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黒姫
津久の岐山
白板山


【日時】 2003年3月20日(金)〜23日(日) 前夜発3泊3日 各日帰り
【メンバー】 21日:大雲沢ヒュッテ主催登山ツアー(6名) 22日:岡本、大雲沢 23日:単独行
【天候】 21日:晴れ 22日:晴 23日:晴

【山域】 守門岳周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 黒姫・くろひめ・1367.8m・三等三角点・新潟県
【コース】 下黒姫沢より
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/守門岳/守門岳
【ガイド】 なし

【山域】 越後三山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 津久の岐山・つくのまたやま・810.0m・二等三角点・新潟県
【コース】 栃ノ木トンネル入口より
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/須原/大湯
【ガイド】 なし
【温泉】 葎沢温泉 国民年金保養センターこしじ 500円

【山域】 谷川連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 白板山・しらいたさん・1248.4m・二等三角点・新潟県
【コース】 三俣より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/越後湯沢/土樽
【ガイド】 なし
【温泉】 街道の湯 500円

【時間記録】
3月20日(木) 19:00 新潟発=(R.8、川崎IC、R.351、栃尾、R.290、上条、R.252 経由)=22:30 大白川  (車中泊)
3月21日(金) 6:30 大白川発=(五味沢 経由)=7:42 林道入り口発―8:29 林道終点―9:48 831m標高点―10:40 1154m東の台地―11:57 1328m東の鞍部〜12:11 発―12:55 黒姫〜13:12 発―13:37 東の鞍部―13:47 1125m西(昼食)〜14:35 発―14:50 1154m東の台地―15:08 831m標高点―16:00 林道終点―16:35 林道入り口  (大雲沢ヒュッテ泊)
3月22日(土) 7:30 大雲沢ヒュッテ発=(R.252、小出、R.352、シルバーライン 経由)=8:30栃ノ木トンネル入口〜8:55 発―9:07栃ノ木トンネル出口広場―10:06 尾根上―10:28津久の岐山〜11:09 発―11:36 尾根下降点―12:01栃ノ木トンネル入口=(シルバーライン、R.352、小出、R.17 経由)=18:00 湯沢 (車中泊)
3月23日(日) 5:30 湯沢発=(R.17 経由)=6:00 三俣水無川橋〜6:18 発―6:36 林道・送電線交点〜7:12 発―7:19 尾根取り付き―7:39 800m標高尾根上―8:43 1150m標高稜線―9:24 白板山〜9:52 発―10:20 1150m標高稜線―10:46 800m標高尾根上―10:52 尾根取り付き―11:03林道・送電線交点―11:22三俣水無川橋=(R.17、湯沢IC、関越自動車道 経由)=14:30 新潟着

 黒姫は、守門岳から東に延びる稜線上のピークである。尖った険しい姿を見せる守門岳に対し、黒姫は丸みを帯びた山頂を持った女性的な山である。登山道の無い山で、もっぱら残雪期に登られている。
 津久の岐山は、奥只見シルバーライン入り口近くの津久岐トンネル上の山である。無雪期は、藪に囲まれた山頂であるが、積雪期には権現堂山塊、守門岳、毛猛山塊、越後駒ヶ岳のすばらしい展望台になっている。
 白板山は、湯沢付近のスキー場のうちでも規模の大きな神立高原スキー場の南に位置するピークである。白板山から南に延びる尾根は、タカマタギ、日白山を経て平標山に続いている。タカマタギや日白山が、積雪期の登山の対象の山として人気が高いのに対し、白板山の知名度は低い。

