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高城、袴腰山


【日時】 2002年12月29日(日) 日帰り
【メンバー】 てくてく会(14名)
【天候】 曇り

【山域】 下田周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
高城・たかじょう・370m・なし・新潟県
袴腰山・はかまごしやま・526.1m・三等三角点・新潟県
【コース】 長禅寺より
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/加茂/粟ヶ岳、森町
【ガイド】 新潟花の山旅(新潟日報事業社)
【温泉】 いい湯らてい850円(タオル、バスタオル付き)

【時間記録】 7:00 新潟発=(北陸自動車道、三条燕IC、 R.289、森町 経由)=8:00 長禅寺〜9:10 発―9:25 林道登山口―10:17 高城〜10:24 発―11:10 袴腰山〜11:20 発―11:55 高城〜14:03 発―14:36 林道登山口―14:41 長禅寺=(往路を戻る)=17:10 新潟着

 袴腰山は、川内山塊の最高峰である粟ヶ岳の前山である。五十嵐川のほとりから袴腰山に至る稜線上には高城(たかじょう)と呼ばれる山城の跡が残されている。「高城は戦国時代に下田郷を支配し、森町を根拠地としていた在地豪族下田長尾氏の保有していた最も重要な要塞であった。」と登山口の長禅寺の門前の案内板には書かれている。上杉一門の長尾藤景は、川中島合戦で上杉謙信の軍略を批判したがために謀殺され、遺臣らがこの山城にこもって蜂起したものの数カ月で落城したという歴史を秘めた山城である。現在、袴腰山への尾根には、ヒメサユリが大切に育成され、「ひめさゆりの小径」として登山道が整備されている。
 一昨年からてくてく会の仲間と年末山行を行ってきた。年末の、本来なら家の大掃除で忙しく働いていなければならないところを、さぼって山に行ってしまおうという企画である。山小屋のあるところがゆっくりと休むのに良いということで、今年は高城を選び、天気次第では袴腰山をめざすことにした。てくてく会には暇人ばかりが揃っているのか、14名の参加者が集まった。
 まずは、ほのりさんを、新潟ふるさと村でピックアップした。新潟でも朝には湿った雪が降り始め、山のコンディションは悪そうであった。悪天気のため、一般道を走るのも面倒になり、高速を使って三条に向かった。三条付近では道端に残る雪も僅かであったが、下田に向かうと雪の量がみるみる増してきた。五十嵐川の対岸に聳えているはずの袴腰山の姿も、降る雪に隠され、墨絵のような風景が広がっていた。高速を使ったため、1時間も早く登山口の長禅寺に到着してしまい、しばらく待つことになった。
 集合時間の9時には、本降りの雪になっていた。出発の準備を整えた一行に、この天気では高城までだろうと告げた。今回の山行では、皆にはわかんを用意してもらった。下田は新潟の豪雪地で、袴腰山もそうとうな雪が積もる。しかし、高城には立派な山小屋があるため、毎日のように登っている者がおり、少なくとも高城まではトレースが期待できる。高城から袴腰山まではトレースが無いこともあり、その場合には、わかんが必要になる。いずれにせよ、袴腰山は、新潟周辺では貴重な雪山ハイクの山である。
 長禅寺のお堂は、今年はまだ雪囲いがされていなかった。お墓の脇を過ぎて杉林に入った所では、雪の量は少なく、数センチのレベルであったが、林道に飛び出すと、吹き溜まり状になってとたんに雪が多くなった。トレース上は、雪に潜るのも膝下であったが、一行の写真を撮るために、脇に踏み出すと、膝まで潜ってしまった。歩き出すと同時に雪も止んできて暖かくなり、林道から山道に入るところで、衣類の調節のためにひと休みした。
 袴腰山への登山道は、「ひめさゆりの小径」として登山道が充分に整備されているので、雪に覆われてもコースをはっきり見分けることができる。登山道の脇の木立は新雪で白く飾られており、冬ならではの美しい風景を見せていた。緩やかな尾根道が続くが、高城のピークに向かっては、傾斜が少しきつくなった。特に山頂手前では空堀が幾つかあり、短いが急な斜面を登る必要があった。
 高城の山頂広場は、雪に覆われて、避難小屋が静かに佇んでいた。そのしじまを破るのは、我々13名の話し声であった。袴腰山の山頂が、少し霞んで姿を見せていた。雪も止んで、天気が回復方向にあるようであった。トレースも山頂方向に続いていることから、もうひと頑張りして袴腰山をめざすことにした。
 雪も多くなったが、トレースは続いており、わかんを付ける必要は無かった。高城と袴腰山の手前で、それぞれ一人の登山者とすれ違った。袴腰山への最後の登りにかかると、雪も多くなって、手で雪を掻き分けるようになった。足休めに背後を振り返ると、八木鼻越しの守門岳、弥彦山から角田山の展望が広がっていた。青空ものぞくようになって、雪山の楽しさも増した。
 息も切れた頃、袴腰山の山頂に到着した。いつもなら登山者で埋まっている山頂は、一面の雪で覆われていた。粟ヶ岳の山頂が雲に覆われているのが少し残念であったが、周囲の展望が開けているだけでも満足するべきであろう。ひと休みして記念写真を撮った後、休憩は高城の避難小屋でするため、下山に移った。
 雪道の下りは、急斜面ではあるが、雪も柔らかいため歩き易かった。高城に戻り、貸し切り状態の避難小屋で宴会の開始になった。お喋りに興じ、腹も膨らんだところで下山の用意を始めたが、あっという間に2時間近くが過ぎていた。雪山恒例の、雪だるまとの記念写真を撮った。雪が乾いており、雪だるま作りは難しかった。
 下山後に下田の温泉に入ると、夕暮れが迫っており、一日を雪山で楽しむことができた。
 今年一年、山の回数も過去最高となり山行日数も100日を越すことができた。未知の山を目指すと共に、仲間と山も楽しむ機会も増えた。これにて今年の山は終わり。数日後には、一年の山の開始となる。
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