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重倉山、城山、鉢巻山
三田原山


【日時】 2003年5月10日(土)〜11日(日) 前夜発1泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 10日:晴 11日:曇り

【山域】 難波山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
重倉山・しげくらやま・1029m・なし・新潟県
【コース】 重倉林道より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/高田西部/重倉山
【ガイド】 LATERNE vol8

【山域】 難波山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
城山・しろやま・283m・なし・新潟県
【コース】 新潟県営高田発電所より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/高田西部/重倉山、高田西部
【ガイド】 なし

【山域】 難波山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
鉢巻山・はちまきやま・412.5m・三等三角点・新潟県
【コース】 塩荷谷より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/高田西部/高田西部
【ガイド】 なし
【温泉】 友楽里館 420円

【山域】 妙高連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
三田原山・みたはらやま・2330m・なし・新潟県
【コース】 笹ヶ峰より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/妙高山/妙高山
【ガイド】 なし
【温泉】 杉野沢温泉 苗名の湯 450円(タオル付き)

【時間記録】
5月9日(金) 20:00 新潟発=(北陸自動車道、上越IC、R.18、長森、西野谷 経由)=23:00 万内川砂防公園  (車中泊)
5月10日(土) 5:00 万内川砂防公園発=(重倉林道 経由)=5:20 林道入口〜6:08 発―6:38 林道分かれ―7:15 稜線分岐―7:31 922ピーク―8:14 重倉山〜8:42 発―9:11 922ピーク下―9:23 稜線分岐―9:45 林道分かれ―10:03 林道入口=(西野谷、長森、R.18、東乙吉、中田原、灰原十字路 経由)=1150 新潟県営高田発電所〜12:14 発―12:35 導水管上―12:44 城山〜12:50 発―12:54 導水管上〜13:00 発―13:13 新潟県営高田発電所=(灰原十字路、京田 経由)=13:48 塩荷谷―14:13 山道入口―14:55 鉢巻山―15:28 山道入口―15:45 塩荷谷=(京田、中田原、東乙吉、R.18、妙高高原、杉野沢 経由)=19:00 笹ヶ峰  (車中泊)
5月11日(日) 7:05 笹ヶ峰発―9:42 1347ピーク―10:04 三田原山〜10:37 発―10:51 1347ピーク手前―12:05 笹ヶ峰=(杉野沢、妙高高原IC、上信越自動車道、北陸自動車道 経由)=16:00 新潟着