 黒姫山と名前の付けられた山は、新潟県高柳町と柏崎市の間にある「刈羽黒姫山」、新潟県青梅町にある「青梅黒姫山」、長野県信濃町の「信濃富士」とも呼ばれる黒姫山の三山がある。これに加えて、ただ「黒姫」と呼ばれる山が守門岳の東隣りにあることを知ったのは、三つの黒姫山を登り終えた頃であった。しかし、登山道のある三山と違って、この黒姫は、残雪期に下黒姫沢沿いに登るのが一般的なようで、残雪の状態を判断する必要もあり、なかなか手が出なかった。守門岳に精通した浅井さんの経営する大雲沢ヒュッテの登山ツアーの予定に黒姫が加えられていたので、参加させてもらうことにした。結局、てくてく会の仲間3名と小出の吉田さんが、他に参加することになった。
 登山前日は、仕事の関係で到着が遅くなるため、大雲沢ヒュッテには、黒姫登山の後に泊めてもらうことにした。思ったよりも早い時間に家を出ることができたので、高速は使わずに下道で行くことにした。大白川駅前の広場に車を停めて寝た。後で聞くと、他の参加者は、この頃は大雲沢ヒュッテで酒を飲んで大騒ぎとのことであった。
 7時に大雲沢ヒュッテに集合し、浅井さんの運転するマイクロバスに乗って登山口に向かったのは良いが、ピッケルを忘れており、途中から引き返してもらうことになった。雪山装備としてはワカンにストックという頭があって、どうもピッケルは忘れやすい。
 浅草大橋を渡った先の大駐車場は、除雪されておらず、雪に埋もれていた。その先のむじな沢を過ぎた所の路肩に車は停まった。外を見ると、雪の壁を越して破間川に架かる橋を見下ろすことができた。林道は、現在の道ではなく旧道から分かれているが、雪の季節は、旧道の入り口を少し通り過ぎた所から歩き始めるようであった。
 路肩の雪原に上がって、歩き出す準備をした。私はスノーシュー、吉田さんは山スキー、山帽子さんは山スキーを背負ってわかん、他はワカンと思い思いの装備であった。トレースが付いており、見ると、単独行が前方を歩いていた。
 雪に埋もれた林道の歩きがしばらく続いた。青空をバックに白い稜線が広がっていたが、そこまでは遠そうであった。この週の間に30センチ程の雪が積もったとのことで、重い雪に足がとられ、たちまち汗が噴き出てきた。杉の植林地が広がるようになる頃、林道から分かれて、左手の林に入った。後でGPSのトラックデーターを見ると、林道の終点の100m程手前で林道を離れていた。林道の終点まで行くと、枝沢を越すのが大変になるためのようであった。
 下黒姫沢の右岸沿いに400m程進んだところで沢に下り立った。浅井さんの案内なので、スムーズに歩くことができるが、自分たちだけならば、どこで沢に入るべきか迷うところであろう。沢は雪に埋まっていたが、所々大きな口が開いていた。スノーブリッジというよりは、暗渠状であったが、沢の上を渡る時は、もしやと思ってこわごわになった。左右の崖もかなりの急斜面で、雪崩も怖そうであった。雪解けが進んだ時期ならば、この沢の通過には細心の注意が必要になりそうであった。
 沢の両岸の雪原を辿っていき、地図の青線が終わる170m程手前で左岸の尾根に取り付いた。この尾根を登っていくと、地図に書かれている831m点に到着した。周囲には大木の混じるブナ林が広がるようになった。しばらく上黒姫沢と下黒姫沢に挟まれた台地を進んだ後、右手の尾根に取り付くと、急な登りが始まった。トップを交代しながらの登りになった。再び台地の上に出ると、馬蹄形に稜線が取り巻いたカール状の地形が広がっていた。めざす稜線もかなり近づいてきていたが、黒姫の山頂は後ろに隠されているようであった。背後には、浅草岳の眺めも広がり、山頂での展望の期待が膨らんだ。
 南北に連なる尾根に沿ってトラバースした後、間近に迫ったこの尾根には上がらず、1329mピークの東の鞍部を目指すコースに進んだ。浅井さんは、1週前に偵察として登っており、1329mピークを超すのは難しいということで、このショートカットコースを取ったようである。途中で一緒になったり離れていたりしていた単独行は、南北に延びる尾根に向かって登っていった。
