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大蔵岳(中退)


【日時】 2002年12月15日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 菅名山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
大蔵岳・おおくらだけ・864.3m・三等三角点・新潟県
【コース】 大蔵尾根
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/新津/村松、馬下
【ガイド】 分県登山ガイド「新潟県の山」(山と渓谷社)
【温泉】 宝珠温泉赤松荘 500円(貸しタオル付き)

【時間記録】 6:30 新潟発=(R.49、馬下橋 経由)=7:35 いずみの里入口〜7:55 発―8:16 旧駐車場―8:36 階段コース登山口〜8:40 発―9:06 一合目―9:34 二合目―10:10 三合目〜10:20 発―10:40 四合目(沢コース分岐)―11:05 五合目―11:32 六合目―11:58 引き返し点(720m)〜12:23 発―12:31 六合目―12:41 五合目―12:52 四合目(沢コース分岐)〜12:57 発―13:05 三合目―13:14 二合目―13:24 一合目―13:38 階段コース登山口―13:55 旧駐車場―14:13 いずみの里入口=(往路を戻る)=16:20 新潟着

 菅名山塊は、蒲原平野の東端に阿賀野川と早出川に挟まれ、五頭山塊と川内山塊の中間に位置する山塊である。北より鳴沢峰、菅名岳、910ピーク(三五郎山)、大蔵岳と頂稜を連ねている。美しいブナ林、酒の仕込み水として有名になったどっぱら清水など、手頃に自然と親しむことのできる山である。菅名山塊には、多くの登山道が整備され、周遊コースをとることもでき、下越地区における人気の山のひとつになっている。
 今回の山行を書くには、まずは先週からの天気の移り変わりから始める必要がある。先週の週末は、八石山と坂戸山の忘年会山行を、穏やかな天候のもどで無事に終えることができた。月曜日は、関東方面で数センチの大雪となり、大宮からやってきたモンチが新潟から雪を持ち帰ったと笑っていたのだが、火曜日から日本海側も本格的な降雪となって、新潟市でも21センチのまとまった雪となった。その後は、雪道を長靴を履いて通勤する状態になった。海岸部を中心に始まった雪も、その後は山の方に移っていったようで、週末の登山はラッセルの覚悟は必要であった。
 山には新雪がたっぷりとつもった状態では、どこの山に登るか頭を悩ますことになった。雪山シーズンの始めで、藪がまだ完全にはねておらず、登山道のない山は難しそうであった。スノーシュー歩きにほど良い傾斜の山ということで、大蔵岳に出かけることにした。
 週末までには、道路上の雪は消えて、ドライブには支障はなかった。大蔵岳の登山口へ通じる林道の除雪は、いずみの里の入り口までであった。林道をうかがうと、誰も歩いた様子はなかった。プラブーツを履いて、スノーシューを持ち、冬山の完全で歩き出した。林道上の雪は、20センチ程で、つぼ足で歩くことができた。大蔵岳の登山口駐車場まで除雪されていないといっても、今の駐車場は、いずみの里の入り口のすぐ先なので、そう距離が長くなったわけではない。しかし、今はチェーンがかかって車を進めることのできない昔の駐車場までは、長い歩きが続いた。
 杉林に囲まれた林道は、まだ雪が少なかったが、昔の駐車場をすぎて、右手に谷が開けるようになると、膝まで潜るような吹きだまりも現れるようになった。三五郎橋を渡ると、雪はさらに深くなったが、階段コースの取り付きは少し先のため、もう少しつぼ足で頑張ることにした。
 階段コースの取り付きは、雪に埋もれて足場が見えないため、雪の中でもがきながら這い上がることになった。この「階段コース」は、名前にかかわらず、階段があるのは取り付き部だけで、尾根の末端部からほどほどの傾斜の登りが続くことになる。尾根に取り付いて杉林の中に入ると、再び雪は少なくなったので、もう少しつぼ足で粘ることにした。夏道がまだ見分けられるので、つづら折りに従って登り続けた。
