 稲庭岳は、岩手県北端近くの浄法寺町の西に、なだらかな裾野を広げる山である。東北百名山の旧飯には取り上げられていたが、新飯ではさしかえられてしまっている山である。山麓には牧場が広がり、キャンプ場から登山道が整備されている。
 釜伏山は、むつ市街地背後に聳えるピラミッドピークである。下北半島の最高峰で、陸奥湾の展望地である。山頂には自衛隊のレーダードームが置かれており、立ち入り禁止地区が広がっている。
 縫道石山は、下北半島にある岩山で、岩塔がそそり立つ姿は、登山者の登頂意欲をそそる。かつては、ロッククライミングのゲレンデとして利用されていたというが、現在では特殊な地衣類を保護するために全面的に禁止になっている。下北半島の西の海岸線を走る国道338号線の福浦付近から、この山を良く眺めることができる。
 櫛ヶ峰は、南八甲田山の中心となるピークである。山麓行一帯には湿原が広がっており、お花畑を楽しむことができる。アプラーチも長いことから、北八甲田・大岳とは反対の静かな山になっている。
 戸来山は、十和田湖の東に位置し、大駒ヶ岳と三ツ岳を合わせた山塊の総称である。十和田三山の一つに数えられている。
 十和利山は、十和田湖の東に位置し、十和田三山の一つである。戸来山の南の稜線に連なる山である。
 十和田山は、十和田湖の東岸にあり、十和田三山の一つに数えられている。山頂からは、十和田湖の眺めが広がっている。
 白地山は、十和田湖西岸にあり、山頂一帯には高層湿原が広がる山である。
 焼山は、八幡平の御所掛温泉と  温泉の間に位置する火山で、現在でも山頂脇の火口からは噴煙を立ち上げている。
 安家森は、北上山地にある山で、山麓一帯には放牧場となった草地が広がっている。

 今年の夏休みの休暇は、北アルプス方面へのテント泊山行の予定であった。しかし13年間、21万5千km乗った車を新車に代えることになって、その納車が間に合うことになった。それならば、車を登山口に放置するよりは、ドライブ色の強い山行ということで、東北の山巡りに出かけることにした。登る山は、東北百名山に選ばれている山を中心にすることにした。東北南部の山は、そこそこに登っているが、北部は抜けている山が多いため、この機会にまとめて登っておくことにした。まずは、下北半島を目指すことにした。
 土曜日の昼前に車が届いたが、車とナビのマニュアルに一通り目を通し、車に登山の道具を積み込むのに時間がかかり、出発は昼過ぎになった。車の運転もはじめは恐る恐るでぎこちなかったが、時間が経つにつれて慣れてきた。出発が早かったため、東北自動車道を走り抜け、その日のうちに七時雨山の登山口に入ることができた。ナビを初めて使ったが、これまでは周囲が見えない夜中に登山口にたどり着くのに苦労したが、難なく導いてくれてその威力を実感できた。
 登山口の駐車場は山荘の前庭のため、少し戻った路肩の空き地に車を停めて寝た。今回は、足を伸ばして寝ることのできる車を選んだため、楽に夜を過ごすことができた。翌朝、七時雨山荘の駐車場に車を移動し、歩き出した。
 県道から下ってきた道を直進方向に進むと、牧場のゲートがあり、脇をすり抜けると周囲には牧草地が広がった。霧が立ちこめて、周囲の眺めは閉ざされていた。ゲートをもう一つ通過し、道標に従って左の丘に登ると、ゆるやかに起伏する牧草地が広がっていた。晴れていれば、サウンドオブミュージックの舞台にでもなりそうな高原であった。
 牧草地に中に続く踏み跡を辿っていくと、七時雨山の登山口に到着した。ここは三合目ということで、この先は、合目標識が付けられていた。雑木林の中の登りが続いた。六合目の手前から尾根道となり、傾斜も緩くなった。七時雨山は双耳峰のため、十合目は、手前か先の、どちらのピークに置かれているのかが気になった。結局、手前の北峰で、十合目になった。北峰の山頂は、広場になっており、一等三角点が置かれていた。
 南峰へは一旦下った後に登り返しになった。とはいえ、十分程の歩きで、大した距離ではなかった。笹原と草原の広がる山頂には、石の祠が置かれて、厄除祈願と書かれた金属プレートが立てかけられていた。この山は信仰の山でもあるようであった。晴れていれば、展望の良い山頂のようであるが、ガスのためになにも見えなかった。山頂部にはウツボグサやシモツケソウの花、牧草地にはウバユリの花が咲いていたので、写真を撮りながら戻った。
 七時雨山に続いて、近くの稲庭岳に向かった。浄法寺の林道入口からは、稲庭キャンプ場への案内標識が続いていた。舗装道路を進むと周囲には牧場が広がり、何頭もの牛が草をはんでいた。中には、道路に飛び出している牛もいた。キャンプ場には、大きな駐車場が設けられていた。案内図を見ると、登山道はキャンプ場の左側から始まっているようであった。歩き始めてみると、ブルで切り開いたような幅3m程の幅広の道が設けられていた。山に向かって、小さなジグザグを繰り返しながら続いていた。昔の登山道が、一直線に続いており、ショートカットさせないためか、その入口にはビニールテープが、何本も横に張ってあった。楽ではあるが、少し味気ない道であった。
 登るにつれて、ダケカンバの美しい林が広がるようになった。傾斜が緩やかになって、山頂もすぐかと思った頃、山頂まで1000mという標識が現れ、がっかりさせられた。樹木の背も低くなり、高原を行くような道になった。山頂はなかなか近づいてこなかった。
