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大倉山


【日時】 2003年3月15日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 会越国境
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 大倉山・だいくらやま・950.2m・三等三角点・新潟県、福島県
【コース】 柴倉より
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/野沢/安座
【ガイド】 会津百名山(歴史春秋社)
【温泉】 七福温泉・七福荘(500円)

【時間記録】 6:10 新潟発=(R.49、合川、七名 経由)=7:55 柴倉〜9:01 発―9:30 621mピーク東の鞍部〜9:35 発―10:34 815mピーク―11:25 県境930mピーク―11:47 大倉山〜12:15 発―12:27 県境930mピーク―12:56 815mピーク―13:23 621mピーク東の鞍部―13:38 柴倉=(往路を戻る)=16:00 新潟着

 大倉山は、西会津の西側、新潟と福島の県境線上にあるピークである。周辺には、標高は低いながら雪崩に磨かれたスラブを抱く峻険な山が連なっているが、大倉山は比較的なだらかな山頂を持っておりあまり目立たない山である。この山の北側には大倉峠があり、この峠道は、かつては新潟側の最奧の集落の柴倉の生活路として使われていたというが、津川方面の車道の整備によって、消えようとしている。
 昨年、上川村奥地の県境線近くに位置する目指岳や戸屋山に登って、次は大倉山と思ったものの、大倉峠への道を偵察したが良く判らず、翌年の残雪期まで先延ばしになった。先週末から冬に逆戻りした天候が続いたが、この週末はようやく天気が回復しそうであった。
 大倉山は会津百名山にも取り上げられているが、残雪期に登るとなると、新潟県側の柴倉から取り付くのが早そうである。会津百名山に新潟県側から登ってしまうことに少し抵抗も感じるが、柴倉の北側には大倉という地名が記載されていることから、この方面からみて山名が付けられているように思える。いずれにせよ、この一帯は、かつては会津の文化圏であったので、登山口をどちらに取るかと迷う必要はないのかもしれないのかもしれない。
 七名を過ぎて山の奥地に進むと、道路にも所々除雪残りの雪が現れたが、夜の冷え込みで凍っており、さい先良いと思った。柴倉の集落手前で、車道上を送電線が通過するのを見て現在地を確認した。大倉山の記録をいくつか見ると、ここから621mピークを目指しているようだが、かなりの急斜面である。それよりは、200mほど戻って、621mピークの東の鞍部に回り込んだ方が、急な登りは避けることができそうである。ちょうど、路肩が広くなった駐車スペースもあり、車を停めることができた。
 夜の冷え込みで雪も締まっているかと思い、ワカンで登ることにした。途中で現れる急斜面は、スノーシューでは難しそうであった。道路脇の金網の脇から杉の植林地に上がった。一旦東に向かって進むと、雑木林の広がる緩やかな斜面が続いていた。登り始めたものの、一歩ずつ膝ほどまで潜る状態で、足を前に出す間にも軸足が潜っていく状態であった。少し歩いただけで、たちまち息が切れてきた。先週からの冬型気候で、まとまった新雪が積もったようであった。この調子だと、体力切れで、山頂まで進めない可能性が高かった。15分程登ったものの、一旦戻って、スノーシューを履くことにした。
 30分程のロスとなって、スノーシューを履いての再度の出発になった。今度は、雪が重く感じられるものの、歩き続けることができるようになった。弱い尾根状の地形を登っていくと、621mピークの東の鞍部に登りついた。ここからは緩やかな尾根の登りになった。左前方にピークを望むことができたが、これは県境930mピークで、大倉山の山頂はその後ろに隠されているようであった。見上げる稜線付近の木立は、砂糖を振りかけたように白く染まっていた。
 815mピークに向かっては傾斜も増した。右手の谷間からは杉の植林地が広がってきていた。杉林に入ると雪が締まっており、比較的登りやすかった。815mピークから僅かに下ると、再び急な登りが始まった。雪庇が崩れた跡なのか、50センチ程の段々が重なっており、それを乗り越すのに苦労した。傾斜が急になったのと、藪が出てきたので、スノーシューの代わりにワカンを履くことにした。雪も締まってきており、この先はワカンで歩けると思い、スノーシューは、尾根の途中の雪原に突き刺して置いていくことにした。他に登山者はいないはずであった。
 ワカンのフレームの前を雪面にけり込みながら、急斜面を登り切った。高度が上がって、雪も締まり、歩きやすくなってきた。県境線上の930mピークから、しばらく緩やかな尾根をたどると、ようやく目の前に大倉山の山頂が迫ってきた。左から上がってきている谷に向かって僅かに下ってから、標高差30m程の登りを終えると、大倉山の山頂に到着した。
 大倉山の山頂は雪原となり、東の展望が広がっていた。標高は低いながらも、日向倉山が、鋭角的な尾根をめぐらしてひときわ印象的であった。夜鷹山の向こうには黒男山のピラミッド型の山頂を望むこともできた。会越国境付近には、標高こそ低いものの、手強く、それだけに魅力的な山が多い。西会津の盆地を見下ろしながらのひと休みになった。
 下りは雪が重くとも楽で、ワカンのままで歩き続けた。真っ白な飯豊連峰が空に浮かんでいた。
 下山後、七名にできた日帰り温泉で汗を流した。一般の人は入り込まないような山奥であるが、たきがしら湿原の整備や温泉で、観光客を呼び込もうとしているようであった。
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