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諭鶴羽山、大麻山、眉山
上蒜山
氷ノ山


【日時】 2002年11月19日(火)〜25日(月) 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 20日:晴 23日:晴 24日:晴

【山域】 淡路島
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
諭鶴羽山・ゆづるはさん・607.9m・一等三角点本点・兵庫県
【コース】 諭鶴羽ダムより
【地形図 20万/5万/2.5万】 徳島/由良/広田、諭鶴羽山
【ガイド】 分県登山ガイド「兵庫県の山」(山と渓谷社)

【山域】 阿讃山脈
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
大麻山・おおあさやま・538m・なし・徳島県
【コース】 大麻比古神社より
【地形図 20万/5万/2.5万】 徳島/鳴門海峡、三本松、徳島/撫養、引田、板東
【ガイド】 分県登山ガイド「徳島県の山」(山と渓谷社)

【山域】 徳島周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
眉山・びざん・276.7m・一等三角点補点・徳島県
【コース】 ロープウェイ山頂駅より
【地形図 20万/5万/2.5万】 徳島/徳島/徳島
【ガイド】 分県登山ガイド「徳島県の山」(山と渓谷社)

【山域】 中国山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
上蒜山・かみひるぜん・1202m・なし(1199.7m・二等三角点)・岡山県、鳥取県
【コース】 百合原牧場より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高梁/湯本/蒜山
【ガイド】 分県登山ガイド「岡山県の山」(山と渓谷社)
【温泉】 蒜山やつか温泉快湯館 740円

【山域】 中国山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
氷ノ山・ひょうのせん・1509.8m・一等三角点本点・兵庫県、鳥取県
【コース】 福定親水公園より
【地形図 20万/5万/2.5万】 鳥取/村岡/氷ノ山
【ガイド】 分県登山ガイド「兵庫県の山」(山と渓谷社)
【温泉】 出石温泉湯元館 300円

【時間記録】
19日(火) 15:00 新潟発=(北陸自動車道、米原Jct、名神高速道、吹田Jct、山陽自動車道、神戸Jct、三木Jct、垂水Jct、神戸淡路鳴門自動車道)
20日(水) =1:30 淡路SA (車中泊)
7:00 淡路SA発=(神戸淡路鳴門自動車道、洲本IC、R.28、円行寺 経由)=8:40 諭鶴羽ダム〜9:24 発―9:31 牛内ダム分岐―10:19 マイクロウェーブ―10:23 諭鶴羽山〜10:29 発―11:02 牛内ダム分岐―11:07 諭鶴羽ダム=(円行寺、R.28、淡路島南IC、神戸淡路鳴門自動車道、鳴門IC、霊山寺 経由)=12:30 大麻比古神社〜12:53 発―13:06 大麻山登山口―13:06 あずまや―13:35 卯辰越分岐―13:40 七合目裏参道分岐―13:56 大麻山―14:06 裏参道分岐―14:09 卯辰越分岐―14:32 あずまや―14:35 大麻山登山口―14:43 大麻比古神社=(霊山寺、鳴門IC、R.11)=16:00 徳島=17:00 阿波踊り会館=(眉山ロープウェイ)=17:05 眉山〜17:30 発=17:35 阿波踊り会館 (徳島泊)
22日(金) 15:30 徳島発=(R.11、鳴門IC、高松自動車道、高松中央IC、R.11、峰山口、R.32、高松西IC、高松自動車道、坂出Jct、瀬戸中央自動車道、倉敷Jct、山陽自動車道、岡山Jct、岡山自動車道、北房Jct、中国自動車道、落合Jct、米子自動車道、蒜山IC 経由)=21:30 上蒜山スキー場  (テント泊)
