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木六山、銀次郎岳、銀太郎岳、五剣谷岳


【日時】 2003年5月3日(土) 前夜発日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 川内山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 木六山・きろくやま・825.1m・三等三角点・新潟県
 七郎平山・しちろうだいらやま・906m・なし・新潟県
 銀次郎山・ぎんじろうやま・1052m・なし・新潟県
 銀太郎山・ぎんたろうやま・1112m・なし・新潟県
 五剣谷岳・ごけんやだけ・1187.7m・二等三角点・新潟県
【コース】 悪場峠より
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/御神楽岳/高石、室谷
【ガイド】 越後の山旅(富士波出版)、越後百山(新潟日報事業社)
【温泉】 村松さくらんど温泉 700円 貸しタオル付き

【時間記録】
5月2日(金) 20:00 新潟発=(R.49、R.403、新津、五泉、村松、田川内 経由)=21:30 悪場峠  (車中泊)
5月3日(土) 4:10 悪場峠発―4:31 佛峠―4:39 水無平分岐〜4:42 発―5:09 焼峰の神様―5:41 グシノ峰分岐―5:45 木六山〜5:55 発―7:03 七郎平ノ泊場〜7:08 発―7:17 七郎平山〜7:20 発―8:00 銀次郎山〜8:15 発―9:07 銀太郎山〜9:17 発―10:31 五剣谷岳〜10:45 発―11:49 銀太郎山〜11:53 発―12:34 銀次郎山―13:06 七郎平山〜13:30 発―13:34 七郎平ノ泊場〜13:37 発―14:53 木六山―14:56 グシノ峰分岐―15:20 焼峰の神様―15:41 水無平分岐―15:50 佛峠―16:05 悪場峠=(往路を戻る)=18:00 新潟着

 藪山が広がる川内山塊において、登山道の整備されている希少な山として木六山は親しまれている。木六山から先の、七郎平山、銀次郎山を経て銀太郎山までは登山道があり、少し山慣れしたものなら川内山塊深部の山歩きを楽しむことができる。五剣谷岳は、銀太郎山の次のピークであるが、ここまでは登山道が通じていない。五剣谷岳は、平らな山頂で一端が切り落ちている姿が遠くからも良く見分けられ、藪山に一歩足を踏み入れた者なら、このピークに立ちたいと思わずにはいられない。
 五剣谷岳は、登山計画を考えると、日帰りにするか1泊2日にするか微妙な位置にある。悪場峠から水無平経由の短縮コースを使えば、日帰りも可能であるが、それでも12時間以上の行動時間を覚悟する必要がある。ヤブコギの労を避けるために残雪を使うことを考えると、4月下旬から5月上旬が良く、時期が遅くなれば、ヒルの恐怖におびえながら歩くことになる。
 5月に入って太陽の昇るのも早くなり、4時半頃には薄明るくなるようになった。時間の余裕を生み出すためには、早朝発とすれば良いので、五剣谷岳への日帰り山行を敢行することにした。4月20日に木六山まで歩いたのは、雨で銀太郎山までの予定が短縮されたものであったが、この山行が良い偵察になった。
 ゴールデンウィーク後半は、晴天の天気予報が出た。3連休のメインの山行として、第1日目に五剣谷岳山行を入れた。早朝発を行うため、先回と同じく、前夜に悪場峠に入った。今回は、悪場峠の登山口も判っているので、峠に車を停める時にも安心できた。
