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飯豊本山、北股岳


【日時】 2003年7月19日(土)〜21日(月) 前夜発2泊3日(テント泊)
【メンバー】 合計8名
【天候】 19日:曇り時々雨 20日:曇り時々雨 21日:雨

【山域】 飯豊連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 地蔵岳・じぞうだけ・1538.9m・三等三角点・山形県
 飯豊本山・いいでほんざん・2105.1m・一等三角点本点・福島県
 御西岳・おにしだけ・2012.5m・三等三角点・福島県、山形県
 烏帽子岳・えぼしだけ・2017.8m・三等三角点・新潟県、山形県 
 梅花皮岳・かいらぎだけ・2000m・なし・新潟県、山形県
 北股岳・きたまただけ・2024.9m・三等三角点・新潟県、山形県 
 門内岳・もんないだけ・1887m・なし・新潟県、山形県
【コース】 登り:大日杉 下山:梶川尾根
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/飯豊山、玉庭、大日岳/岩倉、飯豊山、大日岳、長者原
【ガイド】 飯豊・朝日連峰を歩く(山と渓谷社)、山と高原地図「飯豊山」(昭文社)
【温泉】 梅花皮荘 500円

【時間記録】
7月18日(金) 18:30 新潟発=(R.7、新発田、三日市、R.290、大島、R.113、玉川 経由)=21:30 飯豊山荘  (車中泊)
7月19日(土) 2:00 飯豊山荘発=(玉川、R.113、手ノ子、白川ダム 経由)=4:00 大日杉〜4:25 発―4:51 ざんげ坂上―5:18 長助清水〜5:28 発―5:36 御田―6:49 だまし地蔵(鍋越山分岐)―7:27 地蔵岳〜7:47 発―8:40 目洗清水〜8:53 発―9:42 御坪〜9:52 発―10:05 御沢分かれ―11:18 切合  (テント泊)
7月20日(日) 5:20 切合発―5:58 草履塚―7:13 一ノ王子〜7:21 発―7:30 本山小屋―7:48 飯豊本山―9:04 御西岳―9:19 御西小屋〜9:30 発―10:26 天狗の庭―11:22 御手洗の池―12:52 烏帽子岳〜13:00 発―13:22 梅花皮岳―13:42 梅花皮荘  (テント泊)
7月21日(月) 5:50 梅花皮荘発―6:16 北股岳〜6:21 発―7:17 門内岳〜7:22 発―7:49 扇ノ地神〜8:00 発―8:33 梶川峰―9:09 五郎清水〜9:15 発―9:42 滝見場〜9:50 発―10:29 湯沢峰〜10:35 発―11:45 飯豊山荘=(玉川、R.113、手ノ子、白川ダム、大日杉、白川ダム、手ノ子、R.113、大島、R.290、三日市、新発田、R.7 経由)=18:00 新潟着

 飯豊連峰は、新潟、山形、福島の県境部に広がる山塊である。標高は2000mを僅かに越える程度であるが、豪雪地にあって、夏でも豊富に残る残雪と、雪解けを待って次から次に咲く高山植物が、大きな魅力になっている。
 ここのところ、海の日の記念日には、飯豊に行くことにしている。どこの山に行っても大賑わいになるが、それでも飯豊は、避難小屋こそ収容しきれずに野宿者も出るくらいの混みようにはなるが、テント泊なら、その問題は解決できるし、広大な飯豊の登山道が渋滞するようなことはない。丁度、高山植物が盛りを迎えているのも、登る楽しみになっている。ただ問題は、梅雨明けが間に合うかどうかである。今年は、大日杉から入山し、飯豊本山、北股岳を経由して、飯豊山荘に下山するという、縦走形態の山行を計画した。