23日(土) 7:12 百合原牧場入口発―7:22 百合原牧場登山口―7:38 二合目―8:01 五合目―8:15 四等三角点―8:28 八合目―8:47 縦走路分岐―8:56 上蒜山―9:03 縦走路分岐―9:19 八合目―9:29 四等三角点―9:38 五合目―9:52 二合目―10:04 百合原牧場登山口―10:13 百合原牧場入口=(蒜山IC、米子自動車道、米子自動車道、落合Jct、中国自動車道、福崎Jct、播但連絡道路、和田山IC、R.312、一本柳、R.9、関神、福定 経由)=19:00 親水公園  (車中泊)
24日(日) 6:32 福定親水公園―6:46 布引滝―7:17 地蔵堂―7:25 木地屋跡―8:05 氷ノ越―8:36 仙谷登山道分岐―8:55 氷ノ山〜9:00 発―9:16 神大ヒュッテ〜9:29 発―10:08 東尾根休憩小屋―10:23 東尾根登山口―10:54 福定親水公園=(福定、関神、R.9、八鹿、R.312、出石、R.426、出合、R.482、宮津、R.178、敦賀IC、北陸自動車道、福井北IC、R.416 経由)=21:30 浄法寺青少年旅行村  (テント泊)
25日(月) 6:00 浄法寺青少年旅行村=(R.8、美川IC、北陸自動車道 経由)=12:30 新潟着

総走行距離 2005km

 諭鶴羽山は、淡路島の最高峰で、一等三角点が置かれている。古くから信仰の山として、島内で登られてきた山である。山名は、照葉樹の「ユズリハ」に由来するという。
 大麻山は、徳島県の東北端の鳴門市の最高峰である。徳島と香川に広がる阿讃山脈の一峰であり、阿波一ノ宮の大麻比古神社の神山である。
 眉山は、徳島市街地の西脇に聳える、徳島のシンボルといってもよい山である。登山道の他に、ロープウェイやドライブウェイがひらかれている。山頂には一等三角点が置かれ、眼下には徳島市街地の展望が広がっている。
 蒜山は、中国山地の岡山と鳥取の県境沿いの山である。上・中・下蒜山の三つのピークが連なっており、その中では上蒜山が最も高い。麓には、牧場や休暇村、高原野菜畑が広がり、その向こうに蒜山三座が美しいなだらかなシルエットを連ねている。
 氷ノ山は、兵庫と鳥取の県境に位置する山で、中国山地では大山に続く標高を持つ山である。関西有数のスキー場として開発が進んでいるが、古くから関西の登山愛好家に親しまれている山である。
 徳島の学会に出席することになり、その機会に山に登るため、車で出かけることにした。日本百名山巡りのために、四国には一度出かけているが、その時は、倉敷から瀬戸中央自動車道経由で四国に入った。その後、淡路島ルートが開通しており、徳島へは行きやすくなっている。夕方新潟を出発し、途中で一泊すれば、徳島には楽々入ることができるので、途中で簡単な山に寄っていくこともできそうであった。大阪付近を深夜か早朝通過することが一番の問題になりそうであった。
 登る山をあれこれ考え、淡路島の諭鶴羽山、二百名山の蒜山と氷ノ山を目標とすることにした。四国に残った三百名山の三本杭と篠山にも心引かれたが、四国の中でも徳島と反対側にあり、別の機会にすることにした。
 三時に新潟を出発することができたため、順調に距離を稼ぐことができた。長距離ドライブのため、サービスエリア毎に車を停めて、お土産コーナーを眺めてひと息いれた。滋賀付近で寝ることを考えていたが、大阪付近を深夜に通過できそうなため、もうひと頑張りすることにした。名神高速道に入るなり、トラックの間に挟まれての運転となり、気疲れがした。休み休みしながら走るうちに、深夜となって道路も空き始めて、吹田Jctから山陽自動車道に走り込むことができた。一番の難所を通過して気が楽になった。
 ドライブ中にはオペラの全曲をかけ続けていたが、ワーグナーの「ワルキューレ」とともに疾走し、二曲目の「トゥーランドット」で姫が「その名は愛」と絶叫する頃には、神戸淡路鳴門自動車道に突入し、壮麗に盛り上がるフィナーレの音楽とともに明石海峡大橋を渡った。車をゆっくりと走らせて下をのぞくと、かなりの高度があるようで、眼下に船の灯りが点々と散らばっていた。