 稲庭岳の山頂は、三角点の脇に山頂標識が設けられて、広場になっていた。「二等三角点 稲庭岳」の金属板が埋め込まれたモニュメントが置かれていた。三角点を粗末に扱うのも困りものであるが、このように大仰な説明が書かれていると、その他の三角点はどうなのだといいたくなる。藪を掻き分けて見つけた三角点が、一等や二等といった等級に関係なく、私には一番大切なものに思われる。
 三角点広場の脇に広場があり、ここにはいくつもの石の祠が並べられていた。展望の良い山頂ということであったが、ガスのためになにも見えず、早々に退散となった。
 下りの足は速かったが、登山道がぬかるんでおり、登山靴とズボンが泥だらけになってしまった。今回の山行では、着替えも充分持ってきたとはいえ、ズボンを毎日代えるだけの余裕はない。トイレ前の水道で洗濯をしていると、本降りの雨が始まった。梅雨明け直後の8月始めという一番天気の良い時期のはずであったが、東北北部の青森県一帯には梅雨明け宣言が出ず仕舞いのままであったことを後で知った。この後の山行で、天気の悪さに悩まされるとは、この時は思ってもいなかった。
 八戸自動車道に戻り、むつを目指した。途中で、原発の核燃料再処理施設で有名になった六ヶ所村を過ぎると、横浜の手前で吹越烏帽子岳登山口の標識を見つけた。明日登る予定ではあったが、順番の問題で、むつに向かって先に進んだ。下北半島の山としては、縫道石山と吹越烏帽子岳に登るつもりであったが、むつの背後に聳える釜臥山は一等三角点ピークで、車道から短時間で登れるようなので、この山にも登っていくことにした。
 むつから恐山へ向かい、峠近くからかまぶせパノラマラインと呼ばれる釜臥山山頂への道に入った。釜臥山の山頂には自衛隊のレーダードームが置かれているが、この道も途中からは自衛隊関連の道路のようで、途中には監視所が設けられていた。展望台には、二階建ての建物と広い駐車場が設けられていた。車道は、そこから先は進入禁止になっており、代わりに遊歩道が設けられていた。大した歩きではなさそうであったが、横殴りの雨で、雨具を着ないと、車の外には出られない状態であった。雨具を着込み、カメラとGPSだけを持って山頂を目指した。
 釜臥山の山頂までは、コンクリートで固めた階段登りの遊歩道が続いていた。ガスの中からレーダードームが浮かび上がると、そこが山頂であった。兵主神社奧社と書かれた標柱があり、石の祠が並んでいた。目指す一等三角点は、自衛隊の金網の中でということはなく、幸いにして、遊歩道の脇にあった。コンクリートに標石の半分が固められていたのは問題であったが。強風に追われるように山頂を後にした。
 下北半島では、恐山を訪れたいと思っていた。恐山というと霊場という意味が強く、ピークハントというには少し気が引ける。しかし、コンサイス日本山名辞典によれば、「下北半島北部の円錐状火山と外輪山の総称。山名は、円通寺(菩提寺)の山号に由来。那須火山帯に属し、山体はほぼ円錐形、直径約4kmのカルデラ内に宇曽利山湖がある。蓮華八葉と呼ばれる外輪山には、大尽山、小尽山、屏風岳などがあり、鐘状寄生火山には朝比奈山、釜臥山がある。」と書かれており、山には違いない。
 釜臥山展望台からパノラマラインを戻り、恐山に向かった。宇曽利山湖に出て、湖畔を少し辿ると、円通寺の門前に到着した。夕暮れも近いことから人影もまばらであった。幸い雨は上がっていたが雲は低く垂れ込めていた。駐車場脇には、五体のお地蔵さまが並び、ただならぬ雰囲気が漂っていた。入場料の500円を払い境内に入った。総門をくぐり、さらに山門をくぐるとその正面に本堂がある。その手前の左右に、温泉の浴室が並んでいた。右手の薬師の湯は工事中であり、左手の、冷抜の湯と古滝の湯が、それぞれ男性用と女性用になっていた。恐山温泉とも呼ばれ、恐山訪問では、この温泉を期待していた。
 温泉の前に、本殿にお参りし、参拝路を一周してくることにした。硫黄臭の漂う溶岩地帯の中に、お地蔵様が立ち、色鮮やかな風車が荒涼とした風景を一層際だたせていた。溶岩地帯を抜けて宇曽利山湖の畔に出ると、極楽浜と呼ばれる白砂の浜が広がり、青白色の湖面がさざ波を立てていた。この世のものとも思えない眺めと、無宗教的な私でも、思わず宗教的な感動の世界に引き込まれそうになった。参拝路を一周して、待望の温泉に入った。浴室に入ると、誰も入っていなかった。恐山を訪れる観光客は、温泉に入ることができるとは知らない者が多いようで、拝観の際に、タオルや着替えを持ってきていないようであった。二つの浴槽に分かれ、源泉と水が流し込まれていた。片方は、源泉の入りが多く、熱くて入れなかった。一方は、熱めであるが、良い湯加減であった。まさに極楽気分であった。この温泉が本殿の前にあるのは、沐浴というような宗教的な意味もあるのであろうか。
 一日の予定を終えてむつの市街地に戻り、夕食と食料の買い出しを終えた後に縫道石山をめざした。縫道石山の登山口は林道の奧にあるため、途中の川内ダムの道の駅で夜を過ごした。
 朝になって車を動かすと、じきに野平林道の入口に到着した。そこには、縫道石山登山口の標識が掛けられていた。未舗装の林道が始まった。一車線幅で、待避所も少ない林道であった。新車で傷つけたくないのと、幅寄せの間隔が掴めていなかったため、対向車が来ないことを祈りながら車を走らせた。道路工事が行われ、道は泥沼状態で、動けなくなる危険性もあった。