 重倉山は、上越市高田の南西部に広がる難波山塊にあるピークである。2万5千分の1地図の図名にも取り上げられているが、隣の南葉山に比べて知名度は低い。地図には、重倉谷から重倉山の西の肩部を越して桑取川に抜ける破線が記されているが、現在では廃道になっている。
 城山は、高田ICの裏手に位置し、黒田城跡とも呼ばれる山である。発電のための導水管が山頂部から落ち込んでおり、周囲からも目立つ山になっている。
 鉢巻山は、高田西部の丘陵地帯にあるピークである。地図を見ると、この山には四方から破線が通じているが、山頂部は藪で覆われている。
 三田原山は、前山、赤倉山、大倉山、神奈山と並ぶ、妙高山を取り囲む外輪山の一ピークである。妙高国際スキー場のリフトが、上部に延びてアプローチしやすくなったため、山スキーによる登山が盛んである。
 重倉山は、峡彩ランタン会のKさんの誘いで、1999年6月6日に登ろうとしたが、藪が深く、籠町南葉山から青田難波山への縦走に変更してしまったことがある。その後上村さん一行は、残雪期に重倉山に登ったが、私はそのままになっていた。
 ゴールデンウィークの間の晴天で、雪解けも一気に進んだような感じである。残雪山行の時期も過ぎようとしており、この週末を逃せば、重倉山には今年も登れないということになりそうであった。上越方面ともなると高速代も高くなるので、重倉山だけではもったいなく、妙高の笹ヶ峰周辺の山と合わせて登るつもりで出かけた。
 夜半近くに西野谷に到着し、重倉林道入り口の万内川砂防公園の駐車場で寝た。朝起きてあたりを眺めると、良く整備された公園が広がっていた。以前は、このように立派な公園ではなかったような気がするのだが。
 重倉谷の上に頭をのぞかせる重倉山をうかがうと、谷は緑に染まり、残雪は稜線部に見えるだけであった。上村さん一行は、重倉谷から右岸尾根を使い、重倉林道へ下りる周遊コースで歩いている。雪解けが進んだ状態では林道からの往復がやっとであろうとは思っていたが、これではヤブコギを覚悟する必要もありそうであった。林道のどこまで車を乗り入れることができるかが、第一の問題点になった。
 重倉林道は、万内川の左岸にしばらく沿った後、ヘアピンカーブを描いて高度を上げていく。最初の目標地点は、734標高点のある尾根の東を通っている林道の入り口である。到着してみると、この林道は残雪に覆われていた。入り口を過ぎた所の路肩の広場に車を停めた。
 杉林の中の、残雪に覆われた林道歩きがしばらく続いた。先回の南葉山山行の時は、この林道に車を乗り入れたが、悪路であった。通行可能であっても気分的には歩いた方が気楽な道である。林道が東に逸れるところから、杉林の中に入った。
 869mピークの西の肩から南に向かって734標高点へと延びる尾根が、左上に迫ってきたところでこの尾根にのった。雑木林の広がる尾根には藪が出ていた。ヤブコギが続きそうなので、一旦杉林に下りて、残雪の広がる谷を北に向かった。
 杉林が尽きたところで、尾根へ上がるコースを考える必要があった。先回は、小さな沢の左手の尾根に、山菜採りの道を見つけて稜線上まで登ることができたが、雪が消えた藪をのぞいても、そのようなものは見あたらなかった。踏み跡はもっと東に進まないと見つからないのかもしれない。
 幅2m程の小さな沢形を残雪が埋めており、これを辿れば稜線近くまで登れそうであった。登っていくと、急になったので右手の藪に逃げた。幸い、ヤブコギも僅かで、尾根上に飛び出した。二重稜線のような地形で、窪地には残雪がベルト状に続いていた。
 尾根の合流点付近は藪が広がっていたが、922mピークに向かう斜面に出ると、雪堤が続いておりひと安心になった。前方には、重倉山の山頂も姿を現した。922mピークへは、残雪歩きで、難なく登ることができた。922mピークの先は、藪尾根になっていたが、南側の雪堤を下ることができた。
 鞍部からは、雪で覆われた幅広尾根の歩きになった。今回のコースで、標高差170mの一番長い登りが続く区間であったが、開放的な雑木林が広がり、気持ち良く歩くことができた。
 重倉山の山頂は、平らで、木立に囲まれているため見晴らしはあまり良くなかった。山頂の縁からは、重倉谷を見下ろし、残雪をまとった栗立山から北に延びる稜線を眺めることができた。山頂の雪原に腰を下ろして朝食をとった。林道歩きも覚悟していたので、もう少し時間がかかるかと思っていたのだが、意外に短い時間で登れた。これなら、新潟を朝出発しても良かったかなと思った。
 帰りは雪道であるので早かったが、922ピークは南側を巻いて楽をした。尾根からヤブコギ僅かで杉林に戻れば、後は林道歩きが残るだけであった。
 車に戻り、万内川砂防公園の駐車場に下ってから、今後の予定を考えた。時間も早いので、周辺の低山巡りをすることにした。今回の山行では、コンピューターとプリンターを車に積んできていたので、とりあえず、城山と鉢巻山を目指すことにして、GPSのルートデーター作りと、地図のプリントアウトを行った。
 高田IC出口近くのコンビニで昼食を買うと、そこの駐車場からは、導水管が通っている城山が目の前であった。いつも目指す山が、これくらいはっきりしていると楽なのだが。灰原十字路の脇に、城山の案内板が立てられていた。それによれば、
