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高尾嶺
尾白山、丸山


【日時】 2003年2月22日(土)〜23日(日) 1泊2日 各日帰り
【メンバー】 22日:単独行 23日:室井さん他、総勢6名
【天候】 22日:晴 23日:曇り

【山域】 会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
高尾嶺・たかおみね・869.3m・三等三角点・福島県
【コース】 久保田より
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/宮下/宮下
【ガイド】 会津百名山ガイダンス(歴史春秋社)
【温泉】 西山温泉せいざん荘 310円

【山域】 会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
尾白山・おじらやま・1398m・なし・福島県
丸山・まるやま・1488.4m・三等三角点・福島県
【コース】 小塩より
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/針生、小林/会津山口、城郭朝日岳
【ガイド】 会津百名山ガイダンス(歴史春秋社)、新ハイキング02年4月号
【温泉】 古町温泉赤岩荘 310円

【時間記録】 
2月22日(土) 7:05 新潟発=(磐越自動車道、会津坂下IC、R.252、滝谷、湯八木沢 経由)=9:20 久保田〜9:40 発―10:53 稜線上―11:14 西峰―11:34 高尾嶺〜12:36 発―12:31 西峰―12:44 稜線上―13:24 久保田=(湯八木沢、滝谷、R.252、会津坂下IC、R.49、会津坂下、上三寄、R.121、会津田島、R.121、上ノ原、R.352 経由)=16:30 番屋  (車中泊)
2月23日(日) 5:30 番屋発=(R.352、内川、R.401 経由)=6:00 小塩〜6:35 発―7:22 滝倉林道の橋手前―8:22 870m尾根分岐―9:40 1179m点―10:13 1278m点―11:13 尾白山―12:32 丸山〜13:05 発―13:46 尾白山―14:32 1278m点―14:32 1179m点―15:27 870m尾根分岐―15:59滝倉林道の橋手前―16:32 小塩=(R.401、南郷、R.289、会津田島、R.121、上三寄、会津坂下、R.49、磐越自動車道 経由)=21:10 新潟着