 真っ白な斜面にはブナの大木が点在していた。稜線に向かっての急な登りが始まった。雪は深くなって体力を消耗し、短い時間でのトップ交換になった。その代わり、滑落の心配は無かったので、条件としては良かったのかもしれない。ピッケルとアイゼンを新しく揃えたとんとんとバグさんには残念だったかもしれないが、今後いくらでも機会はあるであろう。細い沢形を右に見ながら、斜面の途中にある木を当座の目標にしながら登り続けた。
 全員がラッセルトップを交代で行ったところで、ようやく稜線に上がることができた。これまで見えなかった北測の眺めが広がった。烏帽子岳が、刃物で切り落としたような斜面をこちらに向けて屹立していた。尾根に沿って並ぶブナの大木の他は一面に雪が張り付いていたが、雪崩の前兆か雪庇の下には亀裂が入っていた。危険な、それでいて人を誘うかのような眺めであった。昨年の秋に、烏帽子岳に藪こぎで登る予定が、時ならぬ雪で中止になってしまった。今年こそはとの思いが高まった。
 守門岳方面の稜線を眺めると、痩せた急斜面の雪稜となり、1328mピークからの下りは難しそうであった。東の鞍部に直接登ってきたのは正解のようであった。山スキーの吉田さんが、急斜面の登りで遅れたので、浅井さんに待っていてもらうことにして、黒姫に向かってひと足先に前進することにした。すでに12時になっており、時間が気になってきたが、ここから黒姫の山頂までは1時間近くかかるはずであった。
 稜線の細くなった所では、左右が切り落ちた三角形の雪稜の頂点を踏みしめて慎重に通過しなければならないような所も現れた。雪庇を巻いたり、2m程の段差を下ったり、コースを考える必要もあった。北測の斜面はクラストしてスノーシューの爪がやっと食い込む状態なのに、南の斜面は柔らかい雪であった。左手の谷を巻いていくと、最後は緩やかな登りになって、だだっ広い黒姫の山頂に到着した。どこが山頂かわかりにくかったが、GPSの表示が行き過ぎを教えてくれたところで登頂ということにした。
 登る途中も背後を振り返っては、守門岳の展望が広がっていくのをちらりと眺めてはいたのだが、山頂での楽しみということで、歩きに専念していた。ようやく展望を楽しむ時がきた。守門岳は巨大な雪像となり、雪庇の張り出した稜線が、鋭角的なエッジを見せていた。山は雪の白一色に包まれていたが、青空のもとに、微妙なグラディエーションを見せていた。春山では、残雪は黄砂で汚れていることが多いのだが、先週積もった雪のおかげか、汚れのない純白の姿を見せていた。
 守門岳に至る稜線の右手には烏帽子岳、その向こうには粟ヶ岳を盟主とする川内山塊の眺め。浅草岳からは、鬼ヶ面岳へと長く稜線が続いていた。六十里越の鞍部を経て、稜線は前毛猛山に続き、一旦大きく下ったその先に毛猛山、百字ヶ岳や檜岳といった毛猛山塊の核心部が広がっていた。遠く、尾瀬の燧ヶ岳も双耳峰の山頂を突き上げていた。越後駒ヶ岳方面は、雲がかかっていた。細かく峰々の名前を挙げていけば、きりのない眺めであった。
 日差しに包まれていても風は冷たく、昼食は下の台地に下ってからということになった。全員が集まったところで記念写真を撮った後、下山することにした。歩きの者にも下りの足は快調であったが、特に山帽子さんには、お待ちかねの大滑降であった。豪快な滑りを披露していた。
 1329mピークの東の鞍部に戻ったところで、単独行はどうしたのだろうと思った。結局、黒姫には来なかった。眼下には、登ってきたトレースが長く続いており、尾根を下っている単独行が見えた。稜線に上がったものの、守門岳方面に行こうとして断念したのか、黒姫を目指したが1323mピークを越せなかったのだろうか。
 鞍部からの下りは、急斜面であったが、雪も柔らかく、大股で一気に下ることができた。トラバース道を少し進んだところで、遅くなったが、昼の大休止にした。山頂から下ったとはいえ、目の前には浅草岳のパノラマが広がっていた。難所も下り終えたということで、ビールにワインで、昼食を楽しんだ。