 橋を渡った先には、淡路SAがあり、明石海峡大橋の展望台になっていた。夜中の1時半になっており、さすがに眠くなっていたが、ビール片手に海峡の眺めを楽しんだ。ただ、対岸は明石であるためか、町の灯りは思ったよりも暗かった。神戸が目の前にあれば、もっと美しい夜景になったであろう。淡路島まで入っておけば、徳島は目の先で、翌日は山でのんびりするだけである。
 淡路SAは、食堂の設備も整っていたが、ミスタードーナツがあったので、ドーナツを買って朝食にした。淡路島の半分ほどを走ったところで、高速道を下りた。新潟からでは高い高速料金になった。せめてガソリン代と同じ位ならよいのだが。国道を少し走ってから、諭鶴羽ダムに向かって県道を進んだ。
 諭鶴羽ダム手前にサイクリングターミナルの施設があり、そこの駐車場に車を停めた。登山の支度をして歩き出しダムサイトに進むと、ダムの堰堤が工事で通行止めになっていた。交通整理のスタッフに尋ねてみると、諭鶴羽山の登山口へは、ダムの上流を回り込む必要があり、2km程の歩きになるとのことであった。登山口までは車で進むことができると聞いたので、車に戻ることにした。
 ダムを一周する道は、サイクリングやウォーキングのコースになっているようであった。車を運転して堰堤の反対側に到着してみると、コンクリートが吹き付けられた崖下に諭鶴羽山の登山口の標識が置かれていた。ダムサイトには二つの大石が置かれ、曽我十郎の担い石という説明板が掲げられ、以下のように書かれていた。
「平安時代の終わりごろ、曽我十郎祐成は父の仇を討とうと親類の浦壁城主のもとで武術に励んでいた。
 大願成就を祈って諭鶴羽神社へ日参、その満願の日、「そなたの健気な心を聞き届けよう、境内の二つの大石を担って山が下りられるか力を試されよ、必ず成就するぞよ。」との神のお告げに歓喜した十郎は、早速大石を担いでのっしのっし急な坂を下りていった。「できたぞや」勇気百倍、弟五郎時致と協力し、仇の工藤祐経を富士の裾野で見事討ち取った。
 十郎祐成二十二歳、力試しの力石がここに残り、この伝説を今に伝えている。
 洲本土木事務所
 神代史談会」
 伝説に相応しく、いくら力持ちでも、一つであっても持ち上がらないような大石であった。
 コンクリート吹きつけの崖の下に続く階段を上っていくと、杉林の中に出た。急な登り僅かで尾根の上に出ると、右手から牛内ダムからの道が合わさった。左に曲がって尾根道を進んでいくと、木の祠の建つ広場に出た。傍らには石碑も並んで、古くから信仰の山であることが伺われた。この先は、尾根道の緩やかな登りが続いた。登山道の周囲は、照葉樹に囲まれて、見晴らしも閉ざされ、少し暗い感じがした。関東や新潟方面の山であったら、葉の落ちた冬枯れの林となって、明るい感じがするので、少し意外な感じであった。
 登山道の途中には石の地蔵様が置かれて、丁目標識の代わりになっていた。見晴らしの利かない尾根道の登りは長く感じられた。
 マイクロウェーブが立つ広場を過ぎると、その先で諭鶴羽山の山頂に到着した。山頂広場の一画には東屋が建てられ、石の祠と一等三角点が置かれていた。山頂からは、太平洋や瀬戸内海の眺めが広がっているとのことであったが、霞がかかって遠望は利かなかった。
 登りの途中では単独行に一人すれ違っただけであったが、下りの途中では10人以上の団体にも二グループ出合い、結構人気のある山であることを知った。
 車に戻り、一般道で淡路島を通り抜けてから大鳴門橋を渡り、四国に入った。ホテルのチェックインのためには時間が少し早く、もう一山登っていくことにした。
 分県登山ガイド「徳島県の山」を開くと、第一番目に、高速出口の鳴門ICからそう遠くないところにある大麻山が載っていた。登りに1時間も掛からないのも都合が良かったし、近くに四国霊場八十八ヶ所の一番札所の霊山寺があるのにも興味が引かれた。
