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大方山


【日時】 2003年3月2日(日) 日帰り
【メンバー】 てくてく会(17名)
【天候】 雨後晴れ

【山域】 川内山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 大方山・だいほうやま・865.3m・三等三角点・新潟県
【コース】 名古津より
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/御神楽岳/室谷
【ガイド】 新潟の低山藪山(白山書房)
【温泉】 御神楽温泉 みかぐら荘 500円

【時間記録】 6:10 新潟発=(磐越自動車道、津川IC、上川 経由)=7:40名古津〜8:15 発―8:28 鞍部―8:55 460m小ピーク―9:20 555m尾根屈曲点―10:50 大方山〜12:10 発―12:58 555m尾根屈曲点―13:12 460m小ピーク―13:29 鞍部―13:43名古津=(往路を戻る)=16:00 新潟着

 川内山塊の東の境界を形作る室谷川の左岸には、中の又山にはじまり駒形山、太郎山、大戸沢山、船窪山、大方山、鍋倉山とピークを連ねる稜線が続いている。大方山は、登山道の無い山であるが、麓を室谷に至る県道が通過しており、川内山塊の山の中ではアプローチしやすい山である。
 てくてく会の雪山山行として、川内山塊の中ではアプローチがしやすく、展望の良い山として、大方山を選んだ。小人数での山行を思っていたのだが、いつの間にか20名近い、最終的には17名の参加者が集まってしまった。新ハイキングの3月号に山行記録が掲載されたことから、皆興味を持ってくれたようである。
 リーダーとして、まずは天気に頭を悩ますことになった。天気予報では、土曜日の昼から始まる雨は、日曜日の朝に上がって昼には晴れるという。天気予報を信じて、山行をそのまま実施することにしたが、新潟を出た時には曇り空であったものが、集合場所の津川が近づくにつれて本降りの雨になった。津川のコンビニでの集合も、大人数にもかかわらず定時に全員が集まり、室谷に向かうことができた。いつになく、皆気合いが入っているようであった。登山を止めて温泉でもとは言いづらい雰囲気であった。
 登山口となる名古津の集落バス停脇の路肩に車を停めた。路肩駐車の列も長く、集落内で葬式でもあるかのような光景であった。雨は少し小振りになっていた。登りに要する時間は3時間ほどなので、最大限9時半までは出発を延ばすつもりであった。出発の準備をしてもらってから様子見をすることにした。雪山の準備は、スパッツをつけたりで、なにかと時間がかかる。あらかた準備も終わった頃には、雨もあがり、出発となった。
 ひと苦労して道路から雪の上に這い上がり、ワカンを履いた。昨夜の雨で雪はグズグズになっていたが、杉林の中は比較的雪がしまっていた。大人数で、長い列が続いた。雪の上には、かなり以前のものと思われる登山者のワカンの跡が残されていた。杉の植林地を抜けて、329mピークとの鞍部に上がったところで、最初の休憩になった。ここからは、雑木林の尾根の登りが始まる。急坂ではあるが、ワカンを蹴り入れながら登るには問題の無い勾配であった。皆にラッセルを経験してもらうために、適当にトップを交代しながら登り続けた。
 次の目標地点の460m小ピークの尾根屈曲点に登り着く頃には、晴れ間が広がり始め、登山の期待も膨らんだ。555m尾根屈曲点に登った先で、大方山の眺めが広がった。太陽の光に、大方山山頂の雪原が光っていた。尾根の右側の斜面は、雪が割れて落ち込んでいた。雪が緩んでいるだけに、ここからの登りは苦労しそうであった。登りの途中、大方山や鍋倉山の展望が広がる毎に写真撮影タイムになった。途中、二ヶ所の急斜面があり、トップに立って足場を作りながら登ったが、後続の者はそれ程苦労しないで登ってくることができたようである。
