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権ノ神岳、粟ヶ岳


【日時】 2003年5月17日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 川内山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 権ノ神岳・ごんのかみだけ・1124.2m・三等三角点・新潟県
 粟ヶ岳・あわがたけ・1292.7m・二等三角点・新潟県
【コース】 登り:新ヶ沢コース 下り:中央コース
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/加茂/粟ヶ岳
【ガイド】 なし
【温泉】 七谷コミュニティーセンター 100円(石鹸無し、沸かし湯)

【時間記録】 5:30 新潟発=(R.49、亀田、R.403、加茂、黒水、R.290 経由)=6:30 新ヶ沢橋〜7:03 発―7:14 林道―7:16 堰堤―7:23 林道―7:27 朴ノ木清水―7:35 林道終点―7:44 新ヶ沢石切の神様(二合目)―8:02 猿倉沢展望台(三合目)―8:28 猿倉沢越口(四合目)―8:33 鍬合小屋(四合目)―8:45 橋立(五合目)―9:04 力ブナ(六合目)―9:22 大シデ(七合目)―9:34 坂ノ下(八合目)―9:51 坂ノ上(九合目)―10:12 権ノ神岳〜10:31 発―10:39 シバクラのクボネ―10:57 七頭―11:29 北峰分岐―11:42 粟ヶ岳〜12:30 発―12:47 北峰分岐―13:11 粟ヶ岳ヒュッテ〜13:16 発―13:22 水場入口―13:30 粟庭ノ頭(六合目)―13:48 鳥越―13:55 大栃平―14:14 三合目分岐―14:42 第二貯水池―14:55 新ヶ沢橋=(往路を戻る)=17:00 新潟着

 白山に対する宝蔵山のように、粟ヶ岳には権ノ神岳が寄り添っている。権ノ神岳へは、白山に至る縦走路と大俣川上流部から七頭に至る七頭登山道が開かれている。粟ヶ岳へのメインの登山口となっている加茂水源地から、新ヶ沢沿いに登った後に小乙からの登山道に合わさり、橋立から縦走路を経て権ノ神岳へ至るコースが開かれている。このコースをとれば、権ノ神岳と粟ヶ岳を周遊できるが、なぜか、このコースを歩いたという話は聞いたことがない。
 加茂水源地脇に立つ権ノ神岳登山道の標識はなぞであった。人に聞いても、看板は知っていても、歩いたという返事は返ってこない。どのように続いているコースなのかも判らず、自分で歩いてみるしかない、ということで出かけた。
 加茂水源地の駐車場を過ぎて、舗装道路がダートに変わる手前に、権ノ神岳登山道の、頂上まで6000m、3.5時間と書かれた標識が立てられている。すぐ先の新ヶ沢橋の手前に空き地があり、車を停めることができた。登山道の入り口をのぞくと、歩くぶんには心配のないようなしっかりした道が切り開かれていた。朝食をとっている間にも、登山者を乗せた車が何台も通過していった。
 登山道は、沢の右岸からはじまるが、直に飛び石伝いに左岸に移った。再び沢の徒渉となり、ここには木橋がかかっていた。橋の表面が濡れて滑りやすくなっており、しかも傾いていたため、沢をまたいで、対岸に這い上がった。背丈に満たない高さであるが、転げ落ちると怪我をしかねない。この徒渉で、二俣の中央部に出たようであった。少し先で、右手から登ってきた、砂利が敷かれた幅広の林道に飛び出した。下山時に確かめると、新ヶ沢橋を渡った少し先に林道の入り口があり、進入禁止のU字パイプがはめ込まれた。林道を歩いていき、右手の沢に堰堤が現れると、林道は左に大きくカーブを描いてそれていった。直進して杉林の中を進んでいくと、伐採地に出て道が判りにくくなった。右上をめざして登っていくと、左手から上がってきた林道に再び合わさった。