 高速の出口付近にも、霊山寺の案内板があったので、車を走らせる方向はすぐに判ったのだが、門前をあやうく通り過ぎるところであった。お遍路さんが衣裳一式を整えるビジターセンターのような建物の前の駐車場に車を停めた。トイレの脇から境内に入ると、小さな池があり、その向こうに本堂があった。中を覗くと、一団のお遍路さんが、坊さんの説教を聞いていた。一番札所ということで、門前の仲店が並んだ奧に大きなお寺が聳えているような風景を想像していただけに、ちょっと意外であった。これなら、ローカル的な、例えば、墨田七福神巡りのお寺と規模は代わらない。信仰の深さと、お寺の大きさとは関係がないということかもしれない。
 霊山寺脇の車道を進んでいくと、前方に大麻山が迫ってきて、大麻比古神社に到着した。大麻山の登山口は、少し離れているようであったが、ここから歩き出すことにした。始めに大麻比古神社をのぞいてみた。阿波一宮ということであったが、越後一宮の弥彦神社と比べると、規模は小さかった。
 神社の境内の右脇の車道を歩いていくと、「弥山神社」の額が掲げられた木の鳥居が立つ大麻山の登山口に到着した。鳥居をくぐった先で、登山道は、迂回路と階段コースの二手に分かれた。二つの道は、先で合わさるようであったが、階段コースの方に進んだ。階段登り僅かで、東屋の建つ尾根上に出た。展望が開けて、尾根の先に大麻山の山頂が頭をのぞかせていた。
 登るに連れて、登山道周囲には、アカガシなどの暖地性植物群の樹木が広がるようになって、薄暗い道になった。卯辰越への道を左に分け、右手の道に進むと、すぐ先で表参道と裏参道の分岐に出た。表参道に進んで、登りをもうひと頑張りすると、鳥居とお堂の置かれた大麻山の山頂に到着した。木立に囲まれて薄暗く、山頂の開放感は味わえなかった。お堂の裏に回ると、木の枝に個人的な山頂プレートが取り付けられていたが、公的な山頂標識のようなものは見あたらなかった。
 裏参道を回って下山とも思ったが、薄暗い木立の中を歩くのも感じが悪いため、来た道を戻ることにした。
 大麻比古神社に戻り、時間も丁度良い頃ということで、徳島に向かった。予約をしてあった駅前の東急インにチェックインをした。
 ホテルで休む間もなく、夕食がてら、町に飛び出した。ホテルからもそう遠くない阿波踊り会館の眉山ロープウェイ乗り場をのぞいてみると、5時の便で山頂に登ることができることが判った。5時半が最終であったが、30分あれば、山頂から夜景を見るには充分であった。誰も客のいないロープウェイに乗り込んだ。眉山の山頂へは、登山道を歩いて登ることも出来るようであったが、徳島滞在中に時間がないこともあって、ロープウェイ利用の観光登山で勘弁してもらうことにした。
 暗くなるのも早くなって、眉山の頂上に上がると、眼下には町の灯りが美しく輝いていた。展望を楽しむ前に、三角点を探し出す必要があった。この山には一等三角点が置かれているはずであったが、どこにあるのか判らなかった。ロープウェイ出口左手にはパゴダがあり、その前の広場を見たが、三角点は見つからなかった。逆の右手に進んでみると、剱山神社に出たが、ここにも無さそうであった。
 結局、パゴダの前の生け垣の中に、一等三角点は置かれていた。三角点の説明板も掲げられており、明るければすぐに見つかる所にあったのだが、あやうく見落とすところであった。ようやく夜景を楽しむことができるようになった。展望台には、カップルが眺めを楽しんでいた。この山頂へは、車で上がってきているようであった。
 家に戻って国土地理院のホームページで地図を確認すると、眉山という名前は、少し西の290mピークに記されていた。ガイゴブックには、この一等三角点ピークまでの歩き方が書かれているので、このピークが一般的には眉山の山頂とされているようであった。
 最終のロープウェイで眉山を下った。夕食をとり、ビールを飲むと睡魔に襲われて、早々と眠りについた。
