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柴倉山、要害山


【日時】 2002年9月29日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 只見周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 柴倉山・しばくらやま・871.1m・三等三角点・福島県
【コース】 柴倉林道終点より
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/只見/只見
【ガイド】 なし

【山域】 只見周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 要害山・ようがいさん・705m・なし・福島県
【コース】 只見駅より
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/只見/只見
【ガイド】 福島低山50(歴史春秋社)、会津百名山ガイダンス(歴史春秋社)
【温泉】 只見温泉保養センター 250円

【時間記録】 6:20 新潟発=(磐越自動車道、会津坂下IC、R.252、沼田、柴倉林道 経由)=9:28 林道終点広場〜9:33 発―9:45 送電線分岐(越後幹線No.36、No.本名線16)―9:59 本名線No.17鉄塔下―10:18 尾根上分岐―10:22 鉄塔下〜10:26 発―10:47 柴倉山〜11:07 発―11:21 鉄塔下―11:26 尾根上分岐―11:30 本名線No.17鉄塔下―11:45 送電線分岐―11:54 林道終点広場=(柴倉林道、沼田、R.252 経由)=12:05 只見駅〜12:07 瀧神社〜12:32 発―12:58 525標高点―13:27 要害山〜13:31 発―14:09 沼田―14:28 只見駅=(R.252、会津坂下IC、磐越自動車道 経由)=17:30 新潟着

