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与作岳、景鶴山、大白沢山、カッパ山、八海山、アヤメ平


【日時】 2003年4月26日〜28日 前夜発2泊3日(テント泊)
【メンバー】 室井、白石他 (5名グループ)
【天候】 26日:曇り 27日:曇り後晴 28日:晴

【山域】 尾瀬
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 与作岳(松くら高山)・よさくだけ(まつくらたかやま)・1935.9m・三等三角点・群馬県、新潟県
 景鶴山・けいづるやま・2004m・なし・群馬県、新潟県
 大白沢山・おおしらさわやま・1942.0m・三等三角点・群馬県、新潟県
 カッパ山・かっぱやま・1822m・なし・群馬県
 八海山(背中アブリ山)・はっかいさん(せなかあぶりやま)・1811.1m・群馬県
 アヤメ平・あやめだいら・1960m・なし・群馬県
【コース】 富士見峠下より
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/藤原、燧ヶ岳/至仏山、三平峠、尾瀬ヶ原
【ガイド】 なし
【温泉】 寄居山温泉センター 500円

【時間記録】
4月25日(金) 18:30 新潟発=(関越道、沼田IC、R.120、片品、R.401 経由)=23:00 尾瀬戸倉  (車中泊)
4月26日(土) 7:10 尾瀬戸倉=7:20 富士見下〜7:40 発―8:52 馬洗淵―10:28 富士見小屋―10:33 富士見田代〜11:12 発―12:28 尾瀬ヶ原南縁―12:46 竜宮十字路―13:27 ヨッピ橋  (テント泊)
4月27日(日) 6:15 ヨッピ橋―6:23 尾根末端―8:27 与作岳―9:28 景鶴山〜9:48 発―10:03 景鶴山西の肩〜10:37 発―11:06 1898mピーク―11:30 1892mピーク(カッパ山)―12:01 大白沢山〜12:40 発―12:52 1898m・1892mピーク鞍部―13:54 カッパ山〜14:00 発―14:27 八海山分岐―14:39 八海山〜14:54 発―14:59 八海山分岐―15:17 尾根下―15:54 ヨッピ橋  (テント泊)
4月28日(月) 6:30 ヨッピ橋発―7:06 竜宮十字路〜7:12 発―7:35 尾根取り付き〜7:45 発―9:08 1781.9m三角点―10:50 アヤメ平〜11:08 発―11:38 1786mピーク手前鞍部―11:53 林道―12:07 馬洗淵―12:49 富士見下=(往路を戻る)=17:30 新潟着

 景鶴山は、尾瀬ヶ原を取り囲む北縁稜線上の山である。山頂部にニュウ岩と呼ばれる岩峰をのせた姿は、尾瀬ヶ原中心部の竜宮十字路付近から良く目立ち、池塘の背景として絶好の被写体になっている。かつては登山道のあった山であるが、1966年に自然保護のため入山禁止となり、現在では非公式ながら積雪期に限って入山可能になっている。
 大白沢山は、尾瀬ヶ原の北縁稜線上の景鶴山の西に位置し、至仏山から平ヶ岳に至る稜線との分岐脇にある山である。また、カッパ山と八海山は、尾瀬ヶ原の北側の、猫又川と滝ノ沢の源頭部に位置する山である。
 尾瀬には、中学生の頃から、毎年夏休みになると通っていた。尾瀬ヶ原から見る景鶴山は気になっていたものの、至仏山や燧ヶ岳が第一目標になって、景鶴山は後回しになっていた。1966年に景鶴山が入山禁止となり、登ることの叶わぬ山になってしまった。景鶴山は、300名山にも取り上げられ、新潟の県境上の山でもあることから、積雪期に登るべく機会をうかがっていた。