 会津盆地南西部の阿賀野川右岸に広がる山塊では、博士山、志津倉山、明神ヶ岳といった山が登山者に親しまれている。高尾嶺は、明神ヶ岳の北西部に隣接する山である。一般に名前の知られている山ではないが、会津百名山に選ばれている。登山道は無く、山頂も木立に囲まれて見晴らしも無く、これといった特徴のない山である。
 尾白山は、会津駒ヶ岳、三岩岳、窓明山、坪入山、山毛欅沢山と伊南川の左岸に続く稜線の末端部に位置する山である。会津百名山に選ばれているが、地図には山名は記載されていない。丸山は、尾白山の奧にあり、その名前通りにドーム型の山頂を持つ山である。
 宇都宮の室井さんから、会津の山の誘いが入った。はじめ、丸山と聞いた時には、ありふれた名前でどこの山か見当が付かなかった。尾白山から丸山と聞いて、ようやく地図上で確かめることができた。ありふれた名前というのも困ったものである。奧会津まで出かけるなら、前日に一山と思ったが、丸山まで足を延ばすとなると、かなりの時間がかかりそうで、体力も温存しておく必要があった。しかも先週の二倉山と萱峠の疲れが残っており、金曜の夜の出発はしたくなかった。新潟を朝出発して登ることのできる山として、会津百名山にも選ばれている高尾嶺を選んだ。
 高尾嶺は、以前偵察として東山麓の大谷地集落を訪れたことがある。大谷地溜池脇のビニールハウスの手入れをしていた人に挨拶をして、高尾嶺への登山道のことを尋ねた。登山道は藪に埋もれているという話であった。会津百名山のことを話すと、このような山が選ばれてと、とまどっていた。登山者がくるなら、道の刈り払いをしなければならないかとも言っていた。山の北側を巻いている山道のことを尋ねると、以前は、久保田の集落との行き来に使っていた道であるが、車道が通じてからは、歩く者はいないということであった。高尾嶺はヤブコギの覚悟で登るか、久保田の集落から雪を使って登るしかないようであった。地図を見ると、久保田の集落から、高尾嶺の北西の稜線に向かって、緩い傾斜の幅広の尾根が続いている。スノーシューにもうってつけのコースのように思われた。
 天気予報は外れて、青空も顔をのぞかせる意外に良い天気になった。会津坂下ICから只見川沿いに車を走らせ、西川に向かって国道から離れた。西川の手前で久保田への道に入ると、道幅も狭くなった。道路周辺の雪の量も多くなったが、除雪は完全にされていた。前方に迫ってきた山が、高尾嶺のようであった。道路が冬季閉鎖で、登山口まで辿り着けないということもあるので、問題の一つは突破したようであった。
 久保田の集落に入り、駐車スペースを探しながら進んでいくと、集落を抜けた所で、路肩に空き地があった。GPSで位置を確認した。集落の北東の一段高いところに民家が一軒あり、そこに向かって、除雪された道が続いていた。予定とは少し違ったが、この道から山に向かうことにした。
 道の終点は民家の庭先で、そこでスノーシューを履くとなると、住人に挨拶をする必要があり、それも面倒であった。民家の手前から杉林に入ることにした。杉林の奧の谷間は、簡易水道のものなのか、コンクリートの水溜めのようなものが置かれていた。杉林を登っていくと、山間の平地が現れ、田圃が広がっていた。雪に覆われた田圃を横切って辿り着いた尾根の取り付きには、久保田三十三観音石像の看板が立てられていた。集落の中にも、この久保田三十三観音石像を示す道路案内もあり、ここまでは車で入ることができるようであった。尾根にも遊歩道を示す木の柵が見えたが、山の斜面に続いているため、雪のために辿れそうもなかった。
 遊歩道を歩くことは諦めて、尾根に上がることにした。杉の植林のためか、尾根までは山道が続いているようであったが、すぐに判らなくなった。予想通り、歩きやすい傾斜の尾根の登りになった。ナラやブナの雑木林が広がっていたが、集落に近いためか、大木は見あたらなかった。近くの博士山や志津倉山がブナ林でも有名なので、少し期待していたのだが、残念であった。木の周りには、リング状に雪解けが進んでおり、春の訪れを知らせていた。
 右手の谷向こうに、高尾嶺の山頂部を眺めながらの登りが続いた。目指す稜線も、それ程の高度差はないようであった。稜線手前は、カラマツの植林地が広がり、傾斜は少しきつくなったものの、スノーシューで楽に登ることができた。
 稜線に上がると、左手前方に高尾嶺の山頂が姿を現した。その手前の西峰に向かっての登りが始まった。木立が切れて東の展望が開けると、磐梯山が大きな白い姿を見せていた。南には、博士山が姿を見せていた。西峰からは、僅かに下った後に、高尾嶺山頂への緩やかな登りになった。
 高尾嶺山頂は、木立に囲まれており、山頂標識のような人工物は見あたらなかった。会津百名山に選ばれたからといって、この山に登る者は、めったにいないようであった。山頂と思われる雪原に腰を下ろした。日差しは暖かさを感じさせたが、雪の上に腰を下ろしていると、次第に冷えてきて、下山に移ることになった。西峰への登り返しの後は、快適な下りが続いた。高尾嶺は、スノーシュー向きの山であった。
 下山後は、山の装備を車に放り込むなり、西山温泉に向かった。日帰り温泉施設のせいざん荘は、以前にも入っているが、料金も安く、お勧めの温泉である。
 温泉でゆっくり休んだ後、会津田島に向かった。いつも利用する会津田島のコンビニで食料を買い込み、集合場所の番屋に向かった。番屋には、トイレもある大きな駐車場が設けられていた。今回の山行で試みたかったのは、出先でGPSのトラックデーターをコンピューターにダウンロードし、翌日のルートデーターをアップデートすることであった。また車の中でシガー電源に接続してプリンターを動かして地図を印刷できるかも確かめたかった。コンピューターには、日本全国の2万5千分の1地図をダウンロードしてあるので、それをプリントアウトすれば、出先でも山行の資料に不足する心配はない。車の中で、ビールを飲みながらコンピューターをいじっているうちに眠くなったので、ひと眠りすることにした。