 飯豊山荘から大日杉は、車でも2時間ほどかかる。早朝の4時過ぎに歩き出すことを考え、2時に飯豊山荘前に集合という計画を立てた。真夜中の行動開始は辛いが、太陽が昇って熱くなる前に、出だしの急登をあらかた終えておくのが、飯豊に登る際のこつである。
 少しでも寝ておこうと、前の晩の早めに飯豊山荘の駐車場に入った。他のメンバーも到着したようであったが、ビールを飲んでひっくりかえっていたため、そのまま車の中で寝ていた。天気予報はぱっとしないものであったが、三連休とあって、他にも多くの登山者が到着していた。
 2時に暗い中集合し、三台の車に分乗して大日杉に向かった。手ノ子から白川ダムを通過していく道は、車でも長い道のりであった。大日杉には、予定通り、薄明るくなった4時過ぎに到着した。朝食を軽くとり、共同荷物を分配して歩く準備を整えた。食事にはあまり軽量化を考えなかったため、皆には重い荷物を分担してもらった。
 改築された大日杉の小屋は、橋を渡った左手に移っていた。小屋の前には、起き出した登山者が出て空を見上げていた。我々が一番の出発のようであった。古い小屋の跡地を右に横切ると、沢沿いに地蔵岳へのコースが始まっている。歩き始めは、重いザックにも体が慣れておらず、つらい登りになった。岩場に鎖が下がった急斜面が現れ、これを登り切ると尾根の上に出た。ここには「ざんげ坂」という標識が置かれていた。どうせなら、坂の下に置いてあると、それなりに覚悟をするものなのだが。
 その先は、傾斜も少し緩んで、ゆっくりペースながら、着実な歩みになった。長助清水、杉の大木のある御田を通過し、ブナ林に囲まれた登山道を登っていくと、次第に木立の丈も低くなってきた。
 2時間半ほどで、だまし地蔵とも呼ばれる鍋越山分岐の小ピークに到着した。このコース一番の登り区間は終わったことになる。他のコースと比べても大日杉コースは、登山道の状態も良く登りやすいコースといえる。鍋越山への登山道は、現在では廃道扱いになっているが、のぞいてみるとやはり笹に被われていた。残雪期にでも、鍋越山まで往復してみようか。このあたりから、軽装の登山者には追い抜かれるようになった。
 登山道沿いにミヤマクルマバナやセンジュガンピの花も現れて、花の山旅の期待も高まった。だまし地蔵からは、もうひと頑張りの登りで地蔵岳に到着した。標識のある広場から切合へは、左に下りるように道が続いており、直進すると、すぐ先に地蔵岳の由来と思われる南無地蔵菩薩と彫られた石碑が立てられ、その先の高まりに三角点が埋められていた。
 地蔵岳からは、一旦下りになり、せっかく登ったのにと恨めしげな声もでた。地蔵岳の北斜面の窪地は残雪に覆われており、季節を遡ったような感じがした。緩やかにアップダウンする道が続いた。小雨が降り始め、始めはザックカバーだけで様子を見ていたが、結局上下の雨具を着込むことになった。次の目標地点の目洗清水は、登山道脇の斜面を下ることになるが、まだ残雪の下であった。残雪の脇の草付きには、シラネアオイが清楚な花を咲かせていた。
 大日岳コースの魅力の一つは、飯豊本山の眺めである。雨のために展望は諦めていたのだが、山腹の雲が薄れてきた。谷には残雪の筋が引かれていた。ダケカンバの木立に囲まれた広場に出てひと休みした。すぐ先に祠があったので、そこが御坪と呼ばれる地点であるが、休むには、この広場が適している。タカネマツムシソウが咲いているのには、夏もようやく始まったところであるので、驚かされた。コキンレイカやヒメサユリ、ニッコウキスゲ、クルマユリ、ハナニガナもここまでの登山道沿いに現れて、目を楽しませてくれた。
 御坪を通過して稜線歩きを続けていくと、前方に種蒔山が迫ってきた。稜線を右に外すと、残雪に埋もれた沢に下り立った。ここは、夏には水場になって、長い登りも残り僅かになってほっとする所である。ここの雪渓は傾斜も無く、横断するには問題はなかった。トラバース道を行くと、再び雪渓の横断が現れた。今度は傾斜もあって、滑落の危険性があった。幸い、雪渓の上端の角を渡って、横断することができた。