 宇都宮の室井さんには、ここ数年のゴールデンウィークに、残雪縦走に誘ってもらっている。昨年は、会津丸山岳であったが、今年は、至仏山から平ヶ岳を往復し、さらに尾瀬ヶ原の北縁稜線を辿って景鶴山にも登るという、2泊3日の盛り沢山な計画になった。
 夕方には出発という金曜日の昼にインターネットの掲示板を見ていると、鳩待峠の開通が、4月25日から5月2日にずれ込むという情報が目に入った。交通センターに電話をかけると、鳩待峠までは開通していないという返事が返ってきた。林道入口の津奈木橋から歩き出したとしても、計画の後半の景鶴山をカットすれば、平ヶ岳までの往復は、充分できそうであった。とりあえず、メールを送ったものの、室井さんとの電話連絡ができないまま、尾瀬に向かって車を走らせることになった。
 沼田からは、濃い霧が立ちこめて、フォグランプを付けてのノロノロ運転が続いた。戸倉に到着して、県道水上片品線に入ろうとすると、尾瀬戸倉スキー場との分岐で、ゲートが閉ざされていた。坤六峠は冬季閉鎖であることは判っていたが、津奈木橋までは車で入ることができると思っていた。津奈木橋から鳩待峠(3.7km)までの余分な歩きはなんとかなると思ったが、戸倉・津奈木橋間は相当な距離(6.5km)で、鳩待峠から平ヶ岳へという計画は、諦めるしかなさそうであった。計画の変更は翌朝相談することにして、戸倉スキー場の駐車場で夜を明かした。
 翌朝、ゲートの前で室井さん一行を待った。開通の遅れを知らないのか、何台もの車がやってきては、引き返していった。室井さんが到着したところで、登山計画の変更についての相談をした。尾瀬ヶ原には、富士見峠経由で入るしかなく、景鶴山をメインにした山行に変更しようということになり、まずは富士見下に車を移動させた。
 今回は、男性のみの5人のメンバーになった。初日は、尾瀬ヶ原に入るだけということで、余裕のある計画になった。昨年の4月28日に荷鞍山へ登るために、富士見峠まで歩いており、記憶にも新しい道である。昨年と比べて雪は多く、ゲートから雪道になった。林道の途中から沢沿いのショートカットをした。沢を覆う雪も薄くなり始め、足を踏み抜く者も出て、通れなくなるのも間近のように感じた。
 沢から林道に戻り、ブナ林の中を進むと馬洗淵に到着し、ショーットカットして池の縁を通り抜けた。林道からは、荷鞍山を冬路沢越しに見上げることができたが、このピークが背後に遠ざからなければ、富士見峠には到着しない。3日分の装備を詰め込んだザックは重たかった。朝のうちは曇り空であったが、所々青空が広がるようになった。
 林道の途中で休んでいると、スノーモービルが追い越していった。脇に通り抜ける余裕があるのに、わざわざ人をどかして、中央を通っていった。富士見小屋の者で、峠までの道付けをしているとのことであった。今では、山小屋の従業員であっても歩こうとはしないようである。

 アヤメ平の雪庇の縁を見上げながら歩いていくと、ようやく富士見小屋に到着した。富士見小屋は、屋根だけが雪の上に出て、周囲に人影は見えず、静まりかえっていた。小屋から僅かに進んだ富士見田代に進んで休憩をとった。尾瀬ヶ原から立ち上がる水蒸気のせいなのか、霧が立ちこめていた。富士見田代から尾瀬ヶ原に向かっては、長沢新道という登山道が切り開かれている。しかし、一面の雪原が広がるだけで、登山標識のような物は見あたらなかった。
 ここからは、ルートファインディングが必要な道になった。磁石で方向を定め、アヤメ平よりから北に向かう尾根に乗った。緩やかな下りの続く幅広の尾根で、方向を定めるのが難しかった。途中、美しいダケカンバの林も現れた。尾根が痩せてくると、雪が落ちて歩きにくくなった。登山道は右手の沢に下降するようであったが、どのように続いているのかは判らなかった。左手に急ではあるが下り易そうな斜面が広がっていたので、そちらに方向を変えた。