 休んでいる時、尾根沿いに5、6人のグループが登っていくのが目に入った。時間的に、これからピークを踏んで下山は無理なので、もう少し尾根を登った稜線直下で幕営にするのであろうか。意外に多くの登山者が入っているのに驚かされた。
 酒に酔ったためか足は重くなったが、順調に下山を続けた。おおよそ予定していた時間に下山することができた。新雪が積もってラッセル状態であったことを考えれば、なかなか良いペースであったと思う。
 大雲沢ヒュッテに戻って解散になったが、この晩は私一人でヒュッテに泊めてもらうことになった。いつもは夜遅くまで大騒ぎするのだが、この晩は、早々と眠りにつくことができた。
 翌日の山としては、津久の岐山から鼓ヶ倉山へ歩く計画を立てた。鼓ヶ倉山は、奥只見の未丈ヶ岳に向かい会う山で、かなりの奥地にある山であるが、津久の岐山からは稜線が続いている。この津久の岐山へは、奥只見シルバーラインから、短時間で登ることができるのは、以前の山行で経験済みであった。浅井さんも行くとのことで、頼もしい同行者が得られた。
 車二台で小出に向かい、シルバーライ入り口の駐車場に私の車を置いて、浅井さんの車でシルバーラインに進んだ。駐車スペースがあるのか判らないのが、第一の心配ごとであった。シルバーラインは、交通量も多く、大型観光バスも通ることから、路肩駐車はまずかった。
 津久の岐山へは、栃の木トンネルと津久ノ岐トンネルの途中(実際には二つのトンネルはスノーシェッドで結ばれて一つになっているのだが)から外に出て、登り始めるつもりであった。トンネルを見落とさないように注意しながら車を走らせていくと、栃の木トンネル手前で除雪されたスペースがあり、車を置くことができた。まずは、トンネルから外に出られるか見に行くと、出口は木の囲いで完全にふさがれていた。
 トンネルの入り口に戻って、周囲を眺めると、入り口脇まで林道が上がってきているのが見えた。これは、今は廃道になっている大湯からの林道である。先回の夏に来た時は、藪に覆われて、この林道は隠されていた。林道は、トンネル出口の広場から津久の岐山の登り口に通じているはずであった。この林道跡に進んでみることにして、歩き出す準備をした。
 雪の斜面をトラバースして林道跡にのった。尾根を回り込むと、コンクリートのパイプが雪の上に半分頭を出していた。トンネル出口の広場を目前にして、深い沢が入り込んでいた。3m程の急斜面で、進むのに躊躇していると、浅井さんが、ワカンで簡単に下ってしまい、向かいの急斜面を登り返して、雪原に立った。スノーシューでは下れないので、つぼ足になって下った。下りたまでは良かったのだが、登り返しには、足場が固まらずに苦労した。広場に立ってトンネルを眺めると、木の囲いで閉ざされた出口は、まだ雪の下であった。
 広場のはずれから始まる尾根に取り付いた。取り付きから急登であった。雪面がクラストしており、スノーシューの爪が引っかかるだけの状態であった。急斜面のためにジグザグを切ろうとしても、トラバース部で滑落しそうであった。浅井さんに停まってもらい、つぼ足になった。今度は、キックステップのために靴を蹴り入れると、表面の固まった層を壊して、中の柔らかい雪の層に落ち込んで、登ることのできる状態ではなかった。わかんを履くべきであったと、後悔した。少し登っただけで、再びスノーシューを履くことになった。
 結局、スノーシューを履いて、ピッケルを右手にもって確保し、左手のストックで体を押し上げるという体勢で、登りを続けることができるようになった。登るにつれて傾斜も緩やかになってきて、周囲に目をやる余裕も出てきた。谷を巻いた先のピークが、津久の岐山の山頂のようであった。
 津久の岐山には、1999年9月4日に登っている。点の記を参考に、大湯温泉からの林道を少し進んだところの尾根から取り付くつもりであったが、測量隊のものと思われる刈り払い道があるのをみて、それを辿ってみると難なく津久の岐山の山頂に到着してしまった。その時に登ったのがこの尾根であったが、雪の季節には急斜面であまり良いルートとは思えなかった。