 山頂下の台地に到着したところで、山頂をうかがった。真っ白な雪原が山頂まで続いていた。昨年登った時は、雪庇が張り出して、最後は左にトラバースして山頂に上がったが、今回は、雪庇は発達していなかった。まずは、右の尾根に上がって、山頂に近づくことにした。山頂が近づくにつれて、傾斜は増してきた。上を窺うと、そのまま直登できそうであった。ピッケルは持ってきたものの、雪が柔らかくて役に立ちそうもなかった。ストックを支えに、足場を固めながらの登りになった。実際にはそれ程の時間はかからなかったのかもしれないが、緊張と快感の高まる瞬間であった。
 見覚えのある山頂に到着した。皆が登ってくるのを待って、風景に目をやった。昨年の快晴の日の展望は望めないものの、朝の雨を思えば、まずますの展望であった。登りの途中では見えなかった銀次郎山、銀太郎山、五剣谷山と続く稜線が目の前に横たわっていた。少し遠い矢筈岳は雲に隠されていた。御神楽岳や鍋倉山を眺めているうちに、他のグループの登山者が登ってきた。
 ラッセルのお礼を言われ、さらに続けて、50名程の団体が登ってくると聞かされて驚いた。新潟山岳会主催の山行というので、思い当たった。山行前に、インターネットで大方山の山行記録を検索した。山行記録は、私のものと、もう一つ、新潟山岳会の森田さんのものがヒットしたのみであった。昨年私が登ったのは、3月9日(土)、森田さん一行が登ったのは、その翌日の3月10日(日)の1日違いであった。おそらくその時の経験から大方山を選び、今年の山行は同じ日になったということであろう。森田さんも参加しているのと訊ねると、後から登ってくるということであった。
 山頂を吹き抜ける風は冷たく、山頂下の台地に下ってから休むことにした。見下ろすと、長い列が登ってくるのが見えた。狭い山頂を空けるためにも、記念写真を撮って、下山を開始した。山頂からの急斜面では、少し苦労した者もいたが、難所を下ることができた。一人スキーを担ぎ上げたやまぼうしさんは、スキーの装着のために後に残った。台地に荷物をおろして見上げていると、やまぼうしさんの山頂からの大滑降が見事に決まった。川内山塊でスキーとは恐れ入った。
 今回は、山での宴会は無しということで、アルコールは最小限にという指示を出していた。宴会のために登る山も良いが、今回の山は、われわれグループでは真剣に取り組んでもぎりぎりといった感じがある。一番の大酒飲みのバクさんが、ノンアルコールビールを持ってきていたのには恐縮した。代わりにウィスキーを差し出すと、なみなみとついでいた。アルコールは控えめでも、楽しい昼食になった。若い人ばかりだが、学生ですかと聞かれたといって、喜んでいる者がいた。今の山の会の平均年齢からすれば、少しは若いかもしれないが、学生ということは無かろう。私も一応は教師であるが、雪山の学生の引率はごめんである。
 山頂から戻ってきた人たちで、台地一帯は角田山並みの大賑わいになった。ようやく森田さんを見つけることができ、挨拶ができた。ラッセルに苦労するかと思って少し早く出発して良かった。老舗の新潟山岳会と違って、我々は素人集団である。後についたら、他人のトレースがあったから登れたという気持ちをぬぐうことができなかったに違いない。仲間で苦労してこそ、登頂の喜びも増すものである。経験のありあまる新潟山岳会なら、トレースがあったなら、それで楽ができたということで済むであろう。休みもそこそこに、やまぼうしさんは、ジャンプ台を作って、ヘリコプターや開脚ジャンプのモーグル技を披露しはじめた。てくてく会は、異才揃いということは確かなようである。
 宴会を続ける団体を残して、ひと足早く下山に移ることにした。何十人もが歩いたためにトレースはしっかりついていた。途中の急坂で下山に苦労する場面もあり、補助ロープを出すべきであったかと反省している。その後は順調な歩きになった。途中でワカンの紐が切れ、修理も面倒であったため、そのままつぼ足で下山を続けた。時折足が潜り、ワカンを直して履いた方がやはり楽であったようである。
 天気は早くも崩れ、御神楽岳は隠れはじめていた。無事に下山して、荷物を整理しているうちに雨粒が落ちてきた。みかぐら荘に入浴し、山行を終了した。
 てくてく会の山行としては、いつもより難しい山行であったと思う。ピッケルが必要かもしれないということで、何人もが今回新調した。その山行への意気込みと期待感が、山行の成功につながったと思う。


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