 急斜面を一気に下りると、ブナやミズナラの巨木が並ぶ谷間に下り立った。ガスのために視界が閉ざされ、現在位置が判りにくくなっていたが、原までは遠くないはずであった。巨木を眺めながら歩いていくと、直に尾瀬ヶ原の外縁に到着した。尾瀬ヶ原は、雪に覆われ、濃い霧が立ちこめて、白一色の世界になっていた。
 雪原には、スノーモービルのトレースが続いていた。むやみに歩いて沢の徒渉点を探すのも大変なので、このトレースについていくことにした。後で考えると、このトレースは、尾瀬ヶ原のハイカーのための道しるべのために付けられているようであった。スノーモービルというところに引っかかる所があるのだが、沢を安全に越すために、このトレースは役に立った。
 尾瀬ヶ原に岬状に飛び出した尾根の末端に近づいていくと、林の中に竜宮小屋が立っているのが目に入った、竜宮十字路付近は、一面の雪原になっていた。木道や登山標識は見あたらなかった。ヨッピ橋に向かっては、拠水林を目印して歩く方向を決めることになった。室井さんは、磁石で方向を合わせて歩いたが、私はGPSでヨッピ橋の方向を確かめながら歩いた。途中で、川の流れや白樺の木を眺めるために、蛇行しながら歩くので、方向を見失いやすかったが、その点、GPSがあれば気楽に歩くことができた。
 霧の中からヨッピ橋が現れた。ヨッピ川は、水量が多く、橋がなければ渡れない状態であった。ヨッピ橋は、横板が外されていたが、中央部のレール状の鉄板に足を置いて、左右のワイヤーを掴めば、それほど難しくなく渡ることができた。二日の間に、夕方の尾瀬ヶ原見物も含めて、何回もヨッピ橋を渡ることになった。
 橋を渡った先のブナ林に入り、テントを設営した。沢の流れは濁っていたが、付近には、雪を融かして沢水が姿を現しており、きれいな水をとることができた。午後もまだ早かったが、さっそく宴会の開始になった。夕暮れが近づいた頃には酔いも回り、酔い覚ましのために付近を散歩したものの、早く眠りにつくことになった。
 二日目は、霧の流れる朝になった。天気予報を信じ、太陽が昇って霧が晴れることを祈った。アタックザックに必要なものだけを詰め込み、軽装で歩き出した。テン場脇の下ヨサク沢をスノーブリッジで渡り、谷の奧を目指した。下ヨサク沢とヨシッポリの間の尾根に取り付くと、急な登りが始まった。雪はほどほどの堅さで、キックステップで登るのに支障は無かった。ブナの大木が並び、目を楽しませてくれた。東電小屋近くから延びてくる県境稜線に乗ると、オオシラビソが並ぶようになった。風が冷たく、木々の枝には霧氷がついていた。
 1750m付近で尾根が痩せる所があったものの、それ程の難所もなく与作岳に到着した。与作岳の山頂はなだらかで、どこが三角点の位置なのか判りにくかった。与作岳からは緩やかな下りになった。天気が良ければ、景鶴山の山頂が目の前に迫るところであろうが、ただ白い霧の流れる中を歩き続けることになった。小ピークを過ぎると景鶴山への登りになった。
 山頂を望めないまま雪原を登っていくと、痩せた雪稜が現れた。南面は切り落ちて崖になっていた。北側から一旦巻いて稜線に戻ると、崖状の急斜面が前をふさいでおり、ここは岩峰の基部の雪を伝って左から回り込んだ。岩との間にはシュルンドが口を開いており、急斜面のトラバースで、緊張の歩きになった。尾根上に戻ると、雪が落ちて藪が現れていた。昔の登山道の名残なのか、踏み跡もあり、歩くのには問題は無かった。岩峰をやり過ごして雪の被ったピークに立つと、一段下がった木立に景鶴山の山頂標識が付けられており、景鶴山の山頂に立ったことを知った。
