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東岐山


【日時】 2003年5月5日(月) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 会越国境
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
東岐山・ひがしまたやま・1008m・なし・新潟県、福島県
【コース】 峰越林道より
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/只見/駒形山
【ガイド】 LAYERNE vol8、新潟の低山藪山(白山書房)
【温泉】 みかぐら荘  500円

【時間記録】 5:40 新潟発=(R.49、津川、上川、室谷、峰越林道 経由)=8:00 支沢出合〜8:28 発―9:25 鞍部〜9:30 発―10:26 東岐山〜11:40 発―12:25 鞍部―13:00 支沢出合=(往路を戻る)=16:00 新潟着

 会越国境のうち、御神楽岳から西に向かう只見川左岸沿いの稜線には、日尊の倉山、狢ヶ森、東岐山、小金井山、小金花山、中の又山といった、人の訪れることの少ない山が並んでいる。それでも津川と本名を結ぶ峰越林道の開通によって、一等三角点の置かれている狢ヶ森山に登ったという声を多く聞くようになっている。東岐山も、峰越林道を使うことによって、アプローチが容易になった山であるが、登る者はごく少ない。
 平成13年4月14日〜15日のランタン会の会山行で東岐山が計画されたが、林道が除雪されておらずアプローチが大変ということで、大戸沢山から船窪山への山行に変更された。それはそれで川内山塊の入門になり、その後の矢筈岳への山行に繋がったので、意義のある山行になったのだが、東岐山のことは気がかりのまま残った。その後、Kさん一行が、東岐山に登ったことを聞いて、ますます残念な気持ちになった。しかし、山行報告によって充分な情報も得られたことから、自分自身の力で登るめどもついた。
 東岐山の登山の時期は、室谷から先の林道の除雪が問題となり、ごく限られている。遅ければ、残雪を使うことができず、ヤブコギに苦労することになる。山菜採りへの便宜もあって、5月の連休頃には、大久蔵沢のヘアピンカーブまでは車が入れ、その先は1時間弱の林道歩きで取り付きに到着するという。三連休の三日目は、このチャンスしかない東岐山を目指すことにした。
 この冬にも大方山登山のために訪れた名古屋の手前で、山菜採りの料金徴収所が置かれていた。1000円ということであったが、登山のためと告げると、そのまま通してくれた。山菜採りが楽しめるなら1000円を払っても良いが、あいにくと山菜のことは全く知らない。
 室谷から先の林道に進むと、車の腹をすらないように注意が必要な悪路が始まった。こういった道では車高の高いオフロード車が欲しくなる。倉谷林道を右に分けると、道はさらに悪くなった。それでも山菜採りなのか、多くの車が入り込んでいた。一応の目標地点の大久蔵沢にかかる橋を渡ったが、その先まで車は入ることができるようであった。林道は、ここからは舗装されており、車を走らせ易くなった。路肩には除雪後に残された残雪も現れるようになったが、どうも雪の量が少ないのではという不安が浮かんできた。
 結局、東岐山の登山口になる支沢の出合まで車で入ることができた。林道歩きは免れたものの、この先のヤブコギの苦労を考えると、うれしさも半分。複雑な気分であった。朝食をとり、歩き出す準備をした。谷間にいるためか、GPSの衛星の捕捉に時間がかかった。
 登山コースとしては、沢の左岸から入山し、沢上部の二俣の中央尾根を登って、東岐山北西部の鞍部に取り付く予定であった。山腹をトラバースする必要があり、GPS頼みの歩きになりそうであった。