 舗装道路が現れてほっとすると、その脇が縫道石山の登山口であった。登山者用のものかは判らないが、砂利をまいた広い駐車場が設けられていた。登山道と書かれた標識が立てられていたが、縫道石山という名前は見あたらなかった。踏み跡の先には、登山届けのための赤いポストが置かれていた。
 霧雨が流れて、木の梢からは、しずくが音を立てて落ちていた。雨自体はたいしたことはないものの、草を掻き分ければ、たちまちずぶ濡れになるのは必至のため、雨具を着込んでの出発になった。
 登山届けのポストの脇で、道が二つに分かれた。左の道の方が高みに続いているようなので、この道に進んだが、直に右から道が合わさったので、どちらでも良かったようであった。一旦幅広の道になるが、すぐに細々とした道に変わった。尾根を乗り越して、一旦下っていくと、鞍部に出て、ここはクランク状にコースを変える必要があったが、しっかりした登山標識が立っていたので、問題は無かった。野平方面の道は完全に藪に被われ、福浦方面の道も藪っぽかった。
 分岐からしばらくは緩やかな登りを続けると、傾斜もきつくなり、稜線の上目指しての登りになった。周囲には、圧迫感のある鬱蒼とした木立が広がっていた。稜線の上に出てから岩を巻いて水平に進むと、岩峰の下に出た。垂直に岩壁が切り落ちていたが、登山道は、木立との間を斜めに登っていくように続いていた。山頂が近づいたところで、木の枝を掴み、岩のステップを足がかりにする急登が始まった。
 山頂の一画に飛び出すと、岩のテラスになっていた。少し先に岩峰の最高点があったので、踏み跡を辿ってから、その上に立った。かつては、地元漁民の魚群の見張り場だったといい、眼下には絶景が広がっているはずであったが、見えるのは白いガスだけであった。
 山頂直下の急斜面も難しいところはなく、駐車場までは大した苦労もなく戻ることができた。ただ、雨具と登山靴は泥だらけになっており、水道を見つけて洗う必要が出てきた。
 二度と未舗装の林道を戻りたくはなかったため、舗装道路を先に進むことにした。二車線幅の立派な道路が続いていた。タルミ沢に下っていく途中で、太陽が出てきたため、縫道石山の山頂が姿を現すのをしばらく待つことになった。ガスが切れると、槍ヶ岳に似た山頂が姿を現した。結局、福浦まで、舗装道路が続いていた。野平林道の入口までは、途中で仏ヶ浦の景勝地を眺めることはできたものの、大回りになった。ただ、未舗装の悪路を避けるためには、福浦側から登山口に進んだ方が良いと思われる。
 青空が広がるようになった。むつ市街地が近づくと、頂上にレーダードームを乗せた釜臥山が姿を現した。今回は、一週間以上の放浪で、家の者へのご機嫌取りも必要なため、ホタテ貝の業者を見つけて、期日指定で家へ送った。1kg700円ほどで、3kg送ったが、氷代やら送料で4000円程になった。
 吹越烏帽子岳へは、国道279号線と横浜六ヶ所線の角に標識があり、以後はそれに従うことになった。第一明神平の集落を過ぎたところで、畑地の脇を抜けていく未舗装の林道に進んだ。前方に見えるなだらかな山頂を持つ山が、吹越烏帽子岳のようであった。地図上では、登山口は判らない状態であったが、「吹越烏帽子岳〜泊・陸奥横浜停車場線縦走路案内図」と書かれた、見落としようのない大きな標識が現れた。その手前の路肩スペースに車を停めた。車が一台停まっており、他に登山者がいるようであった。
 この登山口から山頂までは2.5kmの距離と書かれており、のんびり歩き出すことにした。午後に入って、気温も上がっており、汗がしたたりおちた。雨が降っても、太陽が照りつけても、衣類がびしょ濡れになるのは同じ事のようである。赤松のまじる雑木林の中のだらだら登りが続いた。いっこうに山が近づいてくる気配はなかった。伐採地の端に立つ送電線の鉄塔を過ぎた頃から、ようやく登り坂が始まった。
 ひと登りするとガレ場の下に出て、そこを上り詰めると、前方に吹越烏帽子岳の山頂が姿を現した。登山道の周辺は、草地となって、ウツボグサやナデシコ、アヤメの花が咲いていた。ガレた登山道を登っていくと、吹越烏帽子岳の山頂に到着した。山頂の広場には、木の祠と鳥居、一等三角点が並んでいた。
 山頂には家族連れが休んでいたが、じきに下山していき、一人きりの山頂になった。陸奥湾と太平洋が左右に広がり、もやに霞んでいるものの、釜臥山も見分けることができた。ひさしぶりの青空に、のんびりした気分になった。
 眼下には、六ヶ所村の核燃料再処理施設を眺めることができた。六ヶ所村の核燃料再処理施設というのはニュースで名前はお馴染みであるが、下北半島の付け根のような場所にあるとは思っていなかった。なんとなく、半島の突端と思いこんでいた。新潟県の刈羽原発は、東京の電力のそうとうの部分をまかなっているが、東京都民で刈羽村を知っているのは、どれ程いるのやら。
 花の写真を撮りながらの下山に移った。ガレ場を過ぎれば歩きに専念することになり、一気に登山口まで下った。