 かなり体力を消耗して、638m点から延びてくる尾根に上がった。昨日の黒姫の疲れが残っているのかもしれない。ここからは、ブナ林の広がる尾根の登りになった。近いと思った山頂までは、意外に長い登りが続いた。
 津久の岐山の山頂は、木立が切れて雪原となり、文字通りに360度の展望が広がっていた。稜線の先に鼓ヶ倉山の山頂が見えていたが、途中で雪庇が大きく崩れているような所があった。登りに手こずって疲れてしまったこともあるが、この展望を見て、ここまでで充分という気持ちになってしまった。
 北から右に頭を回していけば、下権現堂山、上権現堂山、唐松山、大倉山と続く権現堂山塊。その右の少し遠くには守門岳。昨日登った黒姫も良く見分けることができた。その右隣手前には、檜岳、百字ヶ岳、毛猛岳のピークを連ねた毛猛山塊。そこからは長い稜線を連ねて、大鳥岳から未丈ヶ岳。鼓ヶ倉山の後ろに山頂をのぞかせているのが未丈ヶ岳のようであった。荒沢岳から越後駒ヶ岳。北に広がる魚沼平野の向こうには米山と刈羽黒姫山も眺められた。その右に横に広がるのは、日本海のようであった。夏に登った時には、藪に囲まれた山頂で、見るものは三角点だけであったので、この大展望は驚きであった。
 雪原に腰を下ろして、昼食とした。今日は二人だけなので、昼の休みもそれほど長くはならず、下山に移ることになった。
 下山は、登ってきた尾根が急斜面であったため、浅井さんのアドヴァイスに従い、北西尾根に進み、766m小ピークを越した先からトンネル入り口に続く尾根を下ることにした。津久の岐山から下っていくと、雪庇の張り出しのため、尾根が痩せている所も出てきたが、766m小ピーク付近からは、木立の間隔も開いた気持ちの良い尾根道になった。
 尾根の下りは、はじめは急であったが、直にほどほどの傾斜になってきた。登りの途中でもカモシカを一頭見かけたが、この下りでも谷向こうに二頭連れを見た。浅井さんがいうには、二頭連れは親子とのことであった。
 最後は、尾根を左にはずし、杉林から左の沢に向かって斜めに下っていくと、車の上の雪原に下り立った。積雪期に津久の岐山に登るのには、この尾根を使うのが良さそうであった。鼓ヶ倉山の登頂は果たせなかったが、「大展望の山」という津久の岐山の魅力を発見することができた。
 シルバーライン入り口の駐車場に戻り、浅井さんと別れた。
 時間は早かったので、温泉に入った後、六日町のショッピングセンターで時間をつぶし、夕方湯沢に入った。翌日の山行のため、白板山の登山口の偵察を行っておくことにした。登山口付近は、苗場三俣の民宿街が広がっているため、車の停め場所が一番の問題であった。お金を払ってまで、苗場みつまたスキーゲレンデの有料駐車場に車を停める気にはならなかった。民宿街を通り抜けると、水無川にかかる橋の左岸の橋のたもとに除雪スペースがあった。ここに車を置いて、GPS片手に、三俣の集落内から670m点に通じる林道の入り口を探しに歩き出した。結局、民宿の庭先のようなところから林道が始まっていた。林道には、スキーの跡が続いており、山に向かった者がいたようであった。この林道入り口付近には駐車スペースは無いため、水無川にかかる橋から歩き出す必要があった。
 地図を見ると、水無川沿いの林道を進み、送電線と交わる所から、送電線に沿って進めば、670m点に到達できるはずであった。コースを変更することにした。
 夕暮れになって冷え込み始めていた。三俣付近の標高は630m程あるため、湯沢まで下って夜を過ごすことにした。湯沢付近は、標高340m程なので、冷え込みも少しは違うはずであった。湯沢の道路ステーションで寝ていたが、夜半になってからは、エンジンをかけっぱなしの車が多くなり、うるさいので、魚野川対岸の駐車場に移動するはめになった。
 早朝に目を覚ますと、厳しい冷え込みで、車の窓ガラスが凍り付いていた。快晴の朝になっていた。湯を沸かし、まずは三俣に移動した。