 歩きだそうとすると、山からおばあさんが下りてきた。挨拶をすると、こちらの装備を見て、「登山かね。大荷物で大変だね」と声をかけてきた。確かにピッケルも持った重装備ではあったが、おばあさんも山菜で膨らんだザックを背負っていた。何をとってきたのか聞くと、ゼンマイとのことであった。山歩きに関しては、プロとアマの違いがあるであろう。
 山行報告通りに、杉林の中に踏み跡が続いていた。とりあえずは、上部に向かって、踏み跡を辿ることにした。方向を左に変える必要があったが、地図では読み取れないような段差もあり、登りやすい斜面を探す必要もあった。所々に残雪が地面を覆っていたものの、雪原というにはほど遠い状態であった。取り付きの沢の上流部に出ると、意外に深く抉られており、横断地点を探す必要があった。5m程の崖を下って、登り返して鞍部に続く尾根に乗った。
 杉林を抜けると、雪で覆われたカール状の谷間が目の前に広がっていた。稜線の上までは、ヤブコギの心配はなさそうであった。斜面は、急ではあるが、滑落が心配になるほどではなかった。靴の先を蹴り入れながら、快適に登ることができた。稜線に這い上がる所は、雪庇の跡なのか、高さ2m程の崖状になっており、登ることのできる切れ目を探す必要があった。
 稜線からは雪が消えており、雪堤は鞍部付近にあるだけであった。東岐山の山頂部は白く残雪に覆われているといっても、そこまではヤブが続いていた。ヤブコギの覚悟をした。鞍部付近は、ツバキが目立って、ヤブコギも大した苦労でもなかったが、登るにつれて、枝を掻き分けては、体を前にすり抜けさせるといった本格的なヤブコギが始まった。一歩ずつの遅々とした歩みであったがそのうちには山頂につくはずであった。左手から雪渓が上がってきて、尾根に合わさると、ようやくヤブコギからも開放された。雪の上にステップを刻みながら高みをめざした。
 東岐山の山頂は、雪原となり、360度の展望が広がっていた。山頂の先には幅広の雪堤が延びていたので、これなら小金井山まで行けるかと思い、休む間もなく先に進んだ。下りにかかるところで、稜線上からは雪が完全に消えてしまっていた。鞍部に下りた先も、藪が長く続いていた。その先の小金井山の山頂付近は気持ちの良さそうな雪原が広がっているのだが。小金井山をめざすには、雪解けが進みすぎていたようである。山頂に戻り、展望を楽しむことにした。
 東岐山からの眺めでひと際目を引くのは、目の前の駒形山の向こうに大きく肩をいからせる矢筈岳であった。青里岳に、一昨日登った五剣谷岳も山頂を見せていた。東には御神楽岳が大きく、その右手には日尊の倉山がなだらかな山頂を見せていた。狢ヶ森山は、前ピークに一部が隠されていた。会津方面には幾重もの山が連なり、それぞれの名前を挙げることは難しかった。
 雪の上に腰を下ろし、風景に眺め入った。ビールを雪の上に置いて、冷やしながら飲んだ。こういった藪山は、一人で登って、一人でぼーーとしているのが相応しい。他人とのお喋りも煩わしいし、歌でも聴かされたものではたまったものではない。ウグイスの声と、雪崩の落ちる音だけが聞こえる、静かな時が過ぎた。
 気が付くと、1時間ほどが過ぎており、下山に移ることにした。濃い藪も、下りはそれほど気にならなかった。鞍部からは、雪原の下りになって、気楽な歩きになった。沢の横断を楽にするため、早めに左にトラバースして、上流部で横断するつもりであったが、雪を伝っているうちに自然に沢に入り込んでしまい、少し下ってから左岸に上がった。登るときは、踏み跡をできるだけ辿ったが、下りは雪を伝ったため、GPSのログを見ると、両者はかなりコースが違っていた。最後は、同じ踏み跡を辿って林道に飛び出した。以前だと、赤布を何本も付けて歩いたであろうが、GPSのおかげで、コースとりが格段に簡単になった。
 東岐山は、林道からそれほどは時間がかからず、日帰り山行向きの山である。稜線の藪は濃いが、人が少しはいれば、すぐに歩き易くなる。藪山入門、展望の山として、お勧めの山である。

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