 吹越烏帽子岳の後は、翌日のために、南八甲田の猿倉温泉まで移動する仕事が残っていた。まずは、汗を流すため、近くの六ヶ所村温泉をめざした。日本一深い温泉と建物の脇に大きく書かれていた。おそらくは、核燃料再処理施設のための岩盤の状態を知るためのボーリング調査の際に湧き出た温泉であろう。ラジウム温泉とでも書かれていれば、ブラックユーモア的なのだが。交付金で設備の整った温泉を期待していたのだが、石鹸も置いてない、質素な入浴施設であった。
 ナビで最短距離コースを選んだため、どこを走っているか判らない状態になった。信号の無い道が長く続いたので、良い道を選んだようではあったようである。七戸の道の駅で夕食を取り、R.394に入ると、食料の買い出しを行うコンビニも無い山岳道路がいきなり始まってしまった。
 夕暮れの猿倉温泉に到着して、櫛ヶ峰の登山口を探した。宿の前は宿泊客用の駐車場で、突き当たりに登山者用のトイレと休憩所があり、その奧が登山者用の駐車場で登山道が始まっていた。登山者用の駐車スペースには、山中で泊まりの登山者のものらしい車が一台残されているだけであった。今回の山行では、櫛ヶ峰が一番の難コースになりそうであった。車の中でビールを飲みながら翌日のコースの予習をし、コンピューターを立ち上げて山行記録を書こうとしたが、ほとんど進まないままに眠くなった。長期間にわたる山行では、いつものような山行記録とは別に、簡単なメモ程度の日記を書く必要がありそうである。
 軽く朝食を取っていると、女性の二人連れが、歩き出していき、少し遅れての出発になった。歩き始めてすぐに、右手の沢に向かって猿倉岳への登山道が分かれた。 直進する道は、旧道コースと呼ばれるが、戦前に失業対策のために車道として作り始められたものの、戦争によって中断されたものだという。幅5m程の道の輪郭は認められるが、草が茂って、その中に一条の登山道が通じているといった状態であった。雨水で大きく抉られていたり、泥沼状態の所も出てきた。旧道は、緩やかな登りがひたすら続き、大きくカーブするため、なかなか道がはかどらなかった。
 歩いていくと、登山道の真ん中に白いロープが張られていて、目的が判らずにとまどった。一方は笹原が刈り払いされており、足跡からすると、登山者はこちらを通っているようであった。片方は、雨水で抉られた溝であった。ロープの端をみると、笹原の刈り払い部に入らないように張られていた。今年に入ってからだが、南八甲田の登山道が勝手に刈り払いされ、告訴されたとかいうニュースが流されていた。南八甲田は、登山道がほとんど手入れされていないということを聞いていたので、登山道の刈り払いが本当に悪いことなのか疑問を持った。このロープを見ると、あまりに杓子定規で現状を無視しているように思えた。すくなくとも一般登山者の歩くコースくらいは、藪を刈り払って整備しておいてもらいたいものである。登山者が多くなると湿原が荒れるという理由らしいが、八甲田大岳付近の過剰とも言える歩道の整備やロープウェイの運行を考えれば、登山道放置の言い訳にしか過ぎないように思える。
 時間が経って太陽が顔を覗かせることを期待したが、結局どんよりした曇り空のままだった。登山道に笹が被っている所も多く、掻き分けるうちにずぶ濡れになってしまった。1時間近く歩いたところで、矢櫃萢に到着した。大きな湿原のようであったが、登山道はかすめているだけなので、その入口あたりを眺めることができるだけであった。その先で沢を渡ることになった。コンクリート製の橋がかかっていたものの、中央で真っ二つになっており、急角度に落ち込む橋を滑り落ちないように渡る必要があった。この橋が、矢櫃橋のようであった。橋を渡ったところで、先行の二人連れが休んでいるのを追い越した。
 林道跡を覆う笹も、掻き分ける程の所も出てきた。次の目的地の乗鞍岳分岐は、草付きの斜面の下で、上に向かって延びるのが乗鞍岳への道で、水平に巻いていくのが櫛ヶ峰への道であった。前方にピラミッド型をした駒ヶ峰が近づいてくると、黄瀬沼分岐に到着した。黄瀬沼への道は、草が被り気味で、分岐から入った所に小さな池糖があった。分岐からしばらく進んで沢を渡ると、砂地の広場があり、ここがテン場であった。登山道が広がった形であったが、張る場所は前後にあって、スペースには余裕があった。そのすぐ先で、駒ヶ峰への道が右に分かれた。
 左下に黄瀬萢の湿原が広がるようになると、ようやく林道跡から分かれて、櫛ヶ峰への登山道が始まった。小さな沢に下りて登ってというのを繰り返すことになった。沢の脇の草地には残雪の関係で遅れて咲いたのか、ニッコウキウゲ、ミシナノキンバイ、ウサギギクといった花が盛りで咲いていた。大きな湿原が現れると、木道歩きが始まった。前方には、櫛ヶ峰が迫ってきたが、山頂部は雲で覆われていた。湿原には、コバギボウシ、ニッコウキスゲ、キンコウカやウメバチソウの花が咲いていた。花の時期は過ぎているのが残苑であった。
 ようやく櫛ヶ峰への登りが始まった。一旦左の尾根に取り付いてから、山頂を目指しての登りになった。登りの途中、若者の4名グループに出会い、これが登山口に停めてあった車の持ち主のようであった。何度か山頂かと騙されたが、右手の草原に刻まれた旧登山道の跡が近づいてくると、ようやく櫛ヶ峰に到着した。4時間を超す歩きを要する山頂であった。山頂は広場になっていたが、ガスが流れて周囲は見えなかった。寒いため、早々に山頂を後にした。下りの途中で、追い抜いた二人連れとすれ違った。結局、この日の入山者は、三グループだけのようであった。