 景鶴山は、われわれ5名が腰を下ろすのもやっとという狭い山頂であった。長年の念願のかなった一瞬であったが、北と南の両面が切り落ちており、休んでいても落ち着かない山頂であった。晴れていたならば、相当な高度感を味わえる山頂であったかもしれない。風が冷たく長くは休んでいられないため、ひと休みの後、西に向かって下山を開始した。
 山頂から西に向かって踏み跡が続いていたが、すぐ先の岩峰の下で途切れていた。岩峰を乗り越すのは難しそうであった。北面の樹林帯には雪が付いていたため、大きく下った後にトラバースして稜線に戻ることにした。急斜面の下りであったが、雪が柔らかく、膝上まで潜る状態であったため、滑落の心配は無かった。
 景鶴山の西の肩の雪原に出て、ほっとひと息付いた。登頂を祝うかのように、急に霧が消え始め、越してきた岩峰の眺めが広がった。稜線通しに岩峰を越えてくるのは、途中にキレット状の落ち込みもあって無理そうで、北側に逃げたのは正解であった。景鶴山の南面の岩壁からは雪が落ち、黒々とした姿を見せていた。尾瀬ヶ原は眼下に広がり、その両脇には、燧ヶ岳と至仏山が向かい合うように佇んでいた。雪の上に腰を下ろし、眺めに見入った。
 青空が広がり、浮き立つような心で、大白沢山に向かった。幅広の緩やかに起伏する稜線が続いた。1898mピークに登ると、平ヶ岳の山頂も姿を現した。思ったよりも近い距離にあった。振り返ると、景鶴山の山頂部は鶏冠状の岩峰を連ねていた。1892mピークを越すと、大白沢山への登りになった。急ではあるが、雪の斜面が続き、快調に高度を上げることができた。
 大白沢山の山頂は、素晴らしい展望台になっていた。今回は歩くことが叶わなかった至仏山から平ヶ岳に至る稜線を目で追うことができた。平ヶ岳に登ろうとする度にいろいろの邪魔が入ってしまい、まだ登っていない白石さんが残念がっていた。次の機会まで思いを残そう。至仏山の山頂から岳ヶ倉山までは大きな下りで、稜線上には雪が落ちて黒い部分が目立っていた。次回に平ヶ岳を狙う時には、猫又川から岳ヶ倉山を目指した方が楽そうである。心は、平ヶ岳への縦走に飛んでいた。
 ススヶ峰の右手には、形の良い台形の山頂を持つ赤倉岳が姿を見せていた。この山は、岳人の特集のマイナー12名山に選ばれた山であることからも登頂意欲をそそられる。ススヶ峰の隣のピークで遠くない距離にあるが、山頂手前には崖マークの付けられた痩せ尾根の通過があり、登頂は難しそうである。
 展望を存分に楽しんだ後、稜線を引き返した。尾瀬ヶ原への下降の途中、このような機会でもなければ登ることはないであろう、カッパ山と八海山にも寄っていくことにした。1892mピークは巻き、1898mピーク手前から尾根に向かってトラバース気味に下降を始めた。午後になって日差しがきつくなり、休む時にも日陰を選ぶようになった。
 鞍部からひと登りするとカッパ山の山頂に到着した。カッパ山は、景鶴山付近の稜線から見下ろすと、山頂部に円形の雪原(おそらくは湿原)を持ち、河童の頭の皿のように見えることから名付けられたようである。カッパ山の雪原に立ち、振り返れば、景鶴山が岩峰を連ねた山頂を高く突き上げていた。
 カッパ山から南東へ延びる尾根を下り、鞍部からは、八海山への登り返しになった。足にも疲れがきて、短い距離ではあるが、辛い登りになった。肩部に出た所で、方向を南西に変えてもうひと頑張りすることになった。山頂手前で、木立が切れて、尾瀬ヶ原の展望が広がった。白一色の尾瀬ヶ原に、蛇行する川と、拠水林の並びが、幾何学模様を描いていた。燧ヶ岳と尾瀬ヶ原の組み合わせは、至仏山山頂からの眺めの定番になっているが、燧ヶ岳まで少し距離があるのが難点である。八海山からは、距離も近いことから、迫力のある眺めになっていた。八海山に登山道があれば、絶好の展望スポットとして人気が出るであろうが、このピークを訪れたことのある者はまれであろう。八海山の山頂部は木立に囲まれて、それといって特徴の無い所であった。