 林道歩きを続けるていくと、伐採地の広がるカール状の谷間に出た。林道右脇に新ヶ沢の名水・朴ノ木清水という水場が設けられており、ひと休みした。登山道の入り口がどこかが判らなかったのであたりを見回すと、伐採地上部のブナの木に登山標識が掲げられているのが目に入ったので、林道をその終点まで登り詰めた。
 林道の終点からは、丸太の段々で整備された山道が始まっていた。急坂をひとしきり登り終えると、石の祠の置かれた新ヶ沢石切の神様・三寿様(二合目)に出た。その先で、406点から延びてくる尾根が合わさり、ここからは尾根に沿っての登りの始まりと思ったが、横断してへつり道が続いた。山道は、ほとんど高低差がなく続いたが、足元が傾いているために歩きづらかった。このような道の付け方は、炭焼きや山菜採りの道特有のもので、新ヶ沢石切の神様の祠といい、昔からの山道を整備しなおしたもののようである。
 三合目の猿倉沢展望台から眺める粟ヶ岳や権ノ神岳は、遙か遠くにあって、スピードの上がらない忍耐のへつり道が続いた。道はしっかりしているものの、歩く者が少ないために草がかぶり気味の所もあり、足元には注意する必要があった。急登は現れないままに、最後は稜線に登り着いた。そのすぐ先で、猿倉沢越口という標識が現れ、沢に向かっての下降になった。
 沢で水を飲んで一息つき、対岸に登ると、はっきりした山道に飛び出した。鍬合小屋(四合目)という標識が掲げられ、どうやら小乙からの登山道に飛び出したようであった。この先は、沢沿いに幅広の道が続いた。稜線上に登りついた所は橋立で、小乙からの道の他に、上高柳からの道と縦走路がここで合わさっている。1997年11月8日に宝蔵山へ橋立経由で登ったが、林道を上がったところの上高柳登山口から橋立までは1時間だったので、水源地からの1時間40分はかなり大回りということになる。もっとも水源地からなら周遊で歩けるので、車の回送などの手間を考えれば、水源地からのコースは利用価値は高い。
 橋立からは、稜線沿いの本格的な登りが始まった。少し以前の報告では、この縦走路は藪が濃いようなことが書かれているが、現在では、しっかりと整備された登山道が続いている。力ブナ(六合目)や 大シデ(七合目)と書かれた合目標識も付けられており、歩くペースを掴みやすかった。振り返ると、宝蔵山や白山が次第に遠ざかっていた。坂ノ下(八合目)の標識を過ぎると、急な登りが始まった。傾斜が緩むと坂ノ上(九合目)となり、あと僅かな登りとなった権ノ神岳の山頂が姿を現した。稜線の北側の谷は残雪が広がり、その中に点在する木々の新緑が美しいアクセントを付けていた。稜線沿いの木立は緑が濃く、その中に、白いコブシの花が点々と咲いていた。
 疲れてきた足にもうひと頑張りしてもらうと、ようやく権ノ神岳の山頂に到着した。目の前には、粟ヶ岳の山頂が大きく広がり、谷筋は残雪で白く染まっていた。左手の一本岳は、犬歯のように鋭い山頂を天に向かって突き上げていた。一本岳は、中央登山道の往復だけでは、山頂のすぐ隣のピークであっても見落としやすいが、権ノ神岳からの眺めでは、いやでも目に飛び込んできて、存在をアピールしている。権ノ神岳へは、2001年11月3日に七頭登山道経由で登っているので、これで、粟ヶ岳・白山縦走路はつながったことになる。
 少し奥まったところにある三角点を眺めた後に、粟ヶ岳の山頂を目の前にして腰を下ろした。雪渓で雪崩が起きたのか、雷鳴のような音が数回響いた。粟ヶ岳の山頂へは、鞍部のシバクラのクボネからは、七頭を経て北峰まで、標高差240mの登りが待ちかまえている。最後の登りは辛いが、ここまで来て、粟ヶ岳に登らずに引き返す者もいないであろう。