 湿原の木道に戻り、櫛ヶ峰の山頂が姿を現さないかと、振り返りながら歩いた。駒ヶ峰分岐に戻り、駒ヶ峰から猿倉岳経由で下山することにした。ガイドブックには、登山道が荒れているように書かれているが、長々した林道歩きをもう一度行うのは面倒であった。
 駒ヶ峰への登山道は、笹がかぶった状態になっていた。頭上を覆う笹であったが、足元の踏み跡はしっかりしており、コースを辿るには問題はなかった。これくらいの笹で驚いていては、藪山愛好家の名が廃るというものである。笹を掴みながらの、急な登りが続いた。登りの途中でガレ場に出て、広い稜線が広がる猿倉岳方面の眺めが広がった。猿倉岳方面への分岐を過ぎると、僅かな登り駒ヶ峰の山頂に到着した。山頂は、狭い切り開きで、木立に囲まれて周囲の展望は閉ざされていた。休みにも適していない山頂であったので、先に進むことにした。
 分岐に戻り猿倉岳への登山道に進むと、急な下りが始まった。山頂下の猿倉岳にかけての稜線には、池糖を配した高層草原が広がっていた。アオモリトドマツ帯を抜けると湿原が広がり目を楽しませてくれた。櫛ヶ峰付近の広大な湿原とは違った美しさがあった。
 猿倉岳の山頂は、木立に囲まれていた。三角点が無ければ、山頂と気が付かずにそのまま通過してしまうところである。猿倉岳からの下りは、悪路と言われているが、確かに登山道が雨水で掘られたり、泥田状態になっていた。ただ、笹が刈り払われていたので助かった。どろどろの登山道で、汚れを気にしていても仕方がないので、中央突破で気にせずに歩いていくことにした。展望は無い道であったが、それでも、高田大岳を正面に眺めることができた。猿倉岳からの1時間10分の下りは、時間以上に長く感じられた。沢に下り立つと、その先で旧道に合わさり、猿倉温泉の駐車場はすぐそこであった。
 着替えをしたものの、ズボンと登山靴は泥だらけであった。このままにしておけないので、ビール片手に沢に戻り、沢で洗濯をした。ズボンを通して足まで泥だらけになっていた。確かに、最大級の泥んこ道であった。登山を終えて、沢にほてった足をひたしながら飲むビールの味は格別であった。
 続いて猿倉温泉に入った。外来入浴は露天風呂であった。幸いシャンプーも置いてあり、体を洗うことができた。上下二段に並んだ浴槽のうち、下はかなり熱い温度であった。乳白色の湯であったが、それほど硫黄臭くはなかった。
 猿倉温泉で櫛ヶ峰の登山の締めくくりができたが、近くの酸ヶ湯にも入っていくことにした。1993年8月21日に日本百名山巡りのために八甲田・大岳に登り、その際に酸ヶ湯も訪れている。酸ヶ湯には大きな駐車場が設けられているが、観光客や八甲田・大岳の登山者で大賑わいであった。観光バスのグループが、ガイドから入場券をわたされ、出発は何時ですと説明されていた。入り口付近はごったがえしていたが、千人風呂の中は、そう混み合ってはいなかった。ただ、先回は、昼前に入浴して静かな時を過ごしたのに比べると、ざわついた感じがした。温泉から出て食堂に入り、麦とろご飯を食べて空腹をおさえた。
 翌日予定の戸来岳のために、十和田湖をめざして車を移動させた。途中、奥入瀬渓谷を少し見物した。十和田湖湖畔の宇樽部からR.454に進み、十和利山の登山口の迷ヶ平を通り過ぎ、舗装道路で入り口に標識のある妙返沢林道から登山口の平子沢キャンプ場に向かった。平子沢キャンプ場は、大きな駐車場があり、その脇から戸来岳への登山道が始まっていた。ここで夜を過ごそうと思ったが、大きなアブが寄ってきて車のドアを開けるたびに飛び込む状態で、ここでの野宿はあきらめた。渓谷沿いのキャンプ場は良いが、このアブでは利用者はいるのだろうか。国道に戻り、すぐ先の道の駅で夜を過ごした。
 朝になってから平子沢キャンプ場に移動し、歩き出した。車の進入禁止になった車道を登っていくと、少し先の終点から登山道が始まった。尾根を巻きながら緩やかに登っていき、ひと汗かいたところで、林道に飛び出した。左に進むと、すぐ先に登山道の入り口があった。この林道は未舗装ではあるが、車はここまで入って来られそうであった。
 ブナ林の中を緩やかに登っていく登山道がしばらく続いた。登山道の幅も広く、ブナ林の中の散策路といった感じであった。ようやく傾斜がきつくなったと思うと、山頂めがけての一気の登りになった。足場の乏しい泥斜面の登りがあり、固定ロープの助けも借りて登りきった。大駒ヶ岳の山頂一帯は台地状で、イチイの矮性木の間をぬっていく歩きがしばらく続いた。大駒ヶ岳の山頂には標識が置かれていた。周囲の展望は、ガスで閉ざされていた。
 三ツ岳への登山道は、道型ははっきりしているものの、草や笹が覆うようになった。ここまでの良く整備された登山道とは対照的であった。150m一旦大きく下り、鞍部からは160mの登り返しになった。山頂が近づくと急斜面の登りになったが、アザミが多く、草を掴もうとすると手をさすので苦労した。草付きに出て、左に十和利山への縦走を見送ると、その先で三ツ岳に山頂に到着した。ここには一等三角点が置かれていた。東北百名山というように代表的な山を選んでいくと、一等三角点峰が選ばれる確立が高くなるようである。展望が無いので、下山にうつることにした。アクリ峠を回る周遊コースも考えたが、夏草が茂っていそうなので、来た道を引き返すことにした。