 3時半に起きて出発の準備をし、4時10分に懐電で歩き出した。先回よりも草付きの中の踏み跡は、はっきりしていた。登山者や山菜採りで入山者も多くなっているようであった。それでも、途中で左に分かれる踏み跡に入り込み、すぐに気が付いたものの引き返しになった。やはり懐電での歩きは難しい。佛峠から足元に注意しながらヘツリ道を終えて水無平分岐に下ると、周囲も明るくなって、ヘッドランプを仕舞い込むことになった。水無平を横断して稜線に向かっての登りは、先回よりも道がはっきりしており、迷う心配も無くなっていた。先回は、雪解け直後で道が判りにくくなっていたようである。稜線上の焼峰の神様に出て、祠に向かって登山の無事を祈った。太陽も姿を現してきた。
 先回と違って、稜線脇の雪堤は無くなっており、土の上の歩きが続いた。急坂を登り切るとグシノ峰分岐に出て、この先は雪堤の登り僅かで、木六山に到着した。山頂標識が朝日に照らされていた。願わくば夕日に照らされる前には、ここを通過したいものである。ここまでは1時間半で、まずまずのペースであった。丸一日の歩きが控えているとあっては、飛ばしすぎてスタミナ切れになっても困る。木六山は、3回目の登頂であったが、その先の稜線を注意して眺めたのは、これが始めてであった。稜線の先のとんがりピークが銀次郎山で、その奧の台形の山が銀太郎山。五剣谷岳はさらに背後の山であろうか。目的地は遙か遠くであった。見送る者もいない静かな朝の山頂を後にし、縦走路を先に進んだ。
 木六山からは、一旦下りになった。思ったよりもしっかりした登山道が続いていた。登山道脇に美しいブナ林が広がっている所もあり、心を和ませてくれた。木六山の次のピークは、赤花峰と呼ばれるが、どこが山頂か判らないままに通過した。この付近では、逢塞川(おおそこがわ)に落ち込む急斜面に巻き道が続いている所がある。木立に囲まれて見た目に恐怖感はないが、足下には充分注意する必要がある。
 七郎平山に向かっては、急な雪原の登りが現れた。雪も柔らかく、ステップキックで難なく登ることができた。山頂が近づいた所で、水音が聞こえてきた。水場と書かれた標識が木の枝につるされており、その先で沢水が流れていた。ここが七郎平ノ泊場で、脇にはテントを張れそうな草地のスペースもあった。数杯の水を飲み干し元気を取り戻した。水は2L持ってきていたが、気温も高く、水の消費も増えることが予想された。好きなだけ水を飲んでも、帰りにここで水を補給できるのはありがたかった。
 七郎平山の山頂部は緩やかな雪原になっていた。ここの通過は難しいように聞いていたが、晴天で視界も開けており、GPSの指標に従って高見を目指しさえすればよかった。七郎平山の山頂には山頂標識は無く、ただの雪原といった風情であった。前方には、銀次郎山が手前の1010mピークと並んで双耳峰のような姿を見せていた。登頂意欲をそそる姿をしていた。七郎平山の下りで一旦藪に入ったが、鞍部の杉林で夏道を見つけることができた。
 東に緩やかにカーブするように登っていくと、銀次郎山の山頂に到着した。小広場になっており、矢筈山岳会の立てた山頂標識が置かれていた。銀太郎山が目の前に広がり、その向こうに五剣谷岳がようやく姿を現した。五剣谷岳の山頂に続く尾根からは雪が落ちて、藪が出ているようであったが、右手にはブナの木が点在する雪原が谷から山頂部まで続いていた。傾斜もそれほどはなさそうで、登りに使えそうであった。振り返ると、木六山は、緑に囲まれて遠ざかっていた。
 銀太郎山へは、一旦下ってからの登り返しになった。銀次郎山、銀太郎山、五剣谷岳の各ピークは、いずれも標高差で150mの登りになる。あらかじめ、登山道のプロフィールを確認しておいたのも、歩きのペースを保つ上で役に立ち、快調な歩きが続いた。
 銀太郎山の山頂にも、木六山や銀次郎山の山頂にあった矢筈山岳会の山頂標識が置かれていた。五剣谷岳はようやく目の前に迫った。登山道はここまで。これからヤブコギの開始になる。時間をもう一度確認した。五剣谷岳までは1時間半程の行程であろうか。場合によっては銀太郎山までということも想定していたが、ここまできたからには五剣谷岳を目指すしかない。