 柴倉山は、良く目立つ三角形の山頂を持ち、只見の町と只見川を挟んで向かい合う山である。山頂の南東部を送電線が通過しており、アプローチに巡視路を使って、最後は軽い藪漕ぎで山頂に達することができる。
 要害山は、只見駅の背後に屏風のように広がる山である。山ノ内氏の築いた水窪城とも呼ばれる山城が置かれていた。山頂にはテレビの中継基地が置かれ、林道が上がってきている。そのためか、麓の瀧神社からの登山道は荒れている。
 週末に予定していた谷川縦走は雨で中止になり、土曜日に飯士山、坂戸山、六万騎山の三山を歩いた後に帰宅した。日曜日の天気予報は、曇りに変わって、山歩きはできそうであった。低山歩きを考えていくと、会津の只見にある要害山に思い当たった。只見には、もうひとつ中丸城趾のある横田要害山があり、この山には1999年5月13日に登ったが、只見駅の背後にある水窪城趾のある只見要害山にはまだ登っていなかった。只見までとなると新潟からでは距離があり、この山だけとなると少しもったいないが、すぐ近くの柴倉山の登山情報をホームページから得たことから、二つの山を目標に出かけることになった。
 会津坂下ICから只見川沿いのR.252を進んだ。蒲生岳が近づくと、登山口の表示が目に入ってきた。国道脇には、絵看板が置かれていた。5名程のグループが、蒲生岳に向かって歩き出していった。只見付近では、浅草岳、会津朝日岳に次いで有名な山になっているようであった。
 叶津で八十里越えのR.289を右に分けると、只見川の対岸にどっしりした三角形の山頂を持つ山が見えてきて、これが柴倉山のようであった。新町で只見川にかかる水色に塗られた鉄橋で右岸に渡った。橋の名前を見ると、柴倉橋と書かれていた。橋を渡ったところから始まる山に向かう林道に進むと、数回カーブを切った後に、右手にトラバースするように谷奥に続いていた。ほどなく、広場になった林道終点に到着した。広場の手前には、越後幹線No.37、38と書かれた送電線巡視路の標識が立てられていた。
 巡視路に進むと、幅の広い山道が続いていた。柴倉沢沿いに登っていくと、周囲は杉林から雑木林に変わっていった。沢は浅くなり、飛び石伝いに跨ぎ越す所も現れた。左手から沢が合わさる所で、別な鉄塔への巡視路が分かれ、ここからは急な登りが始まった。急斜面にはロープが取り付けられており、助けになった。尾根の上に横たわる岩を右手に巻くと、すぐ上で送電線の鉄塔下に出た。本名線No.17鉄塔のようで、ここからは、只見の町や、対岸の要害山の眺めが広がった。晴れていれば、鬼ヶ面山から浅草岳の稜線の展望台になりそうであった。柴倉山の山頂も目に入ってきたが、肩部に送電線が通過しており、巡視路終点から山頂へはそう遠くない距離のようであった。
 左右が切り落ちた露岩状の痩せ尾根を辿っていくと、再び急な登りが始まった。途中の岩場には、鉄製のはしごが掛けられていた。登山道の雰囲気や、岩場に彫り込まれた足場を見ると、昔からの山道を送電線の巡視路として使っているように思えた。急登を終えると、770m小ピークの左肩部で稜線に登り付いた。右手に本名線への巡視路が分かれたが、ここは左折して越後幹線の鉄塔に向かっった。緩やかに下っていくと、ほどなく鉄塔下に出た。峰越しの送電線の先には鷲ヶ倉山が、とがった山頂を見せていた。
 道はここまでで終わっていた。送電線下の広場の脇は、ススキの原になっていた。ススキを掻き分けていき、雑木林帯に入ると、はっきりした踏み跡が現れた。ブナ林が広がり、下生えはツバキが目立ち、尾根筋もはっきりしており、ヤブコギといっても、歩くのは難しくは無かった。ブナの大木も混じっていた。所々、ピンクのテープが残されていた。急斜面では、木の枝を持って、体を持ち上げるような所も現れた。鉄塔からは、標高差100m程の登りであり、20分程のヤブコギで山頂に達することができた。
 柴倉山の山頂は、三角点周囲が刈り払われていたが、周囲は灌木に囲まれて、眺めは得られなかった。それでも、一人占めの山頂で腰を下ろしていると、登頂の気分に浸ることができた。最近では、谷川岳や白馬岳のように人の大勢いる山頂では、何度も登っているせいもあるが、登頂という気分は薄くなっている。山に大勢の登山者が登っているからといって文句をいう人がいるが、そういう人は、こういったひと気の無い山に登るかといえば、決して登ることはない。結局は、自分も大勢の中の一人であることに気が付いていない。静かなひと時が過ぎていった。ひと休みの後に、二度と訪れる機会はないであろう山頂を後にした。
 藪の下りは速く、すぐに鉄塔下まで下ることができた。後は急斜面で足を滑らさないように注意しながら巡視路を下るだけであった。
 車に戻り、要害山の登山口の駐車場となる只見駅に向かった。駅の左手の踏切を渡った先に瀧神社があり、ここから要害山の登山道が始まっているはずであった。「福島県の低山50」にも取り上げられている山なので、はっきりした登山道が整備されているものと思いこんでいた。神社の境内は、良く整備された草地の広場になっていたが、要害山への登山標識のようなものは無かった。ガイド文を読むと、北側の沢にかかる堰堤を渡ると書かれていた。沢の右岸沿いに、山に向かう踏み跡が続いていた。草がかぶり気味の道を登っていくと、尾根の上に出て、杉林の中に入ったところで、踏み跡は消えてしまった。
 神社に戻り、コンクリートで固められた沢を良く見た。すぐ上に見える堰堤を渡るように思えた。迷い込んだ踏み跡に進んで、すぐに草を掻き分けながら右手に進むと、堰堤の上に出た。堰堤には、鉄棒の足場が取り付けられており、簡単に越えることができた。対岸に渡ると、尾根の左に回り込むように踏み跡が続いていた。道はこれしか無さそうであった。完全に藪が被っており、枝を掻き分けながらの登りになった。ハイキングのレベルではなく、廃道のヤブコギというのが正しい表現であった。痩せ尾根の急登が続き、足元にも注意する必要があった。ケーブル埋設の標柱が埋め込まれており、露岩帯ではワイヤーが露出しているところがあった。この道は、テレビアンテナのケーブル埋設道として整備されたものが、その後荒れてきてしまったように思われた。眼下には、只見駅や町の眺めが広がっていた。
 525標高点に上がってひと息ついた。山頂には中継基地のアンテナが立ち、そこに至るまでの道筋は見えていたが、藪は濃く、登りはともかく下りは難しそうであった。下りのためには、赤布を短い間隔で付ける必要があった。この道を下るのはいやになり、山頂からは林道跡を下ることにして、赤布は念のために尾根の合流点くらいに付けていくことにした。赤布は放置することになるため、葉の先にゆるく結んで、そのうちにとれてしまうことを期待した。
 山頂が近づいて尾根が広がるとブナ林が広がるようになり、踏み跡を辿ることは難しくなった。下生えが笹原であるのもやっかいであった。踏み跡に倒木が倒れかかっており、迂回するのに苦労した。藪を掻き分けていくと、ようやくといった感じで、中継基地の建物の脇に飛びだした。
 南に向かってはっきりした踏み跡が続いており、スキー場の上部に出られそうであった。この道を下りようか迷ったが、スキー場にススキがはびこっていると歩くのに苦労しそうなため、林道経由で下山することにした。北に向かうと、すぐに二つの中継基地の建物が現れた。ここが要害山の山頂のようであったが、灌木に囲まれて展望はなく、広場も建物に占領されていた。休むにしても落ち着かない山頂であった。
 横田要害山には、山内家の山城が置かれていた。山内氏勝の時、伊達政宗の侵攻によって中丸城は天正17年(1589年)に落城し、その後この水窪城に落ち延び、越後上杉氏に助けられて伊達に抵抗したが、豊臣秀吉の全国統一によって山内家は所領を没収されて、蒲生家の会津入りによって山内家は滅亡したという。この山頂には、昔を忍ぶようなものは何も残されていなかった。
 林道は、途中で車の通行は難しい道幅になっていたが、歩く分には支障のない状態であった。柴倉山を眺めながらの下りが続いた。途中からは車も通行できる道になった。要害山に登るには、車で林道の途中まで上がって、残りは徒歩でというのが簡単であるが、これでは登山の趣は薄くなってしまう。しかし、今の状態では、瀧神社からの登山道は廃道といったレベルで、整備が必要である。国道に出てから、只見駅までは車道歩きをひと頑張りすることになった。
 思わぬヤブコギで汗とほこりまみれになり、以前にも入ったことのある只見温泉保養センターで入浴してから家路についた。


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