 登山標識が前方に現れた。かなり歩いた後なので、「さて何合目だろう」と思ってみると、まだ一合目であった。一合に30分近くかかっては、山頂までは5時間かかる勘定になり、時間切れで登頂は難しそうであった。昼まで歩いて、そこで引き返すことにした。
 その先で雪が深くなり、スノーシューを付けた。今シ−ズン最初のスノーシュー歩きになった。雪は締まっておらず、スノーシューを履いても、かなりもぐる状態であったが、ゆっくりとしたペースでなら歩き続けることができた。スギ林の中で、登山道のコースを見定めるのが難しいところも現れた。一度は、杉の植林地と雑木林の間の境界にできた空き地を登山道と見誤って入り込み、大分歩いてから引き返しになった。注意しながら周辺の様子を見ていくと、夏道はヘアピン状に曲がっており、正しい道に戻ることができた。
 三合目まで登って、雪の上に腰をおろしてひと休みしていると、下から話し声が近づいてきた。三名グループと単独行であった。声を掛けられて顔をみると、うちの会の阿部さんであった。ようやく他人後から歩いて少し楽ができたものの、ラッセル交代をすると、後続とは直ぐに距離が離れてしまった。この深い雪では、スノーシューとわかんでは、歩きやすさにそうとうな差がでるようであった。スノーシューの威力を確認できた。わかん歩きでは、10名程のグループで、頻繁にトップ交代をしなければこの雪の状態では進まないように思えた。
 再びトップでのラッセルが続いた。周囲にはブナ林が広がるようになった。木々の幹や枝には、雪が白い隈取りをつけていた。単独行は、六合目で行動中止。ブナ林を過ぎて灌木帯に入ると、登山道に枝が倒れ込んで、歩くのも大変になってきた。疲れも出てきて、12時になったところで、行動中止として引き返すことにした。標高は、720mで、七合目の付近であった。大蔵岳の山頂までは1時間ほどの距離のように思われた。ビールと昼食をザックから取り出していると、阿部さん一行も登ってきた。ここで引き返すというと、阿部さん一行もここまでとするとのことで、その少し先の窪地でツエルトを張った。
 目の前には、鳴沢峰から大谷山、花見山にかけて続く尾根が横たわっていた。花見山の高さは超えていたので、このような降雪直後の時は、花見山を狙ってみようか。ビールを飲み干し下山に移った。
 下山をはじめてすぐに、スノーシューを履いた単独行が登ってきた。顔をあわせるなり、「大蔵岳まで行ってきたの」と聞いてきたので、「時間なので引き返す」と答え、そのまますれ違った。登りは一合目あたり20〜30分の時間がかかったが、下りは、10分ほどであった。しっかりしたトレースができあがっており、迷う心配も、ラッセルに苦労する必要もない道に代わっていた。体力限界の登りを行ったため、ビールの酔いも良く回って、四合目で息が切れてひと休みになった。
 休んでいると、先にすれ違った単独行が、もう下ってきた。どうやらトレースが無くなっているのを見て、その先に進むのをやめて下ってきたようであった。登ってきた時間も、ラッセルを覚悟してやってきたにしては遅すぎるし、誰かのトレースをあてにしての登山のようであった。今日のところは、大蔵岳の山頂には誰も登れなかったが、明日の日曜日は、このトレースを利用して山頂まで登る者も多いであろう。自分一人でのラッセルを覚悟しての登山であるから、他人のトレースを期待するわけではないが、なにか割り切れないものを感じた。人が大勢入る山のラッセルは割りが会わない気がする。どうせラッセルするなら、やはり登山道も無いような山の方が、雑念が入らなくてよさそうである。
 一合目を過ぎた所で、再びつぼ足になった。林道に飛び出して歩き出そうとすると、足がつってきた。傾斜が変わって、力の入り方が変わったせいのようである。足の疲労度を、改めて確認することができた。ひと休みしてから、車までの林道歩きを続けた。
 この日の疲労度はかなりのもので、翌日曜日は、山はお休みにして家の片づけに専念した。
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