 食欲は無かったが、暖かいスープを飲むと、歩き出す元気が出てきた。尾根の取り付きまでは、平地の歩きがあるのでスノーシューを履き、途中の急登に備えて、ワカンも持っていくことにした。水無川は、その名前の通りに水は流れておらず、雪のベルトが続いているだけであった。川岸も緩いスロープになっており、どこでも川を横断することができたので、左岸沿いの林道沿いに歩き出すことにした。夜の冷え込みで雪は締まっており、歩きやすかった。川の上流にピークが見えており、これが白板山だと地図を確認しないままに思いこんだのが、後で失敗の原因になった。東谷山を見誤っていたようである。
 送電線を認めて右岸に渡った。送電線の下は、幅20m程の切り開きが杉林の間に続いていた。林道の横断点を探しながらの歩きになった。670m点に到着すると、林道がクロスし、スキーやわかんの跡が続いていた。白板山は、意外に人気の山なのかと思って、この踏み跡に従って、右の林道に進んだ。周囲には杉の植林地が広がり、見晴らしはまったく聞かなくなった。目指す山がどこにあるのか判らず、GPSを見ると、コースからそれているようであった。それでも、林道はそのうち向きを変えるのだろうと思って歩き続けると、川岸に出て、コースを間違ったことが判った。踏み跡は、東谷山か日白山に続くものであったのだろうか。歩きはじめに、東谷山を白板山と思いこんだのも、頭の中で、方向を無理にねじ曲げる原因になっていた。杉林の中のショートカットはやめて、林道横断点に戻ることにした。
 670mの林道横断点からは、南東にもう一本の林道が分かれている。雪に覆われており、かろうじて切り開きが見分けられるだけであった。今度は、GPSを慎重に見ながら歩くと、尾根の末端に到着した。
 登りはじめは結構急であったが、スノーシューの爪が利いて、気持ちよく登ることができた。800m標高付近で尾根の上に出て、傾斜は一旦緩やかになった。ブナ林の中を登っていくと、再び急な登りが始まった。今度の斜面は、スノーシューでは、爪が外れるとそのまま滑り落ちる危険性が出てきた。スノーシューを脱いで、ピッケルを出して、つぼ足で登ることにした。スキーの上級者用林間コースといったベルト状の雪原が広がっていた。この雪の斜面から白板という名前が付けられたのかもしれない。標高差200m程の急斜面が続き、直登も足が草臥れるため、ジグザグを交えながら登り続けた。
 標高1150m標高点で稜線に飛び出した。苗場山や東谷山から日白山の展望が広がった。その先は傾斜も緩やかになったが、雪庇がかなり発達していた。足運びに注意が必要そうであったため、スノーシューはおいて、わかんを履くことにした。
 南に張り出した雪庇を避けるため、北斜面よりをトラバースするような歩きが続いた。小ピークを巻くと、白板山への最後の登りになった。この斜面もスキーには気持ちが良さそうであった。
 白板山の山頂は、ブナ林で囲まれて展望はあまり良くなかったが、近くの神立スキー場や湯沢方面の眺めも隠されて、落ち着いた雰囲気であった。日白山方面には、ブナ林の回廊が続いていた。少し進んで見ると、苗場山方面の眺めが広がった。谷川連峰方面の眺めが得られないのが少し残念であった。こういった展望の差が、タカマタギや日白山との人気の違いになっているのかもしれない。しかし、登ってくる途中の雪堤の上からは、展望が開けているので、白板山だって登ってみる価値のある山だと思う。神立高原スキー場に続く尾根は、白板山の山頂付近はなだらかであったが、登りの途中から眺めたところでは、痩せて雪が落ちかかっており、通過は難しそうであった。
 ひと休みの後で下山に移ると、雪も緩んで、快調な下りになった。立ち止まっては写真の撮影になった。スノーシューを回収し、登りには苦労した斜面も一気に下ることができた。尾根を下り終えたところで、スノーシューに履き替えて、車に戻った。
 時間も早いせいもあってか、がら空きの「街道の湯」に入って、三日連続の山を締めくくることができた。

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