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高畠駒ヶ岳から豪士山、龍ヶ岳


【日時】 2003年6月21日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 置賜東部
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 駒ヶ岳・こまがたけ・1067m・なし・山形県
 豪士山・ごうしやま・1022.4m・二等三角点・福島県
【コース】 砂川登山口より
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/米沢、関/糠野目、稲子
【ガイド】 駒ヶ岳:新ハイキング02年/9月号 豪士山:分県登山ガイド「山形県の山」(山と渓谷社)、山形百山(無明舎)

【山域】 置賜東部
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 龍ヶ岳・こまがたけ・994.2m・二等三角点・山形県、福島県、宮城県
【コース】 鳩峰峠より
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/関/稲子
【ガイド】 分県登山ガイド「宮城県の山」(山と渓谷社)、山形百山(無明舎)
【温泉】 温もりの湯 200円

【時間記録】
6月20日(金) 20:30 新潟発=(R.7、新発田、R.290、大島、R.113、高畠 経由)=23:50 上和田  (車中泊)
6月21日(土) 6:21 豪士山登山口―6:33 本沢分岐―6:39 西信濃沢登山口―6:58 二俣の尾根取り付き―7:28 尾根分岐―7:55 969mピーク―8:33 駒ヶ岳〜8:43 発―9:00 高畠町最高峰―9:53 ひかば越え―10:25 豪士山〜10:52 発―11:07 豪士峠―11:21 水場―11:56 岩稜―12:12 豪士山登山口=(ブドウマツタケライン、R.399 経由)=13:15 鳩峰峠〜13:39 発―14:13 龍ヶ岳―14:42 鳩峰峠=(R.399、川西、R.113、大島、R.290、新発田、R.7 経由)=20:10 新潟着

 豪士山は、奥羽山脈南部の、山形と福島の県境に位置する山である。豪士山の北にある豪士峠は、かつて山形県高畠町と福島県福島市茂庭を結ぶ板谷街道に対する裏街道として利用されていたという。豪士山の登山道は山形側から整備されており、山形県の山というイメージが強いが、三角点は、福島県側に置かれている。
 駒ヶ岳は、豪士山の南に位置する山で、最近まで登山道はなかったが、豪士山の会によって、登山道が整備され、豪士山と結んで歩くことができるようになった。
 木曜日から金曜日にかけて、台風が九州に上陸し、日本海を北上しながら熱帯低気圧に変わった。週末の天気予報は、晴れ間ものぞく登山日和がめぐってきそうであった。残雪と花の朝日連峰の日帰り山行をメインに出かけることにした。金曜日の夕方は、新潟でも強い風が吹いていたが、夜になって山に向かう途中の小国を通過する頃には、雨と風が吹き荒れる状態になった。天気の回復は、土曜日は無理そうで、日曜日になりそうであった。朝日連峰の稜線で強風あおられたくはないため、二日目の山として考えていた駒ヶ岳から豪士山へと計画を変更することにした。
 赤湯から南陽に出て、県道1号線の馬頭の交差点から上和田をめざすと、そのまま本宮川沿いの林道に走り込むことができた。未舗装の道に変わり、暗い中での走行は危険と思い、路肩の広場に車を停めて寝た。
 雲が厚く、風が残る朝になった。車を走らせると、左手に林道が分かれ、中ノ沢登山道の標識が置かれていた。その先で元宮キャンプ場に到着すると、右手の河原に、駒ヶ岳周辺案内図の看板が置かれていた。この登山標識のことは、インターネットの情報から知っておりプリントアウトを持ってきていたが、改めてコースや所用時間について目を通した。
 キャンプ場のすぐ先で、豪士山の登山口に到着した。車数台の広場になって登山標識もあり、先がコンクリート橋で路面が舗装状態に変わるのでよい目印になる。欲をいえば、キャンプ場にあった案内図は、もっとも登山者の多いこの豪士山登山口にも立てておいた方が良かったと思う。