これで難所も通過したかと思ったが、再び雪渓の横断が現れた。ここは、幅は短いものの、傾斜がきつく、つぼ足で横断しようとすれば、途中で足が出なくなるか、滑落の危険性が高かった。この三本目の雪渓を横断するには、アイゼンが必要である。1999年7月18日に切合から大日杉に下山しようとした時に、この急斜面の雪渓が危ないと思って、大段山経由で下山したことがあるので、ここの危険性は予想していた。大日杉から登ることにした時、すぐに頭に浮かんだのは、この雪渓の通過であったが、皆にはアイゼンを携行するようにとは、指示していなかった。草付きを高巻きするか、上に向かって三国岳からの登山道に出れば良いだろうと考えていた。見ると、雪渓脇の草付きには足跡が残っていた。ひと登りすると傾斜も緩み雪渓に下りることができた。反対側に渡って夏道に下降しようかと思ったが、歩き易そうな雪渓が上に向かって続いていたので、そのまま登り続けた。予想通りに、僅かな登りで、三国岳からの登山道に出ることができた。種蒔山の山頂を通り過ぎ、切合に向かって下り始める地点であった。ここで、以前ビールを冷やすための雪を取った覚えがある。
 難所も通過してほっと一安心し、登山道を下っていくと、切合に到着した。ここで昼食を取り、休んだ後にもうひと頑張りして一ノ王子のテン場まで進む予定であったが、迷うことになった。小雨が降り、飯豊の山頂部は、荒れ模様であった。切合のテン場の方が、トイレも水場も整っているし、標高が低いぶん悪天候の影響は小さいはずであった。二日目は梅花皮山荘泊まりの予定であったが、切合から歩き初めても時間的には充分であった。時間は早かったが、切合で泊まることにした。
 一昨年は満杯状態であった切合のテン場は、一張りのテントがあるだけであった。今回は、三張りのテントを持ち込んでいたが、余裕を持って張ることができた。テントを張り終えたところで、昼食を取り、寝ないで行動していたため、昼寝タイムになった。午後になると、他のテントも並ぶようになった。テントを打つ雨音を気にしながら、眠りに入り込んでいった。
 夕方も近づいて、そろそろ夕食の準備かなと思っていると、テントの外で、大日岳が見えるという声がした。外に出てみると、ガスが上がって、御西岳から大日岳にかけての稜線が姿を見せていた。皆に外に出るよう声を掛けて、カメラを取り出して山の写真をとった。雨も上がっていたため、カメラを持って、花を見に散歩に出かけることにした。草履塚方向への幅広の稜線を歩いていくと、ヨツバシオガマやタカネマツムシソウのお花畑が広がり、今日一日の展望を埋め合わせるかのように、大日岳の山頂もはっきりと姿を現した。先に進むときりがないので、草履塚への登りにかかるところで引き返した。
 テン場に戻り、夕食の準備をした。第一日目の夕食のメニューは、レタスとミョウガのサラダに、回鍋肉、ドライカレーであった。満腹となって、翌日の準備に水汲みにいったついでに小屋をのぞくと、ほぼ満員の状態であった。ゆっくりと休めるテント泊に感謝して、7時には眠りについた。
 二日目の朝は、ガスが流れて、展望は閉ざされていた。雨が降らないだけよしとすることにした。草履塚への登りの途中の雪渓は、例年よりも多いようであった。チングルマやハクサンコザクラのお花畑を期待していたのだが、アオノツガザクラやショウジョウバカマが目立つ程で花はまだのようであった。
 草履塚からの飯豊本山の眺めはお気に入りなのだが、今回は見ることはできなかった。草履塚から下った鞍部の姥権現にお参りしてから御秘所の岩場に取りかかった。そう難しい岩場ではないが、霧で濡れた岩場は、慎重に通過する必要がある。飯豊本山に向かっての登りはいつも辛く感じられるが、初日にゆっくり休んだおかげで歩き続けることができた。昨日、一ノ王子のテン場まで進もうとすれば、かなり辛い思いをしたと思われる。テント泊の場合は、切合まで登るのが、無理のないところであろうか。