 本来の目的の学会を終えて、再び山旅を続けることになった。次の目標の山は蒜山で、その日のうちに登山口まで入っておく予定であった。高松自動車道は、途中の高松付近で途切れており、国道に下りると夕方の渋滞に巻き込まれた。再び高速道に戻り、ひと息ついた。狭かったり混雑していて、どうも四国の道路は好きになれない。本州には、瀬戸大橋を通ることになった。この橋を前回渡ったのは、日本百名山巡りのために1995年4月29日〜5月5日にかけて、剣山や石鎚山を訪れた時であるから、7年程が経過している。先回は、五月の連休中とあって、途中の余島SAは観光客で大賑わいであったが、今回は、人影もまばらであった。料金が高いことの他に、観光客の関心が、鳴門大橋に移ってしまったこともあろう。高速道路の建設がうんぬんされているが、本州と四国を結ぶ橋が三本も必要とは思えない。どのような政治的配慮が働いたのやら。もっとも、高速料金が高いことで、空いた道路を快適に走ることができるのは有り難い面もある。これで、高速道が無料とでもなれば、渋滞は避けられない。
 蒜山までは、山陽自動車道、岡山自動車道、中国自動車道、米子自動車道と、いささか複雑な経路のために、各ジャンクションを見落とさないように注意する必要があった。月の明るい晩で、蒜山ICで高速を下りると、三つのピークが連なった山のシルエットが空に浮かび上がっていた。
 蒜山は、上・中・下の三山からなる。この三つのピークを縦走して、車の回収のために来た道を戻るには、日の短い今の季節には難しそうであった。塩釜冷泉から中蒜山に登って上蒜山まで足を延ばし、さらに時間をみて下蒜山にもという計画を立てていた。暗くなってから塩釜冷泉の登山口に到着してみると、駐車場はヒュッテの私有地のようで、長時間駐車する登山者はヒュッテに申し出るようにと掲示されていた。早朝発は難しそうであったため、蒜山スキー場から上蒜山をめざすことにした。
 蒜山スキー場の入口に、上蒜山登山口の標識が立っていた。その先の林道は道が悪そうであったため、スキー場の駐車場にテントを張って寝た。夜中に気温が下がり、明け方は寒さで目を覚ました。封筒型シェラフを敷き布団にして、上に毛布と布団を掛けた完全装備のつもりであったが、街着の服装で寝たのが失敗であった。テントは霜で白く凍り付いていた。寒くて、暗い内から歩き出すような気力も萎えて、日が昇って暖かくなるのを待つことになった。
 ゆっくりと朝食をとってから車を動かして林道に進むと、すぐ先で、山に向かう林道が分かれた。林道は草が被っていたため、この分岐から歩き出すことにした。荒れた林道を進むと、牧草地が周囲に広がるようになった。ひと歩きすると、右手から延びてきた車道に飛び出し、車道終点の広場には登山者の車が停められていた。どうやらここが百合原牧場の登山口のようであった。
 今回は、新しいガイドブックを買わなかったのが、余計な歩きの原因になったのかもしれない。スキー場手前にあった登山口を示す標識が古びているのに、少々疑問を感じてはいたのだが。下山後、車を走らせたところでは、結局のところ、百合原牧場に通じる車道を示す登山標識は見あたらなかった。あたりを見回しているうちにも、登山者を乗せた車が到着していた。
 放牧場の有刺鉄線を跨ぎ越して、牧場をつっきって正面の杉林に向かって進んだ。杉林の中を右手に進み、尾根に取り付いた。二合目で杉林を抜けると、展望が広がり、尾根沿いに続く登山道を一望できるようになった。丸太の段々で整備された急な登りが続いたが、展望が開けており、気持ち良く歩くことができた。高度を上げるにつれて、昔は淡水湖であったという麓の扇状地の眺めが広がっていった。
 八合目の槍ヶ峰は、尾根の張り出しで、登ってみるとピークの形をなしてはいなかった。登山道は、ガスの中に消えており、山頂は隠されていた。ひと息いれて、周囲の展望に目をやると、雲の中から、白く染まった大山が顔をのぞかせていた。風が冷たく、山シャツの上にフリースを着込む必要があった。
