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阿寺山、八海山


【日時】 2002年10月19日(土) 前夜発日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 越後三山
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
阿寺山・あでらやま・1509.0m・二等三角点・新潟県
八海山(入道岳)・はっかいさん(にゅうどうだけ)・1778m・なし・新潟県
【コース】 広掘登山口より新開道下山
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田、日光/十日町、八海山/五日町、兎岳、八海山
【ガイド】 アルペンガイド「谷川岳と越後の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「越後三山、巻機山、守門岳」(昭文社)
【温泉】 さくり温泉 500円

【時間記録】
10月18日(金) 20:10 新潟発=(関越道、六日町IC、R.291、山口 経由)=22:30 広掘登山口  (テント泊)
10月19日(土) 5:50 広掘登山口発―6:22 龍神碑―6:51 蛇食清水―8:22 阿寺山〜8:53 発―9:21 神生池―10:06 五龍岳―10:37 入道岳〜11:03 発―11:24 迂回路入口―11:35 新開道入口―12:04 カッパ倉―13:03 稲荷清水〜13:08 発―13:38 林道終点広場―13:48 屏風道登山口―14:39 広掘登山口=(往路を戻る)=17:10 新潟着

 越後三山のひとつに数えられる八海山は、三山のうちでは標高は最も低いものの、山頂部に険しい鋸歯状の岩峰を連ね、古くからの信仰の山として知られている。幾つかの登山道が開かれ、麓には里宮が設けられ、火渡りの行を行う八海山の火祭りは有名である。山頂部の岩場は、八ッ峰とも呼ばれ、鎖場が連続する。山名は、山頂部に八ッの湖があるからという説と、階段のように八ッの峰が重なっているので八階山と呼ぶようになったという説がある。最高峰の入道岳は、八ッ峰を越した先にあり、穏やかな山頂部となっている。阿寺山は、入道岳の南に位置するピークで、山頂一帯には草原が広がり、小さな池が点在して穏やかな風景を見せている。麓の山口の集落から阿寺山を経由して八海山へ至る登山道は、御池道とも呼ばれている。
 秋は、紅葉を追いながらの登山になる。先週の以東岳の紅葉の具合からすると、標高1000m以上で紅葉が盛りになっているように思えた。登っていないピークを考えていくと、八海山の隣の阿寺山が思い浮かんだ。八海山の岩峰と紅葉の取り合わせも美しそうであった。阿寺山に登った先、八海山まで足を延ばすかどうかは、その場で考えることにした。
 阿寺山から八海山まで歩くとなると、長丁場の歩きになるため、前夜泊とした。六日町ICから山口に向かい、広掘の集落へと右折した。八ツ峰養魚場を過ぎて広掘橋を渡ると、その先で未舗装の林道に変わった。林道に鎖が掛けられた広場に到着すると、左手に「広掘登山口 山口3.8km、五龍岳6km」と書かれた登山標識が立てられていた。この広場は傾斜地になっていたため、広掘橋まで戻り、そこの広場にテントを張って寝た。
 曇り時々雨の天気予報であったが、幸い、曇りの朝になった。阿寺山の登山口に、車を移動させた。阿寺山への登山道は、歩き出してしばらくは広掘川沿いに続いた。石の転がるあまり歩きやすい道ではなかった。高みに向かう登りが始まったが、これはすぐに川沿いに戻って肩すかし。次の登りが、沢を離れる登りの開始になった。登山道には夏草が覆い気味であった。登山道周囲は伐採地であったようで、夏草がはびこりやすくなっているようであった。夏の盛りには、夏草がうるさいかもしれない。
 ひと登りすると、大芳尼龍神と書かれた石碑と鐘が置かれた広場に出た。脇には沢が流れて、ひと休みには良いところであった。この水場は金剛霊泉と呼ばれるようだが、普通の沢水であった。鐘をひと鳴らししたが、耳を近づけていたため、頭まで響いてしまった。
 谷奧に向かう登りが続いた。前方に横たわる稜線までは遠そうであった。次の目標地点の蛇食清水に到着すると、4合目の標識があった。道の半ば近くといっても、歩き始めが何合目で、十合目が阿寺山なのか、八海山なのか判らないので、あまり役に立たない合目表示であった。もっとも、合目標識があったのはここだけであった。「阿寺山1.3km、龍神碑1.0km」と書かれているので、阿寺山まではそう遠くはなさそうであった。脇を流れる沢水を飲んでひと休みした。