 「南葉山系城山に、天文年間(1532〜1555)長尾氏によって滅ばされた黒田秀忠の祖先が居住したと伝えられる山城があります。現在は黒田城と呼ばれ、春日城と鮫ヶ尾城の中間にあって、信濃方面への警備城としての役割を果たしていたと考えられます。
 城の特色は、本丸から延びる四条の尾根を巧みに利用していて、これらの尾根に七本の堀切を設けて護りを堅固にしていることです。特に、北側の尾根には堀切三本を配置して二の丸を造り、護りの要としています。険しい地形を利用した堅固な山城であったことが判ります。
 山麓には、門前・馬場・屋敷などの山城に付属した根小屋の存在を示す地名が残っています。(発電所のある山が城跡です)
平成三年
上越市」とあった。
 高速道の下をくぐり、沢沿いの道を進んでいくと、県営高田発電所が現れた。その手前に車を置き、歩き出す準備をした。城山への道は、導水管の左手の谷間に続いているようであったが、それらしきものは無かった。城山の頂上には鳥居マークが置かれているので、参道があるのかなと思っていたので、意外であった。導水管の左に沿って、階段が続いていた。一応鎖がわたされており、「地元民の方以外は立ち入り禁止」と書かれていた。「関係者以外」と書かれるのが普通であろうから、地元の人は通っているように受け取れる。地元民の新潟県人であるということで通してもらうことにした。
 導水管脇の階段登りが、延々と続いた。標高差170mの一気の登りである。ネコブ山山行の時も、十字峡からの導水管脇の階段登りがあったが、あの時と比べれば、傾斜が緩いので助かった。ひと汗かいて導水管上部に到着した。
 左手の尾根に、踏み跡が続いていた。藪がかぶり気味で、歩く者は少ないようであった。尾根を辿っていき、少し右手にトラバースした後で、踏み跡は、山頂の北を巻くようにして下っていったので、藪に入って最高点をめざした。最高点は藪が広がっているだけであったが、引き返そうとすると、少し下った所に鳥居が立っているのが目に入った。鳥居周辺は小広場になり、石の祠が置かれていた。文化十三年八月と書かれており、古いもののようであった。広場には苗木が植樹されていたが、人が良く入っているという雰囲気ではなかった。
 鳥居をくぐって下りていくと、すぐ先で踏み跡に飛び出した。登りの時は、草がかぶっていて、見落としたものである。導水管上部付近の草むらには、わらびが沢山頭を持ち上げていたが、採りに登ってくるものはいないようであった。
 次の目的地の鉢巻山は、地図によれば破線が四方から通じているが、重倉山でもそうであったが、山道が今も残っているのかはなはだ疑問であった。高田方面からアプローチのしやすい登山口ということで、塩荷谷から登ってみることにした。
 向橋から谷沿いの道に進んだ。谷奥では工事を行っているのか、立ち入り禁止の道が分かれた。これだろうと見当をつけた道に進んだが、車のすれ違いが難しい細い道が続いた。地図を見ると、塩荷谷には、お寺と数軒の人家が記載されているので、道ははっきりしていると思っていたので、不安になってきた。T字路に出ると、ようやく塩荷谷という標識が現れた。この先は道が細そうなため、路肩に車を寄せて停めた。
 T字路を右に曲がって進むと、塩荷谷分校跡地という記念碑が置かれていた。学校跡地といっても、ごく狭いので、集会所といった程度のもののようであった。このような奥地にも、かつては何軒もの民家が建ち並んでいたようであった。坂を登っていくと、お寺の裏手に出て、道を間違ったことに気が付いた。戻っていくと、北に向かって分かれる林道がみつかった。入り口にロープが張ってあったため、私有地かと思って通り過ぎてしまったものである。どうやら、山菜採りの車が進入するのを防いでいるようであった。
 林道歩きがしばらく続いた。炭焼き小屋が、林道脇に設けられていた。杉林の中から、山道が分かれた。尾根沿いの道は、幅広の道が切り開かれていたようであるが、草がかぶって、その中に踏み跡が続いているような状態であった。道の脇には刈り払われた木の枝がまとめて置かれていたので、炭焼きの関係でこの道が維持されているのかもしれない。上湯谷からの道が合わさると、その先はさらに藪が濃くなった。踏み跡は続いているのだが、ともすれば見失って藪を掻き分けるはめになった。尾根沿いには、頭を赤く塗られた標石が埋められていたが、「防衛」と書かれていた。妙高山麓には自衛隊の訓練地があるが、防衛庁がからんでいるのであろうか。
 小さなコブを越すところで、ようやく鉢巻山の山頂が前方に姿を現した。本格的なヤブコギになったが、ここまで来て諦めるわけにはいかない。尾根をはずさないように進んだ。最後に身の丈を越す笹藪を突破すると、三角点の回りだけが刈り払われた鉢巻山山頂に出た。周囲の眺めは全くなかった。
 下山の際には、山頂到着直前に付けた赤布で、尾根に乗る方向を決めた。狭い範囲でのコース設定は、GPSよりは赤布の方が確実である。踏み跡を辿っていくと、次第にはっきりした道に変わっていき、下山の足を速めることができた。
 とんだヤブコギ山行で一日の山行のしめくくりになった。重倉山の登山口の西野谷に戻り、温泉に入ってさっぱりした。