 ガスが流れるブナ林の中を登っていくと、1202mピークの上に到着した。この縦走路の通過しているピークから、上蒜山の山頂は、北西に僅かに外れている。上蒜山の標高は1200mで、この縦走路分岐のあるピークの方が高いようである。縦走路に比べて、上蒜山への道は、笹が倒れ込んでおり、判り難い道になった。笹の上には霜が厚く積もっており、掻き分けていくと、たちまち全身が濡れてしまった。一旦下った後に登り返すと、上蒜山の山頂に出た。小広場の中に三角点が頭をのぞかせていた。どうやら分岐からここまでの道は、登山道として整備されたものではなく、三角点ピークを訪れる登山者によって付けられた踏み跡のようであった。ガスが流れていた。上蒜山の山頂は、木立に囲まれて、展望は無さそうであった。
 寒いために山頂で腰を下ろす気にもなれず、そのまま山を下った。頑張って中蒜山まで歩いたところで、下蒜山が残って気になる。今回は上蒜山だけで満足することにした。
 下山の途中になって、ようやく大勢の登山者とすれ違うようになった。下りは早く、あっという間に麓についた。
 麓の牧場から蒜山の眺めを楽しんだ。青空が広がり、中蒜山や下蒜山の山頂は姿を見せているのに、上蒜山はあいかわらず雲に覆われていた。温泉に入って汗を流し、次の目標の氷ノ山に向かった。
 中国自動車道から播但連絡道路に入ると車の通行量も多くなった。有料道路出口で渋滞の案内が出ていたので、途中のパーキングで食事をとって、時間をつぶした。和田山ICからR.9に出る付近では、ノロノロ運転になった。八鹿のスーパーで果物や夜食の買い物をして時間をつぶした。暗くなってから氷ノ山の登山口の福定に到着した。登山口の親水公園への入口が見つからないまま、先に行きすぎてしまった。戻りながら探していくと、道路の舗装工事をしており、その途中に分岐があった。工事中の一方通行のため、いそいで通り過ぎたため、見落としてしまったものである。
 林道を進むと、親水公園に到着した。駐車場には、すでに先客がいたため、道路の反対側の広場に車を停めた。こちらは未舗装であったが、昨晩の寒さにこりて車の中で寝るつもりであったので、地面の状態は問題ではなかった。
 幸い、明け方の冷え込みは前の晩ほどではなく、早起きができて、薄暗いうちに出発することができた。駐車場の裏手に進んでいくと、炊事棟も設けられたキャンプ場になっていた。沢に下りてしばらく川原を歩いた後、尾根沿いの登りが始まった。周囲の木立は、葉の落ちた冬枯れの姿を見せていた。
 ひと登りすると、布滝が右手の谷奥に見えてきた。登山道から分かれて少し入ったところに橋が架かり、滝の見晴らし場になっていた。滝見物のためには谷間に光りが届いていなかったが、落差65mの滝が白く光っていた。尾根沿いに登ると、左手の谷に、のぞきノ滝、次いで不動ノ滝が現れた。
 尾根の登りも一段落し、山腹を巻くようになると、地蔵堂に到着した。お堂の中をのぞくと、木彫りらしい仏像が左右に小さな像を従えて鎮座しておられた。床は土のままであるが、緊急の場合には避難小屋代わりになりそうであった。かつて加藤文太郎が泊まったともいわれている。
 木地屋跡を過ぎると、稜線部に向かっての登りが始まった。登山道周辺にはブナ林が広がるようになり、落ち葉の感触が気持ちよかった。登山道にも雪が現れるようになってきた。
 稜線に登り着いた所は、氷ノ越と呼ばれる峠で、かつては若桜の人々がお伊勢参りのための峠道として利用したというが、現在では、歩くものは登山者だけになっている。兵庫県側からと鳥取県側からの登山道が合わさる、登山の要所である。
 峠のかたわらには立派な避難小屋が建てられていた。稜線の先を伺うと、白く染まった山頂が、目指す氷ノ山のようであった。まだ標高差もあり、もうひと頑張りする必要がありそうであった。
 ひと休みして、そのついでにガイドブックを確認しようとして、とりだしてみると、兵庫県ではなく、岡山県のガイドブックであった。地形図もハイキングマップも用意していなかったので、資料無しで歩くことになった。事前に読んだ記憶だけが頼りであった。山頂は目の前に見えていたので問題は無いとして、周遊コースで下山できるか、少々不安になった。