 周遊コースで歩くつもりであったが、どちら回りにするか考える必要があった。登山者は、豪士山の方が多いようなので、先に駒ヶ岳に登って、良く歩かれている道を下山に使うことにした。まずは、湯を沸かして、朝食を取った。
 林道を歩き出すと、谷も広がり、左手に大きな砂防ダムが現れた。林道が左右に分かれる所に、二つ目の駒ヶ岳登山標識が置かれていた。幅広の本沢沿いの林道から分かれて、右側の信濃沢沿いの林道に進んだ。林道の上の草も目立つようになり、じきに林道の終点になった。林道の終点は広場になっており、西信濃沢登山口の標識が置かれていた。駒ヶ岳だけをめざすならば、無理してここまで車を乗り入れるのではなく、本沢分岐から歩き始めた方が良さそうであった。
 ここからの山道は、道型ははっきりしているものの、夏草が茂っており、この先の状態が少し心配になった。沢を飛び石伝いに右岸に渡ると、トラバース気味の道が続いた。周辺は杉の植林地で、この道も作業道を利用したもののようであった。沢の二俣に出て、中尾根をかすめて右手の沢を渡ると、信濃沢登山口の標識が現れた。
 尾根上に向かって、ジグザグの登りが始まった。登山道も、ここまでよりは、しっかりしたものに変わった。周辺は鬱蒼としたブナ林が広がり、山の深さを感じた。地形も複雑でコースも頻繁に向きを変えたが、ピンクのビニールテープの列が続いており、登山道を辿るのには問題は無かった。
 ひと汗かいて尾根の上に出ると、ここには「尾根分岐」と書かれた標識が置かれていた。ここからは、尾根沿いの登りになった。次の標識が置かれた969mピークで、コースは東に向きを変えた。登山道周辺も灌木帯となり、短いが岩稜帯も現れた。晴れていれば、展望が広がるところなのだろうが、ガスがかかり、相変わらず強い風が吹いていた。小ピークをひとつ越し、標高差120mの緩やかな登りを終えると駒ヶ岳の山頂に到着した。
 駒ヶ岳の山頂は、刈り払われた小広場になっていた。ガスに覆われて視界は閉ざされていたが、木立に囲まれて、展望は無さそうな山頂であった。登ってみて、特徴のある山頂では無かった。とはいえ、全国にいくつもある駒ヶ岳のうち、登山道が無くて登ることの難しかった山に登頂できた喜びは大きかった。
 多くの登山者は駒ヶ岳から引き返してしまうのか、豪士山へ向かう登山道は、ここまでと比べると少し荒れた感じになった。稜線伝いの道を行き、僅かに登り返すと、三等三角点の置かれた小ピークに出て、ここには高畠町最高峰の標識が置かれた。この先は山形と福島の県境稜線沿いの歩きになった。
 昼になればガスも切れるだろうと期待していたが、ようやく展望が開けてきた。振り返ると、駒ヶ岳がドーム状の山頂を見せていた。この先、豪士山を経て下山するまで、駒ヶ岳の山頂は、本沢越しに見え続けていた。駒ヶ岳は回りから眺めてこそ存在感のある山のようであった。豪士山の山頂をうかがうと、まだかなり先のようであった。ブナ林の中を辿っていく登山道がしばらく続いた。
 尾根を左にはずして下っていくと、鞍部に広がる草原に出た。ここまでは、木立の中で見晴らしの無し道が長く続いたので、よけいに開放的な気分にひたることができた。草原を進んでいくと、ひかば越えの標識が立てられていた。本沢沿いの登山道が上がってきているはずであったが、延びた夏草に覆われていた。
 ひかば越えからは、急な登りが始まった。登山道は夏草に覆われて、足元が見づらい状態になっていた。全コース中で、ここが一番草に覆われてはっきりしない所なのだが、豪士山から下ってくると、歩き始めで登山道の状態が悪いということから引き返してしまう登山者もいるかもしれない。登山道に倒れかかっているアザミの葉につっつかれて、何回か痛い思いをした。
 豪士山の山頂の南の肩に上がると、駒ヶ岳方面の展望が広がった。今しがた歩いてきた縦走路を振り返るのは、登山の醍醐味の一つである。この先は、台地上の歩きがしばらく続いた。東に方向を変えて軽く登ると、豪士山の山頂に到着した。
 豪士山の山頂は大きな広場になって、豪士峠への下り口近くに三角点が置かれていた。振り返ると、駒ヶ岳が山頂を見せていた。豪士山まで登ってきたなら、駒ヶ岳にも登ってみたいと思うのが自然な眺めであった。風はまだやまず寒いため、山頂広場から登山道を少し下ったところで腰を下ろした。昼食にもほどよい時間になっていた。この先は、登山者も多い道ということでひと安心し、ビールを開けて、喉の渇きをいやすことにした。