 翌日の山行のために、笹ヶ峰をめざした。丁度、池の平スキー場で「大かやば焼」というイベントが行われるようであったが、観光客で混んでいると思うと見る気が起きなかった。杉野沢手前に看板があり、笹ヶ峰へ続く県道は、日曜日の8時30分から午前中にかけて、「第3回サイクルフェスタin妙高笹ヶ峰」というイベントが行われて、車は通行止めになると書かれていた。山に登れば、午前中いっぱいはかかるはずなので、道路の通行止めはかまわなかった。笹ヶ峰への道路は、4月中旬には開通すると聞いていたが、自転車競技が行われるなら、道路は充分整備されているはずであった。
 笹ヶ峰への車道は、杉野沢のスキーゲレンデを何回も横切りながら登っていくが、ゲレンデに雪はまったく見あたらなかった。それでも、ゲレンデを離れるころになると、林床に残雪が現れるようになった。笹ヶ峰に到着してみると、一帯には充分な残雪が広がっていた。残雪歩きが期待できそうな三田原山に登ることにした。
 インターネットで検索をかけると、三田原山は、妙高国際スキー場のリフト終点が、標高1850m地点まで延びているため、山スキーの定番コースになっているようである。それに対して、歩いて登ったという記録は見つからなかった。スキー場の営業は4月はじめまでなので、その後は、笹ヶ峰への道路が開通するのを待って登ることになる。
 三田原山付近の外輪山の南面は、平坦な斜面が広がっており、どこでも登れそうなため、どのようなコースを取るか迷うことになった。すこしでも地形に特徴のあるところということで、笹ヶ峰の京大ヒュッテの手前の涸沢に沿って登り、2347ピークをめざすというコースを考えた。目標物に乏しいため、GPS頼りの歩きになりそうであった。
 歩き始めは、土もかなり現れていたが、登るにつれて一面の雪原が広がるようになった。さすがに、登り口の笹ヶ峰で1400mの標高があるだけのことはある。尾根状の地形に乗るはずだったが、いつのまにか沢状地形に入り込んでしまった。雪もたっぷりあり、上部で自然に尾根と合わさっていくはずなので、そのまま登り続けた。雪がしまっており、足元が滑りやすいのでアイゼンを付けた。今回は、ストックではなしにピッケルを持ってきたので、ひさしぶりに雪山のフル装備になった。
 沢状地形から出ると、細いダケカンバが並ぶ林になった。木の間隔が狭く、スキーでの滑りは難しそうであった。それを過ぎると、ダケカンバの大木が並ぶ中、針葉樹が所々まじる雪の大斜面が現れた。雪原から振り返ると、眼下に笹ヶ峰ダムの湖面が広がっていた。傾斜もきつくなって、ともすれば足が止まりそうになった。カシミール上で測定してみると、平均傾斜は25度ほどのようであった。スキーのトレースも現れたが、斜滑降ばかりで、最大傾斜線に向かっての滑降は見られなかった。2347ピークに出るためには、コースを微妙に修正する必要があり、GPSが役にたった。稜線はすぐ上のように見えたが、なかなか到着しなかった。
 ようやく2347ピークに到着したが、稜線は藪が出ており、ガスも流れてきて、周囲の様子が判らなかった。藪につっこみ、北側の斜面をのぞくと、雪堤が細々と続いていた。注意しながら雪堤に下りて、三田原山の山頂に向かった。雪に割れ目も出来ており、注意しながら歩く必要があった。帰りに、もう一度歩きたくはない気分であった。
 2347ピークの鞍部まで下がると、南斜面から雪原が延びてきていた。下山時には、ここからトラバース気味に下っていけば、登りのルートに出ることができそうであった。帰りの心配もなくなりほっとひと息つくと、ガスが切れて、目の前に妙高山の山頂が姿を現した。雪は消えており、黒々とした姿を見せ、山頂部の岩のひとつひとつを見分けることができた。硫黄の臭いもただよってきた。雪庇の踏み抜きが怖く、妙高山の写真を撮るのも場所を選ぶ必要があった。三田原山の山頂も、あとひと登りと迫っていた。雪堤も割れ目ができているとはいえ、山頂まで続いていた。
 三田原山の山頂は、なだらかな稜線の一部といった感じであった。一段下がった木立を通して、火打山の山頂が姿を現していた。ザックを下ろし、カメラをぶらさげて、展望の開ける所を探しに、山頂の先に進んだ。少し下ると、火打山の展望が開けた。中腹にただよう雲の上に、真っ白な火打山の山頂が頭を持ち上げていた。稜線を先に歩いていけば、火打山までは遠くない距離であった。
 山頂に戻り、大休止とした。風が冷たく、フリースを着込む必要があった。2330mの標高は、今年の最高点であった。火打山の中腹を覆う雲は消えそうもなかった。いつか、雪の季節に、火打山まで歩いてみよう。
 下山は、2347ピーク手前の鞍部から下降を開始し、トラバース気味に下って、登ってきたルートに出た。下山は、歩きやすいところにつき進むため、GPSを見て、度々コースを修正する必要があった。トラックデーターを見ると、かなり蛇行していた。登りに通った沢状地形に入り、雪がついているのを見てそのまま下っていくと、岩場に水が流れているような地形が現れたので、右手の尾根に逃げた。最後は、歩き始めの地点に無事に戻ることができた。
 笹ヶ峰からは登りやすい山であるのに、登山者が誰もいないのはもったいない感じである。思いつきのような感じで登った山であるが、妙高山や火打山の展望、大雪原の登りなど、想像以上に良い山であった。


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