 氷ノ越からは、登山道上の雪も急に多くなった。登山道周辺のブナの木も、太さを増して立派になった。雪は冷え込みのために堅くしまっていたが、スパイク長靴を履いていたため、滑る心配は無かった。雪の上に、新しく付けられたアイゼンの跡があるのに気がついた。話し声が聞こえてきたと思うと、5名グループに追いついた。大型ザックを背負った山中泊の縦走グループのようであった。足元を見ると12本爪の本格的アイゼンを付けていた。登りを開始する時に、わかんを持っていくか迷ったが、アイゼンを持っていくことはちらっとも浮かばなかった。雪の降り始めの時期にアイゼンを用意するとは、冬山訓練のために装備一式を携行しているのか、あまり雪の降らないところから登りにきているのであろうか。
 仙谷からの登山道を合わせると、コシキ岩に向かっての登りになった。コシキ岩の基部を左に巻くと、氷ノ山の直下に出て、最後の登りになった。この部分の登山道は、幅広で、遠くからも白い筋になってみえていた。
 氷ノ山の山頂は、白くガスで覆われていた。三角点周囲の広場は、踏み荒らされて泥田状になっていた。寒いので、かたわらの避難小屋に入ってひと休みした。小屋の中では、三名グループが泊まりの後かたづけ中であった。すでに9時になっており、下るだけとはいっても、少しのんびりしすぎてはいないだろうか。
 下りは、間違ったコースに向かってていないか、少々緊張した。古生沼の脇を抜け、笹原を下っていくと、神大ヒュッテに出て、東尾根の標識があってホットした。ヒュッテは開放されておらず閉まっていたが、テラスに腰を下ろしてひと休みした。ヒュッテの周辺には、美しいブナ林が広がっていた。
 東尾根を一気に下っていくと、東尾根休憩小屋に出た。ここで尾根から外れて杉林を下ると、氷ノ山国際スキー場に飛び出した。後は、スキー場を横断するように続く林道を辿っていくと、歩き始めの親水公園に戻ることができた。
 今回の山旅では、氷ノ山に登ることが目的であったのだが、ここから遠くない出石は、私の父の生まれ故郷である。実家に訪れるという連絡はしていなかったが、町をのぞいていくことにした。出石は、小学校も低学年の頃、一度訪れたことがあるだけであった。東京から一日がかりで神戸に辿り着いて、その晩はおばの家に泊まり、翌日播但線で豊岡に出て、さらにバスで出石へという二日がかりの大旅行であった。その頃でも珍しい汽車に乗って、煙に悩まされた記憶も残っている。
 出石にも、いつの間にか温泉が出るようになっており、山の後の汗を流すことができた。町の中心地に入ると、車の渋滞が起きていた。なんとか町営の駐車場に車を置いて、町の見物を始めた。出石城も、隅櫓が復元されて観光用の顔を整えていた。昔は石垣しか残されていなかったような気がする。鐘楼を中心とした通りは、人混みでごったがえしていた。通りは、観光客目当てのお土産屋と蕎麦屋ばかりが並んでいた。一軒の蕎麦屋に入り、名物の出石蕎麦を注文した。ここの蕎麦は、皿の上に少量の蕎麦が乗せられており、それを何皿も食べるというスタイルになっている。千石家が信州から国替えで移ってきた時に、蕎麦職人を連れてきたのが始まりということで、信州の蕎麦と同じような味がした。
 人混みに当てられた感じで出石を後にした。記憶にあるオハグロトンボやギンヤンマが飛び交い、水の流れの美しい静かな町は、今は無くなってしまったようである。故郷は遠くにありて、遠い思い出にふけるものなのだろうか。
 新潟に向かっての帰りを始めた。天橋立に出てから、日本海沿いに舞鶴、さらに敦賀を目指した。その日の内に新潟に戻ることは無理なため、どこかで野宿する必要があった。そのついでに、軽い山に登ることにした。福井の浄法寺山が、地元では人気の山のようで、コースタイムも手頃そうであった。
 浄法寺山の登山口の青少年旅行村には、暗くなってから到着した。テントを張って寝たものの、深夜に雨が降り始め、車の中に移って寝ていると、明け方から豪雨になった。登山は無理と諦めて、新潟に戻ることにした。福井から新潟へは、長いドライブであったが、山に登らなかったおかげで、新潟には早い時間に到着した。

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