 大駒ヶ岳の山頂は展望は良くなさそうであったため、登りが終わる台地の縁に腰を下ろして、ひと休みした。鞍部一帯から中腹まではガスが消えたものの、三ツ岳の山頂は姿を現さなかった。結局諦めて、歩き出すことになった。大駒ヶ岳の山頂直下の急斜面を、尻餅をつかないように下れば、後は気楽に歩ける道であった。
 戸来岳の登山を終えて、次は十和利山を目指した。登山口の迷ヶ平には大きな駐車場が設けられ、観光客目当ての食堂が開かれていた。十和利山の三角形の山頂を眺めながら国道脇の鳥居をくぐると、キャンプ場が広がっていた。キャンプ場の奥に向かって歩くと、左右に登山道が分かれる分岐に出た。まずは東コースに進んだ。
 ガイドブックには、キャンプ場生活する青少年の登山教室にも利用されていると書かれていることから楽勝気分でいたのだが、山にとりつくと、登山道を身の丈を越す笹が覆うようになった。道型ははっきりしているものの、初心者向きのコースといえそうもなかった。昼になって気温も上がり、笹の中は蒸れて汗だくになった。尾根沿いの道ではなく、山の斜面に広がる笹原を登っていくため、道をはずせば進退窮まりそうであった。初老の単独行が下ってくるのにすれ違った。西コースというものがありながら、この歩き辛い道を下るというのも、知らないコースを下山するのに不安を覚えたためかもしれない。
 山頂直前で、右に道が分かれた。その先で右からの道が合わさり、ここを左に進むと十和利山の山頂に到着した。十和利山の山頂は、広場になって、周囲の展望が広がっていた。霞んでいたが、大駒ヶ岳から三ツ岳にかけての稜線や十和田湖を眺めることができた。ひさしぶりに、山頂での風景を眺めることができた。
 西コースへの下り口には標識が無いため、コースの判断が付けにくかった。一旦戻り、分岐を直進すると、急な下りが始まった。登ってきた時に見た、手前の分岐が、三ツ岳への縦走をだったのかもしれない。GPSを見てもルートには間違いはなさそうなので、そのまま進んだが、初めての初心者だと、コースが正しいのか不安を覚えるかもしれない。膝下の笹で、尾根沿いの道であったため、歩くのには問題はなかった。尾根をはずすとブナ林のジグザグの下りになった。下生えも少なく、ブナ林の中にはっきりした登山道が続いていた。
 山の斜面を下ると、あずまやが現れて、ここには水場も設けられていた。西コースの往復なら初心者レベルでもなんとかなりそうであった。谷間を緩やかに下っていくと、歩き始めの三叉路に戻ることができた。
 翌日は、十和田湖湖畔の十和田山と白地山に登る予定であったが、入浴と食料の買い出しのために、山を一旦下ることにした。途中、国道の脇にキリストの墓があったので見物した。十字架に掛けられて死んだのは、実はキリストではなくその弟のイスキリであったという。あやしげな古文書や、戸来=ヘライ=ヘブライといったような語呂合わせに基づくものだが、行政まで村おこしのたねに使っているとは、悪のりが過ぎる。倉石村交流センターで汗を流し、買い物のために車を走らせたが、コンビニを見つけるには、五戸町まで行く必要があった。再び、十和田湖へ戻った。
 十和田湖畔の宇樽部の国道分岐にトイレも設けられた駐車場があり、ここで一夜を過ごした。十和田山の登山口周辺には駐車スペースがないため、ここから歩き出すことになる。
 十和田山と白地山の二山に登るために、早朝に歩き出した。奥入瀬側に戻って旧道に入ると、左右には農家が並ぶようになった。ビニールハウスの脇に十和田山登山口と書かれた標識があり、進むと田圃の畦道に出た。その先にも標識があり、柵に沿って進むと車道に飛び出した。橋を渡るとバラ苑が広がる花鳥渓谷の園内に出た。ここは入場料金を取るようであるが、脇から入って十和田山を目指すのは黙認されているようであった。そのために登山口の標識がわざと目立たないものになっているようであった。
 そのまま直進すると十和田山の登山口があった。ブナ林の中に、はっきりした登山道が続いていた。尾根沿いの登りになり、一回方向を大きく変えた。ここらが、展望台と呼ばれるところなのかもしれないが、湖面を霧が覆っており、湖を眺めることはできなかった。だらだらとした登りが続いた。
 ようやく傾斜が増したと思うと、ガレ状の溝の登りになり、最後は笹を掻き分けるようになった。朝露で、またもやずぶ濡れになった。十和田山の山頂は、笹原の中に切り開かれた小広場になっていた。十和田三山の中では、最も十和田湖の展望の優れた山頂ということであったが、湖面を朝霧が覆い、隠された輪郭で湖の範囲をしることができた。やはり、晴れた日に登って、ビール片手に十和田湖を眺めてこそ、この山の真価を味わうことができるといえよう。
 足早に下って、車に戻ってから、朝食をとった。ここまでは、十和田湖東岸の山であったが、次の白地山は、西岸にあり、青森県に代わって秋田県の山ということになる。近くの山で植生が大きく変わる訳ではないのだが、行政地区が違うと、登山道の状態もこのように変わるのかと驚かされることになった。
 白地山へは、十和田湖を半周する必要があった。途中で半島を横断する所では、大きな上り下りが必要であった。休屋周辺は、観光客で賑わっていた。発荷峠から十和田大館樹海ラインに進むと、ほどなく鉛山峠の登山口に到着した。この駐車場は車五台ほどは置けるが、路肩石でふさがれて入り口が狭いため、大型観光バスは入ることができない。駐車場の脇には、古びた木製の案内図が置かれていた。