 蛇食清水からは尾根沿いの急な登りが始まった。沢を離れたためか、登山道もしっかりした道に変わった。ひと登りして尾根が広がるようになると、美しいブナ林が現れた。「注意 女心と山の空 城内山の会」と書かれた金属プレートが、木に取り付けられていた。ブナの葉も黄色に変わってきていたが、時間が早く、太陽の光が充分に差し込んでいないのが残念であった。
 登山道は落ち葉に被われて足には優しかったが、下りは滑って尻餅の連続になりそうであった。ブナ林から背丈の低い雑木林に変わって、高度が上がってきたことを知ることができた。傾斜が緩むと、前方に小高い高まりを見せる阿寺山への最後の登りになった。阿寺山の山頂の北側を巻くところで、山頂標識が現れた。その先を少し下ったところは、黄色く色づいた草地が広がっていた。
 登山道は、阿寺山の山頂を通過していないことは知っていた。登山道から山頂まで、踏み跡があるのか、それともヤブコギになるのか、事前に調べても良く判らなかった。草地に下りてみると、南に見えるこんもりした高まりが阿寺山の山頂であることはすぐに判った。記録を色々読んでみると、そのまま通過している者が多いようであるが、阿寺山に登ったというには、あのピークを登らないわけにはいかない。
 短い距離なので、ザックを置いて往復してくることにした。草原の中に、ピークに向かってはっきりした踏み跡が続いていた。灌木とネマガリダケの入り交じった斜面にぶつかると、刈り払い道が続いていた。荒い刈り払いで、足元は不安定であったが、ヤブコギよりは楽であった。たいした苦労もなく、阿寺山の山頂に到着した。
 阿寺山の山頂はササヤブに囲まれて、傾いた二等三角点の周りが刈り払われていた。阿寺山頂と書かれた木のプレートが置かれていた。かつては高倉山からこの山頂まで道が開かれていたようであるが、その痕跡は見あたらなかった。
 草原に戻り、ひと休みした。美しい草原であった。雲の切れ間から日が差し込むと、草が黄金色に輝いた。岩場で知られた八海山の隣りに、このような穏やかな表情を見せる山があることは意外であった。中ノ岳は目の前にあるはずであったが、雲に覆われていた。八海山は、おぼろなシルエットを高く浮かべていた。この先に神生池などの見所もあるようなので、八海山に向かって進むことにした。
 歩き出すと、小さな池が次々に現れてきた。四ノ池とか三ノ池とか名前が付けられているようあったが、どれがどれやら良くは判らなかった。引き返すのがいやになるような下りが始まった。これまでのうちで最大の池が現れ、これが2万5千分の1地図に書かれている神生池(じんしょうのいけ)のようであった。昭文社の登山地図やガイドブックでは二ノ池と書かれている池である。藤島玄氏の越後の山旅でも、神生池は別の所に記されている。周囲の灌木は黄色や赤に美しく紅葉し、湖面に影を映していた。ピラミッド型をした入道岳や八峰の岩峰が、池の向こうに高く聳えていた。
 神生池を過ぎて、稜線歩きを続けていくと、五龍岳に至る稜線と、そこからもう一段高い入道岳の山頂も眼前に迫ってきた。五龍岳までは標高差180m程の登りで、もうひと頑張りする必要がある。尾根の周囲は紅葉の盛りになっていた。中ノ岳の山頂は雲にかくされていたが、オカメノゾキに至る尾根が一気に落ち込んでいるのを横から眺めることができた。
 五龍岳は、稜線から僅かに盛り上がった三角ピークであることが、近づいていくうちに判った。山頂直前で、石碑や鐘が置かれた広場に出て、ここには小さな池があった。そこからはひと登りで三山縦走路に出て、右に曲がり、僅かな登りで五龍岳の頂上に到着した。1585mピークの先に、痩せ尾根が一気に落ち込み、オカメノゾキの鞍部は見えないままに、中ノ岳の山頂めがけて上っていった。雲のために視界が充分でないのは残念であったが、三山縦走の難所の雰囲気は知ることができた。三叉路付近は小広場になって、テントを張るスペースがあった。八海山から入山する場合には、ここまで足を延ばしておけば、中ノ岳までの通過が楽になりそうであった。振り返ると、入道岳が大きなピラミッド型の山頂を見せていた。先回の八海山登山の際に、八ツ峰を越して入道岳まで足を延ばした時は、八海山の最高点といっても、縦走路上の通過点といった印象であったのだが、ここからは、標高差200mのどうどうたる姿を見せて、その印象は大きく異なっていた。