 気がつくと10時を過ぎて、室井さん一行が到着し、テントを張っていた。ひさしぶりに会ったので、軽く飲みながら山のお喋りをしたが、翌日のことを考えて、適当に切り上げた。夕方の小雨も上がって、車の上に霜が下りていた。冷え込みも厳しそうなため、テントはやめて車の中で寝ることにした。
 翌朝は、暗いうちに起きて、登山口の小塩に向かった。今回の計画では、滝倉川沿いの林道小塩・塩之岐線から取り付く予定であったが、林道がどこまで入れるのか判らなかった。集落内の十字路から林道に入ると、すぐに除雪は終わっていた。十字路に戻り、その脇の路肩に車を停めた。
 林道歩きもあることからスノーシューを履き、念のためにわかんを背負って歩き出すことにした。林道に進んでみると、雪も締まっており、つぼ足で歩くことができた。田圃を突っ切って山裾に辿りついたところで、林道は北に向かう。尾根を乗り越して西に方向を変えると、滝倉川沿いの道になった。カーブ地点のすぐ先に、久川城趾の看板が置かれていた。山城跡には、遊歩道が巡らされているようであった。
 しばらく林道歩きを続け、林道が右岸から左岸に移る橋の手前で、尾根に取り付いた。林道から一段上がった所で、スノーシューを履いた。他のメンバーはワカンであったが、それでもほとんどもぐらないようであった。スノーシューの季節も終わった感じがする。右寄りの尾根に取り付くと、五葉松の生えた痩せ尾根の登りになった。なんとか歩いたものの、スノーシュー向きとはいえない登りであった。862m小ピークからの尾根が合わさると、その尾根からは、踏み跡が上がってきていた。干刈の集落からアンテナピークへ続く林道経由で登ってきたようであった。雪の上は、ワカンやつぼ足の跡が抉れて、スノーシューではとても歩けない状態であった。つぼ足になって歩くことにした。
 尾根の周囲に雑木林が広がると、周囲の見晴らしもきくようになった。1278mピークの東面は、雪が大きく割れて、雪崩が起き始めていた。長い登りが続いたが、1120m標高点まで上がると、傾斜も少し緩んで、谷を巻くような登りになった。北には大博多山が大きな姿を見せていた。稜線を風が吹き抜けるためか、ここまで深く刻まれていたトレースは消えていた。ブナの大木も見られる気持ちの良い尾根の登りになった。1278mピークを越して尾白山への登りに取りかかる所で、急斜面が現れた。雪がモナカ状で、足場が不安定で、木の枝を掴んで体を持ち上げる必要があった。上部の雪原では掴まる木がないため、ストックを逆さまに差し込んで支点としながら登る必要があった。ピッケルは、他のメンバーは持ってきており、やはり携行すべきであった。
 尾白山の東にある小ピーク手前で、雨量観測施設と思われる、アンテナを立てたコンクリート製の建物が現れた。尾白山の山頂は目の前に迫ったが、稜線の最高部は雪庇の踏み抜きが怖いため、一段低い所をトラバースする必要があったが、藪を踏み抜いて落ち込むところが多く、歩くスピードは上がらなかった。
 最後の急坂を登ると、尾白山の山頂に到着した。予定時間よりも少し遅れていた。丸山がドーム型の姿を目の前に見せていた。尾白山の山頂から先は、大木のブナ林が広がった台地が続いていた。実際に登ってみると、尾白山は目立った山頂を持つ山ではなかった。その奧の丸山の山頂の方が印象的で、これでは、丸山まで足を延ばさない訳にはいかない。丸山はまだ遠く、1時間以上はかかりそうであった。
 ブナ林の写真を撮りながらひと息ついた。緩やかに起伏するブナ林を抜けていくと、丸山山頂に向かっての急登が始まった。体力も限界に近く、足は進まなくなっていた。青空が広がり、白い雲が流れていたが、その雲まで登りが続くように思えた。
 ようやく傾斜が緩むと、ようやく丸山の山頂に到着した。グランドのような雪原が広がっていた。周囲は、会津の山々がぐるりと取り巻いていた。城郭朝日岳が目の前に白い山頂を見せ、山毛欅沢山へと稜線が長く続いていた。振り返れば、尾白山の山頂は、下に遠ざかっていた。雲が残って、遠くの眺めは充分ではなかったが、それでも素晴らしい眺めであった。
 雪原に腰を下ろして、遅い昼食をとった。先に山頂に到着していた室井さんがいうには、向こうの下り口に小屋があるという。のぞきに行ってみると、小さな小屋が雪に埋まって、一部が見えていた。壊れてはいないものの、かなり古いもののようであった。下山後の古町温泉の露天風呂で話した地元の老人に聞いてみると、山小屋があるとは知らなかったという返事が返ってきた。昔の密猟小屋ではないかということであった。
 下山の時間が気になって、去りがたい山頂を後にすることにした。尾白山との間に広がるブナ林といい、1泊してのんびりと過ごしたい山であった。いつか、丸山を越して、山毛欅沢山まで歩こうか。丸山山頂からの急坂は、雪玉と競争するように、一気に下ることができた。途中で苦労して登った急坂は、北側斜面に迂回して、難なく通過することができた。
 長い下りであったが、順調な下りを続け、順当な時間に林道に下り立つことができた。登山も終了した気分になったが、小塩集落手前で、林道の雪が柔らかくなっており、一歩ずつ潜る状態になった。スノーシューを履けばよいのだが、集落手前とあっては、それも面倒で、なんとかつぼ足で乗り切った。
 下山後、伊南川対岸の古町温泉に入ると、そこの露天風呂からは夕日に照らされた尾白山を眺めることができた。山肌に付いた雪が今にも崩れ落ちそうなのがひと際印象的な山であった。
 次の山行を約束して、室井さん一行とは温泉で別れた。

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