 ガレの斜面を登り詰めると一ノ王子のテン場に到着した。本山小屋までは、もうひと登りであった。飯豊山神社にお参りしようと石垣の中をのぞくと、驚いたことにふた張りのテントが張りっぱなしにしてあった。入り口の鳥居にはテントの張り綱が結ばれていた。他人がお参りする神社の前にテントを張りっぱなしにどうかと思うのだが。夜中に気象条件が厳しければ、避難するのはやむを得ないが、朝になったら撤収するべきである。飯豊山神社の前で記念写真を撮りたい人もいるだろうに、雰囲気は損なわれていた。
 稜線歩きをしばらく続けると、飯豊本山の山頂に到着した。一同、記念写真にしばらく余念がなかった。ガスが流れて、大日岳や大ぐら尾根の宝珠山の眺めが得られなかったのは残念であった。飯豊本山は、7回目の登頂となり、日本百名山の中ではもっとも回数の多い山になっている。そのうち、飯豊本山の山頂からのさえぎるもののない展望が広がっていたのは、1回にすぎない。また来る山頂であるので、次回を期待することにしよう。
 飯豊本山から御西に向かって下り始めるとすぐに、大ぐら尾根への登山道が分かれる。ここには標識が無いので、迷い込まないように注意が必要である。先回も、御西への登山道はこっちと先導したことがある。ヒナウスユキソウやオヤマノエンドウが、ガレ場の斜面に咲いていた。雨が激しく降り出した。御西岳への稜線は、ニッコウキスゲの大群落が広がっていたが、雨のためにカメラを出す余裕が無かった。見晴らしも利かないために、御西岳への道は長く感じられた。登山道は、水溜まりに変わっていた。
 見覚えのある踏み跡を見つけて右手の高まりに登ると、御西岳の三角点に出た。すぐそばを通過しながら、訪れる者はまれな山頂である。そこからは、そう遠くない距離で御西小屋に到着した。幸い雨も上がって、小屋の外でひと休みすることができた。小屋脇の斜面には、ニヤマキンポウゲの大群落が広がっていた。
 今回のメンバーにとって、ここから梅花皮小屋までの区間は初めての歩きである。ここからは、雪渓の上を歩く所が随所に現れてきた。1998年7月19日にもこのコースを歩いているのだが、その時は、雪渓は登山道の下部まで後退していたが、今回は登山道の上にまで広がっていた。雪渓の縁を辿り、草付きに下りるということを繰り返した。雪渓の端は、氷化しているため、足を乗せるのに注意が必要であった。ピッケル・アイゼンは必要としない程度であったが、足下には注意する必要があった。
 登山道脇には、花が次から次に現れて、展望は利かない代わりに目を楽しませてくれた。天狗岳付近は、稜線通しに新しい登山道が切り開かれているが、切り株が出ているので足下に注意が必要であった。以前にトラバースで滑落事故があったはずで、安全に通過できることは、歩き難くともありがたい。天狗の庭を過ぎ、長く感じられる稜線歩きを続けると御手洗の池に到着した。池の畔にはシラネアオイの花がいくつもの花を咲かせていた。雪解けの後の草付きにはハクサンコザクラの花が咲いていた。ハクサンコザクラは、ピンクの色というイメージがあるのだが、ここでは色が濃く青紫の花が咲いていた。花を眺めながら歩いていくうちに、白い花が咲いているのが目に入った。ヒナザクラかと思ったが、飯豊には無いはずであった。隣には、青紫のハクサンコザクラが咲いており、白花の変種であることに気が付いた。カメラを構えて写真を撮っていると、前方から登山者が歩いてきた。見ると登山道脇の草地にストックを刺しながら歩いており、白花のハクサンコザクラもへし折られそうな気配であった。泡食って、「ストックを上げて」と声をかけたが、続けての三人に同じことを繰り返すはめになった。なんとか無事に写真を撮り終えたが、丁度登山道のカーブ地点にあり、そのうち誰かに折られてしまう運命かもしれない。