 鉛山峠へは、丸太の階段登りをひと頑張りすると到着した。その後は、十和田湖外輪山の縁を辿る緩やかな稜線歩きが続いた。特に悪い道ではなかったが、木道が続いているのには驚かされた。十和田湖畔の鉛山への下り口を過ぎると、すぐ先で白雲亭跡に到着した。ベンチを設けたあずまやが建てられ、眼下には十和田湖の湖面が広がっていた。連続した木道はさすがにここまでであった。
 登山道は、稜線の上部を辿るのではなく、一段下にほぼ水平に続いていた。次の目的地はミソナゲ峠であったが、そろそろかなと思った頃、白雲亭とミソナゲ峠の中間点の標識が現れた。このような中間点の標識は他では見たことがないが、後に焼山でもお目にかかり、秋田県の山では、普及しているようであった。
 ミソナゲ峠からは、大川岱へ下る道が分かれているが、草が被って歩き辛そうであった。ここから緩やかに登っていき、小さなピークを越してさらに先に進んでいくと、ようやく展望地に到着した。ベントが置かれ、十和田湖の眺めが眼下に広がっていた。大川岱への道が直進方向に続いていた。
 左折する形で白地山の山頂に向かうと、木道の敷かれた湿原の歩きになった。碇ヶ関への道が分かれる三叉路を左に進むと、続いて長引への分岐になった。周囲を眺めても、そびえ立つような山は見あたらず、前方に見える小さな丘が白地山の山頂のようであった。湿原を離れてひと登りすると、三角点と山頂標識の置かれた白地山に到着した。山頂からの展望は広がっていたが、雲が低く、山の頂上部は隠されていた。
 花の写真を撮りながら、展望地に引き返した。花の盛りは終わった時期ではあったが、コバギボウシ、エゾシオガマ、ウサギギクや  の花を楽しむことができた。展望地に戻って昼食と思ったら、分岐一帯には子供達の一行が座り込んでいた。話を聞いていると、出発の時間はすぐのようなので、端に腰を下ろした。ようやく山頂でのビールにありつくことができた。今回の山旅では、山行時間が短い山が多く、1日に二山登るため、山でゆっくりとビールを飲んでいる暇がない。子供達が出発していったので、ベンチに腰を下ろした。体調不良で残った子供と、その付き添いの二人が休んでいた。話を聞くと、学校登山ではないが自然教室のようなものらしく、大川岱から登ってきたとのことであった。先生なのか、付き添いの女性の姿を見ると、ジーパンに運動靴であった。登りも大変であったろうが、下りも苦労しそうであった。
 腹ごしらえも終わったところで、のんびりと下山することにした。帰りも長く感じられる道であった。白雲亭に戻って十和田湖を眺めながらひと休みした。湖面に遊覧船が白い筋を引いていた。
 駐車場に戻り、この後の予定を考えた。翌日の天気予報は、昼から雨というものであった。悪いことには、台風が九州に接近してきており、土曜日には、東北地方に進んでくるようであった。予定の焼山は、午前中に登り終えることができそうであったので、なんとかなりそうであった。土曜日の山は、三ツ石山から大深山への周遊を考えていたが、この様子では難しそうであった。まずは八幡平への移動と温泉のことを考えた。途中で古い温泉場の湯沢温泉があり、ここで入浴することにした。湯沢温泉には、共同浴場が何カ所かあるようだったが、国道沿いは通行量も多く、ゆっくりと探すことができなかった。日帰り温泉施設のいずみ荘というのが、川の脇にあり、ここに入った。石鹸を持ち込む必要があったが、湯量は豊富で、地元民が銭湯として使っているようであった。山の後に入るには、相応しい温泉に思えた。外に出て川を見下ろすと、その畔に共同浴場が一軒あったが、駐車場はないようであった。
 さっぱりして県道で鹿角に向かうと、途中に人工的に形を整えたピラミッドといわれる黒又山があった。興味を持って麓に行くと、本宮神社と書かれた鳥居があり、山頂の薬師堂まで参道が続いていた。登るにも大して時間はかからないようであったので、もうひと仕事することにした。GPSとカメラだけを持って歩き出した。杉林の中を登っていくと、上部は雑木林が広がっていた。ピラミッドといわれるだけあって、急な登りが続いた。湯上がりのせいもあり、汗が噴き出てきた。
 黒又山の山頂は、薬師堂が占領していた。その脇をみると三角点が埋められており、小さいながら立派な山であった。家族連れが、ガイドブックを片手に登ってきていた。お堂を一周してから山を下った。
 すっかり汗をかいて、下着を着替えることになった。県道を進むと、今度は、大湯環状列石の遺跡が現れた。のぞいてみると、芝地にきれいに整備された中に、縄文式の住居跡が復元されていた。環状列石というのを見ると、大小の石ころが環状に並んでいるだけで、ストーンヘッジのような構造物にはなっていなかった。縄文時代あたりの考古学となると、どうも捏造と紙一重のような気がする。日も暮れてきたので、車を急がした。花輪に出ると、大きなスーパーがあり、その脇のファミリーレストランで夕食をとり、食料の買い物を行った。雷雨が始まり、しばらく車の中で待機になった。雨が止むのを待ったおかげで、八幡平の御所掛温泉に到着した時は、暗くなっていた。温泉入口に大駐車場があったので、そこで夜を過ごした。