 銀太郎山から先、登山道は無くなったが、歩く者がそこそこにいるためか、藪は意外に歩きやすかった。少し下ってブナ林が広がるようになると、稜線から一段下がった西側斜面に踏み跡が続くようになった。雪堤も所々で使え、楽ができた。銀太郎山を下った鞍部では、沢が西から入り込んできており、尾根を乗り換える形になった。ガスで視界が閉ざされていると、952点方向へ引きずり込まれてしまうかもしれず、要注意な箇所であった。この付近は、窪地になって、テン場に良さそうであった。
 緩やかな尾根を辿っていくと、五剣谷岳の山頂に続く雪原の下部に出た。アイゼンも持ってきてはいたが、雪も柔らかいことからピッケルだけを使うことになった。最後の頑張り所と力を振り絞れば、見上げる山頂が次第に近づいてきた。雪原を上り詰めた所は、南西の肩部で、山頂には少し戻る形になった。山頂に向かう稜線からは雪が消えており、短い距離であったが、木の枝をかき分けながら一歩ずつ進む本格的なヤブコギになった。
 藪の中の切り開きに出ると、ここが五剣谷岳の山頂であった。三角点が置かれ、かたわらに半分こわれた山頂標識が立てかけられていた。矢筈岳の山頂にも矢筈山岳会の立てた立派な山頂標識があったことから、五剣谷岳にも山頂標識が立てられているものと思っていたので意外であった。矢筈岳の標識は、矢筈山岳会がシンボル的な意味をこめて立てたものかもしれない。川内山塊の藪山としては、五剣谷岳のように、壊れかけた標識が転がっているという方が相応しいような気がした。
 周囲の藪は、それほど高くはなく、展望が開けていた。ひときわ目を引くのは、青里岳と矢筈岳であった。矢筈岳は、横に広がった台形の山頂を見せ、大戸沢山や魚止山といった室谷方面からの双耳峰の形とは異なっていた。青里岳は、山頂から幾筋もの尾根を張り出したすっきりした姿を見せていた。残雪の描く筋模様と、雪が落ちたスラブが、1000mをようやく越える標高の山とは思えない壮絶な姿を見せていた。
 矢筈岳はすでに登ったので、青里岳が次の目標になる。木六山からの往復コースを取るとして、1泊2日で充分であろうか。どこをテン場にするかが問題になる。二日目に軽装でピストンするとして、テントを回収して下山となると、銀太郎山か五剣谷岳あたりをテン場にすればよいだろうか。五剣谷岳の登頂の喜びよりも、その先のピークに思いが飛んでしまった。
 帰りも行きと同じくらいの時間がかかるため、五剣谷岳の山頂でそうのんびりとはできなかった。雪原に戻り、いつもと違った裏側からの粟ヶ岳の眺めを楽しんだ後、下山に移った。急斜面の下りを心配していたのだが、踵のキックが利いて、難なく雪原を下ることができた。銀太郎山への登りの途中から五剣谷岳を振り返ると、あの山頂に立ったのだと、改めて登頂の感激がわいてきた。踏み跡と雪堤を使い、コースミスを犯すようなこともなく無事に銀太郎山に戻ることができた。
 戻ってきた銀太郎山の山頂には、予想に反して誰もいなかった。下山の足を速めると、他の登山者を追い抜くようになった。銀太郎山まで登ってきた者も少なからずいたようであるが、昼になって、皆下山を開始していたようであった。銀次郎山を越し、七郎平山まで戻った所で、遅い昼食を取った。悪場峠から五剣谷岳への行程では、ここが丁度中間点になる。ここまで戻れば、日没までに下山できることは間違いない。迷ったすえにザックに入れておいたビールを開けた。朝からの長い歩きの後のビールだけに、ひときわ美味しかった。五剣谷岳の登頂の喜びを、改めて味わった。
 歩き出したしばらくは、ビールのせいで足が重かったが、そのうちに酔いも醒めて、快調な歩きが戻った。ピンクのイワウチワ、白のタムシバ、黄色のオオバキスミレ、新緑のブナ林を楽しむ余裕も出てきた。山は初夏の装いを見せ始めていた。木六山の山頂に戻り、遙かに遠ざかった五剣谷岳を振り返った。山に別れを告げ、最後のスパートをかけた。
 最後は足が重くなったが、悪場峠には、4時に戻ることができた。憧憬の五剣谷山への往復は、12時間の歩きであった。新緑がまぶしい山を下り、温泉を目指した。

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