 この区間の難所は、烏帽子岳への登りである。登りにかかる所で、ガスの切れ間から山頂部が姿を現した。山頂直下は、ニッコウキスゲで黄色に染まっているのが見えた。頑張って足を運ぶ必要のある登りが続いた。ニッコウキスゲのお花畑に出ると、写真撮影で足が止まった。登っている途中で思い出したが、山頂に見えているのは、烏帽子岳の山頂ではなく、一旦登ってからさらに先のはずであった。急登が終わったところで、ひとまずひと息ついた。幸いその先は、緩やかなトラバース道が続いた。シナノキンバイが咲いており、大型の黄色い花がガスの流れるなかで目立っていた。
 烏帽子岳の山頂に登りつけば、梅花皮山荘のテン場まではあと僅かであった。不思議であったのは、烏帽子岳への登りの途中で御西岳へ向かうグループに出会ったことである。時間的に到着はかなり遅くなるのではないだろうか。
 梅花皮岳を通過して下りにかかると、梅花皮小屋がガスの切れ間から一瞬姿を現した。足早に下っていくと、梅花皮小屋に到着し、一日の歩きも終わりになった。ガスのために展望が利かなかったため、長く感じる歩きであった。
 梅花皮小屋のテン場は、スパースはあまりないので心配していたが、天気が悪いせいもあり、三張りがあるだけであった。北股岳への登りにかかるところにスペースを見つけてテントを張った。
 落ち着いたところで宴会を始めたおかげで、夕食の時は、800円でもう一本ビールを買うことになった。飯豊のビールの値段の高いのは、北アルプス方面とは、入山者の数の規模が違うためである。夕食は、夏の定番メニューともいえる五目寿司にした。
 早々と寝たが、夜に入って雨が降り始めた。夜中に人声で目が覚めた。「おーい聞こえるか」、「明かりが見えるか」、「下りていくから待っていろ」というような声が聞こえた。夢うつつで聞いていたが、気になって外に出て見ると、二人ほどのヘッドランプの明かりが、小屋の外に見えるだけで、静かになっていた。時計を見ると11時で、この真夜中に石転び雪渓で遭難騒ぎが起きるはずもないと思ったのだが、後日、井上さんが立ち上げている飯豊のHPを見ると、信じられないことだが、遭難事故は実際にあったようである。
 翌朝は、雨であった。雨足の様子を見てテントの撤収を行った。朝一番の仕事は、北股岳への登りになった。不思議なことに、本降りの雨であったが、展望は開けていた。シロウマアサツキやニッコウキスゲの花が咲いていたが、落ち着いて写真を撮る余裕は無かった。
 丸森尾根からの下山も考えていたのだが、本降りの雨にいやけがさして、早く稜線から離れて下山に移ることにして、梶川尾根に進んだ。梶川峰を過ぎると、急斜面の下りになる。昨年の秋に通った時には、登山道が2m以上も溝状に掘られて、転落しないように注意が必要であったが、今回は、笹藪の中に新しい道が切り開かれていた。ただ、虫が寄ってきてまとわりつくので、足下の注意がおろそかになりやすかった。五郎清水を通過し、さらに忍耐の下りが続いた。滝見場に到着して、少し先の展望台に進んで見ると、石転び雪渓の展望が広がっていた。小屋に到着を出発する時、10人近くのグループが石転び雪渓を下っていくところで驚かされたが、無事に下ることができただろうか。湯沢峰へ登り返すと、この先は最後の下りに力を振り絞ることになった。雨で滑りやすくなった岩場を通過すると、僅かな歩きで梶川コースの登山口に下り立った。
 登山道脇の沢で、泥だらけになった登山靴や雨具を洗った。梅花皮荘に移動して温泉に入り三日間の汗を流した。大日杉へ車の回収に向かう三人をえび太に送ってもらい、他の人とはお別れになった。
 雨に祟られた飯豊山行であったが、花に恵まれ、要所では展望が開けて楽しむことができた。

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