 豪士山から急坂を少し下ると、トラバース道に変わり、ほどなく豪士峠に到着した。峠は三叉路となり、右手に中ノ沢峠への道が分かれていた。登山標識が立っているものの、古い峠道を偲ばせる石仏や石碑のようなものが無いのが少し残念であった。
 峠からは、一気に高度を下げていくつづら折りの道が続いた。水場になった沢の源頭に下り立つと、単独行の登山者と出会った。結局、今回のコースで出会った唯一の登山者になった。谷間に下ってしまったが、この先は、緩やかなトラバ−スを続けていき、尾根に戻った。このようなコースとりは、普通の登山道ではお目にかかれないもので、古い峠道ならではのものと思った。
 緩急を交えながら尾根を下っていくと、岩稜に出た。幅もあって危険は無く、周囲の展望を楽しむことができた。駒ヶ岳の眺めに別れを告げて、最後の下りに専念した。杉林に出て花ノ沢を飛び石伝いに渡ると、その先が車を置いた豪士山登山口であった。
 駒ヶ岳から豪士山への周遊は、一日を使っての登山となって、変化に富んだ山歩きを楽しむことができる。蔵王連峰と吾妻連峰に挟まれたこの一帯は、一般登山の空白地帯となっていることから、このコースはもっと注目されても良いと思われる。
 時間も早いことから、次の山を考えた。山形百山を見ていくと、龍ヶ岳という名前が目にとまった。この山は、山形・宮城・福島の三県境に位置し、国道399号線の通過している鳩峰峠からは、1時間もかからずに登ることができるようであった。今回は持ってこなかったが、分県登山ガイド「宮城県の山」に載っていたはずであった。龍ヶ岳に登ることにして、鳩峰峠を目指した。
 鳩峰峠への国道399号線脇には、県境で工事のため通行止めとの看板が立てられていた。県境の鳩峰峠が目的地のため、通行止めは関係ないということで先に進んだ。国道399号線は、大型車は通行できない国道であり、峠が近づくにつれてカーブが連続した。
 鳩峰峠は、東側には牧場が広がり、標高790mで、高原の気分が漂っていた。駐車スペースから一段高いところに、童話作家浜田広介の石碑があり、「むくどりの 夢のかあさん 白い鳥 さめて見る かれ葉の上の 白い雲  古希ひろすけ」と彫り込まれていた。龍ヶ岳を眺めると、山頂に向かって牧草地が広がっていた。
 まずは、車の中で地図を印刷し、GPSにルートのデーターをダウンロードした。今回は、計画の変更の可能性が高いと思って、ノートパソコンとプリンターを車に積んできていた。
 まずは、山頂方向に延びる牧場の作業道を歩き出した。ひと登りして牧草地が尽きると、作業道は終わったが、笹原に踏み跡が続いているのを見つけることができた。笹はひざ下で、歩く支障は無かったものの、踏み跡を見失わないように注意が必要であった。地図には、大きく迂回するような山道が記載されているが、実際には、尾根通しに踏み跡が続いていた。
 急斜面を登り詰めると、952m標高点で、下から見て山頂と思っていたのは、このピークであった。その先で草原に出て、龍ヶ岳の山頂が前方に姿を現した。草原の先からは灌木帯を斜めに登っていくような道になった。三県境のある小ピークに登り、稜線伝いに龍ヶ岳の山頂をめざした。三県境は、踏み跡から僅かに外れており、藪の中にあるようであった。
 藪も濃くなり、手で藪を掻き分けては、足元の踏み跡を確認する必要が出てきた。一般登山道としてのレベルからは、外れかかっているような感じがした。藪の間からは、蔵王連峰方面の眺めが開けていた。
 龍ヶ岳の山頂は狭い切り開きになっており、二等三角点が頭を出していた。先ほど登ってきた駒ヶ岳や豪士山も眺めることができた。短時間で登れる山としては、高度感のある眺めであった。
 下りは、踏み跡を外さないように注意が必要であったが、たいした時間もからずに峠に戻ることができた。
 鳩峰峠には、バイクが何台も上がってきており、福島方面に抜けていく車もいた。結局、工事は行っていないようであった。
 峠から下ると、車のブレーキ系統の騒音が激しくなった。翌日の山よりも、車の修理を考える必要が出てきて、家に戻ることにした。林道の奧で車が故障しては大変だし、ブレーキが利かなくなったらそれこそ大事である。10年近く愛用した車であるが、そろそろ買い換えも考える必要がありそうである。
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