 翌朝、御所掛温泉の宿の前に車を移動させると、駐車場は狭く、登山者が車を置くのまずいようであった。大駐車場に戻り、そこから歩き出すことにした。御所掛温泉への道路を歩いていくと、脇の河原からは温泉の湯気が立ち上がり、いかにも秘湯といった感じであった。温泉の前に出たが、焼山への登山口が判り辛かった。湯治部へ坂道を下っていき、建物をぬって一番下部まで進むと、渡り廊下があり、その引き戸の上に注連縄が掛けられて、焼山登山口と書かれていた。戸を開けて通り抜け、沢を橋で渡ると、山道が始まっていた。ひと登りした所に祠があったが、これは焼山を祀ったものなのであろうか。
 ブナ林の中のなだらかな登りが続いた。道は前日の雨のせいかぬかっていた。今日も雨が降らないだけましといった曇り空が広がっていた。急な登りが始まり、ひと汗かくと国見台に到着した。振り返ると、御所掛温泉を眺めることができた。今回のコースで、登りの一番苦しい所は、ここまでで終わったことになる。尾根を越すと、登山道脇にコケモモやハイマツといった低灌木帯の広がる毛せん峠に到着した。この上が栂森の展望台であるようであったが、ガスでなにも見えないため、とりあえず先に進んだ。
 左右にロープが張られた登山道の中を、たんたんと歩いていくと、右下には、ガスの切れ間から火山の火口がかすかに見えるようになってきた。一旦下りになると、ガスの中から焼山山荘が姿を現した。立派な避難小屋であった。二人連れが、小屋のペンキを塗り直していた。声を掛けて挨拶し、焼山山頂への道を聞いてみた。見返峠から道はあるが、今年は刈り払いは行っていないなあという返事であった。ガイドブックには、山頂は藪に被われているように書かれているが、なんとか登れそうであった。
 ひと登りするとすぐに下りになった。この付近は、ごつごつした岩場が並んで、鬼ヶ城と呼ばれているようであった。鞍部の池をまわりこむと、焼山を巻きながら登っていく道になった。右手のすり鉢の底には、火山の成分で緑色を帯びた池が広がり、噴気の音が谷間に響いていた。
 見返峠は、ベンチが置かれて、休憩地になっていた。焼山山頂に向かっては、ガレ場の中に踏み跡が続いていた。ひと登りして山頂台地に上がると、笹藪が広がっていた。見ると、刈り払いと笹を踏んで出来た道が続いていた。刈り払いが荒くて歩き難かったが、辿るのは用意であった。笹原の中に、三角点の回りが刈り払われた小さな広場があった。一般に、三角点にこだわらなければ、ガレ場の上部を焼山の山頂と見なしてもかまわないかもしれない。
 ガスで展望が閉ざされていたが、活火山の雰囲気は充分味わうことができた。引き返す途中、毛せん峠から栂森の展望台に登ってみたが、当然といって良いが、なにも見えなかった。温泉を楽しみに、下山の足を速めた。
 御所掛温泉の日帰り入浴は、湯治部で受け付けており、そこの大浴場に入ることになる。山小屋風の造りの浴場には、通常の浴槽の他に、蒸し風呂や打たせ湯といった何種類もの温泉が設けられていた。いかにも湯治といった感じで温泉につかることができた。
 車に戻って、車のテレビでニュースを見ると、関西方面は台風で大騒ぎになっていた。土曜日は東北地方を通過するため、どこかで台風をやり過ごす必要があった。とにかく山を下ることにした。昼になって、雨が降り出した。西根町の道の駅で、様子見をしながら山行計画を考え直した。近くに登山に要する時間が1時間もかからない安家森があるので、朝方にこれに登って、後は新潟に向かって戻ることにした。林道の奧の登山口に入り込んで閉じこめられるのは困るし、高速道の閉鎖や一般道の不通といった非常事態も考えておく必要がある。様子見をしていた関係で、安家森登山口の袖山高原には暗くなってからの到着になった。トイレを備えた駐車場が設けられていた。
 雨は降らないものの、夜中から風が強くなってきた。テレビを付けてみると、放送時間が終わってからも、台風情報を流し続けていた。落ち着かない夜を過ごし、夜明けとともに歩き出すため、暗い中起きて準備をした。
 牧場に通じる作業道の入り口に、遠別岳と安家森登山口の標識が立てられていた。緩やかに下っていくと、有刺鉄線の張られた牧場の柵につきあたり、扉を開けて通過した。牧草地がなだらかに広がる先に、安家森がこんもりとしたおにぎり型の山頂を見せていた。草地の中に続く踏み跡を辿って、安家森をめざした。
 安家森の取り付きはガレ場で、踏み跡が入り乱れてルートが判りにくくなっていた。上部で、ケルンに引かれて進んだところ、道が無くなってしまった。少し手前から笹原の中に登山道が続いていた。ハイカーが、ケルンの意味も考えずに、石を積み上げたもののようである。登山道は笹が被り気味であった。遠目では、ひと登りと思ったのだが、意外に登りが続いた。
 安家森の山頂は、一等三角点が埋められた小広場になっていた。周囲の山には黒雲がかかっていた。風も出てきており、天気が崩れるのも間近のようであった。遠別岳は割愛して、車に戻ることにした。
 滝沢ICから東北道に乗る頃には、雨が降り始めた。激しい雨の中を運転しているうちに、登山の意欲もなくなってきて、このまま家に戻ることにした。夕方には新潟に到着した。翌朝は晴れ間が広がり、もう少し粘れば良かったかなと後悔することになった。

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