 休んでいる時に、ズボンの裾が、泥と一緒に血で汚れているのに気が付いた。ヒルにやられたと気が付いて、ズボンや靴下をめくって探したが、ヒルは見あたらなかった。以前、鷲ヶ巣山でヒルに襲われた時は、ズボンや靴下に何匹も取り付いているのを見て恐怖に襲われたのだが、今回は、それとは違っていた。二ヶ所吸い付かれたが、血もすでに止まっており、いまさら気にすることはなかった。小さなヒルで、満腹して自然に落ちていったのだろうか。猿倉沢越口までのヘツリ道の途中の沢が怪しいように思えた。スパッッツも付けずに、無防備にズボンの裾をひらひらとさせて歩いていた方が悪いのかもしれない。
 権ノ神岳からの下降は、急坂である。木立の中の切り通しで危険はないといっても、木の葉で滑りやすいために注意が必要である。鞍部は、シバクラのクボネと呼ばれ、ここには大俣沢から七頭登山道が上がってきているが、沢の中の歩きがあるため、水量の増えた春先は難しいであろう。
 七頭は、幾つかのピークを連ねた岩綾である。登山道の幅しかない所もあるが、灌木が転落防止ネットよろしく張り出しているので、危険といった感じはない。七頭を越して僅かに下った後は、粟ヶ岳の北峰に向かっての急登になる。苦しい登りであるが、一歩ずつ足を前に出しているうちに北峰が近づいてきた。
 北峰で中央登山道に合わさると、後は、残雪に彩られた稜線をのんびりと歩くだけになる。中峰を越してひと登りすれば、粟ヶ岳の山頂に到着した。山頂の広場は、登山者で賑わっていたので、一本岳への尾根に少し進んだところで腰を下ろした。粟ヶ岳の山頂では、ここがお気に入りの休憩場所である。
 春の陽気で霞んでいるとはいえ、五剣谷岳、青里岳、矢筈岳といった川内山塊中心部の山々の眺めが広がっていた。山の緑は濃くなり、谷の残雪も細くなって、5月始めの五剣谷岳山行がずいぶんと前のことのように思われた。以前は、馴染みの薄かった川内山塊であるが、実際に歩いたおかげで、銀次郎岳や銀太郎岳も、それと見分けられるようになり、身近に感じることができるようになった。権ノ神岳は遠ざかり、宝蔵山や白山は、春霞に中にぼやけていた。
 ビールを飲み干し、昼食も食べ終えたので、下山を始めた。一箇所に腰を下ろしているよりは、のんびり歩きながら変わりゆく風景を眺める方が楽しい。北峰からの下りからは、粟ヶ岳ヒュッテを眼下に見下ろす、高度感のある眺めが広がっていた。中央登山道は、もっとも良く利用されているコースではあるが、急坂が続き、下りといっても体力を結構使う。砥沢峰の粟ヶ岳ヒュッテ前から振り返ると、粟ヶ岳の山頂は、空に向かって遠ざかっていた。小屋の中をのぞくと、中は賑わっていた。ここまでの登りで疲れてしまい、「ここで休んでいるので、お前、山頂まで行ってこい」となる者が結構いるようであった。
 先回は、ここから大俣登山道を下ったので、中央登山道は1997年10月18日以来のひさしぶりの歩きになった。登山道は良く整備されており、粟庭の鎖場は、以前からも足場が切られて鎖がかかっていたが、その他にもアルミ梯子が何ヶ所も掛けられていた。最後は、足も草臥れてきて、登山口に下り立つのが待ち遠しい状態になっていた。
 水源地からの権ノ神岳、粟ヶ岳周遊は、中央登山道の往復に飽き足らない者の健脚コースとして、もっと歩く者が多くても良いコースである。上高柳から橋立を経て宝蔵山に至り、白山を往復した後に、尼池山の下から分かれる送電線管理道を通って下山という周回コースは、通常の登山の範囲なので、このコースと合わせれば、粟ヶ岳から白山への縦走路を二回の山行でつなげることができ、その意味でも利用価値は高い。

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