 八海山からは、一旦肩部に戻り、滝ノ沢に向かってから、途中で南東に分かれる尾根を下降するコースをとった。最後は急斜面となったが、なんとか尾瀬ヶ原北縁の原生林に下り立った。
 ヨッピ橋までは、ブナやミズナラの大木が並ぶ原生林の歩きになった。テン場に戻るには、滝ノ沢やケイズル沢を横断する必要があり、雪解けが進んでいることもあり、 徒渉が心配になった。幸い、これらの沢は、スノーブリッジを使って越えることができた。
 テン場に戻り、一日の締めくくりとして、カメラを持って尾瀬ヶ原に出た。燧ヶ岳は残照に明るく、至仏山は逆光の中に暗く沈んでいた。景鶴山は、黒い岩壁を頭に載せて、人を拒むような姿を見せていた。30数年来の懸案をようやくかなえることができた。これで尾瀬ヶ原に立っても、景鶴山を見て見ないような振りをする必要は無くなった。
 三日目は、アヤメ平経由で下山するだけになった。朝靄の立ちこめる尾瀬ヶ原を、写真を撮りながらのんびりと歩いた。池塘や湿原が、所々姿を現していた。雪解けが急激に進んでいるようであった。竜宮十字路近くでは、雪解けが進んだ湿原にミズバショウが花を咲かせていた。ただ、咲いた時期が早すぎて霜にあたったのか、花の先端部が黄色く変色しているのは残念であった。
 沢を渡るためにスノーモービルの跡を辿り、谷間に進んだ。前方に見える尾根が、来るときに通った長沢新道のある尾根と思ったのは、失敗であった。登りの途中の尾根の様子で気がつくことになるのだが、この尾根は、アヤメ平に直接登り着く尾根であった。晴天で見晴らしも利くことから、かえって油断して地図を確認しなかったのが間違いのもとであった。もっとも、地図を確認すれば、アヤメ平に直接登り着くこの尾根の方が面白いということで、結局はこの尾根を選んだかもしれないのだが。
 尾根上に向かっては、急斜面を登る必要があっため、アイゼンを付けた。軽量化のためにアイゼンを新調したが、ここまでは使わなかったので、具合を確かめるためにも履いてみることにした。尾根上に乗った所の先には、ちょっとした岩場が待ちかまえていた。尾根通しに登ると、雪が消えて藪が濃くなり、岩を乗り越すようなところも現れた。ここの通過だけで息が切れてしまった。その先は、ほどほどの傾斜の登りが続いた。傾斜も緩んでアヤメ平も近いかと思ったが、その先はだらだらの歩きが長く続いた。
 ようやくオオシラビソの樹林帯を抜けると、大きな雪原が広がっていた。雪原の上には、至仏山と燧ヶ岳の山頂が、頭を持ち上げていた。浮かぶ雲も近づいたかのように見えた。木道に上がった所で大休止にした。休んでいる間、横田代まで行って戻ってきたという単独行にあっただけで、静かなアヤメ平であった。
 アヤメ平からの下降は、昨年も使って尾根ルートを取ることにした。尾根の開始部は、雪庇の切れ目となっており、簡単に尾根に乗ることができる。尾根を一気に下り、1786mピーク手前の鞍部から林道に向かって下降した。軽くなったはずのザックであるが、肩に食い込むようになっていたので、この近道は有り難かった。沢ルートは雪解けが進んでいることから、途中から林道を歩くことになった。
 ゲート前の車に戻ると、雪に乗り入れて停めた車は土の上にあった。二日間の快晴による、雪解けの早さに驚かされた。日焼けで真っ赤になった顔が、三日間の山行の苦労と楽しさの名残であった。

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