 もうひと頑張りということで、入道岳への登りに汗を流すことになった。灌木の丈も低くなり、背後の展望も開けていた。危険な岩場は無かったものの、砂礫混じりの滑りやすい斜面が続き、下りは足元に注意が必要そうであった。傾斜が緩むと、入道岳の山頂に到着した。山頂付近の様子だけからすると、縦走路の一通過点といった印象しかないところである。このピークには三角点は無く、丸ヶ岳と書かれた石碑が置かれているだけであるが、入道岳をめざして登ってきた登山者は、かえって混乱しそうである。
 縦走路の北をうかがうと、八ツ峰末端の大日岳が険しい岩場をめぐらせてそそり立っていた。八ツ峰は、登山を始めた年の秋に通過しているが、それ以来歩いていない。落ちると危ない岩場は、気が小さいのか、一度歩けば充分といった気分である。
 腰を下ろして展望を楽しみながらビールを開けた。この先どうするか考える必要があった。阿寺山への登り返しは、結構大変そうであった。入道岳まで来てしまったとなると、新開道を下るのが、後の車道歩きを考えなければ早そうであった。山を下った後の車道歩きなら、少々時間がかかっても問題ではない。新開道を下ることに決めて、まずは昼食をとった。
 大日岳に向かって痩せた稜線を下っていくと、数組の登山者とすれ違うようになった。大日岳の岩峰の上に立つ人も見えるようになった。八海山のロープウェイを使うと、丁度到着する時間になったのだろうか。ここまでは誰にも合わない山であったので、急に賑やかになった感じがした。
 八ツ峰縦走路と迂回路の分岐には立て札があり、「キケン注意! これから先は鎖場の連続、非常に危険です。初心者、飲酒者、体力消耗者や雷雨強風時には迂回路をご利用下さい。転落すれば助かりません。健脚でも充分注意して渡って下さい。 六日町・大和町」と書かれていた。このうち、一項目には身に覚えがあり、迂回路といえども、急に足元が心配になってきた。
 迂回路に入るとすぐに、長いアルミ梯子を4段ほど連ねた下りが現れる。迂回路といっても油断のならない道である。岩場の基部に下り立つと、新開道が分かれる三叉路となる。新開道の入口付近から、尾根に乗るまでは、岩場のトラバース道で、鎖場が連続し、足元には充分注意を払う必要がある。新開道を登ってきた登山者に出会い、道を譲るために声を掛けたが、休むというので、下り優先になってしまった。
 灌木帯となった尾根にのってひと息ついた。この先は、滑っても、ズボンが汚れるだけのことである。尾根沿いは紅葉の盛りとなり、カメラを首からぶるさげての歩きになった。1268mの小ピークがカッパ倉で、ここには七合目の標識が置かれていた。八ツ峰を振り返ると、荒々しい岩峰が横に広がっていた。カッパ倉は、越後の山旅によれば、河童ではなく、狩場あるいは刈場の意味だという。
 カッパ倉を過ぎると、紅葉もまだの状態になり、下りの足を速めることになった。ブナ林の下りになると、石の祠と、石造りのキツネが置かれた、稲荷清水に到着した。稲荷清水をのぞいてみると、流れは細いが、充分な沢水が流れていた。先回といっても、登山を始めた年の秋で12年前ということになるが、屏風道を登り、八ツ峰を通過して、この新開道を下った時は、水が途中でなくなって、この水場で息を吹き返したという思い出がある。稲荷清水から、落ち葉で滑りやすくなっている急坂を下っていくと、杉の植林地に出て、ほどなく林道終点の広場に出た。
 屏風道の続いている尾根や八海山スキー場を眺めながら、しばらく林道を下っていくと、沢音が近づいてきて、屏風道入口の広場に到着した。ここには、10台以上の車が停められていた。新開道登山口まで、ススキが林道に倒れ込んでいるものの、なんとか車で進むことができそうであったが、ほとんどの者が、屏風道を登って新開道を下山に使うために、屏風道登山口に車を置いているようであった。
 車が二台用意してあれば、これで登山終了になるところであるが、阿寺山登山口までの車道歩きが、最後に待ちかまえていた。八海山パークホテル手前で左折し、中手原から広掘の集落を目指した。昨晩に車で走った道とは違う近道をとることができた。雨がぽつりぽつりと落ち始めたので、足を速めることになった。結局、新開道登山口からは、思ったよりも短い1時間の車道歩きで済んだ。
 車に戻って、一息ついている間に、本降りの雨が始まった。最近は、車に戻ると雨が始まるという場面が多いように思うが、早立ちのおかげか、心がけが良いせいであろうか。

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